日米草の根交流サミット2017 IN奈良 6/29~7/2
1841年遭難して太平洋の孤島に漂着した高知の5人の日本人漁師がアメリカの捕鯨船に助けられました。その中の一人(当時14歳の少年)中浜万次郎と彼を救いアメリカで教育、あるいは文化文明を知る機会を与えた捕鯨船のホイットフィールド船長との間で育った友情はその170年の後も夫々の4代目5代目に引き継がれています。万次郎は江戸末期ペリーの来航、開国に際しても帰国後日米両国間をつなぐ要人として大きな役割を果たしました。この二人の友情を原点として草の根交流センター(CIE)が1992年設立され、このCIE が主催する日米隔年のホームステイに依る草の根の交流が続けられています。
今年は27回サミット大会が奈良県をホスト県として開催されたものです。今回は在米の日米協会を通じて全米から高校生約10名を含む108名が来日、畝傍高校を含めて県下の11の市町村団体で受け入れました。
奈良市を中心としたグループとしてFF奈良が協力を要請されて8名(当初9名が減)のゲストを迎えました。6月29日早朝奈良公園の鹿苑でこの春生まれた仔鹿たちを見学、その後各分科会に別れてホストと対面、夫々のプログラムに進みました。
FF奈良のお客さんたち8名(今回はいつもと異なりお客さんたち同士も初対面)まず奈良町の松前旅館を訪問、旅館内の大蔵流狂言舞台に案内され女将さんの流暢な英語で説明を受け、又狂言舞いを見せて頂きました。ホストをはじめ自由参加のFF 会員も含めて大変興味のある見学であったと思います。その後以前FF奈良のメンバーであった比良さんのご主人(現在観光ボランテアSGG の一員)のグループと私のグループの二組に別れ奈良町を散策、にぎわいの家などを経てあしびの郷でお喋りと昼食を楽しみました。
2日目は恒例の日本文化体験。お互い同士も打ち解け折り紙、習字練習、着物の着付けなど大いに盛り上がりました。又臨時開設の手作りGバザーの売り上げも予想以上。我家に来た二人はOregon から来たご夫婦、温和なご主人と活発な奥さん、趣味は日本庭園の鑑賞とか自宅の庭にも石灯籠を据えるなどの熱心さ。こちらからも日本庭園と西洋風庭園の比較など、日本庭園の特徴など次の予定地京都への予備勉強も兼ねての講義。しきりにメモしていました。毎朝の食卓には“お早うございます“いただきます”など慣用句を貼りつけ挨拶。フリーデイには大阪で道頓堀や道具屋筋の見学を楽しみ毎日の生活を楽しんだ様子でした。奈良のあと京都に3泊、私の行程案に従い行動。毎日のメール報告に依ると京都の庭を満喫したようでした。Oregon に帰ったら早速同地のFFクラブを検索入会すると張り切っていました。 仮家(カリヤ)記
日本文化体験
・・・・・受入ホストの皆様に感想をお聞きしました・・・・・
佐藤清子 奈良町の松前旅館で、狂言の説明を聞いた後に撮った写真です
とても紳士的で、はじめから私と主人の名前をきちんと覚えていたのには、驚きでした。受け入れ前に、主人の趣味を伝えていたのですが、驚いたことに新しいテニスシューズを持参していて、テニスを一緒に楽しみたいとおっしゃってくださったので、日本文化体験の後,友人に声をかけて、夕方、5時から2時間ほどテニスを楽しむ機会をつくりました。この時は休憩時に友人と話す機会があったのですが、友人からは、僕たちも国際交流を体験できたと喜んでいただきました。
最近、銭湯が、外国の方に人気があると聞いていたので、テニスの後は、ゆららの湯に(ゆららの湯には、もしtattooがあったとしても、外国人の場合には文化が違うので入浴しても良いと言う了承を事前にいただいていたので)、行ったのですが、銭湯では何とかcommunicationが成立したようで、その後、私が忙しい時には、2人で会話をするようになりました。翌日、私が遅く起きたところ、主人と血圧の話しをしていたところで、私も途中で話しに加わったのですが,薬を選ぶときにはHomeopathyを参考にした方が良いと言った話しや、オバマケアから真珠湾攻撃に絡んで天皇制の話しなど、雑多な話しをして、ゆったりと時間を過ごした後、生駒さんへのハイキングに出かけました。
宝山寺の駐車場に車を止めて、ケーブルで山上まで登った後、幻の紫陽花と言われる七段花を始め30種類2万5千株の紫陽花園があるぬかた園地までのハイキング、昼食は生駒山上遊園地の展望レストランで済ませたのですが、曇りにも関わらず、大阪湾、六甲が見渡せとても良かったと思います。その後、宝山寺を訪れたのですが、土曜日だったこともあり、ひっきりなしに、信者が訪れて、手を合わせて、深々とおじきする姿があちこちで見られました。東大寺や観光地のお寺、神社と違って、ここに来ている人達は、本当に神様を信じてお参りに来ている信者であることを伝えると、非常に関心を持ったようです。事実、カメラを持っているのは私たちだけで、社務所の前では、お礼参りに来た子供づれのお母さんらしき人が、涙ながらに、おかげでこの子の病気が治ったとお礼を言っていました.
最後のクローズイングセレモニーの後は、自然とハグし何度もkeep in touchと、言ってくれました。その後、お礼のメールをいただいたのですが、私だけではなく、私の友人の琴の先生のアドレスも尋ねてきたので、きっと彼女にもお礼のメールを送っていると思います。短い間でしたが、良い思い出になりました。
浦林直子
Floridaから24時間かけて初来日された、Kittyeさん。日本文化に大変興味があるとのことで、イスタはばたきでの着付けや折り紙・習字、生駒市高山竹林園での茶道をとても喜ばれました。濱田さん宅にステイされた実姉のFayeさんと行動することが多くて、浅田さんも加わっての大阪城ツアーは楽しかったです。
実家の父や妹たちを招いての寿司パーティーもにぎやかで喜ばれました。 帰国後にいただいたメールでは、初めての日本の旅は「Amazingで、such good memories」を持ち帰ったとお礼の言葉がぎっしりで嬉しかったです。
また、アメリカで家庭科の先生だったKittyeさんに、家での家庭料理をほめていただいて、日本の主婦として誇らしく思いました。この草の根交流が、これからの日米のさらなる理解と友好を深める一助となると幸いです。
濱田延子
私のゲストと浦林さんのゲストが姉妹だったので一緒に大阪まで案内しました。浅田さんにもアテンドしてもらって大阪城の後で道頓堀や法善寺横町などを案内すると、とても興味深かったようで、楽しんでもらえたようでした。
大脇 衣里
1日目 奈良町散策(FF クラブ)
2日目 FFクラブ日本文化体験 大変喜ばれていました!
3日目 自教室の生徒達とランチ会(中学生)・交流会(小学生)(アメリカの事を紹介して頂いたり、福笑いや日本の遊びなどを楽しみました。)
4日目 午前中 法隆寺 午後 Closing ceremony & Reception
4日間あっという間でした。ゲストのジョイスさんは大学でお仕事をされながら アジアの歴史等を学ばれている素敵な方で、家族ともすぐに打ち解け楽しい時間を 過ごすことが出来ました。今回このような機会を与えて下さった事を心より感謝しております。 準備等の大変なことよりも、得ることの方が遥かに多かったです。彼女から沢山学ぶと共にパワーを貰いました。改めて世界はどんどん小さくなっていることを実感しました。ありがとうございました。
山下直子
我が家に来られたキャロルさんは、日系アメリカ人3世の方で、ご先祖が日本から来られた歴史をお話ししてくださり、日本人としてのルーツを大切にされている方でした。うちの5歳の双子たちがいるので、落ち着かないところもあったと思うのですが、始終ニコニコして優しく接してくださいました。
1日目、ならまちのランチでお会いしたあと、幼稚園に子供たちを迎えに行き、一緒に夕食をとりゆっくりしていただきました。2日目は午前中近くのモールで買い物をしたあと、日本文化体験に行きました。特に書道に興味を持たれ、「美しい日本」と、とても上手に筆で書かれていました。帰宅後のディナーは、正会員4名の方が準備をしてくださり、女性ばかり6人のおしゃべりもとても盛り上がりました。3日目は昼頃から京都へ。浮世絵美術館を見たあと、ギオンコーナーで伝統芸能を鑑賞しました。特に舞妓さんの踊りがよかったそうです。最終日は、地域のイベントでよさこい踊りを体験していただきました。子連れ家族で、騒がしくもあったのですが、こちらも楽しそうに踊ってくださいました。
最後の閉会式の会場で、一緒にこの草の根交流に参加されていたキャロルさんの息子・娘さん夫婦、お孫さんを紹介していただきました。聞けばキャロルさんのご提案で、3世代8人で日本へ行くことが決まったとのことでした。キャルさんが滞在してくださったことで、外国の方との交流というだけでなく、自分の祖先の文化を大事にし、それを子どもたちにも受け継いでいっている、子どもさんからもお孫さんからも慕われているスケールの大きな方との出会いを感じました。
大西 弘・博美 陽気なJoe
我が家には高齢ながら、大変元気で陽気なJoe Barretさんがステイしました。5才の時、両親が離婚し、母親はその後日本人男性と再婚、四人の子供が出来た為、Joeは日本と浅からぬ縁で結ばれる事になりました。今回はその異父兄弟の一族郎党7名と共にそのリーダーとして、ジョン万次郎草の根交流に参加したとの事でした。彼は家族のルーツ探しに異常なる情熱を燃やし、ジョン万次郎草の根交流に参加する事6回目にして、ついに義父のルーツを探し当て、今回は一族郎党と共に三重県四日市の親族との感動の出会いを果たす事になったとの事でした。Joeは誰にでも気軽に話しかける性格の人で、驚くほど多くの人達を知っていました。彼の紹介で、パーティーの席上で、Whitfield 船長やペリー提督の4代目の子孫と話をする機会を得ました。
ジョン万次郎の数奇な人生については、日本ではよく知られている話ではありますが、彼が関係した日米の子孫達が100年以上に亘って、日米親善の交流を続けている事に大きな感銘を受けました。
ホストの皆様、日本文化体験などアテンドして下さったFFメンバーの方々、お疲れ様でした。