2万4千年の孤独

2011-03-29 23:58:50 | 独り言&拾いもの

 測るのが遅すぎた感があるが、ついにプルトニウムまで出てしまった(あり得ないので測る必要がないとか強弁していたっけ・・・)。プルトニウムの半減期は2万4000年。倍数ごとに半減していくので、2×2×2=9万6千年後には8分の1にまで減衰する。ニンゲンは違う理由によりそれ以前に姿を消しているような気がするが、永遠とも思えるこの時間も、宇宙の単位で計ればほんの一瞬だ。
 予想していたので驚いてはいないのだが、非常に悔やまれる。体内被曝すると、セシウム同様いつ爆発するかわからない時限爆弾を抱えることになる。とはいえ、ニンゲンの体は原始時代から放射線と戦ってきたわけだから、一生爆発しない人もいるし、死をもたらすかもしれない要因は放射性物質に限った話でなく、様々な細菌やウイルスのように目に見えないものから、交差点や駅のホームといった日常的に行き来する場所など、日常生活の至るところに危険は存在している。医療事故も起こり得るし、凶悪事件にまきこまれる可能性だって否定できない。極論すれば生きることは危険を冒すことだ。将来のある子供たちやこれから生まれてくる人には大変申し訳ないけれど、リスクが一つ増えただけの話なので、個人的には今までどおり水道水を飲むし、今までどおり原産地にこだわらず食品を買い続ける(安全だからではなく地産地消の意味で国産品を買っていた)。
 そこに住む生き物は汚染を知るすべがない。ニンゲンと違ってそこにとどまり続ける。ニンゲンがいなくなったことで汚染区域の自然が回復した、という皮肉があるくらいだ。そのせいで命を奪われたとしても、彼らはそれを知ることはない。自分は彼らのように生きようと思う。事業所では、要請を受けて数人が被災地に応援に行っている。追加要請があれば自分も現地に行くかもしれず、またグループホームへの受入れも打診されていて、それらについてスタッフ間で討議を始めたところだ。

 プルトニウムが検出されたことに対して、例によって大本営は「健康に影響ないレベル」と強弁している。1950~60年代に行われた米ソを始めとする原水爆実験で地球上に撒き散らされプルトニウム(天然ウランから精製するより安上がりなので、核兵器の殆どが長崎タイプのプルトニウム爆弾になる)が今も土壌に残っているそうだが(普通の人はそのことを初めて知らされただろう)、それによる健康被害は出ておらず、したがって何の問題もないということらしい。
 『東京に原発を!』で華々しくデビューしたノンフィクション・ライターの広瀬隆さんは、翌年の1982年に癌や白血病などの疾病で死亡したハリウッドスターとネバダ州で行われた大気圏内核実験の因果関係に言及した『ジョン・ウェインはなぜ死んだか?』(『ネバダ・スミス』を撮ったスティーヴ・マックィーンも癌で死亡した。大好きだったのに・・・)を発表したが、今のところ定説にはなっていない。推理小説としては面白いといわれたけれど・・・。
 彼は去年、『原子炉時限爆弾 ~大地震におびえる日本列島』というタイムリーな本を刊行していたのだが、トロイ滅亡を予言したカサンドラのように無視されてきたし、今回の事故を受けてテレビなどに出演すると、いたずらに不安を煽っていると糾弾された。正にトロイのカサンドラだ。
 最も安全性が低く老朽化を指摘されていた原発がそのことを証明するかのように事故を起こしたのに、それを放置してきた東京電力&国に代わって彼が非難されるのは何ともおかしな話だが、戦時中に「日本はこの戦争に勝てない」と言い放って軍や政府を批判することができなかったことを考えれば、容易に納得できる。
 今回の震災は自分が初めて経験する有事なのだ。「みんな一緒」に同意できない人は非国民とみなされる。有事が起こる前は「みんな違う」ことが尊ばれたのに・・・こんなことを口にすれば、「平和だから違うことが尊ばれて、今みたいな非常時には一致団結するのが当然。そんなこともわからないのか、このバカ」と言われるのは目に見えている。だが、違う意見もあってしかるべきだ。広瀬さんを排除してはならない。
(自分はリアルタイムに経験していないが)水俣病が発覚して原因究明が急がれたとき、時の政府と有機水銀を垂れ流していた企業は100%責任を免れなくなるまで何年間も御用学者たちに「工場廃水は関係ない」と言わせ続けた。そのせいでさらに多くの患者が出たというのに、彼ら御用学者は誰一人糾弾されなかった。
 この図は今回も変わらないだろう。つまり、誰も言葉に対して責任を取らないということだ。水俣病の場合、御用学者たちは断罪に値すると思うが、基本的にこの態度は間違っていないだろう(責任を取れと言われたら誰もモノを言えなくなる)。ところが、「責任論」が取り沙汰されるのは決まって少数意見に対してなのだ。圧倒的多数の意見が間違っていた場合は全体責任ということになり、責任者不在のまま水に流してしまう。今回の問題も、過去の歴史と同じように水に流せたらいいのだが・・・。

 29日の東京新聞によると、東京電力の要請を受けた協力会社は復旧作業に関わる作業員を確保するのに躍起になっていて、中には日当40万円という破格の高給を提示された作業員もいるとのことである。
 にわかには信じられない話だが、「手当ては普通より多く払うので、五十歳以上の人で原子炉近くに入ってもらえる人を探している」というのは本当だろう。貧困ビジネスの典型だ。職を失った被災者が求めに応じるようなら、何とも胸が痛くなる。
 ハローワークで震災復旧に従事する作業員(日当8000円)を募集している、という話も聞いた。数年前に自分が関わっていた建築現場では、単純労働の日当は6000円だったので(元受には18000円支払われる。下請け孫受けと順次手数料を取っていく)若干高い。新潟中越地震の仮設住宅建設に伴う給排水設備工事で提示された作業員の日当は3万円だった(宿泊費+食費の名目で依頼先に1万円抜かれ会社が8千円ピンハネするので手取りは1万2千円)。

 放射能は見えない。健康被害もすぐに現れるわけではない。しかも、タバコの害と同じで人によって大きく異なるから、数値で危険度は測れないし、確率論で言われたところで意味がない。原発に近い場所にいる被災者の苦悩は計り知れない。避難区域に指定されている人々が、避難先から自宅に物を取りにいったり、飼っている牛の餌をあげに行ったりしている等の報道を聞いて、当然だと思った。戻ってしまった人もいるらしい。
 官房長官はそうした行動を自粛するよう呼びかけていたが、私が酪農家だったらやっぱり餌をあげに行くと思う。このまま見殺し(餓死してしまう・・・)にするなんて無理な相談だ。口蹄疫の悲劇がここでも起きてしまうのかと思っただけで、もうたまらない。彼らの命も助けてほしい(食用にされてしまう動物だろうと)。
 同じことが農家にも言える。今まで丹精込めて育ててきた作物を廃棄するのは忍びないし、農作業ができないでいることの辛さも耐え難いものがある。ましてや土地を捨てるなどできるわけがない。それが人情というものだ。
 事故のレベルは現時点で「6」を上回り、予断を許さない状況だ。そのことをまず認めて、何ができるのか、何をしなければならないのかを政府(もはや東電一社の問題ではない)は明らかにしてほしい。その上で残りたい人に対して、政府は彼らの選択の重さを真摯に受けとめ、できる限り意思を尊重してほしい。