「肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。」(ガラテヤ5:19~21新改訳)
神の国を相続できないとは、永遠の苦しみの場所・ゲヘナの火に落ちるということである。その恐ろしさをまともに考えるなら、人はどんなことがあっても肉の行いにふけるのをやめようとするだろう。▼私たちは日々のデボーションにおいて、十字架の愛を思うとともに、それを拒否して永遠の後悔に泣き叫んでいる人々の声を聞くべきではないか。ばく大な財産を捨てられず、主の前を悲しみつつ去ったあの若者(マルコ10:22)、私の恩師は献身すべきかどうか迷っていたとき、彼の後ろ姿をまぼろしのように示され、「彼はどこへ行ったのかを思え」と御霊の声を聞いたという。主のご愛を思えば、私たちに捨てられない宝などは一切存在しないはずである。▼「悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、こう言った。『もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。』そこでイエスは言われた。『下がれ、サタン。「あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい」と書いてある。』すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ、御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。」(マタイ4:6~11同)