21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

100万人の難民受け入れ

2015年09月06日 22時55分09秒 | Weblog
中東から欧州への難民の流れが止まらない。

「ゲルマン民族の大移動」では、ローマ帝国の崩壊を招いたが、今回は全く違ったケースになるだろう。欧州各国には難民を受け入れる準備がある。 経済的には、労働力が増え、個人消費が伸びることで、長期的にポジティブな影響を生み出すだろう。

 日本でも難民の受け入れを積極的に検討するべきだ。
年間1000人程度の受け入れでは、社会的な負担が大きい。 年間100万人規模で難民を受け入れるべきだ。


*毎年1000人の難民しか受け入れない場合、
国内の既存設備で難民を受け入れることになる。言葉・風習・習慣の違う人たちを同じ社会インフラで受け入れられるのか? ムリだと思う。
 例えば、公立小中学校の教師は、日本語を理解できない難民の子供に十分な教育を与えることができるだろうか? ムリだと思う。 (別の問題として、日本語を理解できる子供にも十分な教育を与えられていない)
 例えば、マンションの管理組合は、言葉の分からない難民の住民と協力して、マンションの修繕計画を立てることができるのだろうか? 難しいと思う。 修繕費の積立も問題になる。

ハローワークの対応は? 病院の受け入れ態勢は? 医療保険は? 年金は? 輸入食材への関税率は? 大学進学は? 柔軟性のない既存社会インフラでは、難民を受け入れられない。


*毎年100万人規模で難民を受け入れる場合、
 人口35万人前後の街(職住近郊型)を新しく3つ作ればよい。場所は、地方自治体がバブル期に工場用地として造成し、売れ残っている場所を使用する。
 新しい街、新しい社会インフラを始めから作るれるため、柔軟に対応することが可能になる。100万人の人口があれば、新しい街を作る価値は十分にある。 難民の移住で、労働力不足の問題も解決する。 特別なシステムが必要なケースは、下記のような点が考えられる。


 住居設計では、個人スペースと共有スペースのバランスを考えて、地区ごとのコミュニティを重視する。

 学校教育は、オンラインでの映像を多用する。年長者にサポートに入ってもらう一方、授業の中心を録画講義にすることで、教員育成の手間を省く。  児童労働を無くすため、授業出席数・成績に応じて、生活費を支給するようにする等
 大学への進学方法を検討する。海外の大学を誘致する等

 幼児・児童向けの医療制度を整える。専門のアプリをダウンロードしたタブレットを母親に配布し、健康管理をしてもらう。また、緊急性が高い場合は、そのタブレット端末を利用して医療機関に連絡が取れるようにする。

 労働先として、工場を誘致する。長時間労働を禁止して、多くの人が働けるようにする。各個人の以前の職業を活かしての独立・起業を支援する (飲食店、服飾系、他小売、サービス業、商社、銀行等)

 給料の支払、生活費の支出は、すべて電子マネーで対応し、現金の新規発行量を抑える。(それでも、「資金」の流通額は増える)

 貿易特区に指定し、食べなれた食材を無関税で輸入できるようにする。他、生活物資の輸入・製造に特別の配慮をする。等

 低賃金での労働を防止するため、高めの最低賃金を設定する。 時給 1350円等
労働法の周知・研修を徹底する。

 民主的な自治組織を育成する。持続可能な発展について、自己責任を認識してもらう。



100万人規模で難民を受け入れる場合、行政側の負担はほとんど発生しない。それぞれの「街」開発に責任を持つ民間企業を決め、コストを負担させればよい。新しく街を作り100万人分の労働力・消費が新しく生まれるところだ。 工場建設を計画する企業、オフィス開発を計画する企業、進出を考える小売チェーン店等、資金を出したい民間企業は多いはずだ。
 もし、「企業資金」だけでは足りない場合、特別目的子会社を設立して、株式なり債権なりを個人向けに発行し、寄付金を集めればよい。

 100万人の街を一つ作るわけではなく、35万人前後の街を3つ作る。これは、3つの街を競争させることで、より良い住環境を作ることを目的としている。 そして万が一、どこかの街が持続的発展に失敗した場合、他の2つの街で住民を受け入れることができる。




例えば、10人の難民を受け入れようとする場合、工夫が必要で大変な苦労をする。得るものも少ない。
しかし、100万人の難民を受け入れる場合、苦労は少ない。そして、儲かる。 消費税収入増、所得税収入増、法人税増。 人口が増え、個人消費が増えることで、デフレ・スパイラルからの脱却も進むかもしれない。


特に民間企業は、積極的に難民の受け入れを推進するべきだ。 異文化の街を国内に持つことで、新製品のテスト販売や工場の海外展開を検討する際に学べることが増える。海外でする失敗の数を減らすことができれば、企業の国際競争力も強化されるはずだ。

ソフトパワーを考える

2015年09月06日 22時25分18秒 | Weblog
 現在の安全保障政策では、ソフトパワーがないがしろにされ過ぎている。

国際問題の解決手段としては、軍事力を中心とした「ハードパワー」と信頼性を中心とした「ソフトパワー」に分けることができる。

理想論としては、国家が十分に国際的信頼を受けていれば軍事力がなくとも国際紛争は解決される。それがソフトパワーだ。 現実には、多文化・異習慣の国際社会で、そこまでの信頼を得ることは不可能に近い。

しかし、ソフトパワーがなければ、軍事力(ハードパワー)は意味をなさない。

 アメリカは、圧倒的な軍事力でイラク政府を消滅させた。しかし、アメリカ軍は中東で信頼されていないため(ソフトパワーがないため)、軍事力ではイラクを平和・安定させることができなかった。 イラク政府に代わり、イスラム武装勢力が地域的な勢力を伸ばしている。
 ハードパワーでイラク政府を消滅させたアメリカは、イラク以上に厄介な敵を作ることになった。 国家戦略的には、前進よりも、後退のように思える。
 アメリカ軍は、「救世主」でなはく「破壊者」として中東から評価されている。 アメリカ軍の中東での活動は、国益にも国際平和にも役立たなくなっている。


 日本の安全保障政策でも、ソフトパワーがないがしろにされているように思う。
自衛隊の海外派遣を検討する一方、国際紛争の被害者・難民に対して、あまりにも冷酷だ。
難民を助け、紛争の火種を抑えてこそ「救世主」として信頼される。 破壊行為、破壊行為の補助をしていたのでは、信頼を失うばかりだ。

 中東の紛争から多くの難民が生まれ、トルコ・欧州に流れ込んでいる。安全保障の議論では、「将来現れるかもしれない敵」を「破壊」することばかりが中心になっている。しかし、「今ここにいる難民」を助けることの方が重要なのではないか?

 「平和のための法律を作りたい」のであれば、将来の武力行使の議論を止めて、今できる人道支援をするべきだ。 日本国家が「救世主」としてのソフトパワーを得ることができれば、大きな国益につながる。


 先の3年間で、東南アジアからの難民を100万人、中東からの難民を100万人、アフリカからの難民を100万人受け入れるべきだ。 自衛隊は既に世界第3位の国防予算を持っており、軍事力(ハードパワー)をこれ以上強化するのは、費用対効果的に難しい。 同じ予算を難民救済に向ければ、ソフトパワーを強化して、国際社会での地位を確立することができる。



*補足として、
「難民」と「移民」は完全に別の存在だ。一般的に注目されている「移民問題」は、「難民」とは全く関係ない。 この二つは、完全に別の議題として明確に区別されなければならない。