『ヒバクシャ 世界の終わりに』 ~未来へのメッセージ

2011-03-21 12:50:00 | 映画&ドラマ


 2004年3月、渋谷のユーロスペース(現在は「シアターN」と名前が変わっている。「ユーロスペース」はBUNKAMURAの方に移転した)で、鎌仲ひとみ監督の渾身のドキュメンタリー映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』(03)が公開されました。2006年にはDVDも発売されましたが、すでに絶版になっているみたいで、つい最近まで中古品が高値で取引されていました。続いて発表した『六ヶ所村ラプソディー』(06)と合わせて、たびたび上映会が開かれていますので、機会があったら、是非ご覧ください。
 最新作の『ミツバチの羽音と地球の回転』(10)が現在公開中でしたが、震災と原発事故を考慮して上映中止となりました。落ち着いた時点で再開されますので、そのときはユーロスペース2Fまでお越しください。原子力三部作として、改めてソフトが発売されることを期待します。

 『ヒバクシャ 世界の終わりに』のオフィシャルサイトは、 → ここをクリック
 『六ヶ所村ラプソディー』のオフィシャルサイトは、 → ここをクリック
 『ミツバチの羽音と地球の回転』のオフィシャルサイトは、 → ここをクリック

  オフィシャルサイトから鎌仲ひとみ監督のコンセプトを引用いたします。私などが解説するより、彼女の言葉を聴いた方が良いと思うので・・・。

「世界で初めて原爆が投下されてからすでに57年、経った。ヒバクシャはこの57年をどう生きてきたのだろうか。原爆の体験はこの間、日本や世界の人々と共有されてきただろうか?ヒバクシャとはどのような存在なのだろうか?
この疑問は98年、イラクを訪れ、湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾により白血病を病んだ多くの子供達に出会ったことから始まった。彼等は世界から隔絶し、自分に何が起きたのか語る言葉を持たず、十分な医療もなく、そして私の目の前で亡くなって行った。その中の一人、14才の少女、ラシャは「私を忘れないで」とメモを手渡した。ここから私のヒバクシャの声を聞く旅が始まった。
広島で被爆した医師、肥田舜太郎は85才の今もヒバクシャの医療と人権の回復に情熱を傾けている。被曝体験から肥田医師は微量の放射能がもたらす危険を訴えてきた。肥田医師の活動を通して、人類史上稀に見る悲惨な体験から日本のヒバクシャが獲得した、アイデンティティ、そしてその魂のメッセージを探る。
また一方で肥田医師の警告する微量放射能の被害は核開発、核実験、原発によって世界に拡散している。長崎に投下された原爆のプルトニウムを生産したアメリカのハンフォードでは50年以上も大量のプルトニウムを製造する過程で世界でも最大量、高濃度の核廃棄物の汚染にさらされてきた。そこに住む住民もまたこれらの放射能によってヒバクシャとなっている。
この映画では核の被害者を等しくヒバクシャと呼びたい。放射能は目に見えないが確実にこの世界を汚染し続けている。だからこそ、今、ヒバクシャの声に未来へのメッセージに耳を傾ける」

 映画に登場する肥田舜太郎医師は今もご健在です。軍医として被爆者救助にあたった際に広島市内で(一般的に言われているところの)「入市被爆」しました。長いこと国は、「直接被爆」した人以外の被爆者に対して「手帳」は交付するものの、原爆症認定を拒んできました。肥田医師の『ヒロシマを生きのびて』と、鎌仲さんとの共著『内部被爆の脅威』も、是非お読みください。
 原発事故が起きてから、水や農作物の汚染が確認されましたが、『ヒバクシャ 世界の終わり』では、ワシントン州ハンフォードにあるプルトニウム製造工場近くに住む住民たちの健康被害が報告され、隣接する大穀倉地帯で収穫されたジャガイモやリンゴが誰もが知っているファーストフード・チェーンを介して私たちの口の中に入っていたという事実も描かれています。
 鎌仲さんと肥田さんが訴え続けてきた「全人類がヒバクシャになる」という言葉が、日本においては現実のものとなってしまったわけですが、事故が起きなくても「ヒバク」はなくならないという真実を、今正面から見つめる必要があると思います。

肥田医師のインタビュー記事は、  → ここをクリック

に打たれて出勤です・・・嫌だけど・・・。