Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

しばらくお休み

2008年09月28日 | 身辺雑記
 ブログを始めてから約1か月、お陰さまで多い日で約60人、少ない日で約10人のかたが訪問してくれているようです。皆さんの大切な時間を無駄にさせないように、私なりに気合を入れて書かなければなりませんね。

 私にとって「よい演奏会」の定義は、「何か発見のある演奏会」あるいは「何かを考えさせてくれる演奏会」です。今後ともそういう演奏会に出会ったときに書いていきたいと思います。
 なお、これは展覧会や文学でも同じで、自分にとって何か問いかけのあった場合に書いていきたいと思っています。

 9月29日からは仕事の関係で海外の研修旅行に参加します。コペンハーゲン2泊、プラハ3泊、パリ1泊の日程で、訪問先は主にお役所です。総勢22人の団体行動なので自由はききませんが、幸い旅の後半は夕食がフリーになっていますので、自分の時間がもてそうです。
 そんなわけで、ブログはしばらくお休みになります。10月10日前後に再開したいと思っていますので、よろしくお願いします。
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2人のB

2008年09月23日 | 音楽
 読響が常任指揮者スクロヴァチェフスキの指揮で次のプログラムを演奏した。
(1)ブラームス:ピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:ジョン・キムラ・パーカー)
(2)ブルックナー:交響曲第0番
 ブルックナーの最後の音が消え、一瞬の静寂の後、満場の拍手が起こったとき、スクロヴァチェフスキは両手でガッツポーズをした。今年85歳になる老巨匠のガッツポーズはいい光景だった。

 ブラームスでは意図的に荒削りの音楽づくりをしていた。第1楽章冒頭のホルン・セクションの強奏はそのよい例だ。ピアニストも骨太の演奏でオーケストラに応えていた。
 ブラームスが25歳のときに初演したこの曲は、ブラームスの青春の表白だが、第1楽章はとくに精神的な危機を感じさせる。それは、この曲の作曲中にシューマンが亡くなり、未亡人となったクララに恋したことに直結する。ブラームスは本気だった。
 第2楽章は穏やかなアダージョ。終結部でピアニストは驚異的な集中力と美しさをもつ最弱音をきかせた。
 ブラームスは第2楽章についてクララに「これはあなたの肖像だ」と手紙にかいた。たしかにここには20代前半の青年が14歳年上の女性にいだく思慕が感じられる。その想いはあくまでも理想化されたものだ。クララが青年を受け止められなかったのは当然だ。
 第3楽章は一転して情熱的なロンドだが、私は以前から物足りなさを感じていた。どこか軽いのだ。その印象は昨日も変わらなかった。

 次のブルックナーは予感のとおり精緻きわまる演奏だった。第1楽章の冒頭主題から、すべての声部のリズムが整えられ、機械のように絡み合う。アーティキュレーションの統一と徹底が、陰影豊かなニュアンスを生んだ。粘らないリズム感がやがて音楽に揺るぎない流れを作り出した。
 第2楽章も同様で、途中から音楽が滔々と流れだし、精神的な充実を感じさせた。私見ではこの楽章は全曲中もっとも霊感に乏しいのではないかと危惧するが、それをこれだけ高揚させるのは驚くべきことだ。
 アタッカで入った第3楽章は、前2楽章から当然期待される水準を満たす演奏。
 第4楽章では豪快に全曲を締めくくった。

 第0番という珍しい番号の由来は諸説あるが、最近では、第1番の後にかかれ、ほんらいは第2番となるはずの曲だったが、当時のウィーンフィルの首席指揮者に「第1主題はどこにあるのか」といわれて自信をなくし、その後にかいた曲を第2番としたためだとされている。なおブルックナーは価値を認めない曲は廃棄したが、この曲は生き残った。
 この曲も、昨日のような演奏できくと、ブルックナー初期の作品として他の曲にすこしも見劣りがしないと感じられた。もっとも今、世界中でこの曲をスクロヴァチェフスキほど意義深く演奏できる指揮者は数少ないだろう。なお忘れずに付け加えておくが、読響もよくついていった。

 それにしてもブラームスとブルックナーという2人のBを並べたプログラムは味があって、思わずニヤッとした。同じ時代にウィーンに住んだ2人のBは、ハンスリックという論争好きの音楽評論家がいたために、敵味方に分かれてしまった。ある日、双方の友人たちが相談して、2人をレストランに招いた。はじめはぎこちなかったものの、すぐに打ち解けてなごやかな会になったという。
 2人の仲がそれ以上親密になることはなかったが、その後もブルックナーの演奏会にはブラームスがよく姿をみせ、ハンスリック一派の妨害行動にはわれ関せず、最後まで熱心にきいて拍手を送っていたという。

 昨日の演奏会をききながら、私はふと天上界で演奏をきいている2人のBを想像してしまった。今では生前の桎梏もなく、仲良く並んできいている2人。ブラームスのピアノ協奏曲第1番では、こんな会話を思い浮かべた。
 ブルックナー「なかなかうまいですな。」
 ブラームス「いやいや若書きで‥。」
 ではブルックナーの交響曲第0番ではどのような会話が想像されるだろうか。演奏が始まって間もなく、私の頭にはこんな会話が浮かんだ。
 ブラームス「なかなかのものですな。」
 ブルックナー「どうやら廃棄しなくてよかったようですな。」
(2008.09.22.サントリーホール)
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ピーター・グライムズ

2008年09月22日 | 音楽
 札幌交響楽団が音楽監督尾高忠明の指揮により、ベンジャミン・ブリテンのオペラ「ピーター・グライムズ」を演奏会形式で上演した。その心意気やよしである。

 まずはオーケストラの感想から。オーケストラはブリテンのスコアを誠心誠意、音にした。その真摯な姿勢は大多数の聴衆から好感をもって受け止められたはずだ。もちろん私もその一人である。音色が幾分モノトーンで、これは今後の課題だが、このオペラでは荒涼とした心象風景に共振していた。

 このオペラは英語でかかれているので、英語の発音が鍵だ。その意味では、ピーター・グライムズを救おうとする女性教師エレン・オーフォード役の釜洞祐子の英語が、もっともききとれた。ほかの歌手にはさらなる発音の明瞭さを求めたい。
 漁師ピーター・グライムズ役は福井敬だった。英語の発音には問題を感じたが、抜きんでた張りのある声で、他の人々とは溶け合わない特異なキャラクターを表現していた。この役はブリテンの他のオペラと同様に、ピーター・ピアーズの創唱の記憶が鮮烈で、どうしても比べてしまう。ピーター・ピアーズに比べると、太めで、男性的な声だ。艶のある中性的な声ではない。ブリテンのオペラや歌曲は、私生活のパートナーでもあったピーター・ピアーズを想定してかかれているので、その創唱を超えることは容易ではない。
 問題を感じたのは、退役船長バルストロード役の青戸知だ。舞台上でやたらと動き、コミカルでさえある役作りは、どういうわけだろう。長年の潮風が身にしみこんだ、物事に動じない、ピーター・グライムズに死を促す老船長は、どこに行ったのだろう。

 ピーター・グライムズを追い詰め、死に至らしめるという意味で、村人たちを表す合唱は、この悲劇の根幹にある。妄信的な大衆の恐ろしさを、この日の合唱はよく表現していた。合唱は、札響合唱団、札幌アカデミー合唱団、札幌放送合唱団の三者構成。

 指揮の尾高忠明は、腰をすえて、克明にこのオペラを構築した。もともと個性を売り物にするタイプではないが、近年、成熟のときを迎えている。このような指揮者が街の音楽生活を支えている姿は好ましい。

 当日の演奏では、第2幕第1場の後の間奏曲「パッサカリア」に注目した。全体としてはクールで、主知的な運びだったが、「パッサカリア」の部分だけは異様に熱気がこもっていた。低弦のピチカートで基本音型が提示され、独奏ヴィオラが上声部をつけ始め、さまざまな楽器に受け渡されながら、全管弦楽の狂おしい咆哮に突入する、そのめくるめくような熱気。この曲は、純粋音楽としてきいても、若き日のブリテンのかいた最上級の音楽だ。だが、それをオペラのコンテクストの中に置いた場合、どういう意味をもつのだろう、この疑問はかねてから私の中にあるが、当日の演奏をききながら、また思い出した。

 翌日と翌々日、私は北海道を旅しながら、列車の中で漠然と考え続けた。チラシを見直すと、副指揮者の新通英洋が「少年の苦難のパッサカリア」とかいていた。スコアにはそうかいてあるのだろうか。でも、もしそうだとしても、ただちに信じられるのか。
 「苦難」の意味が問題だが、台本で示唆されている少年虐待の苦難だとすれば、ピーター・グライムズに虐待される少年を表すことになる。けれども音楽にこめられた熱気は、虐待からはみ出す何かを感じさせる。
 ブリテンは、原作となった詩から、同性愛、あるいは少年愛を示唆する箇所を執拗に消したといわれる。20世紀の中ごろでさえ、同性愛は厳然としたタブーだったのだ。けれどもブリテンは、みずからの性向にこだわった。そういうブリテンであるなら、あの「パッサカリア」は、少年にたいする欲望の高まりと内面の緊張を表すのではないか、そう考えたら得心がいった。そう考えればドラマが一気に緊張のピークにたっする第2幕とつながると思った。
(2008.09.19.札幌コンサートホール)
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エフゲニー・オネーギン

2008年09月15日 | 音楽
 東京二期会がチャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」を上演した。呼び物はペーター・コンヴィチュニーの演出だ。もともとは1995年にライプツィッヒで上演された演出プランで、その後ヨーロッパの他の都市でも上演されたという。借り物だからといって軽くみてはいけない。コンヴィチュニー自身が来日して、稽古をつけている。私がみたのは最終日だが、紛れもない活気のあるコンヴィチュニーの舞台になっていた。
 東京二期会がコンヴィチュニーを招くのはこれが二度目だ。前回は2006年、モーツァルトのオペラ「皇帝ティトの慈悲」だった。このときは、日本のオペラ公演としては破格の舞台だったが、まだ動作に恥ずかしさが残っていた。それが今回は、完全とはいえないまでも、かなり払しょくされていた。
 特筆すべきは、最終場面のオネーギン(与那城敬)とタチアーナ(大隅智佳子)だ。日本人の歌手があれほど迫真的な愛の場面を演じたのを私は今までみたことがない。愛とは相手の身も心も自分のものにしたいという情熱だが、実際にはそれが叶えられない苦しみのことだと感じた。

 コンヴィチュニーの演出は、タチアーナとオネーギンの苦しみに焦点をあてる。その象徴的な場面は、二つのバレエの場面だ。第二幕冒頭のワルツの場面では、オネーギンに返却された愛の手紙をだいて、苦しみ身もだえするタチアーナを、招待客たちが囲み、フランス人トリケが、タチアーナに歌を捧げながら、手紙を奪ってしまう。なんと残酷なことか。私はこのあたりから琴線が震えっぱなしだった。
 第三幕冒頭のポロネーズの場面では、舞台は空だ。いるのはオネーギンと、決闘で殺した親友レンスキーの死体だけ。後悔し、苦しむオネーギンは、舞台をのたうち回り、あげくの果てにレンスキーの死体と踊る。しかしレンスキーが生き返るはずもなく、すべては空しい。
 通常は華やかなバレエの場面が、このように寒々しく演出される。それはブレヒト流の異化効果の応用であり、このオペラの本質を問うためだ。
 その他、ディテールの卓抜さや、音楽の勘所と舞台上の動きの一致など、感心した点は多々あるが、煩瑣になるので省略する。

 歌手は前述の二人を筆頭に、皆よかった。ただ、タチアーナの妹でレンスキーの許嫁のオルガ役の歌手だけは、声よりも容姿で貢献していた。
 オーケストラは澄んだハーモニーをきかせていた。指揮者のアレクサンドル・アニシモフはロシアの節回しを知っている指揮者だ。

 ところで、会場で買い求めたプログラムをみていて、思わずわが目を疑った。某音楽評論家が次のようにかいていたからだ。「ところでオペラでもバレエでも女性を描くことが得意だったチャイコフスキーが、プーシキンの原作とはニュアンスを変え、オペラではオネーギンを冷笑気味に扱い、むしろタチアーナに同情を寄せて主人公扱いにしていることは、広く指摘されるとおり。」
 プーシキンの原作は、私にはそうは思えない。実は今回、事前にプーシキンの原作を読んでみた。そこでわかったことは、プーシキンの共感は圧倒的にタチアーナにあるということだ。約8年の長期にわたって執筆された作品だが、当初はオネーギンに興味があったものの、途中からオネーギンの底の浅さがわかり、タチアーナにひかれていく。オネーギンにたいする冷淡さは、チャイコフスキー以上だ。

 もう一つ、原作を読んで感じたことがある。文学は時の流れの表現が可能だが、音楽は苦手だということだ。タチアーナがオネーギンに出会って、その晩手紙をかくが、返事が来ない。返事を待つ数日間の焦燥が、音楽では表現できない。あるいは、レンスキーを射殺したオネーギンは外国へ逃亡する。その後サンクトペテルブルクに戻るまでの数年間が、表現できない。
 一方、原作ではオネーギン以上に冷淡に扱われているレンスキーが、オペラでは3曲のアリアを与えられている。これも音楽と文学の差異を示しているのだろう。
(2008.09.15.東京文化会館)
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英雄の生涯

2008年09月14日 | 音楽
 毎年、夏のオフシーズンに帰国して、国内のオーケストラを振っている大野和士が、今年は都響を振った。プログラムはすべてリヒャルト・シュトラウス。
(1)四つの最後の歌(ソプラノ:佐々木典子)
(2)クラリネットとファゴットのための二重コンチェルティーノ(クラリネット:三界秀実、ファゴット:岡本正之)
(3)交響詩「英雄の生涯」
 とくに「英雄の生涯」でいろいろな感想をもったが、まずは演奏順に記そう。

 「四つの最後の歌」では、繊細で暖色系の音によって、シュトラウスのかいたオーケストラのテクスチュアーが浮かび上がってきた。今日の大野&都響は好調だと感じられた。急な代役をつとめた佐々木典子は、声が出きらないうらみが残った。
 次の「二重コンチェルティーノ」は珍しい曲だ。私は初めてではないような気がするが、まったく覚えていない。第二次世界大戦の苦難をくぐったシュトラウスが、思いがけずおとずれた平和な社会で、余生の平穏な一時にかいた曲。最終楽章の第3楽章では老シュトラウスの茶目っ気が顔をのぞかす。演奏を云々する資格はないが、楽しめた。
 「英雄の生涯」では、ためらいのない、切れ味のよい大野の棒を堪能した。今の大野には輝きがある。都響もよく応えていた。このオーケストラは指揮者によって良くも悪くも変貌するが、昨日はもちろん良いほうに変貌した。雑な音が姿を消し、音に神経が行き届いて、集中力が途切れない。矢部と山本の二人のコンサートマスターをそろえていたことからみても、十分な体制で臨んだのだろう。

 すぐれた演奏だと、曲の本質にかかわる新たな発見があるものだ。この日は第3部の「英雄の伴侶」でそれがあった。英雄の伴侶を表現するヴァイオリン・ソロ(矢部が好演)が、英雄をさんざん翻弄した後で、オーボエ(広田の妙技)の甘美な旋律に答えて愛の場面に入る。音楽が高まりトゥッティによる盛り上がりをみせる場面は、官能の高まりだ。シュトラウスはその後、「ばらの騎士」の序奏をはさんで、「家庭交響曲」でもう一度赤裸々にえがく。

 「英雄の生涯」という曲は、第1部から第4部まで、すなわち「英雄」、「英雄の敵」、「英雄の伴侶」、「英雄の戦い」までは、漫画チックだ(もっとも、前述の「英雄の伴侶」の後半の愛の場面は、その範疇からはみ出すが)。
 第5部の「英雄の平和時の所産」と第6部の「英雄の隠退と完成」になると、音楽がぐっと深まる。シュトラウスがほんとうにかきたかったのは第5部以降だろうと感じられる。
 では、第1部から第4部まではどういう意図でかかれたのか、また、第5部以降の意味は何か。結論を先に言ってしまうと、私にはこの曲はベートーヴェンの「英雄交響曲」のパロディではないかと思われる。第1部「英雄」の冒頭主題からして、変ホ長調の分散和音が骨格にあり、変ホ長調の分散和音そのものである「英雄交響曲」の冒頭主題のエコーがきこえる。そのような始まり方をして、さらにベートーヴェンは想像もしなかったであろう「英雄の伴侶」をえがき、どこかパロディ的な「英雄の戦い」に入る。
 そして極め付きは第5部と第6部だ。「英雄交響曲」が壮絶な英雄の死(葬送行進曲)をえがくのに対して、平穏な余生をえがき、大往生に至る。これこそまさにパロディだ。

 何故パロディをかいたのか。私は今のところ、それはドイツの地方性の誇りだと思っている。シュトラウスは根本的にバイエルンの人だ。シュトラウスからみたとき、チューリンゲンの人(ワーグナー)とも、ライン河畔の人(ベートーヴェン)ともちがったドイツがあると言いたかったのではないか。けっして好戦的ではない、大らかな人生観の表明が「英雄の生涯」だと、今の私は思っている。
(2008.09.13.サントリーホール)
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