都響1月定期のBプロは「日本管弦楽の名曲とその源流」シリーズの第10回。指揮はレジデント・コンダクターの小泉和裕で、プログラムは次のとおりだった。
(1)松平頼則:「ダンス・サクレとダンス・フィナル」よりダンス・サクレ
(2)廣瀬量平:尺八と管弦楽のための協奏曲(尺八:坂田誠山)
(3)三木稔:管弦楽のための「春秋の譜」
(4)ドナルド・ウォマック:After――尺八と二十絃箏のための協奏曲(尺八:坂田誠山、二十絃箏:木村玲子)
1曲目の「ダンス・サクレ」はピッコロなどの木管楽器と大太鼓などの打楽器で演奏される短い曲。日本古来の舞楽を模倣した音楽だが、それゆえに、どこまでが舞楽で、どこまでが作曲者の音楽なのか、かえって気になった。
2曲目の尺八協奏曲は昔きいたことがあり、名曲だと思ったが、この日の演奏は物足りなかった。尺八独奏はよかったが、オーケストラが未消化だったのではないか(冒頭と末尾の打楽器アンサンブルはよかったが)。
3曲目の「春秋の譜」は、明るい音色と歯切れのよいリズムによる、いかにも三木稔らしい曲。日本的な素材を使っているが、印象的には新古典主義だ。三木稔は欧米で広く受け入れられているが、それは西洋人にも理解しやすいからだろう(2曲目の廣瀬量平はその逆だ)。
ここで休憩。以上の3曲が、前奏曲、協奏曲、交響曲という流れになっていたので、演奏会が終わったような感じがした。ちょっと変わった不思議な感覚。この演奏会は、前半は前半で完結し、後半はまた別と考えたほうがよさそうだと思った。
後半の「After」は2001年にハワイで起きた「えひめ丸事件」を扱った作品。9名の犠牲者を追悼するとともに、家族や友人たちの怒り、悲しみ、受容といった心の遍歴に思いをはせた曲。
形式的には尺八と二十絃箏の独奏のための二重協奏曲で、これは武満徹の琵琶と尺八のための「ノヴェンバー・ステップス」を参照しているように感じられた。武満徹のまいた種子がこうして新たな変種を生んだとしたら感慨深い。しかもそれが、外国人の作曲家による、邦楽器のための曲という点で。
それにしても、ウォマックという作曲家は、どこで邦楽器を学んだのだろう。
都響の演奏は「春秋の譜」と「After」で精彩に富んでいた。小泉和裕はもう都響とは長い付き合いになる。その積み重ねの成果があらわれていると感じた。
(2010.1.26.サントリーホール)
(1)松平頼則:「ダンス・サクレとダンス・フィナル」よりダンス・サクレ
(2)廣瀬量平:尺八と管弦楽のための協奏曲(尺八:坂田誠山)
(3)三木稔:管弦楽のための「春秋の譜」
(4)ドナルド・ウォマック:After――尺八と二十絃箏のための協奏曲(尺八:坂田誠山、二十絃箏:木村玲子)
1曲目の「ダンス・サクレ」はピッコロなどの木管楽器と大太鼓などの打楽器で演奏される短い曲。日本古来の舞楽を模倣した音楽だが、それゆえに、どこまでが舞楽で、どこまでが作曲者の音楽なのか、かえって気になった。
2曲目の尺八協奏曲は昔きいたことがあり、名曲だと思ったが、この日の演奏は物足りなかった。尺八独奏はよかったが、オーケストラが未消化だったのではないか(冒頭と末尾の打楽器アンサンブルはよかったが)。
3曲目の「春秋の譜」は、明るい音色と歯切れのよいリズムによる、いかにも三木稔らしい曲。日本的な素材を使っているが、印象的には新古典主義だ。三木稔は欧米で広く受け入れられているが、それは西洋人にも理解しやすいからだろう(2曲目の廣瀬量平はその逆だ)。
ここで休憩。以上の3曲が、前奏曲、協奏曲、交響曲という流れになっていたので、演奏会が終わったような感じがした。ちょっと変わった不思議な感覚。この演奏会は、前半は前半で完結し、後半はまた別と考えたほうがよさそうだと思った。
後半の「After」は2001年にハワイで起きた「えひめ丸事件」を扱った作品。9名の犠牲者を追悼するとともに、家族や友人たちの怒り、悲しみ、受容といった心の遍歴に思いをはせた曲。
形式的には尺八と二十絃箏の独奏のための二重協奏曲で、これは武満徹の琵琶と尺八のための「ノヴェンバー・ステップス」を参照しているように感じられた。武満徹のまいた種子がこうして新たな変種を生んだとしたら感慨深い。しかもそれが、外国人の作曲家による、邦楽器のための曲という点で。
それにしても、ウォマックという作曲家は、どこで邦楽器を学んだのだろう。
都響の演奏は「春秋の譜」と「After」で精彩に富んでいた。小泉和裕はもう都響とは長い付き合いになる。その積み重ねの成果があらわれていると感じた。
(2010.1.26.サントリーホール)