Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

サントリーホール・サマーフェスティバル2023:ノイヴィルトの室内楽

2023年08月29日 | 音楽
 サントリーホール・サマーフェスティバルの今年のテーマ作曲家・ノイヴィルトの室内楽演奏会。全5曲。以下、順に触れるが、結論を先にいうと、作品、演奏ともにすばらしく、例年の室内楽演奏会に増して充実した演奏会になった。今年のサマーフェスティバルを締めくくるにふさわしい演奏会だ。

 演奏順が一部変更になった。1曲目は「インシデント/フルイド」。ピアノとCDプレイヤーのための曲。沼野雄司氏のプログラム・ノートによれば、ピアノの中音域にプリパレーションが施され(音色が変形される)、かつ内部奏法が駆使される。加えてCDプレイヤーがピアノに設置され、スピーカーからドローン音が流れる。

 言葉でそう説明されても、どんな音か、そしてどんな音楽か、見当がつかないと思うが、実演に接すると、じつにさまざまな音色が聴こえて、音の風景のようだ。気迫にとんだ音から、静かな、かすれるような音まで、目まぐるしく変化する。ピアノ独奏は大瀧拓哉という若い人。目の覚めるような鋭い演奏だ。

 2曲目は「…アド・アウラス…イン・メモリアムH」。2つのヴァイオリンとウッドドラム(任意)のための曲。2つのヴァイオリンは60セント(半音の3/5)の差でチューニングされる。それがどう聴こえるか。わたしの感覚では、2人の役者の演劇のように聴こえた。2人は時に声高に、時に声をひそめて話し続ける。必ずしも一体化しない。むしろ各々の個を保持するためにチューニングがずらされているようだ。そんな2人の会話はどこかユーモラスだ。打楽器がユーモアを増幅する。打楽器はカホンが使われた。ただし、素手ではなく、マレットを使った。

 休憩後、3曲目は「クエーサー/パルサーⅡ」。端的にいうとピアノ三重奏曲だが、音色に工夫が凝らされている。まずピアノは若干のプリパレーションが施され、かつE-bow(弦に近づけると弦を振動させ、音を発生させる小さな機器)が使われる。その効果は抜群だ。通常のピアノでは得られない長く伸びる音が発生する。一方、ヴァイオリンは2曲目と同様に60セント低く調弦される。通常の調弦のチェロを加えた三重奏は、ピアノとヴァイオリンの対峙のわきでチェロが呟くような演劇的空間を生む。

 4曲目は「マジック・フルイディティ」。フルートとタイプライター(!)のための曲。タイプライターの音がユーモラスだ。5曲目は「スパツィオ・エラスティコ」。7名の室内アンサンブルのための曲。当初の発表にはなかった指揮者が加わった。指揮者なしでは演奏困難だろう。指揮は馬場武蔵。演奏終了後、ノイヴィルトがステージに現れた。小柄で、飾らず、気さくな人のようだ。
(2023.8.28.サントリーホール小ホール)
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サントリーホール・サマーフェスティバル2023:三輪眞弘がひらく

2023年08月28日 | 音楽
 サントリーホール・サマーフェスティバルの今年のプロデューサーは作曲家の三輪眞弘。テーマは「ありえるかもしれない、ガムラン」。ガムラン音楽に触発され、ガムラン音楽の人と人のゆるい関係を築く機能、ゆっくり流れる時間などの(一言でいえば)ガムラン音楽の神髄を現代に生きる我々の蘇生に役立てられないか、というコンセプトだ(わたしの解釈だが)。

 ザ・プロデューサー・シリーズは毎年凝った企画だが、三輪眞弘の企画は破格だ。小ホールを使った「En-gawa」と大ホールを使った「Music in the Universe」の2本立て。まず「En-gawa」は小ホールで3日間、各々7時間の「ひらかれた家」を提供する(写真↑)。そこでは各種のイベントが開かれる。屋台も出る。インドネシアのスナック菓子や衣料品などが販売される。

 わたしが行ったのは8月27日の午後だ。イベントはジャワ舞踊の佐久間新のダンスパフォーマンスと影絵師の川村亘平斎の影絵パフォーマンス。まずダンスパフォーマンスは佐久間新の指導のもとで、観客をふくめたダンスのワークショップが行われた。たとえば「波」の模倣。大きな波が寄せては返す。その動きを見ていると、日常生活を忘れて、潮風に吹かれ、波の音が聞こえるようだ。

 影絵パフォーマンスも楽しかった。ストーリーも楽しいが、影絵を操りながら歌う川村亘平斎のバリ島の歌(?)がエスニックだ。影絵が終わってから(即興で?)演奏されたバリ島のガムラン(?)はロックのようなノリだった。

 大ホールで開かれた「Music in the Universe」は5人の作曲家の曲が演奏された。1曲目は藤枝守(1955‐)の「ピアノとガムランのためのコンチェルトno.2」。ピアノ(ミニピアノ)独奏は砂原悟。ガムランはマルガサリ(以下同じ)。大人しい曲だ。2曲目は宮内康乃(1980‐)の「SinRa」。ガムランに女声コーラス(「つむぎね」)が入る。当夜の5曲中ではこの曲に一番惹かれた。まるで絵本を見ているような鮮明なイメージだ。

 3曲目はホセ・マセダ(1917‐2004)の「ゴングと竹のための音楽」。ガムランに邦楽器の龍笛、西洋楽器のコントラファゴットそして児童合唱(東京少年少女合唱隊)が入る。国境をこえた世界音楽を目指す曲だろうが、ホセ・マセダにしては民衆的な力に欠け、上品に聴こえたのは演奏のせいか。4曲目は小出稚子(1982‐)の「Legit Memories(組曲 甘い記憶)」。さとうじゅんこの独唱が入る。どこか沖縄風だ。5曲目は野村誠の「タリック・タンバン」。柴田南雄の「ゆく河の流れは絶えずして」やシュトックハウゼンの「暦年」を思わせるシアターピース、ないしはそのパロディだ。
(2023.8.27.サントリーホール)
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湯浅譲二 作曲家のポートレート

2023年08月26日 | 音楽
 「湯浅譲二 作曲家のポートレート―アンテグラルから軌跡へ―」と銘打った演奏会。サントリー芸術財団は「作曲家の個展」と銘打った演奏会を続けていたが、それと関係があるのかどうか。ともかくサントリーホール・サマーフェスティバルと同時期の開催なので、サマーフェスティバルの一環かと思いがちだが、別枠だ。演奏は杉山洋一指揮の都響。

 1曲目はヴァレーズの「アンテグラル(積分)」、2曲目はクセナキスの「ジョンシェ(藺草(いぐさ)が茂る土地」。ともに湯浅譲二の選曲だろう。周知のように、湯浅譲二の「クロノプラスティクⅡ」は「E・ヴァレーズ頌」という副題をもち、「クロノプラスティクⅢ」は「ヤニス・クセナキスの追悼に」という副題をもつ。

 ヴァレーズの「アンテグラル」は管楽器アンサンブルと打楽器のための曲だ。演奏は少々おとなしかった。ヴァレーズというとどうしても爆発的・破壊的な音楽を想像するが、そうでもなかったのは、演奏のせいか、作品のせいか。一方、クセナキスの「ジョンシェ」は爆発的な作品・演奏だったが、延々と続く大音響を聴くうちに、単調さを覚えた。あるいは大音響の中に微妙な変化があったのに、それを聴きとれなかったのか。

 プログラム後半は湯浅譲二の作品。まず「哀歌(エレジイ)」。この曲は当初マンドリン・オーケストラのための曲だったそうだ。白石美雪氏のプログラム・ノートによると、2008年に玲子夫人が亡くなり、湯浅譲二は作曲できない日が続いた。その気持ちに区切りをつけようと、メトロポリタン・マンドリン・オーケストラからの委嘱を受けて作曲したという。その弦楽合奏用の編曲版だ(ハープ、ピアノ、ヴィブラフォン、ティンパニが加わる)。結尾にハープとピアノの呼び鈴のような音型が現れる。意味深だ。

 次に「オーケストラの時の時」。湯浅譲二の代表作のひとつだ。壮年期の充実した力がみなぎる。今回の演奏では途中にいったん区切りが入った。ちょっと戸惑ったが、元々そうだったか。ともかく電子音楽を思わせる流体のような音の層が重なり、そこに鋭い音が打ちこまれる。語り口の滑らかさと音の透明感という湯浅譲二の特徴が、今回の演奏では鋭角的に表れたようだ。

 最後に新作「オーケストラの軌跡」。大きな打撃音で始まり、最後は宙に消え入るように終わる。演奏時間は5~6分。今年94歳になった湯浅譲二が2017年の「作曲家の個展Ⅱ」では未完だった曲を完成させた。高齢であるにもかかわらず、音の密度は薄れず、精神力は衰えず、甘えがない。終演後舞台に現れた湯浅譲二は、熱い拍手を受けた。
(2023.8.25.サントリーホール)
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サントリーホール・サマーフェスティバル2023:ノイヴィルトの管弦楽曲

2023年08月25日 | 音楽
 サントリーホール・サマーフェスティバル2023が始まった。わたしにとっては一年間のメインイベントだ。今年のテーマ作曲家はオルガ・ノイヴィルト。1968年オーストリアのグラーツ生まれの女性作曲家だ。

 昨夜はノイヴィルトのオーケストラ・ポートレート。この演奏会はテーマ作曲家の作品のほかに、テーマ作曲家が選んだ若手の作品と、影響を受けた作品が演奏される。1曲目は若手のヤコブ・ミュールラッドの「REMS(短縮版)」。ミュールラッドは1991年スウェーデンのストックホルム生まれ。REMSとはrapid eye movement sleep(レム睡眠)の略。本来は約26分におよぶ曲だそうだが、短縮版は冒頭から約4分の1を切り取ったもの。幼いころの想い出の甘美な夢を思わせる曲だ。

 2曲目はノイヴィルトの新作「オルランド・ワールド」。ノイヴィルトはウィーン国立歌劇場からの委嘱で2019年にオペラ「オルランド」を初演した。「オルランド・ワールド」はその音楽を抜粋した組曲版とのこと。組曲版とはいえ、曲は途切れずに(たぶんオペラをなぞるように)一貫して流れる。演奏時間の記載はないが、体感的には30分を超えていたのではないだろうか。

 ともかく強烈な音楽だ。エレキギターが入るのだが、エレキギターはオーケストラの443ヘルツよりも高く454ヘルツに調律されている。ハープシコードはオーケストラよりも低く425ヘルツ。ピアノはプリペイド。それらの音がオーケストラに入るので、全体は(月並みな表現だが)おもちゃ箱をひっくり返したような状態になる。賑やかでぶっ飛んだ生きのいい音楽。ノイヴィルトが当代きっての人気作曲家であるゆえんだろう。

 ベルクの「ヴォツェック」や「ルル」の抜粋版と同じように独唱が入る。メゾ・ソプラノのヴィルピ・ライサネン。どういうわけか、曲の前半では声がオーケストラに埋もれ、よく聴こえなかったが、途中から聴こえるようになった。渾身の歌唱だったと思う。

 3曲目はノイヴィルトの「旅/針のない時計」。ウィーン・フィルの委嘱作品。2015年にダニエル・ハーディング指揮ウィーン・フィルの演奏で初演された。郷愁をさそうメロディーが何度も回帰する。遊園地の回転木馬を連想させる。「オルランド・ワールド」も「旅/針のない時計」もオーストリア音楽の長い伝統への反逆かもしれないが、やがて反逆は伝統の中に回収されるとしたら、伝統の力とは恐ろしいものだ。

 4曲目はスクリャービンの交響曲第4番「法悦の詩」。飽和的な音の世界が表現され、かつ方向感を見失わない名演だ。マティアス・ピンチャー指揮東京交響楽団の演奏。
(2023.8.24.サントリーホール)
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鈴木優人/東響

2023年08月20日 | 音楽
 東京交響楽団の真夏の定期演奏会。鈴木優人の指揮でメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」と交響曲第2番「賛歌」。

 鈴木優人は2019年にN響を振ったときにも交響曲第5番「宗教改革」をプログラムに組んだ。それもメインの曲として。あれは堂々とした演奏だった。今回もそれを彷彿させる充実した演奏だ。メンデルスゾーンの音楽がいかに豊かな音楽的内容を持っているかを証明するような演奏だ。

 今回は第3楽章アンダンテの弦楽器のノンヴィブラートの澄んだ音色がことのほか美しかった。心が洗われるような美しさだ。また第3楽章から第4楽章にかけてのブリッジ部分のフルート・ソロに魅了された。首席奏者の相澤政宏さんだと思う。演奏終了後、鈴木優人が真っ先に立たせていた。

 交響曲第2番「賛歌」も立派な演奏だった。鈴木優人の指揮もさることながら、合唱の東響コーラスが全員暗譜で歌ったことに脱帽だ。そんなに頻繁に演奏する曲ではないのに、よく暗譜するまで練習を積んだものだ。ハーモニーも見事で、音圧もあり、アカペラの部分も美しかった。ソプラノとアルトの人数がテノールとバスの人数よりも1.5倍くらいあったためか、ソプラノが入ってくると、声の柔らかい厚みが印象的だった。

 独唱者は第1ソプラノが中江早希、第2ソプラノが澤江衣里、テノールが櫻田亮。中江早希の豊かな声は耳の贅沢だが、ソプラノ・デュオのときの澤江衣里もしっかり歌い、申し分のないデュオだった。櫻田亮は語るような歌い方でバッハの受難曲の福音史家を思わせ、演奏全体に彫りの深さを加えた。

 鈴木優人の指揮は、第5番と第2番に共通するが、背筋を伸ばした(もちろん比喩的にいっているが、実際の指揮姿もそうだった)まっすぐな演奏で、柔軟性にも欠けず、みずみずしい感性が行き渡っていた。もちろん、やわなメンデルスゾーンではなく、スケールが大きく、力感あふれるメンデルスゾーンだ。オーケストラともよくかみ合っていた。

 最後に、補足ながら、プログラムに載った星野宏美氏の「ややこしいメンデルスゾーンの交響曲の番号付け」というエッセイに触れたい。メンデルスゾーンには番号付きの交響曲が5曲あるが、その番号は出版順だ。では作曲順だとどうなるか。それが一筋縄ではいかない。作曲を着想してから出版までに長い変遷を辿るからだ。当エッセイには5曲の着想から出版までが図解されている。第3番、第4番、第5番は1829年~1830年に集中して着想されている。その時期のメンデルスゾーンの頭の中はどんな状態だったのだろう‥。
(2023.8.19.サントリーホール)
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飯守泰次郎さん追悼

2023年08月17日 | 音楽
 飯守泰次郎さんが8月15日に亡くなった。前日には普通に夕食をとり、いつもの時間に就寝したそうだ。翌朝7時16分に急性心不全で亡くなった。良い亡くなり方だ。享年82歳。ご冥福を祈る。

 わたしは中学生時代にクラシック音楽を聴き始めたので、かれこれ50年以上クラシック音楽を聴いているが、その中でほんとうに好きになった指揮者が二人いる。それは晩年の山田一雄と晩年の飯守泰次郎だ。晩年という言い方はあいまいなので、具体的にいうと、新星日本交響楽団(その後、東京フィルと合併)の常任指揮者時代の山田一雄と、東京シティ・フィルの常任指揮者時代の飯守泰次郎だ。

 二人ともそれが最後のポストだったわけではないが、長いキャリアの中で終盤だったことは間違いなく、そのころになると、若いころのがむしゃらさを脱し、しかも体力・気力ともに衰えずに、ほんとうに神々しいまでの演奏をした。

 飯守泰次郎でいえば、東京シティ・フィルとのプログラムでは、毎シーズン、テーマ作曲家を設定し、その作曲家の作品を集中的に演奏した。そのようにして聴いた中で、とくに感銘深かったのは、ブルックナー、ベートーヴェン(マルケヴィチ版)、そして意外に思われるかもしれないがチャイコフスキーだった。

 飯守さんのブルックナーはだれもが称賛するので、多言を要しないだろうが、一言だけ想い出を書けば、飯守さんはプレトークで「地味だけれども、第6番が好きだ」と話したことがある。「もちろん第7番以降は崇高な音楽だけれども、だれもが褒める曲とは別に、個人的には好きという曲があり、それが第6番です」と。ベートーヴェンは、ベーレンライター版でもやったが、マルケヴィチ版のときになると、余計なものを削ぎ落して、本質のみを語るような輝きがあった。チャイコフスキーは常任指揮者時代の最後のチクルスになった。ドイツ音楽のイメージが強い飯守さんがチャイコフスキーを選び、共感をこめて演奏したことに、日本人の西洋音楽への適性を考えた。

 ワーグナーは東京シティ・フィルでも新国立劇場でも聴いたが、数ある作品の中でも飯守さんに一番合っていたのは「パルジファル」だと思う。わたしは2005年11月の東京シティ・フィルとの演奏、2012年5月の東京二期会での演奏(オーケストラは読響)、2014年10月の新国立劇場での演奏(オーケストラは東京フィル)を聴いた。どれも良かった。どんどん良くなるというのではなく、最初から良かった。飯守さんの体質に合うのだろう。

 ネット上では飯守さんの逝去を悼む声があふれている。楽員からも聴衆からも愛されていたといまさらながら思う。
コメント (2)
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東京オペラシティ・アートギャラリー「野又穰展」

2023年08月14日 | 美術
 東京オペラシティ・アートギャラリーで野又穫(のまた・みのる)(1955‐)の展覧会が開かれている。チラシ(↑)に惹かれて行った。

 チラシに使われている作品は「Forthcoming Places-5 来るべき場所5」(1996)という作品だ。一見すると、上下2段の温室がある。その下には樹木の茂みが見える。樹木の茂みと比較すると、上下2段の温室はタワーマンションくらいの高さがある。もちろん現実にはあり得ないが、温室も樹木も見慣れた形なので、穏やかな風景画に見える。

 今、上下2段の温室といったが、展覧会場で実見すると、下の球体は温室ではなく、水族館だと分かる。中の熱帯植物と見えたものは水草だ。水草の周りを無数の魚が泳いでいる。下は水族館、上は温室という構成は、熱帯の水中と陸上を模した構築物のように見える。

 個々の物体は見慣れたものだが、その意外な組み合わせ、または意外なシチュエーションが、見る者の想像力を刺激する――その点でシュールレアリスムの画家・マグリットを連想させる。だがマグリットのような刺激性はなく、穏やかな日常性の中にある。題名もマグリットのような詩的・哲学的なものではなく、むしろ素っ気ない。

 一方、社会批評を感じさせ作品もある。本展のHP(↓)に画像が載っているが、「Babel 2005 都市の肖像」はその典型だ。画面の中央に巨大なビルが立つ。一見して、現代のバベルの塔だ。それは美しいともいえる。だが、ビルの周囲は荒れ果てた大地だ。都市が崩壊した跡のようでもある。あちこちにブルーシートのテントが張られている。テントはビルの下部まで侵食する。テントの脇には焚火の煙が見える。人がいるのか。よく見ると、ビルの1階には大砲が並んでいる。侵入者を阻むかのように。

 「Bubble Flowers 波の花」(2013)もHPに画像が掲載されている。都会の夜景だ。交差点を行き交う車のライトが幾筋も流れる。ビルの窓から煌々と光が漏れる。そして(人々の群れだろうか)泡のような無数の光が浮かぶ。美しいと思う。だが、本作品と一対をなす「Listen to the tales 交差点で待つ間に」(2013)を見ると、本作品はたんに美しいというだけでは済まない作品ではないかと思う。

 「交差点で待つ間に」は瓦礫と化した都会の風景を描く。灰色一色の世界だ。人の姿は見えない。人の代わりに何匹もの野良犬がいる。子犬に授乳する母犬もいる。犬たちは命をつなぐ。題名からいって、交差点で信号が変わるのを待つ間に幻視した廃墟の風景だろう。東日本大震災から2年後。都会は東日本大震災を忘れたかのように賑わうが、それは脆くはないかと。
(2023.7.7.東京オペラシティ・アートギャラリー)

(※)本展のHP
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被爆二世

2023年08月10日 | 身辺雑記
 わたしの亡父は太平洋戦争中、呉の海軍工廠で働いた。東京の羽田に生まれ育った亡父がなぜ呉の海軍工廠に行ったのかは、残念ながら聞き逃した。亡父は生前、「小学校を出て歯医者の書生になり、夜間の中学校に通ったが、続かなかった。良い働き口がなくて、仕事を転々とした。そのうち伝手があって、岡山県の総社に行った」といっていたので、総社で働いていたときに、呉の海軍工廠に職を見つけたのではないかと想像する。

 亡父は呉の海軍工廠で働くことができたために戦死せずに済み、戦後結婚してわたしが生まれたわけだが、それはさておき、亡父が生前話していたことのひとつに、「原爆のキノコ雲を見た」というのがあった。「ラジオでは新型爆弾といっていたが、工員仲間に原爆だと分かっていた者がいた」と。

 その話を思い出したのは、参議院議員の吉良よし子氏のツイッターを見たからだ。吉良氏はこう書いている。「1945年8月6日8時15分/私の祖父は、当時、江田島の海軍兵学校で、ピカの光と爆風を受け、ヒロシマ上空に広がるキノコ雲を見たそうです。/爆風で木々が次々となぎ倒される様、禍々しいキノコ雲の色はいまだに忘れられないと。(以下略)」(2023年8月6日)

 江田島は呉の沖にある。吉良氏の祖父とわたしの亡父は同世代ではないかと思うが、二人の話は符合する。亡父の話には「爆風」は出てこなかったが、呉ではどうだったのだろう。江田島では閃光が走り、大音響が鳴り、爆風が吹いたという手記が存在する。

 亡父は原爆投下後、広島市の惨状が伝わると、工員仲間と「広島に行ってみるか」と話していたそうだ。結果的には行かなかったが、もし行っていたら、亡父は被爆し、わたしは被爆二世になった可能性がある。

 被爆二世になった可能性は、もうひとつある。それは黒い雨だ。原爆投下後、広範囲に放射性物質をふくむ黒い雨が降ったことは周知の通りだ。黒い雨は住民をはじめ河川、土壌などに放射能汚染をもたらした。戦後ずっとたってから、黒い雨訴訟が提起され、原告の勝利に終わったのは2021年のことだ。現在は第2次訴訟が提起されている。

 黒い雨は1945年8月6日午前9時ころから降り始め、10時ころにもっとも広範囲に降り、午後3時ころに降り止んだと推定されている。降った地域は広島市の北西部に広がっている(局地的ではなく、ひじょうに広い地域だ)。もし風向きが違って広島市の南東部に降ったとしたら、江田島や呉にも降っただろう。その場合は吉良氏の祖父もわたしの亡父も黒い雨に当たった可能性がある。わたしは被爆二世になったかもしれない。わたしが被爆二世になるかならないかは紙一重だったようだ。
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バイロイト音楽祭の想い出

2023年08月06日 | 音楽
 バイロイト音楽祭に行くことは長年の夢だった。それが叶ったのは現地のバイロイト友の会に入っている友人のおかげだった。2枚当たったので、1枚譲ってくれた。喜び勇んで出かけた。ティーレマンが指揮する「リング」の最終チクルスだった。滔々と流れる音楽に圧倒された。2010年のことだ。

 それ以来3年続けて出かけた。最初は戸惑った祝祭劇場の特殊な音響にも慣れた。4年目にも誘ってもらったが、断った。友人がチケットを取るのはいつも8月下旬の公演なのだが、その時期はサントリーホールのサマーフェスティバルと重なるので、4年目はそちらを選んだ。以降バイロイト音楽祭のチケットはまわってこなくなった。それは覚悟していた。

 というわけで3年間バイロイト音楽祭に通ったのだが、ワーグナー上演はもとより、バイロイトの町にもたくさんの想い出が残った。それを書いてみたい。

 音楽祭の時期にはホテルの値段は高騰するのだが、友人は市外のガストホーフを取ってくれた。ガストホーフとは1階がレストラン兼居酒屋で2階が宿泊室の宿屋だ。市内のホテルとくらべて割安だ。もちろん宿泊室は清潔だが、シャワーとトイレは共同だった。それが苦になる人もいるだろうが、わたしは平気だった。祝祭劇場との距離は市内のホテルと変わらない。ただ歩くルートが畑の中だ。草の香りが心地よかった。不思議なもので、バイロイトというとまず思い出すのは草の香りだ。

 そのガストホーフは、オペラが終わって帰ると、もう1階の居酒屋は閉まっていた。友人と「なんて商売っ気のない親爺だろう」と文句をいいながら、向かいのガストホーフに行った。そちらは夜遅くまでやっていた。ビールを飲みながら語り合った。楽しい想い出だ。3年目は友人がチケットを2枚譲ってくれたので、妻と行った。白状すると、「トリスタンとイゾルデ」を観ているとき、途中で暑くてたまらなくなった。祝祭劇場には冷房がないのだが、そのときの席は上階だったので、熱がこもるようだった。幕間に妻と退出して、例のガストホーフに一目散。冷えたビールで人心地がついた。

 バイロイトなんて何もない田舎町ですよ、という人がいる。たしかにそうかもしれないが、落ち着いたドイツらしい町だと思う。何もないとはいうが、ワーグナーの大邸宅「ヴァンフリート」があるし、バロック様式の美しい「辺境伯歌劇場」もある。そのような観光スポットもさることながら、ただぶらぶら歩くだけでもいい。それが田舎町の良さだ。

 もうバイロイトに行くことはないと思う。妻が体調を崩して数年になるので、妻はもちろん、わたしも妻を残して遠出は無理になった。人生の不可逆性を思う。
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フェスタサマーミューザ:ヴァイグレ/読響

2023年08月02日 | 音楽
 フェスタサマーミューザに読響がヴァイグレの指揮で登場した。プログラムはベートーヴェンの交響曲第8番とワーグナー(デ・フリーヘル編曲)の楽劇「ニーベルンクの指輪」~オーケストラル・アドヴェンチャー。ヴァイグレのワーグナーを聴いてみたくて行った。

 とはいえ、不安もあった。フリーヘルのこの編曲はすっかり人気作になった感があるが、わたしはあまり満足していないからだ。なぜかというと、「ラインの黄金」は比較的丁寧に音楽を追っているが、『神々のヴァルハラ城への入城』から一気に「ワルキューレ」の『ワルキューレの騎行』に飛ぶので(ジークムントとジークリンデのエピソードはカットされている)唐突感を否めないことと、「ジークフリート」の最後の『ブリュンヒルデの目覚め』が比較的たっぷり描かれるので、そこに停滞感を生じるからだ。

 とはいえ(再度の、とはいえ、だが)抜粋版なので、不満は人それぞれあるだろうし、すべての人を満足させるわけにはいかないが。

 さて、長々と書いてしまったが、なぜ書いたかというと、ヴァイグレ指揮読響の演奏を聴いて、上記の不満がなかったわけではないが、それを上回る「リング」を聴いたという満足感があったからだ。劇場で観ているときの血沸き肉躍る感覚がよみがえり、最後の『ブリュンヒルデの自己犠牲』では深い感動に浸った。それはわたし自身意外だった。

 そのような満足感を覚えたのは、ヴァイグレの指揮のおかげだろう。「リング」を隅々まで知っていることはもちろんだが、そのような指揮者にはかえってやりにくいのではないかと思える抜粋版を、雄弁に流れ良く演奏しただけではなく、クライマックスを急がずに、じっくり構えて聴衆の集中力を引き付け、その頂点で決定的な一撃を打つ。その呼吸がいかにも劇場的なのだ。

 もう何度も聴いた気がするこの編曲が、これほど「リング」の世界を実感させたことは今までなかったと、わたしは思ったし、たぶん多くの方々も同じだったろう。会場の沸き方やSNSでの好評ぶりからそう想像する。個別の奏者では「ジークフリート」で大蛇を呼び出すジークフリートの角笛を吹いたホルン首席奏者の松坂さんがすばらしかったことは、皆さんが指摘する通りだ。

 なお1曲目のベートーヴェンの交響曲第8番は、もちろんピリオド系のスタイルではなく、かといって重厚でもない、素直で溌溂とした演奏だった。強弱の振幅が大きく、その一方で安定感がある。新奇なところはないが、マンネリに陥らず、今の時代の空気を吸う誠実な演奏だ。そのような演奏を一言で何といったらよいのだろう。うまい言葉が見つからないのがもどかしい
(2023.8.1.ミューザ川崎)
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