オペラ「タンホイザー」はヴァルトブルク城(第2幕)、ヴェーヌスベルクという洞窟(第1幕の前半)そして両者の力がせめぎあう中間領域の谷間(第1幕の後半と第3幕)で進行する。ヴァルトブルク城はキリスト教が支配する清純な場所であり、一方、ヴェーヌスベルクは異教の神ヴェーヌス(ギリシャ神話のヴィーナス)が支配する穢れた場所だと、ヴァルトブルク城の住民は考えている。その偏狭さが引き起こすドラマがこのオペラだ。
今から20年ほど前のことだが、実際のヴァルトブルク城に行ってみた。ドイツ中部のアイゼナッハ駅から路線バスで30分ほどだったろうか。緑豊かな山道を登っていくと、あっけなく着いた。古色蒼然とした城だった。入場券を買おうとすると、基本的にはガイドツアーに参加する形になっていた。日本語ツアーはなかったので、英語ツアーに参加した。英語の説明がわかるかどうか、自信がなかったが、ガイドがわたしの顔を見て「日本人か」と聞くので、「そうだ」と答えると、日本語の説明シートの束を貸してくれた。そのお陰でよくわかった。
マルティン・ルターがかくまわれた部屋があった。ルターはその部屋で聖書をドイツ語に訳した。小さい部屋だった。ガイドツアーのフィナーレは歌合戦が催された大広間だった。わたしのお目当てはそこだったが、暗くてよく見えなかった。「タンホイザー」の歌合戦の光景は思い浮かばなかった。
ガイドツアーが終わって出口に案内されたときだった。ガイドが谷間を挟んだ向かいの小山を指さして、「あそこがヘルゼルベルクです」といった。わたしは「えっ」と思った。ヘルゼルベルクとは、中腹にヴェーヌスベルクがある山の名前だ。「そうか、こんなに近いのか」と思った。
今もその小山が目に浮かぶ。ヴェルトブルク城は山頂にたっているが、ヘルゼルベルクはその足元に見下ろすような位置にある。そこの中腹の洞窟にヴェーヌスを閉じ込めてしまうとは、いくら異教の神ではあっても、ワーグナーさん、あなたは少し失礼ではないかという気がする。むしろヴェーヌスをおとしめる意図を感じる。
ワーグナーがおもしろいのはそこだろう。偏見を隠さない(現代の言葉でいえば差別的・分断的な要素のある)台本だが、それを現代の目でどう解決するか。その問いを突き付け、わたしたちを挑発する。思い返すと、わたしは今まで「タンホイザー」を、東京、バイロイト、ベルリン(リンデン・オーパー)、ミュンヘン、ケルン、その他数か所で観たが、台本通りタンホイザーがエリーザベトの自死によって救済される演出はあったろうか。なかったと断言する勇気はないが、記憶に残っていない。
今から20年ほど前のことだが、実際のヴァルトブルク城に行ってみた。ドイツ中部のアイゼナッハ駅から路線バスで30分ほどだったろうか。緑豊かな山道を登っていくと、あっけなく着いた。古色蒼然とした城だった。入場券を買おうとすると、基本的にはガイドツアーに参加する形になっていた。日本語ツアーはなかったので、英語ツアーに参加した。英語の説明がわかるかどうか、自信がなかったが、ガイドがわたしの顔を見て「日本人か」と聞くので、「そうだ」と答えると、日本語の説明シートの束を貸してくれた。そのお陰でよくわかった。
マルティン・ルターがかくまわれた部屋があった。ルターはその部屋で聖書をドイツ語に訳した。小さい部屋だった。ガイドツアーのフィナーレは歌合戦が催された大広間だった。わたしのお目当てはそこだったが、暗くてよく見えなかった。「タンホイザー」の歌合戦の光景は思い浮かばなかった。
ガイドツアーが終わって出口に案内されたときだった。ガイドが谷間を挟んだ向かいの小山を指さして、「あそこがヘルゼルベルクです」といった。わたしは「えっ」と思った。ヘルゼルベルクとは、中腹にヴェーヌスベルクがある山の名前だ。「そうか、こんなに近いのか」と思った。
今もその小山が目に浮かぶ。ヴェルトブルク城は山頂にたっているが、ヘルゼルベルクはその足元に見下ろすような位置にある。そこの中腹の洞窟にヴェーヌスを閉じ込めてしまうとは、いくら異教の神ではあっても、ワーグナーさん、あなたは少し失礼ではないかという気がする。むしろヴェーヌスをおとしめる意図を感じる。
ワーグナーがおもしろいのはそこだろう。偏見を隠さない(現代の言葉でいえば差別的・分断的な要素のある)台本だが、それを現代の目でどう解決するか。その問いを突き付け、わたしたちを挑発する。思い返すと、わたしは今まで「タンホイザー」を、東京、バイロイト、ベルリン(リンデン・オーパー)、ミュンヘン、ケルン、その他数か所で観たが、台本通りタンホイザーがエリーザベトの自死によって救済される演出はあったろうか。なかったと断言する勇気はないが、記憶に残っていない。