しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 ヨシュア記23章 <一人で千人を>

2020-02-05 | ヨシュア記

つつじ

「あなたがたは一人で千人を追うことができる。あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたに約束したとおり、あなたがたのために戦われるからである。」(ヨシュア記23:10新改訳)

ここはヨシュアの決別説教ともいえる箇所。彼は110歳で死んだ(ヨシュア記24:29)が、その直前に語ったものであろう。ふしぎにモーセの決別説教と酷似している(申命記28章)が、考えてみればふしぎでも何でもない。この二人は、共に将来起きることを神に示されて語ったのだから・・・。内容はイスラエルが神に背き、カナン原住民たちと妥協して偶像礼拝に堕し、結局は約束の地から消え失せるというもので、千年も経ないうちに悲しくも成就した。▼外側からどんなに律法を聞かせても、人の心にある堕落性は変わらない。たとえ神の民として選ばれたイスラエルでも同じである。新しい律法、つまりイエス・キリストを信じて生まれ変わり、聖霊を内に宿した本当のキリスト者だけが、心から神の御心を行うことができる。選民の歴史はその証明であった。◆ここに「あなたがたは一人で千人を追うことができる」とあるが、サムソンがその好例であろう。「サムソンは真新しいろばのあご骨を見つけ、手を伸ばして取り、それで千人を打ち殺した」(士師記15:15同)と記されているが、私たちがその場にいたら、あまりのすごさに現実の光景とは信じられなかったかもしれない。あとからあとから、やられてもやられても襲いかかるペリシテ人、それを腕力でなぎ倒していくサムソン、とうとうペリシテ人は逃げ去り、あとに死体の山が残った。どう考えても、これは神の力の顕現としかいえなかった。御霊の力が彼を捉えたのである。◆しかし、そのサムソンが、である。遊女デリラのとりこになり、力の秘密を教えよと日々迫られ、「こうして、毎日彼女が同じことばでしきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほど辛かった。ついにサムソンは、自分の心をすべて彼女に明かして」(士師記16:16,17同)しまい、そのため目をつぶされ、死ぬことになった。彼は超人的であったかもしれないが、罪から自由にされた人物ではなかった。じつにイエス・キリストただおひとりが、私たちを真に自由にすることができるのである。「ですから、子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです。」(ヨハネ8:36同)