三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

瞽者(こしゃ)の主日聖体礼儀

2014年05月30日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

ニコライ大主教の日記から。日清戦争中、「日本人は自己満足の波の上を動き回っている。(中略)日本人の自己称賛は果てしがない」(1894年9月19日)、「日本人は群れる傾向が強い国民である。自分たちの群れの中から立派な角を持つ者が先頭に立つと、全員がどっとその後についてゆく」(1896年1月11日)。ニッポン人の本性を指摘したニコライ大主教の慧眼には驚く。今や「昭和のテレビ中毒世代」がヘラヘラ笑いながら、安倍晋三という奇妙な駄馬の後に「全員でどっとついてゆく」。

5月25日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、瞽者(こしゃ)の主日聖体礼儀に参祷した。午前10時、聖体礼儀の始まりを告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が入堂。ア・カペラの聖歌が流れ、乳香の煙が漂う。福音経の誦読は、イエスが生まれつきの盲人(瞽者)をいやされる場面(ヨハネ9・1-38)。市村直巳神父は、「生まれつき目の見えなかった人は、視力を与えられただけではなく、心の目で世の光としてのイイスス(イエス)を見るようになったのです」と話された。

「私たちも心の目が見えなくなる時があります。今、私たちの心の目は光を捉えているでしょうか。ある著名な神学者は『神が共にいてくださるという目に見えない事実を見ないならば、私たちは何も見ていないに等しい』と言いました。私たちは自分自身のうちに、神の光を、復活の主を見いださなければなりません」。市村神父をはじめ、ニコライ堂司祭の説教は簡潔にして明快である。私はお笑いなどを交えた冗長な説教が苦手なので、ニコライ堂のストレートな「福音メッセージ」に強く惹かれる。


ニコライ堂境内に残る旧ニコライ学院。1996年閉校。
(1895年竣工。当初はニコライ堂の附属図書館だった)


旧ニコライ学院(旧図書館)の外観
<現在、正教の教えを学ぶ伝道会は、ここで開講中>

<付記>
ニコライ堂境内の北西にある旧ニコライ学院の建物(上写真)は、かつてニコライ堂の図書館だった(設計は鹿鳴館などを手がけたコンドルらしい)。1895年の竣工時は3階建だったが、関東大震災後は1・2階部分が現存している。「本の虫」のニコライ大主教は、積極的に図書の充実と整理に当たっていた。神学書をはじめ、幅広い分野を網羅した和洋書は「数万巻に及んだ」という(1階が翻訳書、2・3階が宗教書と学術書を収蔵)。だが、1923年の関東大震災で蔵書の多くは焼失した。

◆主な参考文献など:
・「ニコライ」 中村健之介著(ミネルヴァ書房・2013年)
・「聖人ニコライ事蹟伝」 柴山準行、府主教セルギイ編著(日本ハリストス正教会教団府主教庁・1998年)
・「写真集 亜使徒日本の大主教聖ニコライ」 大主教セラフィム辻永昇著、東日本主教々区宗務局編(日本ハリストス正教会教団宗務総局・2012年)
コメント (8)
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