Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ルイ・シュポーア

2011年02月26日 | 音楽
 読売日響の桂冠指揮者ゲルト・アルブレヒトがシュポーア・プログラムを組んだ。音楽史のなかで名前くらいは目にしたことがあるが、さてどういう音楽なのか、あるいは正確にはいつごろの作曲家なのか、さっぱりイメージが湧かない。そういう作曲家を取り上げるあたりは、アルブレヒトまだ健在だ。

 一応、事前にWikipediaには目を通した。ルイ・シュポーア、1784~1859。ベートーヴェンが1770~1827、シューベルトが1797~1828だから、世代的にはちょうど中間だ。パガニーニ(1782~1840)やウェーバー(1786~1826)と同世代。

 演奏会の1曲目は、シュポーアではなくて、シューマンだった。「『ファウスト』からの情景」序曲。曲想のせいだけではなく、どこか散漫で、音の中身の薄い、アルブレヒトらしからぬ演奏だった。さすがにすこし年を召されたかと思った。

 2曲目はシュポーアの歌劇「ファウスト」序曲。アルブレヒトは続けて演奏しようと思っていたのかもしれない。拍手が入ったので、軽く答礼。すぐに演奏に入った。みちがえるように生気がこもった演奏。

 このあとアルブレヒトのトークがあった。「演奏会はベートーヴェンばかり。ベートーヴェン、ベートーヴェン、ベートーヴェン、たまにチャイコフスキーが入って、またベートーヴェン。すばらしい音楽はほかにもある。自分はみなさんにもっといろいろな音楽を聴いてもらいたい」という趣旨だった。

 3曲目はシュポーアのヴァイオリン協奏曲第8番「劇唱の形式で」。ヴァイオリン独奏は神尾真由子さん。2007年のチャイコフスキー・コンクールに優勝した人だ。国内のオーケストラには10代のときからたびたび出ていて、いつも感心していた。けれども昨日はなぜか音が神経質だった。後半はもちなおしたが、前半はハラハラした。アンコールにパガニーニの「24のカプリース」から第20番が演奏された。これはのびのびとしていた。

 休憩後はシュポーアの交響曲第3番が演奏された。1828年の作曲とのこと。ざっくりいうなら、第1楽章と第3楽章はメンデルスゾーン的、第2楽章はシューマン的(この曲には第4楽章もあるが、とくになにも感じなかった)。当時はメンデルスゾーンもシューマンもまだ10代だ。それぞれが苦労して作風を究めていくときに、こういう曲が時代的な下地にあったかもしれない。演奏はしっかり構成されて、中身が詰まった、往年のアルブレヒトを彷彿とさせるものだった。
(2011.2.25.サントリーホール)
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コンヴィチュニーの「サロメ」

2011年02月23日 | 音楽
 ペーター・コンヴィチュニー演出の「サロメ」をみた。昨日始まったばかりなので、これからご覧になるかたも多いはずだ。具体的な描写はできるだけ避けて、とりあえずの感想を。

 最近はさすがにコンヴィチュニー演出も「既視感をおぼえる」といわれることがあるようになった。それはそのとおりかもしれない。今回もその例外ではない。たとえば幕切れの(客席の)演出。あっと驚く演出だが、以前の「魔弾の射手」(ハンブルク歌劇場)と同様の手法といってしまえばそれまでだ。

 だが、感想がそこにとどまってしまえば、コンヴィチュニーを経験したことにはならない。コンヴィチュニーがなにをしようとしたのか、あるいはなぜそうしたのかを考えるなら、やはり多くの収穫が得られるだろう。

 たとえば上述の(客席の)演出。手法は同じだが、意味合いが180度ちがう。「魔弾の射手」の場合は、危機に陥ったヒロイン、アガーテの救済者としての役割だった。言葉を変えるなら、ハラハラして見ているわたしたち観客の代弁者だった。けれども今回は、ある意味ではサロメを食い物にしている――というといいすぎだが、興味本位で見ている、あるいは恐いもの見たさで来ている――わたしたち自身の姿を突きつけるものだ。

 コンヴィチュニーの意図は、そういうゴミ溜めのなかにいるサロメを救い出そうとするものだった。

 歌手たちは、コンヴィチュニー演出に合わせようと、みな頑張っていた。なかでも、はまり役は、これはもう想像がつくが、ヘロデ役の高橋淳さんだ。冒頭、イエスの最後の晩餐を思わせる横長のテーブルに就いて、酒やセックスにふける他の人たちとは無関係に、ヘッドフォンの音楽に陶酔する姿など、笑ってしまった。
 一方、サロメ役の林正子さんは、体当たりの演技だったが、演技と歌の両方で硬さがあった。わたしたちを受け入れる余裕がもう少しあるとよかった。

 5人のユダヤ人ほか、脇を固める歌手たちにはムラがあった。こういう歌手たちの言葉がはっきり聴き取れ、アンサンブルとしてまとまってくると、全体はさらに向上する。

 指揮はエッセン歌劇場で実績をあげているシュテファン・ゾルテス、オーケストラは都響。最初はやや上滑りしている感じだったが、だんだんまとまってきて、音楽が深まっていった。昨日は初日。オーケストラはもっとよくなるだろう。
(2011.2.22.東京文化会館)
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ダナエの愛

2011年02月21日 | 音楽
 最終日はシュトラウスのオペラ「ダナエの愛」をみた。念願のオペラだ。2004年に小泉和裕さん指揮の都響が「交響的断章」を演奏した。その美しさに驚いて、CDをさがすと、2001年のキール歌劇場のライヴ録音がみつかった。全曲通してきくと、ますますこのオペラにひかれた。2006年には若杉弘さん指揮の新日本フィルが演奏会形式で上演した。それ以来、いつかは舞台をみたいと思っていた。

 演出はキルステン・ハルムスKirsten Harms。ベルリン・ドイツ・オペラのインテンダントをつとめる女性演出家だ。前述のキール歌劇場の上演でも演出を担当していた。そのときの写真がCDのブックレットに載っている。基本的には今回と同じだ。

 幕開き。大勢の債権者が、破産したポルックス王の屋敷に押し掛けて、金目のものを奪う。そのとき、どういうわけか、ピアノをひっくり返して空中に吊っていく。宙吊りになったピアノは、結局、最後までそのまま。これはなにを象徴しているのだろう。

 場面が変わってダナエの寝室。ユピテル(ジュピター)が黄金の雨に変身してダナエを愛撫する場面。ここでは、黄金の雨ではなく、大量の楽譜が降ってくる。楽譜を拾って喜ぶダナエ。

 最後は驚きの連続だった。ユピテルの愛を拒んで、ロバ曳きのミダスを選んだダナエは、砂漠で貧しいながらも平穏な暮らしをしている。そこにユピテルが現れる。ダナエの心は堅固なはずなのに、なぜか激しく動揺する。そして、まさかのことだが、ユピテルの熱い接吻を受け入れる。ダナエはユピテルを愛していた(!)。別れのしるしに渡すものは、黄金のかけらではなく、楽譜の束。ユピテルが去って、帰宅したミダスのもとに駆け寄るはずのダナエだが、ミダスは帰宅せず、宙吊りのピアノをみて物思いにふける。

 この演出はどういう意味なのだろう。なんの情報もないので、舞台をみた感想にすぎないが、楽譜の束はこのオペラのスコアではないかと思った。ダナエはミューズ、ユピテルはシュトラウス自身。宙吊りになったピアノは、第二次世界大戦の激化のために初演が中止になったこのオペラの運命か。

 演奏は申し分なし。ダナエを歌ったのはマヌエラ・ウールManuela Uhl。前述のCDでも同役を歌っていた。硬質のよく通る声だ。ユピテルを歌ったのはマーク・ドゥラヴァンMark Delavan。陰影のある歌い方なので、ヴォータンもよさそうだと思ったら、レパートリーに入っていた。指揮はアンドリュー・リットン。がっしり構築して朗々と鳴らす指揮者だ。2009年の都響の客演でも好演をきかせた。
(2011.2.13.ベルリン・ドイツ・オペラ)
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カルメル会修道女の対話

2011年02月20日 | 音楽
 ベルリンに戻ってプ―ランクのオペラ「カルメル会修道女の対話」をみた。2009年の新国立劇場オペラ研修所の公演が記憶に新しいが、あれはまだプロの公演ではなかったと、ベルリンのこの公演をみて思った。ドラマの掘り下げが、プロはちがう。

 演出はギュンター・クレーマー。あちこちでみているが、決定的だったのは、ドレスデンでみたオトマール・シェックのオペラ「ペンテジレーア」だ。原作のハインリヒ・フォン・クライストの戯曲もすごいが、シェックの音楽も圧倒的だ。クレーマーの演出は原作・音楽と同じレベルで共鳴していた。人間の狂気の果ての魂の崇高さといったらよいか。精神的なものをここまで表現できる演出家は、ほかにいないのではないかと思った。

 「カルメル会修道女の対話」も、ひたすら作品の本質に迫ろうとする演出だった。無駄なものをそぎ落とし、骨太にドラマを描こうとする気迫。舞台にたち現れる人間のドラマの崇高さ。

 ところどころに細かいカットがあった。一例をあげるなら、ブランシュの兄が修道院を訪れる場面では、慌てるリドワーヌ修道院長とマリー修道女の部分はカットされ、いきなりブランシュとその兄の重苦しい対話になった。このように、説明的な部分はカットし、本筋のみを語り続ける演出だ。

 舞台装置はなにもない。背景の巨大な黒い壁だけ。機械設備もむき出しだ。そんなことにはお構いなし。修道女たちは黒い修道服。舞台は黒のモノトーンだ。ブランシュだけが白い服。頭には白と緑の花冠を巻いている。それがイエスの茨の冠のようにみえてきた。ブランシュは世の贖罪の子羊か。

 ブランシュと同じようにマリー修道女にも焦点があてられていた。その描き方は、ひたすら殉教を主張するドグマティックな人物ではなく、苦悩する人間として。これには共感した。そもそもこの物語は、フランス革命のさなかに起きた事件を、唯一人生き残ったマリー修道女が手記に残したものだ。その手記をナチスの猛威におびえるゲルトルート・フォン・ル・フォールが小説にした。それをジョルジュ・ベルナノスが、亡くなる前に、戯曲にした。プーランクは作曲中に精神的な危機に陥り、入院騒ぎになった。このオペラにはこれらの人々の危機が多層的に重なり合っている。本作が特別なオペラたる所以だ。

 ミヒャエラ・カウネがリドワーヌ修道院長を歌っていた。昨年、新国立劇場の「アラベッラ」であでやかな姿をみせてくれたが、今回は一転して老け役。指揮はイヴ・アベル。本年6月には新国立劇場で「蝶々夫人」を振る指揮者だ。
(2011.2.12.ベルリン・ドイツ・オペラ)
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サロメ

2011年02月19日 | 音楽
 3日目はドレスデンに移動した。ベルリンから電車で約2時間。去年は大雪だったが、今年は影も形もない。枯れ草が広がる茫漠とした景色を眺めながら、シューベルトの「冬の旅」を思い出した。

 ドレスデンでは「サロメ」をみた。お目当ては指揮者のトマーシュ・ネトピル。ネトピルは、都響の首席客演指揮者に就任したヤクブ・フルシャと同世代の、チェコの若手指揮者だ。今シーズンはベルリン・フィルの定期にも登場した。来年は新国立劇場の「さまよえるオランダ人」を振る予定。プロフィールによると、N響を振ったこともあるそうだ。そのときはどういう評判だったのだろう。

 オーケストラを豪快に鳴らす指揮者だ。その豪快さは持って生まれたものと感じられた。しかもスケールが大きい。音楽のスケール感こそ持って生まれた資質だ。ドレスデンの聴衆からは熱い拍手を受けていた。

 もっともこれは、どこまでがネトピルの音楽性で、どこまでがシュターツカペレの特性か、見極めは難しかった。それほどシュターツカペレはすごかった。前日にきいたベルリン・フィルがシャープな音だったのにたいして、こちらは骨太な音だ。こういう音を鳴らされると、これはちょっと日本人には出せない音だと感じてしまう。日本人とドイツ人の体力の差がそのまま出た音だ。こんなことをいうと笑われそうだが、ベルリン・フィルの場合は、日本にいて感じるほどの距離感は、実は感じなかった。シュターツカペレのほうは、手が届かないと思った。弦の底光りする音色と金管のパワー。

 サロメを歌ったのはカミッラ・ニールント。少女(サロメ)を演じても違和感がない。ヘロデを歌ったのはアンドレアス・シュミット。さすがはベテラン、全体を引っ張って行った。ニールントやシュミットが歌っていれば、これはもう一定の水準が保証されたようなものだ。ヨカナーンを歌ったのはマルクス・マルカルトMarkus Marquardt。けっしてとどろきわたる声ではないが、十分な存在感をもっていた。ヘロディアスを歌ったのはティチーナ・ヴォーンTichina Vaughn。太い立派な声だった。

 演出と舞台美術はペーター・ムスバッハ。この人の常として、舞台美術から発想された演出だ。煩瑣になるので詳述は控えるが、抽象性の高い舞台美術。男たちは全員黒いスーツ。ヨカナーンだけは薄汚れた白い作業着。サロメは白いドレス。「七つのヴェールの踊り」は、サロメがヘロデのズボンのジッパーを下ろし、馬乗りになるという演出だった。ずいぶん直截な表現だが、下手にヌードをみせられるよりも、このほうがよい。
(2011.2.11.ドレスデン歌劇場)
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ラトル&ベルリン・フィル

2011年02月18日 | 音楽
 翌日はベルリン・フィルの定期へ。指揮はサイモン・ラトル。この演奏会では細川俊夫さんの新作「ホルン協奏曲〈Moment of Blossoming〉」が初演された。独奏はソロ・ホルン奏者のシュテファン・ドール。本作はベルリン・フィルのほか、ロンドン・バービカン・センターとアムステルダム・コンセルトヘボウの共同委嘱。細川さんはすでにヨーロッパの音楽シーンの中心にいるわけだ。

 曲の前半はいかにも花が開くときの「産みの苦しみ」の音楽だ。独奏ホルンのもがき苦しむような音型。客席には2本のホルンと1本のトランペット、1本のトロンボーンが配置され、エコーのように支える。
 苦しみがきわまった瞬間、突然どこかに出たように、透明で静謐な音楽になる。鈴が鳴っていた。あれは風鈴だったかもしれない。その音楽が最後まで持続する。

 わたしにはそうきこえたが、標題に引きずられた面もあるだろう。もしこれだけだったら、なんだかあっけない感じがする。演奏時間は20分もなかったのではないか。意外に短かった。

 あっけなく感じた理由は、別にあったのかもしれない。細川さんの音楽は、その背後に静寂の世界の存在を感じさせるが、同時に、必ずといってよいほど、劇的な瞬間がある。それは能における鼓の一打のように、前後を切り裂く決定的なものだが、この演奏ではそれが感じられなかった。音楽の流れのクライマックスとしかきこえなかった。これは日本人の感性と、ヨーロッパ人の感性のちがいではないかと思ったが、そんなことをいうと、細川さんには一笑に付されてしまうかもしれない。

 演奏終了後、細川さんとシュテファン・ドールに花束が贈られた。大男のドールと、最近でっぷりしてきたラトルとに挟まれて、細川さんは少年のようにみえた。

 細川さんの新作の初演だから、コンサートマスターは樫本大進さんだろうと思っていたら、ちがっていた。細川さんもベルリン・フィルも、そういう発想はもうとっくに飛び越えているのだろう。清水直子さんも出演していた。清水さんは今でもソロ・ヴィオラ奏者だが、この日は後ろのほうのプルトにいた。こういうことはよくあるのだろうか。

 本作の前にはハイドンの交響曲第99番が、後にはシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」が演奏された。どちらも高級な品質が保証された音だった。しかも、ラトルの特性だろうが、楽々とした呼吸感を失わない演奏だった。終演後はラトルにも花束が贈られた。楽員が去った後にはソロ・カーテンコールもあった。
(2011.2.10.フィルハーモニー)
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アンティゴネー

2011年02月17日 | 演劇
 フランクフルト経由でベルリンに到着。ホテルにチェックインしたのは18:00ころだった。シャワーを浴びて、シャウビューネに出かけた。ホテルから歩いて5分くらい。パンとスープの軽い夕食をとって、ソポクレスの「アンティゴネー」を観劇した。ギリシャ悲劇のなかでも、現代に至るまで、多くの劇作家の関心を呼んでいる作品だ。日本を出発する前に読み返してみたが、やはり面白かった。

 事前に配役表をみてわかったことだが、役者は2人だけ。ギリシャ悲劇の時代には2人、多くても3人だったそうなので、当時に則った上演といえる。ほかに演奏家が5人。これは現代のコロスというわけだ。

 場内が暗くなると男たちが7人出てくる。だれが役者で、だれが演奏家か、よくわからない。長髪の男がマイクを手にボソボソと語り始める。どうやら前史のオイディプスの悲劇を語っているようだ。ある男にオイディプスを演じさせ、ほかの男に妻であり母でもあるイオカステーを演じさせる。演じるといっても簡単なものだ。ギリシャ悲劇にくわしくない現代の観客のための工夫だろう。以前、新国立劇場がエレクトラの母のクリュタイメストラをテーマにした「アルゴス坂の白い家」を上演したときにも、前史を説明していた。その部分が冗長なのは今回も同じだった。

 説明が終わったところで、5人の演奏者が位置についた。長髪の男はヴォーカル。2人はピアノなどのキーボード。2人は打楽器。各人がギターなどを兼務する。音楽は一言でいえばロックだ。バラード調のものもあった。アコースティック楽器が主体なので、あまり刺激的な音響ではなかった。

 要するにこれはロックのライヴだと気が付いた。役者2人が何役も演じ分ける。長髪の男がときどき進行を止めて、マイクで語りかける。これはライヴだからだ。役者2人は身体の切れがよい。劇が自らのエネルギーで突き進もうとする瞬間がある。それが何度も中断されるのが、まだるっこかった。

 さらにもうひとつ、これが一番の問題だが、神の掟と国家の掟、良心と現実といったニ項対立が、この上演では明瞭に浮き出てこなかった。ロックのライヴという枠を超えて、劇が暴走していってもよかった。

 舞台は、ライヴなので、むきだしのスタジオだ。アンティゴネーの兄のポリュネイケスの遺体を葬る砂は銀色の粉だった。これが何度も空中に飛び散った。それが美しかった。
(2011.2.9.シャウビューネ)
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無事帰国

2011年02月15日 | 身辺雑記
無事帰国しました。今回は拍子抜けするくらい平穏な旅でした。ベルリンにもドレスデンにも雪がなく、交通機関も順調。いつもこうだとよいのですが・・・。オペラや演奏会の報告は後日またさせていただきます。
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旅行予定

2011年02月08日 | 身辺雑記
2月9日から旅行に行ってきます。ベルリン2泊、ドレスデン1泊、ベルリン2泊の旅です。2月15日に帰国予定。帰ったらまた報告させていただきます。
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焼肉ドラゴン

2011年02月08日 | 演劇
 新国立劇場の「焼肉ドラゴン」の再演。2008年に初演されたときには、仕事が忙しかったので、気になりながらも行くことができなかった。土日は行けたはずだが、精神的・肉体的な余裕がなかった。今回は無事に観ることができた。

 場内に入ると、そこには懐かしい昭和の時代が再現されていた。大阪の貧しいコリア・タウン(在日韓国・朝鮮人の集住地)。焼肉ドラゴンの店内にはいつものように常連客がごろごろしている。アコーディオンと太鼓で「鉄腕アトム」の主題歌や歌謡曲を演奏している。時は大阪万博がひらかれた1970年(昭和45年)。「やぁ、懐かしいなあ」と思っているうちに芝居が始まった。

 笑いあり涙ありの芝居。戦争で片腕を失った金龍吉(キム・ヨンギル)とその後妻の高英順(コ・ヨンスン)、金龍吉と先妻とのあいだの2人の娘、金静花(きん・しずか)と金梨花(きん・りか)、高英順の連れ子の金美花(きん・みか)、金龍吉と高英順とのあいだに生まれた金時生(きん・ときお)の6人家族。

 3人の娘がそれぞれわけありの恋をする。静かに見守る金龍吉と、一喜一憂する高英順。その様子は「屋根の上のヴァイオリン弾き」を連想させる。そういえば在日韓国・朝鮮人の境遇は、ヨーロッパ社会のユダヤ人と似ているかもしれない。そう思って観ていると、屋根の上にあがって遠くを見つめる金時生が「屋根の上のヴァイオリン弾き」のように見えてきた。

 場内にはキムチの匂いが漂っていた。芸がこまかいのに感心。これでますます現実味が増した。休憩時間にはロビーでアコーディオンと太鼓の演奏もあった。空き缶を手に小銭を集めるパフォーマンスも。サービス精神旺盛の公演だ。

 幕切れでは空から無数の花びらが舞った。その美しさは忘れられない。多くの人が涙を流した。わたしも、そして役者さんも。

 これは在日韓国・朝鮮人の悲哀を描いた芝居だ。会場は満席。在日韓国・朝鮮人と日本人とが隣り合ってすわり、ともに笑い、涙を流す。そこに未来の希望が見出せるとよいのだが――。

 わたしは作者の鄭義信(チョン・ウィシン)さんよりも少し年上だが、ほとんど同時代の空気を吸ってきた。小さな町工場がひしめく京浜工業地帯に生まれ育ったわたしの周囲にも在日韓国・朝鮮人がいた。わたしはなにをしていたのだろう。
(2011.2.7.新国立劇場小劇場)
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夕鶴

2011年02月07日 | 音楽
 新国立劇場がオペラ「夕鶴」を上演した。2000年12月に初演されたプロダクションの再演。わたしはそのときみていないので、今度が初めて。この作品の――少なくともわたしの――イメージを一新する舞台だった。

 この作品をみたのは過去に一度だけ。1994年3月に新宿文化センターで上演された公演だ。指揮は團伊玖磨、演出は鈴木敬介、つうは鮫島有美子。そのときすでにわたしのなかには「国民オペラ」のイメージがあり、それを裏付ける公演だった。

 今回は2度目の「夕鶴」だった。これはもう、歌手も、オーケストラも、演出・美術・衣装・照明・振付も、まったく異なる次元のものだった。一言でいうなら、インターナショナルといってもよい舞台。この作品の芸術性の高さを立証した。

 つうは釜洞祐子さん。ガラスのように繊細なつうだった。与ひょうは経種廉彦さん。お人好しで温かみがあり、どこか憎めない与ひょうだった。運ずは工藤博さん、惣どは峰茂樹さん。ともに民話の世界の味があった。これらの歌手の役づくりには、演出の栗山民也さんの力があずかって大きかったはずだ。

 オーケストラは透明感あふれる演奏をした。東京交響楽団の実力だ。指揮の高関健さんの力も大きかったろう。相対的にみれば単純なスコアだろうが、そこに音楽を感じとり、大切にし、音として提供する誠実さは、この人ならではのもの。

 舞台美術はシンプルで抽象的。床一面に雪が降り積もっていて、オペラの進行中もずっと雪が降っている。幕開きでは雪のむこうを夕日のように淡いオレンジ色の照明が染めている。照明は時の推移をあらわしながら変化する。そのときどきの上品な色にはため息が出るほど。

 このオペラのドラマトゥルギーは、いうまでもなく、つうの純粋な愛と、運ずと惣どの金銭欲との対比にあり、与ひょうが金銭欲に傾くことによってドラマが進行する。この構図はもとの民話ではそれほど明瞭ではなく、原作者の木下順二の創作らしい。その結果、現代でも生々しいリアリティを獲得した。

 いつの日か、この舞台が英語の字幕つきで上演されることを夢見た。このオペラや来年2月に予定されている「沈黙」などは、芸術性の高さやテーマの普遍性によって、海外でも評価されるに値する作品だ。その公演を目当てに世界中からお客さまが訪れることを。
(2011.2.6.新国立劇場)
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ゲノフェーファ

2011年02月05日 | 音楽
 東京室内歌劇場がシューマンのオペラ「ゲノフェーファ」を上演した。今この種のオペラを上演してくれるのは東京室内歌劇場と東京オペラ・プロデユースくらいだ。ありがたい。

 序曲が始まると、冒頭の暗い音色がシューマン的だったが、主部に入ってからは弦の音色がやせていることが気になった。幕開きの合唱の後、ゴーロが登場すると、これはもうシューマンのリートの世界。ゴーロを歌ったのはクリスチャン・シュライヒャーという歌手。線の細い艶のある声でシューマンの陰影ある音楽をきかせてくれた。続いてジークフリート伯爵とその妻ゲノフェーファの登場。いずれも馴染みの歌手。オペラを推進する力量は十分だが、シューマンらしい陰影は感じられなかった。ゴーロの乳母で魔女でもあるマルガレータ役の歌手は、小声になると、ときどききこえなくなった。

 指揮は山下一史さん。スコアのせいであることは承知のうえだが、だんだん単調さを感じたのは否めない。もっともこの曲をほんとうに面白くきかせる指揮者は、そう何人もいるものではないだろう。

 演出はペーター・ゲスナーさん。幕切れは「ほんとうにゲノフェーファはジークフリートのもとに戻ったのか」と考えさせる演出だった。わたしは大賛成。能天気にハッピーエンドで終わってしまっては茶番だ。場内ではブーイングをする人もいた。幕切れにたいするブーイングだったのかどうかはわからない。最近、ブーイングの匿名性が気になる。

 ともかく「ゲノフェーファ」を舞台上演してくれた。貴重な体験だったことはまちがいない。こうして舞台上演に接すると、作品のことがよくわかった。これは明確な対立がなく、善と悪が、光と影が、強さと弱さが、つねに入れ替わって移ろうオペラだ。その印象は、マルガレータがジークフリートにみせる魔法の鏡に似ていた。丸い球があって、そこにもやもやと煙が渦巻き、なにかの情景がみえる印象。

 いくつか面白い場面があった。まず第3幕のフィナーレでマルガレータが地獄の炎にまかれる場面。ここでは「ドン・ジョヴァンニ」を思い出した。もうひとつは、第4幕の冒頭でゴーロが山奥のゲノフェーファを訪れ、ジークフリートの指輪と剣をみせて死の宣告をし、自分とともに逃げるなら命を助けると言う場面。ここでは「神々の黄昏」で隠れ頭巾をかぶったジークフリートが山上のブリュンヒルデを訪れる場面を思い出した。もっとも「ゲノフェーファ」は「ローエングリン」と同時期の作品。「神々の黄昏」が生まれるのはもっとずっと先だ。
(2011.2.4.新国立劇場中劇場)
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東京シティ・フィルの1月定期

2011年02月01日 | 音楽
 東京シティ・フィルの1月定期は首席客演指揮者の矢崎彦太郎さんの指揮で次のプログラムが組まれた。
(1)グリーグ:交響曲ハ短調
(2)プロコフィエフ:バレエ組曲「道化師」

 見事に知らない曲ばかり。グリーグに交響曲があったとは知らなかった。またプロコフィエフの「道化師」というのも知らなかった。実のところ、プログラムが発表になってから長い間、カバレフスキーの同名の曲だと思っていた。

 もちろん、知らない曲をやればよいというわけではないが、こちらの好奇心を刺激してくれるのは有難い。そのうえで、曲自体がすぐれているなら申し分ない。今回の2曲は、それぞれちがう意味で、興味深い曲だった。

 まずグリーグの交響曲は、3年間のライプツィヒでの留学の後、コペンハーゲンに移ってニルス・ゲーゼのもとで学んでいたときに、ゲーゼに促されて書いた曲とのこと。4楽章からなる堂々とした交響曲だ。舩木篤也さんのプログラムノートにあるように、たしかにシューマンの影響下にあるが、第1楽章には後年の北欧的な情緒が――かすかに――感じられた。また第3楽章には民俗舞曲的な要素が感じられた。

 グリーグ自身はスコアに「もう演奏されることはないだろう」と書き込みをしたそうだ。以来、忘れられた作品だった。が、1980年にモスクワで蘇演。1981年にはグリーグの生地ベルゲンでも再演された。今回は日本初演か。

 これは習作かもしれないが、やがて北欧の情緒を確立するに至るグリーグの、その歩みの出発点をしるす作品。

 次のプロコフィエフの「道化師」は、プロコフィエフがロシア革命を避けて日本経由でアメリカに渡り、オペラ「三つのオレンジへの恋」やピアノ協奏曲第3番などを書いていた時期の作品。これはもう習作どころではなく、プロコフィエフの個性が遺憾なく発揮された曲だ。ストーリーはロシア民話からとられたもの。長くなるので詳述は避けるが、グロテスクな味がある。シテュエーションはまったくちがうが、バルトークの「中国の不思議な役人」的なグロテスクさを感じた。

 いずれの曲もオーケストラの面々には馴染みがなかったろうが、精一杯情熱をこめて演奏してくれた。終演後、定年を迎えた奏者に矢崎さんから花束が贈られた。そのかたとは多少の面識があるので、感慨深かった。
(2011.1.28.東京オペラシティ)
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