第28回 FF 日本大会 11月12日
Jeremi Snook 会長を迎えて今年は埼玉クラブ主催で行われました。会長はご長男のGabriel 君と同行し、ご子息は訪日前、日本について多くの本を読み日本が大好きになりました。
代表者会議の報告、ホームステイの受け入れ方法、おもてなしの工夫についての発表があり、グループでの意見交換を通して他のクラブメンバーと交流の機会を持ちました。奈良クラブからは11名の参加でした。Jeremi Snook 会長の通訳は大西弘さんでした。参加者は総勢200人を超え大盛況でした。
日本大会の後は主催クラブ計画の川越観光。続いて今回は郡山クラブとの交流会と初の日本のクラブでのホームステイ。その後、恒例の奈良クラブの親睦旅行。全てに参加された別所様に記事と写真頂きました。
川越の名所に喜多院があります。創建は奈良時代という伝説もありますが、平安時代(830年)淳和天皇の勅により慈覚大師円仁が創建したとされています。ここに「徳川三代将軍家光の誕生の間」や「春日局の化粧の間」などがあります。何故?実は寛永の川越大火で焼失した際、家光の命ですぐに復興に取りかかり、その時これらの部屋が江戸城から移築されたそうです。それほど徳川家に大切にされたのは、喜多院と名を変えた天海僧正は家康のブレインで、徳川家とは浅からぬ関係だったようです。この写真は多宝塔の前で、左端におられるのが奈良グループを案内してくださった埼玉クラブ会長・原田史さんです。
11月13日、福島県郡山市の奥座敷と言われる磐梯熱海温泉で宿泊していた奈良クラブ8名を、車3台で迎えに来てくださった郡山クラブの方々が向かった先は「アサヒビール福島工場」。
ここが工場見学と試飲会に続く郡山・奈良両クラブの交流会会場という粋な計らい。震災後さらに完備された工場内を巡って、スーパードライや好みの飲料を試飲したあとは、お鍋を囲んでの交流会。自己紹介が始まる前からジョークが飛び交う打ち解けた雰囲気でフレンドリーに迎えてくださって、最初の交流とも思えませんでした。来年は郡山が日本大会の会場。来年の再会を約束し合いました。
交流会のあと、福島県農業総合センターの見学がたいへん有意義でした。
明治時代に農業試験場として創設され、畜産、養蚕、果樹、肥飼料等、業務を拡大、2006年に農業短期大学や病害虫防除なども統合した農業総合センターとして発足した施設ですが、はからずも東日本大震災以降、緊急時環境放射線モニタリングの拠点というさらに重要な役割を担うことになりました。5年間、出荷物の安全性をどこよりも厳正に検査して、検査結果をホームページに公開してきました。それなのに福島県内の農林水産物に対する風評被害は未だ少なからず。人々の放射線に対する正しい理解が嘱望されます。
いまは住む人も少なくなった仮設住宅を見学。それでも5年経っていまだ仮設住まいを余儀なくされている人たちのご苦労を、身近に感じることができました。
この日の夜は会員のお宅でホームステイさせていただきました。
郡山クラブで心温まるホームステイに感動した翌日、11月15日、奈良クラブの一行は大内宿へ。紅葉に彩られた山々を背景におよそ50軒の茅葺き民家が450メートルの両側に整然と並んでいます。
江戸時代、会津西街道の宿場として会津藩の参勤交代や米の集散地として賑わった所ですが、時の移り変わりで主要道から外れたことが、当時を偲ぶこの光景を残すことのなったのでしょう。本陣は展示館になり、民家は民宿、みやげ物店、お食事処などとなって、広く観光客を迎え入れています。
その一軒で、私たちも昼食。名物の蕎麦、とち餅、そして(写真)いろりからとり出された「しんごろう」も試食しました。
裏磐梯の麓、昭和天皇・皇后のお手植えの松がある昭和の森あたりに猪苗代湖を一望できる展望台があります。あいにくの曇り空で湖面は煙っていましたが、スケールの大きい眺めを前に大自然を深呼吸。
猪苗代湖の湖岸に野口英世記念館と生家があります。
黄熱病の研究中にアフリカで亡くなった世界の野口英世は会津若松の生まれ。医学への道を進むきっかけとなったのが幼少時代の火傷。貧しかったそのころの生家とその室内の様子が残されています。