Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

網野善彦「古文書返却の旅」

2018年10月11日 | 読書
 宮本常一の「忘れられた日本人」を読んで、感銘を受けたことがきっかけになって、宮本常一の他の著作や、宮本常一に関連する書物をいくつか読み、そのうちの数点に関しては拙い感想を書いた。このへんで一区切りつけたいと思うが、その前に一つだけ、感想を書かないと心残りな本がある。

 それは網野善彦の「古文書返却の旅」(中公新書)。本書を読んだのは、同氏の「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」を読んで(しかも2度読んで)感銘を受けたからだが、その感銘は宮本常一の同書を味読する喜びとともに、網野善彦の人間性に惹かれたことにもあった。

 その人間性とはなにかというと、高潔な人柄、まっすぐな感性、正直さ、自己への厳しさ、といったらよいだろうか。こんな抽象的な言葉でなにが伝わるわけでもないだろうが、ともなく同氏の「……読む」を読んで感じたことは、そういう人間性だった。

 わたしは網野善彦の他の著作も読んでみたくなった。著名な歴史学者の同氏には膨大な著作があるが、本来ならその主なフィールドである歴史書を一つ、たとえばわたしは同氏のアジールへの言及(アジールとは統治権力が及ばない地域や場所のこと。無縁所。聖域)に興味を惹かれたので、その方面の著作を読むべきところだが、宮本常一との関連で「古文書返却の旅」を読んだ。

 本書は1999年10月の発行。1年間にわたって雑誌「中央公論」に連載した随筆をまとめたものだ。奇しくも前掲の「……読む」が同年6月に岩波書店で行った4回の講演をまとめたものなので、同時期の仕事。同氏は2004年2月に享年76歳で亡くなったので、同氏の最後の思想が窺える。

 古文書返却といっても、それがなんのことか、イメージがわかないと思うが、手短にいうと、1950年に大学を卒業した網野善彦は、東京月島(中央区)の日本常民文化研究所(宮本常一も深く関与した)の月島分室に就職した。同年から同分室が閉鎖される1955年までの間、同分室が全国から集めた古文書が、未返却のまま残った。その返却を網野善彦らが1980年代から行った記録が本書。

 返却の旅では多くの人々(古文書の所蔵家がまだ健在の場合もあれば、亡くなった場合もある)とのドラマがあった。多くは感動のドラマだ。そこに網野善彦の前記のような人間性が滲み出る。

 もしわたしが網野善彦の身近にいたら、きっと心酔したと思う。

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