しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <後継者ソロモン>

2020-11-04 | Ⅰ歴代誌

「そして、私にこう言われた。『あなたの子ソロモンが、わたしの家とわたしの庭を造る。わたしが彼をわたしの子として選び、わたしが彼の父となるからだ。もし彼が、今日のように、わたしの命令と定めを行おうと固く決心しているなら、わたしは彼の王国をとこしえまでも確立しよう。』」(Ⅰ歴代誌28:6,7新改訳)

ソロモンはダビデの多くの子の中から、正式に後継者として任職された。たぶん緊張と恐れがあったし、父の敬虔な信仰を自分も守って行こうと固く決心していたにちがいない。その彼に与えられた約束はすばらしいものであった。ダビデの信仰に忠実に従うなら、ソロモンの王国をとこしえまでも確立する、つまり地上に神の国を出現させようというのである。▼残念なことに、これは実現しなかった。彼は途中で道をそれてしまい、奢侈放縦(しゃしほうじゅう)と肉欲の道に入り、イスラエルに偶像礼拝をもたらすきっかけを作ったからだ。 しかしこの約束はイエス・キリストによって実現する。このお方こそ本当のダビデの子孫、永遠に平和の王だからである。◆さてダビデはここで「私は主の契約の箱のため、私たちの神の足台のために安息の家を建てる志を持ち、建築の用意をしてきた」(2)と述べている。神殿は神が安息されるところである。少なくともダビデはその目的を持っていたことがわかる。しかし歴史はどうか。イスラエルのエルサレム神殿は戦乱につぐ戦乱で、安息とはほど遠い状態にあったのだ。この事実は、真の安息の家とはイエス・キリストご自身であることを示している。主がヨルダン川で洗礼をほどこされたとき、聖霊が鳩のような姿をして主の上に御下りになったことが記されている。まさに、受肉された神、イエス・キリストこそ神が柔和と愛に満ちた御姿をもって安息することのできる家(神殿)なのであった。◆もし私たちが自らの罪深さをおぼえ、そのためになされた十字架のあがないによりすがるなら、血潮によって罪はゆるされ、神の家であるキリストを宿す者へと変えられる。つまり私たちもまた神が安息される家へと造り変えられるのである。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちは(父、御子、御霊は)その人のところに来て、その人とともに住みます。」(ヨハネ14:23同)◆今や世界は、人類の罪のため泥沼のように混沌としているが、すこしも恐れる必要はない。安息の家の戸口をたたくなら、だれでも迎え入れられるのだから。