しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <あなたがたのいのち>

2024-09-04 | 申命記
「これは、あなたがたにとって空虚なことばではなく、あなたがたのいのちであるからだ。このことばによって、ヨルダン川を渡って行って所有しようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くことになる。」(申命記32:47新改訳)

モーセの最後の歌は、イスラエルが神に反逆し、滅びていく預言となっている。それなのにどうして「この歌はあなたがたのいのちである」というのであろうか。▼その理由は、モーセ五書が歴史の中で大切に保存され、かならず人々の目にふれるときがあるからだ。そのとき彼らは思うだろう。「モーセがかつて預言したように私たちの歴史は進んでいる。すべてが語られたとおりだ」と・・・。このようにして堕落(だらく)したイスラエルの中に預言者や信仰あつい王が起き、何度も宗教改革がなされて歴史は進み、神の国への希望が燃え続けて来た。そしてついにナザレのイエスの出現とペンテコステによる教会の誕生、さらに永遠の神の国到来の預言が世界にひびき渡り、今日に及ぶ。その意味でたしかに、モーセの歌は世界人類のいのちになったのである。▼思えば、モーセ律法が紙に記された文字だったのに、それが肉体をとり、人間となってイスラエルに現れたことは、どれほどおどろいても、なお足りない奇蹟である。そのうえ、ナザレのイエスが復活し、よみがえりのいのちとして信じるキリスト者の内にお宿りくださったとは、なんという破格(はかく)の恵みであろう。パウロのことばに、良く耳を傾けようではないか。▼「私は・・・教会に仕える者となりました。あなたがたに神のことばを、すなわち、世々の昔から多くの世代にわたって隠されてきて、今は神の聖徒たちに明らかにされた奥義を、余すところなく伝えるためです。この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ1:25~27)