FF日本大会in 愛媛
出席者218名 韓国から4名 (奈良クラブ 11名)
10月14日、日本大会が愛媛クラブ主催により道後温泉で行われました。今年は直前にマイアミを襲ったハリケーンのためJeremi 会長が来日できないというハプニングがありましたので前日届いたビデオレターでの参加となりました。
講演はFFIの大西弘さんが担当となりました。
大会では代表者会議、全体会議、グループ討議で活発な意見が多く交わされました。
また正岡子規が暮らした松山は「俳都」と呼ばれ俳句が盛んで特別にプログラムが用意されました。事前に応募した60余りの中から入賞、佳作が選ばれました。
ハート賞 藤田由紀子さん 「蝉の声 浮かぶ幼き 友の顔」
佳作 藤田欣吾さん 「八十路過ぎ 月に奏でる 大和歌」
翌日のエクスカーションもゴルフ、しまなみ海道サイクリング、しまなみ海道観光、内子・大洲観光コースに分かれて参加し、それぞれが楽しみ、夕方集合して夜行フェリーで戻りました。メンバーの中には初めてのフェリーで親睦が深まり珍しい体験もできました。
第4回FF奈良ハイキング 平群町
10月26日金曜日。天気出現率で、晴れ53%のデータどおり、見事に晴れました。女性13名、男性5名に、平群観光ボランティア会会長の女性ガイド、山西さんを加えた19名で、平群町歴史探訪ハイキングはスタートしました。
9時半、竜田川駅を後に、目指す烏土塚(うどつか)古墳は、初っ端から登り坂。100も古墳がある平群は、やはり山に向かう坂の町でもある。「朝の内の登りは案外平気ですよ。」ガイドさん曰くも、急な石段もあり、早くもゼイゼイ~。
一汗かいて、でも古墳の頂上の見晴らしは、大和三山が望めて、最高の気分です。平群最大の前方後円墳の内部に入ると、別世界が。飛鳥時代を想い、巨石の構成に脳が過去を彷徨いはじめます~。
この辺り、井文字(いもじ)川周辺では、古墳作りに欠かせない巨石がゴロゴロと現出し、採掘も頻繁に行われたらしい。そうだったのか~。その石を祀る石床(いわどこ)神社に参拝。ここで記念写真を。
道中、取り残ってひからびた、ぶどうの畑を見て、「干しぶどう!」浅田さんのツッコミに笑いが、どっ!!!
45年この地で暮らす、畠中さんの地元話に周囲から嬌声が上がります。おかげで登りの疲れを感じないままに、消渇(しょうかち)神社に到着です。膀胱炎、性病など下半身の病に御利益があり、江戸時代には祇園のお姉さん達の参拝で、茶店が出るほど賑わったそうな。泥で12個の団子を作り、供えて祈願する、この写真がそれです。
時間は11時。ここから下り坂で、剣上塚古墳を眺め、向かうは平群中央公園。キレイに整備され、テニスコートを始め、子供の冒険コース、長大な滑り台など、近代的な大スペースが広がっている中に、何と古墳が~!!!7世紀中頃の西宮古墳で、壁・天井などは一枚岩で構成され、風水思想で作られた綺麗な墳墓で、中はこんな雰囲気ですね。
公園や、住宅街のど真ん中に、忽然と姿現す古墳。と言うより、古墳ぎりぎりまで家を建てる事が許されていた事が驚きです。開発許可料は1万円!だったらしいです。ひえ~~そろそろお腹も空いたので、思い思いに弁当を広げ、公園の中で昼食休憩。
午後の第一番は、その名も平群氏の祖神を祀る平群神社です。ガイドさんの楽しい解説を聴きながらも、満腹感に浸る時間が続き、どことなくゆったり気分。そのまま、竜田川の側道を散策する内に、道の駅に到着しました。
休憩を兼ねて買い物を済ませれば、目指すは、大和時代のハイライトでもある、吉備内親王の墓、そしてあの長屋王の墓です!気を引き締めて即即と歩けば、両墓に着くも、宮内庁の管轄故に、中を見る事はままならず、綺麗な鳥居の前で礼をするのみ。そして、長屋王御陵公園舎にて、しばし混迷の時代の歴史を学ぶ事に。
歴々の天皇(天智・天武・持統など)の家系図を手にし、ガイドさん手作りの長屋王関連の図を見ながら、講義を受ける、アカデミックな時間を過ごしました。山西ガイドさん、感謝感謝です。歩数およそ1万3000歩。本日、終了~。
阪井 肇 記
Seoul Club (Korea) ソウルクラブ渡航 2018年10/5~10/10
韓国への渡航は奈良クラブとしては今回が初めてで、少し不安な気持ちを持ちながら、ソウルの金浦空港に降り立ちましたが、空港で出迎えて下さったホストファミリーの人達のフレンドリーな歓迎ぶりに、一挙に不安は吹き飛んでしまいました。今回の渡航参加者は13名でいつもより少ないグループながら、ソウルクラブの人達の思い切り明るく暖かい歓迎ぶりに我々一同はすっかり安心し、時には日本にいるのかと錯覚してしまう程お互いに打ち解け合う事が出来ました。新聞やテレビ等のマスメディアで報道されているイメージとは程遠い現実の韓国の人達と接する事により、フレンドシップ フォースのような草の根の活動の大切さを改めて自覚させられる貴重な体験をする事が出来ました。これを機に、日本と韓国とのFF同士の交流が一層深まる事を願わずにいられません。(AC畑邦子・大西弘記)
10月5日(金)
台風の進路範囲に韓国が含まれているというニュースを背にして関空を飛び立ち、無事ソウルの空港に到着。ソウルFFの会長はじめ数人のホストに迎えられ,友好の強いハグを交わし、一同そろってソウル支部の幕と伴に記念写真を撮る。その後、それぞれの滞在先に分散して向かう。夕刻、歓迎夕食会の会場に向かうも、金曜日の帰宅時間にぶつかり、我がホスト(ED)にあちらこちらから遅延の電話連絡が入る。結果、一時間遅れの歓迎パーテーが開かれた。ホスト達の優雅なシマチョゴリ姿に一同写真を取りまくる。会長の司会でまずはAC畑さんの挨拶がハングル語で始まり、寝ずに考えたという素晴らしい英文メッセージが、そして大西さんの挨拶が続き、全員の乾杯で盛り上がる。一同韓国料理のおいしさに感激。我がチームのアリラン披露もうまくいき、続いて本場のアリラン曲に合わせた踊りの優雅さに韓国ムードを満喫する。素晴らしい出会いに感謝のみである。(吉岡久代 記)
10月6日(土)
二日目は、DMZ(Demilitarized Zone=非武装地帯)の見学。DMZとは、休戦ラインから北へ2キロ、南へ2キロの幅のある地帯のことを言う。歌で有名な臨津江(イムジンガン)を跨ぐ「統一大橋」を渡って入る。その手前で、バスに若い韓国軍兵士が乗り込んできて私たちにパスポートを提示させ本人確認。兵士はイケメンだが、一気に緊張が走る。臨津江を渡ってまず、「都羅山(トラサン)駅」へ。コンクリート造りのモダンナな駅舎だ。ソウルからレールが続いていて、時折、観光客が降りてくるが、この先北へはレールがない。韓国と北朝鮮との融和ムードが高まるたびにレールを北へ延伸する話が出るが、話は進まない。南北分断の象徴と言える。
モダンな都羅山駅の前でソウルクラブのメンバーと。この駅から北へはレールはない
「都羅山展望台」から目を凝らすと向こうの山のふもとに北朝鮮の集落まで見える。北側と南側の集落にそれぞれ国旗の掲揚台があり、かつてその高さを張り合ったことがあったという。その二つの国旗も見える。北は106㍍まで掲げたが、南は98㍍までしか揚がらず、北の勝ち。しかし、南は機械で自動的に掲揚していたので、高さで負けたが機械化で勝ち、ということになったという、「南北」の対抗心を物語るエピソードが残っている。
遥かな山のふもとに北朝鮮の集落が望める展望台で
やや離れたところにある「第3トンネル」は、北朝鮮軍が「南進」用に掘ったといわれる三つ目のトンネル。人の身長くらいかやや低い天井のトンネルが地下へ向かって延々と続く。「1時間当たり1万人の兵力が移動できる規模」とはガイドの説明。途中、締め切ってあるところでUターンするのだが、帰りは急こう配の登り一辺倒で、息が切れる。DMZには南北分断の形跡が生々しい。半面、統一大橋のたもとに子供用の遊園地が造られ、都羅山駅の明るいコンコースには、観光客がにぎやかに行き交い、韓国の文大統領と北朝鮮の金労働党委員長がハグしたり談笑したりする写真がずらり展示されている。ガイドブックには「DMZは観光地」と明記されている。観光地のままであってほしい、そう願わずにいられなかった。 (吉川利文 記)
「サンクスディナー」
サンクスディナーは仁寺洞(インサドン)の「チャイヤギ」という小さな店でプルコギと竹筒飯を頂きました。TVでも取り上げられるような人気の店のようでしたがテーブルの位置がバラバラで店内が騒がしかったのでホストとアンバサダーがゆっくり紹介しあったり話合う事ができなかったので皆さんと交流をするという意味では難しかったが食事は楽しく頂きました.
(濱田延子 記)
10月7日(日)
この日は午前中、韓国旅行公社を訪問、韓国の伝統文化や食文化等の展示品を見ながらガイドを通して色々学びました。昼食時にFFの日本のクラブでもよく知られているソウルクラブの創始者ファンさんが高齢にも拘わらず、五指奥に付き添われてわざわざ我々に会いに来て下さり、しばしの歓談を楽しみました。午後は4つのグループに分かれて夫々自由に市内の中心部を観光。朝鮮王朝時代の王宮を再現した景福宮では敷地内が迷路のようになっており、ちょっと韓流映画に出てくるシーンを思い起こしさせるような建物が点在していました。一方で、今は壊されてなくなっているが、王宮の目の前に日本統治時代の日本総督府の建物があった事を知り、当時の韓国人はどう感じていたのだろうかと複雑な思いを禁じ得ませんでした。その後、朝鮮王朝時代のお屋敷街が保存地区として残されている北村エリアを訪問。古い伝統家屋の美しい街並みが残っており、大変興味深い散策を楽しみました。この日はホームステイ先からソウル中心部までバスや地下鉄を利用しましたが、清潔さや韓国人のマナーの良さに感心させられました。(大西 弘 記)
10月8日(月)
2台の会員の運転によるワゴン車に分譲、オリンピックのために出来たハイウエーを走り、2時間かかり寒渓嶺に着きました。ソウル会長の計らいで私達が渓流を歩くには、上りより下りを行く方が楽だろうと、車で下りのスタート地点まで運んでいただき記念写真を撮った後、散策ハイキング。けがも無く、全員無事歩けました。
お昼はビビンパ、薬膳になりそうなものばかり、元気になりました。この後、朝鮮王朝李家末裔の住んでいる広大なお屋敷(船橋荘〉を見学、そこで夕飯を頂き宿泊はTops10ホテル。夜遅くまで語らいました。 (山城武夫&やよい 記)
10月9日(火)
交流五日目。前夜はソウルクラブ会長のチャールズさんを交えて大西さんの部屋で皆で遅くまで飲みながら歓談したのにもかかわらず、日本海(韓国では東海)の日の出を見るべく5時半起きでホテルの展望デッキに集合した。しかし生憎の曇天で眺めは今一つであった。朝食は外でラーメンとのことで、どんなラーメンかと期待していたら何のことは無い、ただのコンビニ(ミニスットプ)で各自好きなカップラーメンを買って店内で食べてくださいとのこと。高級ホテルでの宿泊とコンビニでのラーメン朝食というこの落差は、我々にはちょっと思いつかない意外なプログラムであり, ちょっと驚いたが、それなりに楽しんだ。
その後ワゴン車2台を連ねて2018年平昌冬季オリンピック会場跡へ移動。スキージャンプ台などを見学した。よくもこんな高いところから平気で飛べるな~というのが正直な感想。ジャンプ台には‘宴の後’の寂寥感が漂っていた。
大衆食堂で軽い昼食後フェアウエルパーティ会場へ更に車2台で移動。会場はソウル郊外にあるFF会員(陶芸家)の豪邸。レストランから料理を取り寄せて和やかにそして賑やかに開催。最後は両クラブ会員全員が手を繋ぎ“アリラン”を斉唱。言葉は中々うまく通じなくても、会って話してハグして別れる、この程よい一体感、これぞFF交流の真髄と感激した。実に素晴らしい夕べであった。(藤田欣吾 記)
10月10日(水)
今日はホストファミリーとの自由時間です。久しぶりに朝ゆっくりと起きました。食事の前に2人で家の周りに散歩にでかけました。いつも玄関から、車で移動していたので、この急坂は、かなりこたえました。道の両脇は、畑や田んぼ。こうべを垂れた稲穂は、正に黄金色に染まり秋真っ盛りです。私の大好きな田舎が、そこには有りました。最初に焼き物の里です。The Bunwon Royal Porcelain Museum.子供たちと催し物をしたり、初めての人には、セラミックの歴史を解かりやすく説明する場所です。学芸員の方は、細かい所まで説明してくださいました。その中で、秀吉の時代に、韓国の陶芸家を日本に連れていったと、聞いた時思わず(すみません)と出ていました。が、なんと(これは、ヒストリーだから気にしない)と返してくれた時は、とても嬉しかったのを覚えています。次は、『南漢山城碑石群』南門から入りました。東西南北全て城壁が、めぐらされてその一部には、敵を鉄砲で倒すための穴が大小作られていました。日本のお城とよく似ています。大事な城だったろうに、ほんの少ししか復元されてないのは、日本とは違うのかなと思います。食事に関しては、キムチ料理が多く、日本での食習慣とかなり違うなあと思いましたが、そこは「郷に入っては郷に従え」の精神で韓国料理も大いに楽しませて頂きました。 (山足茂子・上山よし子記)






















