しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 ヤコブ書3章 <舌の悪>

2020-01-18 | ヤコブ書

むらさきジュリアン

「私たちは、舌で、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌で、神の似姿に造られた人間を呪います。」(ヤコブ3:9新改訳)

人間が舌でどんなに罪を犯すかを、ヤコブはここで徹底的に暴露する。▼ペテロは最後の晩餐の席上で、「主よ、あなたのためにいのちをも捨てます」と言いながら、大祭司の家の中庭では、「そんな人は知らない」と呪いをかけて誓った。しかしペテロだけではない、私たちはキリスト者だと言っても、平気で正反対のことを言い、良心のとがめをあまりおぼえずに過ごしている存在なのだ。あのときペテロは、主のおことばを思い出し、門の外に出て泣き崩れた(マルコ14:72)とあるが、私たちは泣き崩れたことがあるだろうか。▼だからヤコブが「罪人たち、・・・嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。主の御前でへりくだりなさい」(ヤコブ4:8~10同)と勧めていることに従い、主の血潮が自分の舌にも注がれるよう祈ろうではないか。◆人類の神に対する反逆は、終末における反キリストの出現により、最大になる。「この獣には、大言壮語して冒瀆のことばを語る口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。獣は神を冒瀆するために口を開いて、神の御名と神の幕屋、また天に住む者たちを冒瀆した。」(黙示録13:5、6同)◆反キリストの特徴は、舌の罪深さにある。それは罪深いなどというものではなく、人が出現して以来、一度もみられなかったほどの「創造主とキリストに向かって吐かれる汚し言葉」である。なんとおぞましく、身の毛がよだつ反逆者の姿であろう。使徒ヤコブがなぜ二千年前から、かくもきびしいことばで舌の持つ罪深さを指摘しているのであろうか。そこに聖霊による深い預言のひびき、透徹した眼差しを感じないわけにはいかない。だからこそ我々は、恐れおののき、反キリストの霊から離れ去り、天の火による聖別が自分の唇になされるよう、憐れみを求めて祈るべきなのである。