第5回 FFハイキング 竜田川、斑鳩の里を歩く
2020年12月5日
朝冷えも薄らぎ、秋晴れの絶好のハイキング日和にめぐまれ、総勢21名、王寺駅に集合、地元の頼れるリーダー、乾さんと内田さんの引率で法隆寺をめざして出発。
列をなして大和川沿いの土手を歩き、途中、橋の上から連なる低山の生駒山脈を眺め、「あの山は ~山、その横は ~山、最後の山は ~山」と、乾さんから説明を受ける。さすがに生駒山は頂上の鉄塔が目印となって全員指さし正解。ちなみに王寺は全国一の「住みたい街」に選ばれたらしく、連なる山々の中腹あたりまで家々が建ち並んでいる。
眼下の大和川には大きな黒い鯉が集団生活よろしく群がって泳いでいる。以前、大和川は家庭汚水で汚染され、汚い川のワーストスリーに指摘された川だったはずだが、地元の人たちの環境保全のおかげで、鯉も住める川になっているのは、奈良県民として喜ばしい。
さらに一行は土手を歩き、途中,川辺に通じる階段で小休止。ひな壇よろしく腰をおろし、よもやま話に疲れを癒す。乾さんから地元ならではの旧家の佇まいを面白おかしく聞かせてもらい「へ~」と拝聴する。
いつのまにか竜田公園の一角にある「三室山」の坂を上る。さして高くない丘のような山であるが、その名は平安時代の歌人、在原業平や能因法師の歌など多くの和歌に詠われている。頂上から紅葉ごしに大和平野を一望するが、歌人たちの眺めた景色はいかなる様であったろうか。
さらに竜田川ぞえの公園の中を進み、真っ赤な紅葉の下で弁当を広げる。紅色の橋をわたり小高い場所の道すがら、一本の見事に色づく紅葉に魅せられ、コロナ騒ぎに翻弄される日々にひと時の爽やかさを味わう。
昼食後、いよいよ法隆寺をめざして国道をさけるようにして裏道を歩く。どこをどう歩いたかわからない道に、時々、健脚の人、そうでない人と別のルートをとりながら、法隆寺横の西里に到着。
斑鳩の地名にはいくつかの説があるが、昔このあたりにイカルという大きなムクドリぐらいの鳥が群れをなしていたため地名になったと言う説,また、会津八一説ではじゅずかけ鳩がいたという。さらに、飛鳥時代には法隆寺でなく「斑鳩寺」と言われていたという。今の夢殿の東に聖徳太子の住まう「斑鳩宮」があったらしい。どちらにしても神々しい地名のような気がする。聖徳太子の「和を以て尊し」、まさにFFのハイキングクラブそのものである。
坂を少し下ったところで国の史跡に指定されている「藤の木古墳」を見学。「藤の木」の名称は所在地の字名に由来す。昔からこのあたりは「みささき」「陵山」と呼ばれていた。ちなみに私ごとながら以前この古墳の前に住んでいたおり、確かに「みささき町」とよんでいた。さらに地元では「馬塚」と言われていた。聖徳太子が飛鳥からこの地までに乗った馬の塚だと言われていた。私が住んでいたころには柿の木がいっぱい植わっていて、よくその柿を取りに上った丘であった。ところが、1985年に発掘調査がなされ、石棺に成人男性2人が合葬されていたのが発見されたと聞き驚いた。未盗掘だったらしいが、被葬者は学者間でわかれている。
そこから法隆寺見学の人、斑鳩文化センターと別れて移動する。センターでは古墳から出土した副葬品のレプリカの展示を堪能する。無事、法隆寺前で解散となったが、乾さん、内田さんのご助力のおかげにて、楽しい一日を過ごさせていただきました。
吉岡久代記