一回の勤務時間が普通に24時間を越えるようになって一週間・・・家に戻ると(当たり前の話ですが)何の前触れもなくバチッと電気が停まり、眠り薬の雑誌を手に布団に潜りこみました。
18時30分頃に、またバチッという音と共に電気が復旧しました。ネコに夕ご飯をあげて、ニンゲンも夕食を取ることにしました。夕食後はお風呂に入って疲れを取ります。
(被災地で不自由されている方々には何とも申し訳ないのですが、お許しください)
こちらの方は徐々に普通の生活に戻っています。否、今までが異常でした。近所のガソリンスタンドでは、今朝も朝から車が行列していましたが、昼には車列はなくなっており、しかもきちんと営業されていました。そろそろ時間の無駄遣いはやめたら? 食品も戻ってきています。この先我々がやるべきことは、被災地方面から出荷される野菜や魚、肉や牛乳などを積極的に買うことではないでしょうか? 避けるのではなく。
放射線物質の暫定基準値というのは、これを超えてはならないからこそ定められているのであって、「超えたからといって直ちに危険はない」という東京電力&政府の会見は詭弁です。しかも、度重なる改定を受けて、基準値はかなり緩くなってしまいました。それを遥かに超える放射性物質が検出されていて、しかも放出は未だに続いています。日本人特有の「言霊」(言葉にすればそのとおりになるという信仰。逆に言えば、不吉なことは一切言ってはならないという風潮)発言を繰り返すより、チェルノブイリと同じ「石棺」作戦に早いこと着手すべきでは?(冷却が先で、直ちににはできないようです。後日付記)
個人的には、「そこまでやるの?」と思うけれど、横須賀のドッグで点検中だった原子力空母ジョージ・ワシントンは急遽、在留軍人の家族を乗せて危険な?関東地方から関西方面に出港しました。原子力空母も原子炉を積んでいて、かなり危険な乗り物だと思うのですが、そのあたりの分別はどうもないようです。
原子力産業というのは、つまりところ非常に儲かる産業なので、官民一体となって推進してきたし、ここに来て諸外国にも積極的に売り込んでいましたが、これだけの大事故を起こしたのだから、もう「危険ではない」と嘘をつくのはやめ、マイナス面やリスクを提示して我々に選択させてください。そこに暮らす「声を上げる」ことのできない生き物たちに代わって・・・。
内部被爆(体内被曝)が実際にどれくらい危険なのかを証明することは容易ではありません。一番簡単な例を挙げれば、広島&長崎で被爆した人が数十年後にガンで死亡した場合、その人が喫煙者ならタバコが原因かもしれないし、アスベストを吸いこんでいたのかもしれないし、極度のストレスから潰瘍が何度もできガンになってしまったとか、遺伝的にガンになりやすい体質だとか、様々な要因が考えられるため、内部被爆によってガンが引き起こされたという確たる証拠を提示することはできません。原爆症の集団訴訟はそこに風穴を開けたわけですが(一人ひとりについては因果関係を証明できなくても、100人のガン患者が共通して被爆者ならば、何らかの因果関係があると言わざるを得ない)、原告側が勝訴しても国は控訴して未だに認めようとしません。
戦闘機の機関砲や戦車砲に使用される劣化ウラン弾や、アンカーバスターといった特殊爆弾による被爆も、地域住民、従軍兵士、(貧困層の)出稼ぎ労働者の発ガン率が異常に高い数値を表しているにもかかわらず、因果関係はないとして認められていません。チェルノブイリ原発事故の被害者の数も、実態は闇の中です(公式的には数十人から数十万人まで開きがある。そんなことって?)。
こんな文章を書いていると、いたずらに不安をあおっているのではないかと非難する人もいるでしょうが、私自身はそんなつもりはさらさらなくて、原産地はどこかとチェックすることもなく、今までと同じように「普通」に食べ、「普通」に生活していきます。話を思い切り単純にして、「今回の汚染により100~200人に1人の割合でガンになる」と言われたら、宝くじに当たるよりは遥かに高い確率だけれど運を天に委ねるしかない、と思っています。
ところで、今回書きたかったのはこのことではなくて、「一連の計画停電が東電と政府による作為的なものではないか」という疑念が、ふと頭に浮かんだことでした。節電するのは地球温暖化を考えても大いに結構なのですが、本当に電気は足りていないのでしょうか?
去年の夏にも電力不足が指摘され、安全性に問題があって休止していた原発の再稼動が急がれましたが、今回の事故で危機的な状況に陥った原子力産業を立ち直させるため、「それでも危険はない」と国民には言い張り、非常に判り難く面倒な「計画停電」で人々を疲弊させて思考力を奪い、「電力が足りないとこんなに大変なのだから、やはり原発はあった方がいいのでは?」という流れをつくろうとしているのではないか、という疑惑を覚えてしまったのです。
電力不足なのは確かでしょうが、それを逆手にとって今までどおり原発を推進するために利用してやろう、と頭のいい人が考えて、シナリオを作ったら・・・。「これだけの事故を起こしても人体に影響ないなら、原発いいんじゃない?」という流れと二本立てで攻めて来ると思うので、ここは(放射線の数値以上に)注意深く見守っていく必要があるでしょう。
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福島の原子力および広野の火力がなくなって、現在、東電の供給力は半分程度になっています。
もし、計画停電を実施しない場合、需要が供給力より、大きくなり、周波数低下により、関東全体が停電となってしまいます。
そこで、計画停電を実施することにより、需要と供給のバランスをとっているわけです。
そんなんもわかんのか?ばーか。
拙文に対して、このような速さでコメントいただき、嬉しく思います。
ご指摘の諸事情、よく承知しています。ご指摘ありがとうございました。
何事もなくお互いによかったですね。
こらこら!いろいろ詳しく解説してくださるニワトリさんのブログをフムフムと読んでいる私たち読者を惑わしてはいけませんよ。確信犯はあなたです。
私は茨城の北部や福島に親戚がいて今、被災しています。あの地域は日立製作所が一番の工業地帯で従事している人がほとんどです。
その生活の糧である工場が今回の原発の被災の電力不足のため操業されません。
農家の親戚もいます。春野菜が放射能のために出荷できません。収入が見込めなくても、そこでその場所で実直に生きていくのです。
あまり不安を煽らないで。書き方によっては現地の人の不利益になることもありますから。
計画停電、いろいろ支障もあるでしょうが、今一番私たちが協力できることですから、ね。
、まだブログを読んでくださり、ありがとうございます。
あれから約二カ月が過ぎ、わかったことがあります。「エネルギー政策を変える必要がない」と、あからさまに言ってくれているので、「疑惑」を覚えることはなくなりました。事故発生直後の4月1日に発表された日本原子力研究開発機構の理事長の「ご挨拶」を読んで、これ以上はない『怒り』を覚えました。彼らはこの事故の被災者たちの気持ちなど全く理解することができません。そんなに研究がしたいなら、半径20キロ以内で好きなだけやってください。
「計画停電」については、東電に泣きつかれた政府の勇み足だったことが明らかになってきましたね。あの時点でも回避方法はあり、おそらくもう二度とないと思うけれど、電気がないとどんなに困るか、(私は綺麗な星空が見られて感動しましたが)身に沁みたことでしょう。目的は達せられたわけです。
右から左へ極端にぶれるのはよくないと、誰もが言いますが、ニンゲンぶれるのが当たり前だし、この国については、振り子がぶれているように見えて、実はぶれていないことがよくわかりました。戦前の愛国主義も戦後の平和主義も根っこは同じです。そして、それが一概に悪いとは言えないと思っています。
でもこの件に関しては、事故前と事故後で全くブレていないことが問題ではないでしょうか?いつの間にか98もの地方空港ができていたことにも呆れましたが、これだけの目にあって怒りの声を上げないのが不思議でなりません。私は、マッドサイエンティストたちにこの国の将来を委ねる気はさらさらないので、徹底的に戦うつもりです。