つづき。
「……オレ、たしか引っ越したよな」
そうだ。私は引っ越しをした。
事務所も、工房も移転をした。
それもずいぶんと前に。
もう私は地底人ではないのだ。
それではさっきのポスターだらけの部屋は。
宝生舞のカセットを探していた女は。
地下の廊下の奥の裏口のドアは。
八百屋は。公園は。
海底の海藻にからまっていた私の意識は、
一気に浮上し、
光まばゆい海面すれすれで夢現の明滅を繰り返した。
意識は接触の悪いスイッチのように、
夢と現実のちょうど境目を何度も出入りし、
その度に疑問と思考と解答を
私と、私と、私は続けた。
半覚醒はむしろ夢そのままであるよりも増幅の力が強いらしく、
思考の芽は一瞬で緑の巨人となり、
それもまた瞬く間に花の一輪と変化した。
私はそんなアシッドの波間をしばし漂ったあと、
ようやく集中という感覚を取り戻し、
ついにひしゃげた青い枕に向かってつぶやいたのは、
なんとも月並みなひと言で、
私は、
水から上がったばかりの荒い呼吸で現実を認識すると同時に、並列に、
「どうせならもう少し言葉を選びたかったな」
などと少し恥ずかしい気持ちを覚えながらもその時ほぼ完全に、
あなたのいるこの世界に目覚めたのだった。
「夢か」
つづく。
いや、おしまい。