Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

「ヘンリー六世」3部作

2009年10月30日 | 演劇
 新国立劇場のシェイクスピアの演劇「ヘンリー六世」3部作が開幕した。
 第1部「百年戦争」はイングランドとフランスの戦いの末期、ジャンヌ・ダルクが出現する時期を描いている。第2部「敗北と混乱」はイングランド内部の貴族たちの対立の深まりを、第3部「薔薇戦争」は貴族たちがランカスター側(赤薔薇)とヨーク側(白薔薇)に分かれて内戦をはじめる過程を描いている。

 登場人物のすべてが権力を求め、対立しあい、誹謗中傷に明け暮れるなかで、ぽっかりあいた真空地帯のように、若くてひ弱な王ヘンリー六世がいる。第3部で丘の上から静かに戦闘をみおろすヘンリー六世は「羊飼いになりたい」と言う。なんたる無責任‥。
 そこに父親を殺した息子が登場する。戦闘のなかでそれと知らずに父親を殺してしまったその嘆き。同じく息子を殺してしまった父親が登場する。その嘆き。かれらをみて涙を流すヘンリー六世。
 この場面には反戦の意図が感じられ、演出家の鵜山仁が共感をもっていることが伝わってくる。同世代の私も共感した。

 ヘンリー六世は浦井健治。中性的な雰囲気を漂わせていて魅力的だった。
 第1部ではジャンヌ・ダルクのソニンが体当たりの演技。
 第2部では摂政グロスター公(中立的で無私の人だが、それゆえに党派的なウィンチェスター司教と対立する)の中嶋しゅうに、もう少し元気がほしかった。
 第3部では残忍なリチャード(「ヘンリー六世」3部作の続編の「リチャード三世」で主役になる)の岡本健一が怪異な演技。

 鵜山仁の演出は原作をよく読みこんだもので、明快でわかりやすく、広い舞台を縦横に使ってダイナミック。第2部に頻出する喜劇的な場面も活気があった。
 美術は島次郎。がらんとした舞台に粗末な椅子(王座)などを配す簡素なもの。たとえば第1部の冒頭では、真っ暗な舞台に椅子がポツンとあり、そこにスポットライトが当たると、突然ガタンと倒れる。これが芝居のはじまり――なかなか見事だ。
 気になったのは第3部に使われた音楽。リチャードが王冠への野望を独白する場面とヘンリー六世が暗殺される場面(ともにひじょうに重要な場面)で「オーバー・ザ・レインボウ(虹の彼方に)」が流れていた。血なまぐさい権力闘争の渦中にあって、その向こうに平和を希求するという意味だろうが、この曲はあまりにも手垢がついていて、急に日常生活に引き戻されたように感じた。

 3日間新国立劇場に通って、私は意外に疲れた。演奏会に3日連続で通うことは珍しくないが、そういうときには感じたことのない疲れだった。多分アクの強い登場人物たちに振り回されたからだろう。その疲れは心地よかった。
(2009.10.27~29.新国立劇場中劇場)
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エトワール(星占い)

2009年10月26日 | 音楽
 シャブリエのオペレッタ(プログラムの解説によれば、シャブリエ自身は、オッフェンバックにならって、オペラ・ブーフと呼んだらしい)の「エトワール(星占い)」が上演された。東京オペラ・プロデュースの公演。

 国王ウーフ1世は、明日の祝日のイベントで「串刺し刑」に処するための罪人を探すために、変装して広場に出る。市民のあれこれに国王の評判をたずね、不敬の者を見つけ出そうとするが、市民はそれを察知して、国王をほめたたえる。そこに隣国の大使エリソンが、王女ラウラ、妻アロエス、秘書タピオカを連れてやって来る(かれらもわけあって全員変装している)。そこに行商の若者ラズリが現れ、旅の途中で出会った娘(実は王女ラウラ)への恋心を歌う。
 変装した国王は、ラズリに国王の評判をきく。うるさがったラズリは、国王に平手打ちを喰わせる。やっと「串刺し刑」に処する罪人が見つかったと大喜びの国王。そこに国王の腹心で星占い師のシロコが現れて、「国王とラズリは同じ星のもとにあり、片方が死ねばもう片方も死ぬ」と言う・・・。

 以上はさわりの部分だが、これだけでも、このオペレッタの面白さをわかってもらえるとよいが。
 一言で言えば、国王という絶対権力者を揶揄しているオペレッタだが、風刺のとげはオッフェンバックのように毒を含んだものではなく、牧歌的なのどかさがある。
 シャブリエの音楽は、明るく楽しい曲、パロディー風の曲、感傷的な曲と多彩で飽きさせない。
 要するにこれは19世紀フランスの生んだ上質のオペレッタだ。

 今回の上演台本は、演出の八木清市が書いたのだろうか(プログラムには明記されていないが)。地のせりふは日本語で、たとえば「定額給付金はばら撒きに終わったけれど、子ども手当は期待できるかな」などという具合に笑わせてくれる。

 若者ラズリはソプラノの岩崎友美恵。若々しく颯爽としたズボン役で魅力的だった。フランス語の発音もよい。その他の歌手も、皆文句なし。
 指揮は飯坂純というまだ若い人。快適なテンポが好ましい。普段は新国立劇場でコレペティトールやプロンプターをやっているとのことだが、劇場のことをよく知っている人だと思う。新国立劇場がこういう若い人を育てる場になっているとしたら素晴らしい。

 東京オペラ・プロデュースは前代表が2008年2月に亡くなって、先行きが危ぶまれたが、その後も活動を続けていて、本年1月のヘルマン・ゲッツの「じゃじゃ馬ならし」、今回の「エトワール(星占い)」とヒットを飛ばしたことは、嬉しいかぎりだ。関係者の皆さんの熱意と努力に頭が下がる。
(2009.10.24.大田区民ホール・アプリコ大ホール)
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ラザレフ&日本フィル

2009年10月24日 | 音楽
 ラザレフ&日本フィルによるプロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクトの第3回。この日のプログラムは次のとおりだった。
(1)チャイコフスキー:幻想的序曲「ハムレット」
(2)モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番(ピアノ:田村響)
(3)プロコフィエフ:交響曲第3番

 私はチャイコフスキーの「ハムレット」を生できくのは、これが初めてかもしれない。考えてみれば、チャイコフスキーのような人気作曲家でも、演奏会で演奏されている曲はごく一部の曲にかぎられているのだ。
 この曲は交響曲第5番と同時期につくられたとのこと。チャイコフスキーが円熟のきわみに達したころの作品で、語り口のうまさが際立っている。オフェーリアをあらわすというオーボエの旋律はロシア情緒をたたえていて、とくに印象的だ。この部分ではラザレフが客席を振り返り、「どうです、この旋律は」というような表情をみせた。

 モーツァルトのピアノ協奏曲第27番は、いつものように小編成で流れのよいオーケストラだったが、田村響のピアノは一本調子でニュアンスに乏しいと感じた。本人としては意図してマイペースを守っていたのではないかと思うが、私はだんだん退屈になった。もっとも、音はきれいだったが。
 田村響は2007年のロン・ティボー国際コンクールに優勝して話題になった。私もその当時、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をきいて、往年の巨匠風の演奏だと思ったが、そのときも、将来どのような演奏スタイルに結実するかは、つかみかねた。昨日の演奏では、これはバックハウスを意識しているのかな、と思うときがあった。

 プロコフィエフの交響曲第3番は、オペラ「炎の天使」を素材とした曲だが、プログラムの解説によれば、プロコフィエフ自身は「炎の天使」による交響曲と呼ばれることを好まなかったそうだ。もっとも、実質は「炎の天使」そのものだ。
 「炎の天使」はプロコフィエフの悪魔的(ないしは魔術的)な音楽が全面的にあらわれた作品で、プロコフィエフの本質の一端をついている。そのような音楽が凝縮して構成されているこの交響曲は、今後さらに評価が高まるのではないか――昨日はそう思わせる演奏だった。さすがに過去2回のプロコフィエフの交響曲の演奏で(第1番、第2番、第7番)、オーケストラがその語彙になれてきたように感じた。

 このプロジェクトは順調に進んでいる。気がつけば、もう折り返し点だ。私はこのプロジェクトを通してプロコフィエフの面白さを教えてもらった。このプロジェクトは将来にわたって語り継がれるものになるのではないかと思った。
(2009.10.23.サントリーホール)
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プレヴィン&N響(Aプロ)

2009年10月19日 | 音楽
 N響の首席客演指揮者にアンドレ・プレヴィンが就任して、10月定期はその披露演奏会になった。プログラム(Aプロ)は以下のとおり。
(1)W.リーム:厳粛な歌
(2)R.シュトラウス:歌劇「カプリッチョ」~最後の場(ソプラノ:フェリシティ・ロット)
(3)R.シュトラウス:家庭交響曲

 ヴォルフガング・リームは現代ドイツの作曲家。第2次世界大戦後の前衛運動が下火になって、方向感を見失ったように見えた時代に、新ロマン主義の呼び名で頭角をあらわした。その頃は私が音楽を手当たり次第にききはじめた頃で、音楽雑誌でその名前はよく目にしていたが、作品をきいたことはなかった。
 その後、連作「大河交響曲に向けて」の一部をきいて、その実力の一端にふれた思いがしたことを覚えている。
 「厳粛な歌」は高音楽器(ヴァイオリン、フルート、オーボエ、トランペット)を欠く特殊なオーケストラ編成。陰鬱な音楽が連綿と続く。解説によれば、ブラームスの最晩年の歌曲集「四つの厳粛な歌」に触発された曲とのことだが、ブラームスの場合は、底が抜けたようなペシミズムではじまるものの、曲が進むにつれて明るい部分が拡大する。それに比べると、リームの場合はほとんど発展性がないままだった。

 歌劇「カプリッチョ」の最後の場は、ホルン独奏ではじまる「月光の音楽」から。この場面は一日の騒動が静まって、だれもいなくなった露台に月の光がさす感動的な場面だが、演奏会でここからいきなりはじめられると、ホルン独奏が無味乾燥にきこえて戸惑った。
 やがて伯爵令嬢が登場する。私はフェリシティ・ロットをきくのはこれが初めてではないが、この日は上滑りした歌唱にきこえて、期待は十分には応えられなかった。
 一方、オーケストラは明るく艶のある音で、自由に息づいていた。

 家庭交響曲は、「カプリッチョ」できこえたオーケストラ演奏が、さらに確信をもって展開された。プレヴィンは、前かがみになって譜面をみながら、必要最小限のキューを出すだけだが、それでなぜあのように色彩豊かな演奏になるのか、驚くばかりだ。

 私は、何年か前に(多分ドイツだったと思うが)どこかの旅先でみたテレビ番組を思い出した。それはヴァイオリン奏者アンネ=ゾフィー・ムターのリハーサル風景と本番の演奏を追ったドキュメンタリー番組で、夫(当時)プレヴィンがムターと並んでインタヴューをうけていた。小柄なプレヴィンは、成功した実業家のように自信満々のムターの隣で、ほとんど口を挟まず、好々爺のように見えた。
 当時の香気ただようムターを妻にした男の色気が、この日の演奏でも感じられた。
(2009.10.18.NHKホール)
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札幌芸術の森

2009年10月13日 | 身辺雑記
 全国にちらばっている職場の友人たちの年に一回の集まり――。今年はこの3連休に札幌でありました。今年の参加者はわずか6人で、例年の半分くらいでしたが、楽しく過ごしてきました。

 10日(土)は歓楽街の‘すすきの’の居酒屋で旧交を温め、世話人のお誘いでカラオケへ。私はカラオケが大の苦手なので参りましたが、仕方なくついて行き、皆さんの絶唱に耳を傾けました。

 11日(日)は藻岩山に(ロープウエイではなく、歩いて)登る予定でしたが、あいにく朝からの雨。天気予報ですと、午後からは回復しそうなので、午前中は郊外の「札幌芸術の森」に行ってみることにしました。

 雨の中なので、傘をさして、まずは野外美術館へ。なだらかな起伏のある丘陵に74点の彫刻が点在していました。
 作品番号6の「隠された庭への道」(ダニ・カラヴァン作)は、遊び心にあふれた作品でした。まず金属製の「門-1」があり、そこをくぐると、草の生えた2つの丸い「丘」があります。ハッハッと笑いながら歩いていくと、大きな「日時計の広場」。ちょっと感心していると、次は「七つの泉」という噴水の列。この辺からだんだん異次元の世界に入ったような感覚に‥。次の巨大な「円錐」あたりで、そうか、この先には「隠された庭」があり、これはそれに続く道というわけか、それにしても「隠された庭」とはなんだろう、と思い始めました。で、結局なんだったかは、秘密にしておきましょう!

 ほかにも面白い作品があり、ときどき雨足が強くなったにもかかわらず、午前中いっぱいは外にいました。昼食後、作家の有島武郎の旧邸を見学。有島武郎というと「カインの末裔」や「生まれ出づる悩み」という作品名を棒暗記していますが、中身を読んだことはなく、(いつものことですが)反省。次に美術館で彫刻家の山本正道展を見て、「札幌芸術の森」を出たのは2時半頃でした。バスを待っていると、大きな虹が見えました。

 札幌市内に戻り、市電に乗って(札幌にも市電が走っているのですね。初めて知りました)、藻岩山のロープウエイ乗り場へ。ロープウエイは朝から強風のため休止していたそうですが、4時から運転を再開したとのこと。これはラッキーでした。ロープウエイに乗って山頂へ。灯りがつき始めた夕暮れの市街地の向こうに、日本海が黒く広がっていました。

 山頂にもう少しいれば、夜景がきれいに見えるはずですが、皆さんはビールが恋しくなって、そそくさと下山。ホテルに戻って、レストランの飲み放題プランで2日目の宴会を始めました。
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オテロ

2009年10月07日 | 音楽
 新国立劇場の「オテロ」は、最終公演の昨日(6日)のチケットを買っていたが、3日の公演も行くことができたので、結局2回みることができた。

 第1幕の冒頭の嵐の場面は、両日ともイメージどおりの凄まじい演奏。オテロ(ステファン・グールド)の登場の一声は、昨日のほうが安定していた。以下、ひじょうに好調な進行。第2幕のイアーゴ(ルチオ・ガッロ)のクレドは、3日のほうが強烈な印象を受けたが、これは初めて接したからかもしれない。

 昨日は、休憩後、席に戻って待っていると、場内アナウンスがあって、「準備が整うまで少々お待ちください」とのこと。しばらくして、「指揮者のリッカルド・フリッツァが体調不良のため、代わりに当劇場音楽ヘッドコーチの石坂宏が指揮をします」。場内がざわつくなか、石坂宏がスコアを抱えて登場して、第3幕がはじまった。
 最初は歌手もオーケストラも、お互いの呼吸をはかっているようなところがあったが、やがて安定してきた。第4幕に入ると堂々としたもの。ここは3日の公演もよかったが、それに劣らない出来で、デズデーモナ(タマール・イヴェーリ)とオテロは名唱だったし、オーケストラもぴったりついていった。

 カーテンコールでは石坂宏の肩を抱きながらフリッツァも登場した。右腕をだらりとたらしていたので、なにか故障でも起きたのだろうか。外国ではときどき最終公演は控えの指揮者に代わることがあるが(当日劇場に行ってはじめて知って、がっかりするわけだが、その指揮者が意外によかったりする)、まさかそういうことではないだろう。

 演出はマリオ・マルトーネという人。もともとは演劇畑のようだが、90年代からは映画監督の仕事もし、オペラの演出も手がけているとのこと。場所をキプロス島からヴェネチアに移して、床一面に水を張った舞台。水は今のヨーロッパでは流行なのだろうか。私はペーザロとケルンで経験したことがある。
 水は、そこに踏み込む人の足をすくう――その性質のために、思いをなかなか達せないまだるっこさを表現するのに適している。第4幕の最終場面で、自害したオテロがデズデーモナに近寄っていくとき、水の中で足をとられるのは理にかなっている。
 また第2幕でイアーゴがクレドを歌うときに、水の中に踏み込むのも卓抜だし、同幕でオテロがデズデーモナのハンカチを投げ捨てるのが水の中なのも面白い。さらにいえば、第3幕でオテロがヴェネチアからの命令書を投げ捨てるのも水の中だ。

 第2幕だけだったが、嫉妬に苦しむオテロが、デズデーモナが片足をあらわにして見知らぬ男を誘惑したり、カッシオと抱き合ったりする幻想を見るのは、舞台にプリズム的な視覚効果をもたらした。
(2009.10.03&06.新国立劇場)
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ウィーン世紀末展

2009年10月05日 | 美術
 日本橋高島屋で開かれている「ウィーン世紀末展」に作曲家シェーンベルクの絵(シェーンベルクは絵も描いていた)が来ていることを知り、行ってみた。

 作品は3点あったが、インパクトが強かったのは自画像。大きく見開かれた眼が、なにか得体の知れないものを見たときの不安を感じさせた。何を見たのか。この絵の制作年は不明とのことだが、会場の説明によれば、シェーンベルクの絵は1908~1911年に集中しているそうだから、ちょうど作曲が完全な無調に入っていった時期だ。あの眼は未知の世界に踏み入るときの孤独と不安を表しているのだろうか。

 もう1点は妻のマティルデを描いたもの。ボサボサに乱れた髪と、疲れきったような表情は、なにを意味するのだろう。マティルデは作曲家ツェムリンスキーの妹で、1901年にシェーンベルクと結婚したが、シェーンベルクの若い友人である画家のゲルストルと恋愛関係になったとのこと。恋愛関係が破局を迎えた1908年にゲルストルは自殺したそうだが、その頃の妻を描いたのだとしたら――。

 残りの1点はマティルデの母を描いたもの。堂々としていて、3点の中ではいちばん肖像画らしい。画中にシェーンベルクの署名と1910年という制作年の記入がある。
 3点とも、背景はほとんど描かれていず、衣服の描き方も大雑把。シェーンベルクの関心はもっぱらモデルの顔(つまり内面)にあるようだ。

 展示作品はすべてウィーン・ミュージアムから来たもの。ウィーンという土地柄か、シェーンベルク以外にも音楽関係の絵が数点あって面白い。中でもマーラーの銅版画はよく見なれたもの(エミル・オルリク作)。真横から見たマーラーの顔で、平べったい額が異様だ。これを実物で見ると、まるで写真のように鮮明なので驚いた。

 ペーター・アルテンベルクの肖像があった(グスタフ・ヤーガーシュバッハー作)。アルテンベルクはウィーンの詩人で、アルバン・ベルクの作曲した「アルテンベルク歌曲集」でその名を知ってはいたが、肖像を見るのは初めて。こういう人だったのか。禿げ上がった頭と大きな口髭が、一癖ありそうな風情だった。
 そのほかにも、やたらと美男子に描かれているヨーゼフ・ランナーとヨハン・シュトラウス1世の演奏する舞踏会の絵や、フーゴー・ヴォルフの書斎という絵もあった。

 展覧会の目玉はグスタフ・クリムトとエゴン・シーレで、クリムトは「愛」や「パラス・アテナ」、シーレは「自画像」や「アルトゥール・レスラー」など。マーラーの妻のアルマの愛人だったオスカー・ココシュカの作品もあった。
(2009.10.03.日本橋高島屋)
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スクロヴァチェフスキ&読売日響(2)

2009年10月01日 | 音楽
 スクロヴァチェフスキは読売日響の9月定期で次のプログラムを振った。
(1)モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」
(2)ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」

 私はスクロヴァチェフスキのモーツァルトをきくのは、これが初めてかもしれない。あまりうまくない比喩で申し訳ないが、最新型のスポーツカーではなく、またノスタルジックなクラシックカーでもない、使い慣れた(しかしよく整備された)自動車に乗っているような印象があった。特段の目新しさはないが、安心感がある。
 ほんとうは、オーケストラの音にもう一段の輝きがほしかった。弦の音色は艶消しのように感じられ、木管と金管はほとんどソットヴォーチェで終始していた。

 スクロヴァチェフスキのショスタコーヴィチは、前に交響曲第10番をきいたことがあるが、今回もそのときと同じ印象をもった。一言でいうと、スコアをストレートに鳴らす演奏。スクロヴァチェフスキは、ブルックナーでは凝りに凝った演奏をきかせるが、ショスタコーヴィチではそうとう趣がちがう。

 交響曲第11番は、血の日曜日事件(民衆の行進にたいして軍が発砲した事件。この事件がロシアの第1次革命につながった)を題材にした叙事的な曲なので、いくらでも凝った演奏が可能だと思われるし、映画のように描写的な演奏も考えられるが、スクロヴァチェフスキの演奏はそうではない。
 たとえば第2楽章の後半で軍が発砲する場面など、スクロヴァチェフスキの演奏では拍節感がしっかり保持され、音楽の枠内に踏みとどまっている。

 私は、こういう演奏だと、曲の最後の「警鐘」はどうきこえるだろうか――警鐘はほんとうに(やがて打倒されるべき)帝政ロシアにたいする警鐘にきこえるだろうか――と思い始めた。というのも、私には警鐘が、一般的にいわれているような、帝政ロシアにたいするものにはきこえず、もっと内に向けられたものにきこえるからだ。
 警鐘は、力強い労働歌がいったん静まった後、不穏なバスクラリネットの動きが口火となって、切迫した音楽が結末に向かってなだれ込む中で、打ち鳴らされる。それがなにを意味するかは、今回もわからなかった。

 曲が終わり、指揮棒が止まったとき、会場は静寂に包まれた。そして指揮棒が下りると同時に、大きな拍手がわき起こった。何度かのカーテンコールの後、オーケストラが引き上げても拍手は鳴り止まず、スクロヴァチェフスキが一人登場して、私をふくめた聴衆のスタンディング・オベーションを受けた。
(2009.09.30.サントリーホール)
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