三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

聖ルカ礼拝堂の「いやしの祈り」

2013年07月11日 | 聖公会の礼拝
日本聖公会 聖路加国際病院 トイスラー・ホール
(住所:東京都中央区明石町10-1)

参院選が公示された。メディア(特にテレビ)に洗脳された衆愚政治が「大団円」を迎えようとしている。排外的国粋主義の「神風」を受け、また目先のあぶく銭を貪るアベノミクス信者(笑)によって、自民圧勝の結果は火を見るより明らかだ。嬉々として人権抑圧国家を望むニッポン人は正気を失っているとしか思えない。自分たちの子孫の命が犠牲にならない限り、愚かなニッポン人はテレビにしがみつき、ただヘラヘラと笑っているだけ。「悟りのない民は滅びる」(ホセア4・14)。

7月7日(日)午後5時、聖路加国際病院の聖ルカ礼拝堂(日本聖公会)で「いやしの祈り」に参列した。聖ルカ礼拝堂は病院本館にもトイスラー・ホールと呼ばれる小さなチャペルがあり、日曜日の「夕の礼拝」などはここで行われる。「夕の礼拝」は伝統的な聖務日課の祈りで、聖書のみ言葉と司祭の教話を聞き、いくつかの聖歌を歌う。聖ルカ礼拝堂では第一日曜の「夕の礼拝」が「いやしの祈り」となり、特に病人の快復のための祈りを捧げる。病院チャペルならではの礼拝だ。

「いやしの祈り」の式次第は「夕の礼拝」のそれに近いが(注)、礼拝中に「病人の按手・塗油」が行われるのが特徴。この時、希望者は司式者の前に進み出て、「いやしの祈り」を受けることができる。ケビン・シーバー司祭(病院チャプレン)から按手を受け、涙ぐむ女性の姿もあった。実は私は通常の「夕の礼拝」に参列しようと考えていたが、はからずも会衆と共に病人の快復を祈ることができた。礼拝後、病院本館を出ると突然の夕立。この日は猛暑だったので、まさに恵みの雨となった。


夕立。雨上がりの聖ルカ礼拝堂
“ 病人を癒された主よ、憐れみをお与えください ”

(注):「夕の礼拝」の主な内容。聖語、初めの唱和、聖書朗読、教話、連祷(「いやしの祈り」では、いやしの嘆願となる)、懺悔と赦しの祈り、主の祈り、聖歌数曲。聖餐式はない。礼拝前後にオルガン奏楽。

<付記>
この日の「いやしの祈り」での聖書朗読は、詩編23(主は羊飼い)。ケビン・シーバー司祭は「羊たちが幸せに暮らすために、羊飼いである神様が全てを整えてくださる。そして、キリストがこの世に来られたのは、羊である私たちに豊かな命を授けるためでした。神様が共におられ、私たちを豊かな生き方に導いてくださるのです」と話された。

◆「いやしの祈り」で歌われた聖歌:
461「主はわが飼い主」、544「やすしや 罪の世にも」、553「主を慕いゆく」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)
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青梅教会(日本基督教団)

2013年07月07日 | プロテスタント
日本基督教団 青梅教会
(住所:東京都青梅市東青梅3-10-4)

先月の土曜日(6/22)、緑濃き奥多摩にプロテスタントの青梅教会(日本基督教団)を訪ねた。「私達の教会は1888年7月第一聖日(日曜日)に福音教会の伝道所として青梅に初めて設立された教会です。1941年に日本キリスト教団青梅教会となり、教団の中でも西東京教区に属しています。教会の場所も本町、西分を経て、1967年に東青梅に移転しました」(教会案内書より)。ここは小説『大菩薩峠』の作者・中里介山ゆかりの教会でもあり、以前から訪れたいと考えていた。

JR青梅線の東青梅駅で下車。カトリック青梅教会の記事でも触れたが、駅周辺には天寧寺や塩船観音寺などの古刹がある。1888年、この地に菊池武千牧師が青梅福音教会を設立。これが現在の青梅教会の前身だ。その14年後、小学校の代用教員を務めていた中里介山(1885-1944年)が、同僚のクリスチャン女性に憧れて(!)青梅福音教会に通うようになった。介山は故郷の羽村に講義所を開設するほどキリスト教に熱中したが、後に法然に惹かれて浄土仏教に帰依した。

青梅教会に到着。ここは長い歴史を刻んできた「多摩の百年教会(注)」の一つである。この日は新築の礼拝堂で「さんびかを歌う会」があった。講師はバリトン声楽家の森野信生氏(洗足学園音大講師)。クリスマス讃美歌などを歌ったが、かなり本格的なレッスンで、ソプラノとアルトの二部に分かれて歌うなど、合唱の中・上級者レベルの内容。森野氏の独唱による讃美歌「輝く日を仰ぐとき」も素晴らしかった。介山のロマンスがほのかに漂う(?)礼拝堂に、讃美の歌声が響き渡る。


礼拝堂内観(2011年竣工)


礼拝堂外観

(注):多摩地域で百年以上の歴史を有する教会は次の通り(カッコ内の数字は創立年)。カトリック泉町教会(1877年)、カトリック八王子教会(1877年)、日本聖公会・聖マルコ教会(1885年)、日本聖公会・八王子復活教会(1908年)、日本基督教団・青梅教会(1888年)、日本基督教団・八王子教会(1905年)、日本基督教団・原町田教会(1910年)。

◆主な参考文献など:
・「明治期 多摩のキリスト教」 沼謙吉著(法政大学多摩地域社会研究センター・2000年)
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聖霊降臨後第6主日の聖餐式

2013年07月03日 | 聖公会の礼拝
ツタの緑が美しい立教大学モリス館
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

6月30日(日)、立教大学チャペル(日本聖公会)で聖霊降臨後第6主日の聖餐式に参列した。三位一体主日に続き、図書館旧館2階の仮チャペルに向かう。午前10時、振り香炉と行列用十字架を先頭に、司祭団が厳かに入堂。福音朗読はイエスが弟子の覚悟を説かれる場面(ルカ9・51-62)。八木正言司祭(立教大学チャプレン)は、「今日の福音のイエス様の言葉は厳しく聞こえますが、実は私たちへの愛のメッセージ。それを感謝と喜びをもって受け止めましょう」と話された。

聖餐となる。聖歌隊による奉献アンセム「O taste and see(味わい、見よ)」が歌われた。女子聖歌隊員のソプラノ先唱が美しかった。この気高い調べの聖歌は「グリーンスリーヴズによる幻想曲」で有名なヴォーン・ウィリアムズ(注1)の作曲。さらに、この日の陪餐聖歌「恵み深き主よ」(注2)は、キングス・カレッジ聖歌隊のCDを聴いて以来、私の最も好きな聖歌だった。これを思い出深い図書館旧館で歌ったのは大きな喜びだ。この日も聖歌を通して、私は豊かな恵みを受けた。

礼拝後、この日もキャンパスを散策した。古いレンガ造の門柱が建つ立教大学の正門。入口の幅は学生同士の肩が触れ合うほど窮屈なので、私たちは「六大学一の狭き門」と自嘲していたものだ。この正門から道路を渡ると、5号館という平凡な校舎がある。入学式後、ここでクラス別オリエンテーションが行われた。語学や体育を通してクラスに友人もできた。皆川達夫先生の音楽学を受け、またサークルのたまり場「コモンルーム」があったのも5号館だ。嗚呼、我が青春の5号館。


六大学一の「狭き門」、立教大学正門
(道路を隔てた後方に見える校舎が5号館)

(注1):Ralph Vaughan Williams(1872-1958年)。ヴォーン・ウィリアムズと言えば、元吹奏楽部員の私は「イギリス民謡組曲」を思い出す。ブラバン少年少女にとって永遠不滅の名曲である。
(注2):作曲は英国のパリー(Hubert Parry:1848-1918年)。パリーのもう一つの傑作聖歌「エルサレム」はロンドン名物「プロムナード・コンサート」の最終夜で聴衆が大合唱する定番曲となっている。『日本聖公会聖歌集』にも収録されている(426「希望と祈りと」)。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜2(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:521「主よ終わりまで」、続唱聖歌:514「主の声に応え」、奉献アンセム:ヴォーン・ウィリアムズ作曲「O taste and see」(聖歌隊奉唱)、奉献聖歌:261「神のみ子なる」、陪餐アンセム:ローズ作曲「Hear o my Lord」(聖歌隊奉唱)、陪餐聖歌:511「恵み深き主よ」、派遣聖歌:520「いつくしみ深き」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考CDなど:
・CD「英国吹奏楽名曲選」 バンクス指揮/英国空軍中央軍楽隊(EMI:TOCE-6035)
・CD「キングズ・カレッジ合唱団の讃美歌集」 キングズ・カレッジ合唱団(London:POCL-5070)
・CD「ザ・ラスト・ナイト・オブ・ザ・プロムス」 ロッホラン指揮/BBC交響楽団(Crown:CRCB-6105)
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