Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

デニス・ラッセル・デイヴィス/読響

2018年11月29日 | 音楽
 デニス・ラッセル・デイヴィスが客演指揮した読響の定期。現代音楽に強いこの指揮者ならではのプログラムが組まれた。1曲目はスクロヴァチェフスキの「ミュージック・アット・ナイト」。昨年2月に93歳で逝去した前常任指揮者スクロヴァチェフスキを偲ぶという意味合いは、特段標榜されてはいなかったが、定期会員としては、どうしてもそういう想いが湧いてくる。

 だが、その演奏からは、スクロヴァチェフスキの姿は思い浮かばなかった。端的にいって、音が重いのだ。スクロヴァチェフスキの演奏は、もっとリズムが軽く、音の動きが活発で、粒立ちがよかった。それに対して当夜の演奏は、あえていえば表現主義的というか、物々しい雰囲気に覆われていた。

 スクロヴァチェフスキはもう戻ってこないのだと思った。高齢になっても音楽が衰えず、活発な音楽的思考を続けていた賢人の姿は、稀有なものだった。本人亡きあと、その作品の演奏は変わっていくのか。

 2曲目はモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」。フルートはエマニュエル・パユ、ハープはマリー=ピエール・ラングラメ、ともにベルリン・フィルの首席奏者同士の組み合わせ。当夜のチケットは完売だったが、それはパユの人気に負うところが大きかったにちがいない。

 そのパユの演奏は、もうこれ以上はないという演奏。音の柔らかさ、起伏の豊かさ、息のコントロールの自在さ、そのどれをとっても世界最高峰と思われた。対するハープも流麗で、控えめながらも、完璧に整えられたテクスチュアでフルートを支えた。

 アンコールが演奏された。エキゾチックで、たいへん魅力的な小品だった。だれの曲かと思って、休憩中にロビーの掲示を見にいったら、イベールの「フルートとハープのための間奏曲」という曲だった。

 3曲目はジョン・アダムズの「シティ・ノワール」。これは一級品の演奏だった。1曲目での音の重さが消え、シャープで底光りのする音になった。全3楽章からなる曲だが、その第3楽章は「春の祭典」の最後の部分「生贄の踊り」のラテン音楽版といったらよいか、最高にノリのよい音楽で、ステージ上に熱狂が渦巻いた。

 もしこれが欧米だったら、スタンディング・オベーションはまちがいないだろうと、演奏の見事さのわりに冷静なように感じられる会場風景を見て思った。
(2018.11.28.サントリーホール)
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広上淳一/N響

2018年11月26日 | 音楽
 広上淳一指揮N響のアメリカ音楽プログラム。曲目はバーバー(1910‐1981)、コープランド(1900‐1990)、アイヴズ(1874‐1954)のそれぞれ20代の作品。沼野雄司氏のプログラム・ノーツの指摘で「20代の作品」という点に気付いたが、実際に聴いてみると、その点が(意外なくらいに)重要な意味を持つことがわかった。その点にかぎらずプログラム・ノーツ全体が、短いながらも、卓抜なアメリカ音楽論になっていて、さすがだと思った。

 1曲目はバーバーの「シェリーによる一場面のための音楽」。シェリーとはロマン派詩人のシェリーのこと。作曲年代は1933年の夏だから、バーバーはまだ20代前半。冒頭で弦楽器が奏でる音が繊細だ。バーバーがメノッティ(作曲家のメノッティ)とともに過ごした夏に書いた。私生活上のそのような出来事とも関係しているのだろう、バーバーの感性がみずみずしく震えている。

 演奏もそういう感性を湛えたものだった。柔軟で力まず、流れがよい。広上淳一とN響がよくかみ合っていた。わたしは広上がキリル・コンドラシン国際青年指揮者コンクールに優勝した翌年(1985年)、アシュケナージの来日公演でN響を振ったのを聴いているが(がむしゃらな指揮ぶりで、今想い出すと、微笑んでしまう)、今年還暦を迎えた広上は、N響を振っても堂々と鳴らすようになった。

 2曲目はコープランドの「オルガンと管弦楽のための交響曲」。バーバーの曲もそうだったが、この曲もわたしには初めてだった。2~3管編成のオーケストラに多数の打楽器が入り、そこにパイプオルガンが加わるという巨大編成。若き日のコープランドの野心満々の作品だ。

 オルガンの音が強烈だった。サン=サーンスの例の交響曲より強烈に感じた。オルガンは鈴木優人。アンコールにはバッハのシュープラー・コラール集から第1曲「目覚めよと呼ぶ声のする」が演奏された。

 3曲目はアイヴズの交響曲第2番。流れのよい演奏だ。広上淳一はこの曲を得意にしているのではないだろうか。そう思うほど手の内に入った演奏だった。どこかで聴いたことのある懐かしいメロディーが頻出するが、それらの引用が音楽の流れにしっくり収まっていた。

 第5楽章でのチェロ独奏が見事だった。日本フィルの辻本玲の客演。カーテンコールではN響の楽員からも拍手が起きた。
(2018.11.25.NHKホール)
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「松浦武四郎」展

2018年11月24日 | 美術
 静嘉堂文庫美術館(東京都世田谷区)で「松浦武四郎」展が開催されている。松浦武四郎というと「蝦夷地」(現在の北海道、樺太、千島列島)を調査した人物として、その名を記憶していたが、どんな生涯を送った人かは知らなかった。先日、同館の近くまで行ったので寄ってみた。

 松浦武四郎(1818‐1888)は現在の三重県松阪市に生まれた。伝記的な事柄は省略して、武四郎が歴史にその名を残したのは何故かというと、それは前述のとおり「蝦夷地」を調査したからだ。

 当時(というのは江戸時代末期だが)、アイヌの人々が住む「蝦夷地」は松前藩の領地とされていたが、実情はよくわかっていなかった。そんな折、ロシアが蝦夷地を狙っているのではないかという噂が流れ、それを聞いた武四郎は、だれに頼まれたわけでもなく、自らすすんで蝦夷地に向った。

 武四郎が初めて蝦夷地に入ったのは28歳(以下、年齢は数え年)のとき。それ以降41歳になるまでに合計6回同地を訪れ、地形、動物、植物そしてアイヌの人々の生活などを調査して、地図と何冊もの書物を作製した。

 本展ではそれらの書物が展示されている。美しいイラスト入りの書物だが、それらのイラストも武四郎が描いた。美しいというよりも、可愛らしいとか、ユーモラスとか、ほのぼのとしているとか、なにかそんな親しみのこもった形容のほうがいいかもしれない。武四郎は調査のときにアイヌの人々に案内してもらったそうだが、たぶんアイヌの人々との温かい交流があったのではないか、と想像されるイラストだ。

 武四郎は41歳のときを最後に、もう蝦夷地を訪れることはなかったが、71歳で亡くなるまで、全国各地を巡り歩き、古物を収集した。チラシ(↑)に載っている写真で武四郎が首から吊るしている「大首飾り」には、縄文時代の勾玉が混じっているが、それらも武四郎が収集したものだろう。その「大首飾り」は本展の目玉になっている。

 わたしがもっとも興味を惹かれたのは「武四郎涅槃図」だ。涅槃図とは釈迦の入滅を描いた仏画で、中央に釈迦が横たわり、それを菩薩や弟子、会衆、動物たちが囲む図だが、本作では釈迦の代わりに、なんと、武四郎が横臥している。河鍋暁斎(1831‐1889)の作。

 本作は、残念ながら、複製パネルでの展示だが(実物は松浦武四郎記念館が所蔵)、本作に描き込まれた古物が展示されている。
(2018.11.20.静嘉堂文庫美術館)

(※)本展のHP
(※※)「武四郎涅槃図」の図像
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無名塾の公演記録「プア―・マーダラー」

2018年11月21日 | 演劇
 無名塾の公演は、今まで気にはなっていたが、観たことはなかった。仲代達矢も高齢になってきたので、一度は観てみたいと思っていたが、そんな折、友人から過去の公演の記録映像の上映会「映像で観る 無名塾 劇世界2018」の誘いを受けた。よい機会なので行ってきた。

 演目は「プアー・マーダラー(哀しき殺人者)」。作者はチェコの作家パヴェル・コホウトPavel Kohout(1928‐)。コホウトは「存在の耐えられない軽さ」の作者ミラン・クンデラ(1929‐)と同世代で、日本でも小説の邦訳が数点出ているが、本作は出ていないようだ。

 まずプロットを紹介すると、所はロシアの精神病院。患者アントン・ケルジェンツェフ(仲代達矢が演じている)は、精神科医のドルジェムビツキー教授(同、松野健一)の治療を受けている。教授は患者の過去の体験をドラマとして演じさせることで、病気を治療しようとする。

 ケルジェンツェフは元俳優。ハムレットを演じているとき、ポローニアスを刺し殺す場面で、ポローニアスを演じる役者(その役者は実生活ではケルジェンツェフの恋人を奪った男)(同、益岡徹)を本当に殺したと思っている。そして、その場面になる――。

 精神病院という現実とそこで行われるドラマ(虚構)との二重性、患者の意識の中での現実と虚構の混乱、劇中で狂気を装うハムレットの現実と虚構の交錯など、本作では多層的な虚実が仕掛けられている。しかも舞台を観ているわたしたちは、舞台で起きている出来事が虚構であることを知っている。

 これはじつに現代的な作品だと思った。無名塾の公演は1986年に行なわれたものだが、今観ても少しも古くない。ちょうどCDで過去の名演奏を聴くときのように、その公演が今まさに演じられているように生き生きと体験できる。

 そして仲代達矢のなんと華のある演技だろう。稀代の名優というにふさわしい。2時間を超える上演時間のほとんど出ずっぱり。その名演技にため息が出た。

 インターネットで調べてみると、本作の初演は1976年、ブロードウェイで。たぶん英語での上演だったろう。無名塾の公演は倉橋健と甲斐萬里恵の翻訳で。原作はロシアの作家レオ二ド・アンドレーエフLeonid Andreyev(1871‐1919)の短編小説らしい。できれば読んでみたいが、邦訳が見つからない。
(2018.11.20.仲代劇堂)
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高関健/東京シティ・フィル

2018年11月17日 | 音楽
 高関健指揮東京シティ・フィルのストラヴィンスキー&武満徹プロ。1曲目はストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」。ステージ上のオーケストラを見て改めて驚いた。弦楽器がヴァイオリンとヴィオラを欠き、チェロとコントラバスだけなのは承知しているが、驚いたのは管楽器の多さだ。詳述は避けるが、木管、金管各パート4~5人ずつ。それにピアノが2台入るので、これはコストのかかる曲だ、というのが実感。

 高関健のプレトークで、木管はクラリネットを欠くことが指摘された。ステージ上のオーケストラを見て、なるほど、そうだったかと納得した。わたしは今までこの曲の(多少語弊があるかもしれないが)空虚なひびきは、ヴァイオリンとヴィオラを欠くことからきていると思っていたが、それに加えて、クラリネットを欠くことも要因だった。

 久しぶりに聴くこの曲の実演は興味深かったが、演奏は合唱(とくに男声)が頼りなく、楽しめなかった。

 2曲目は武満徹の「弦楽のためのレクイエム」。これも実演を聴くのは久しぶりだが、久しぶりに聴いて、音の美しさに魅せられた。薄いヴェールを透かして光が射し込んでくるような音だ。こんなにきれいな音だったのか、と。音だけではなく、音の流れも、後年の武満を彷彿とさせるような曲線を描く。昔はもっと寡黙な演奏だった。後年の武満を知った時代の演奏だと思った。

 3曲目はストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」(1947年版)。前2曲は特殊編成だったが、この曲でフル編成になり、かつ前2曲は沈んだ曲想だったが、この曲で明るく活気にあふれた曲想になったので、その解放感が目覚ましかった。

 最初から最後まで覚えてしまっているような曲だが、できあがった完成品としてのCDで聴くのと、実演を聴くのとでは、スリルが違うと実感した。頻出する変拍子とポリリズム、それに喰らいつく楽員たち、リスクを恐れずに演奏を導く指揮者、それらの実演ならではのおもしろさに息を詰めた。

 オーケストラの明るく、張りのある音が印象的だった。10月の定期で演奏したレスピーギの「ローマの松」もそういう音だった。飯守泰次郎時代、そしてその次の某音楽監督時代にはなかった音だ。高関健の成果の表れだろう。

 フルートとクラリネットの首席奏者が海外研修中だが、代役の奏者が表情たっぷりの演奏をした。トランペットの首席奏者も頑張った。拍手。
(2018.11.16.東京オペラシティ)
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誰もいない国

2018年11月15日 | 演劇
 新国立劇場の演劇部門は、本年9月から小川絵梨子体制がスタートしたが、その第2弾はハロルド・ピンター(1930‐2008)の「誰もいない国」(1974)。不条理劇といわれる作品だが、そういえば、第1弾のアルベール・カミュ(1913‐1960)の「誤解」(1944)もそうだった。不条理劇が2作続いた。

 でも、同じ不条理劇といっても、その2作はずいぶん違う。不条理劇という概念の広さのせいかもしれないが、わたしのような不勉強者には、概念そのものの輪郭がぼやけて、よくわからなくなる。

 では、その2作のどこが違うのかというと、端的にいって、「誤解」にはカタストロフィがあったが、「誰もいない国」にはカタストロフィがないことが大きく違う。どちらがよいとか、悪いとか、そういう問題ではなくて、カタストロフィがあるか、ないかで、作品の性格が異なってくる。

 「誤解」の場合には、ある悲劇が起きた。登場人物たちの生活はそれですっかり変わり、もう逆戻りできないだろう。一方、「誰もいない国」では、そのような事件は起きない。登場人物たちの生活は大して変わらずに、ゆるゆる続くだろう。どちらがわたしたちの実生活に近いかは一概にはいえない。

 不条理劇という概念でいうと、仮にサミュエル・ベケット(1906‐1989)の「ゴドーを待ちながら」(1952)を座標軸に据えるなら、「誤解」よりも「誰もいない国」のほうが座標軸に近いといえる。

 「誰もいない国」のあらすじは、時は現代(初演当時)、所はロンドン。初老の作家ハーストが、散歩中に出会った同年輩の男スプーナーを連れて屋敷に戻る。ホームバーからそれぞれ好きな酒を取り出して飲む。スプーナーは金持ちのハーストに取り入ろうとしている。そのうちハーストの同居人、中年男のブリグズと青年のフォスターが現れる。4人の会話が続く。その会話はどれが事実で、どれが嘘か、見分けがつかない。

 そう書くと、いかにも不条理劇だが、舞台を観ると、今の日本の高齢化社会が重なって見えてきて、認知症が始まった独居老人と、それに群がる男たちの話のように思える。それはピンターの本意ではないだろう、と思いながら‥。

 ハースト役の柄本明はさすがの存在感。フォスター役の平埜生成はゲイ(正確にはバイセクシュアル)の妖しい魅力を漂わせた。
(2018.10.14.新国立劇場小劇場)
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ルオー展

2018年11月14日 | 美術
 ジョルジュ・ルオーは、東京の汐留ミュージアムにまとまったコレクションがあるので、首都圏在住の者には身近な画家だ。同ミュージアムは今、開館15周年を記念して「ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ」展を開催している。

 ルオーは1871年にパリで生まれ、1958年に同地で亡くなった。生涯の中で第一次世界大戦と第二次世界大戦の両方を経験した。その悲惨な経験が作品に現れないわけがない、と思って本展を見ると、戦争の直接的な痕跡が銅版画集「ミセレーレ」に見てとれた。

 ミセレーレとは、いうまでもなく、主イエス・キリストへの「憐れみたまえ」という訴えだが、その題名をもつ本作は、58点の銅版画で構成されている。それらの銅版画が制作されたのは、1912年から1927年にかけての15年間だった(ただし、出版されたのは1948年と遅かった)。

 その制作期間には第一次世界大戦がすっぽり収まるので、本作の中には直接的に戦争の悲惨さを表現する銅版画が含まれている。戦争の悲惨さは宗教的な感情をともない、黒いモノトーンの銅版画に昇華されている。

 一方、第二次世界大戦のほうは、本展では直接的な表現がみつからなかった。ルオーは第二次世界大戦中も制作を止めたわけではないが、その作品は宗教的な題材に向かった。というよりも、すでに宗教的な題材しか扱わなくなっていたルオーは、その宗教的な題材の中で戦争の苦しみに耐えた、といったほうがよさそうだ。

 ルオーは戦後も制作を続け、代表作の数々を生んだ。その一部は汐留ミュージアムのコレクションに収められているが、本展ではヴァチカン美術館とパリのポンピドゥー・センターからも出品され、同ミュージアムのコレクションを補強している。

 それらの出品作と並べて展示されると、今まで「点」として見えていた同ミュージアムの作品が、横のつながりの中で見えてきた。たとえば「秋の夜景」(1952年、汐留ミュージアム)を「キリスト教的夜景」(同年、ポンピドゥー・センター)と並べると、作品個々の美しさはもちろんだが、当時のルオーの境地が浮かび上がるように感じた。

 同2点をふくむルオー晩年の聖書の風景を描いた作品は、安らぎに満ちている。戦争の悲惨さも、人間の愚かさも、虐げられた人々も、それらすべてを見てきたルオーが、晩年に達した穏やかな境地に、わたしは包まれた。
(2018.11.8.汐留ミュージアム)

(※)本展のHP
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ラザレフ/日本フィル

2018年11月10日 | 音楽
 ラザレフが日本フィルと続けているロシア音楽の演奏は、どれも名演揃いだが、なかでもショスタコーヴィチの交響曲は、作品の真の姿を伝えるという意味で、画期的なものだと思う。今回は問題作の一つ、交響曲第12番「1917年」が演奏された。演奏順とは異なるが、まずその感想から。

 音の分厚さ、ダイナミックレンジの広さ、スケールの大きさ、豪快な表現と緻密なアンサンブルの共存、そしてなによりも真剣さという点で、これもまた名演だった。名演という言葉が月並みに感じられるような際立った演奏だった。

 わたしは今までこの曲が苦手だった。ショスタコーヴィチの真意がどこにあるか、つかみかねていたのだが、今回はそんなことを考えないで、素直に耳を傾けることができた。それが不思議だった。初めての経験だった。

 なぜだろうと思いながら聴いているうちに、ふと思い当たったのは、この曲の標題(第1楽章「革命のペトログラード」、第2楽章「ラズリーフ」、第3楽章「アヴローラ」、第4楽章「人類の夜明け」)をほとんど意識しないで聴いていられるからだった。ラザレフの演奏のどこがどうだから、ということはわからないが、ともかくこの曲の(どこか映画じみた)標題が頭に浮かばなかった。

 思えば、それらの標題は、ショスタコーヴィチが当局向けに付けた標題かもしれない。この曲は過度の深読みをする必要はないし、イソップ言語を探す必要もないとは思うが、それにしても今までわたしは、それらの標題に引っ張られすぎていたかもしれない。そして、もしかすると、それらの標題に引っ張られた演奏もあったかもしれない。

 ラザレフの演奏は、これまでと同様に、スコアを真摯に読み、その音の動きを並外れたスケールで再現するもので、それは音楽そのもの、一切のストーリー性を排した純粋に音楽的なものだった。そうすることによって初めてショスタコーヴィチが書いた音に(なんの夾雑物もはさまずに)向き合える、と信じているような演奏だった。

 ラザレフも日本フィルも、ぎりぎりの限界まで能力を出し切った演奏。プロの演奏家のモラルの高さが表れた演奏だった。

 プログラム前半にはグラズノフの交響曲第8番が演奏された。それもスケールの大きな名演だった。第2楽章(緩徐楽章)が、抒情的というより、オペラの一場面のような彫りの深い音楽なのが印象に残った。
(2018.11.9.サントリーホール)
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ガンジスに還る

2018年11月07日 | 映画
 あれはなんの映画だったか、今ではもう記憶にないが、なにかの映画を観にいったとき、遠藤周作原作の映画「深い河」(熊井啓監督)の予告編を観た。短い映像だったが、その中のガンジス河に沐浴する人々のシーンが、今も記憶に残っている。調べてみると、その映画は1995年の製作なので、今から20年以上も前のことだ。

 そのせいだろうか、新聞で映画「ガンジスに還る」の紹介を読んだとき、観てみたいと思った。ヒンドゥー教の聖地「バラナシ」。ガンジス河に面したその地で死ぬと解脱を得られるという。本作はそのバラナシを訪れる父と息子の物語。

 父ダヤは、自らの死期を悟り、家族に「バラナシへ行く」と告げる。戸惑う家族。仕方なく、息子ラジーヴが仕事を休んで、付き添うことになる。バラナシに着いた二人は、安らかな死を迎えようと同地を訪れる人々のための宿「解脱の家」に部屋を取る。父と息子のぎくしゃくした生活が始まる。

 宿の規則では、滞在は最長15日とされているが、すでに18年間も滞在している老女がいる。それがいかにもインドだな、と感じるのは、わたしの偏見が混じっているかもしれないが、ともかく一筋縄ではいかない混沌とした日常がそこにある。

 本作には父と息子の和解の物語という側面があることは、容易に想像がつくと思うが、その和解のプロセスが、ゆっくりと、行きつ戻りつしながら描かれる。わたし自身の亡父との想い出も蘇ってきた。それはわたしだけではなく、多くの男たちの永遠のテーマだろう。

 また本作は聖地バラナシを、宗教的に特別な意味をもつ地であるよりも、そこに集まる(観光客を含めた)多くの人々を相手にして聖地ビジネス(上記の「解脱の家」もその一例だ)で成り立っている地として、ユーモアを交えて描いている。その「俗っぽさ」が生きいきとしている。

 そういう描き方ができたのは、監督がインド人だからだろう。外国人だったらそうはいかなかったと思う。監督はシュバシシュ・ブティアニという1991年生まれの若い人だが、若さの気負いとか、思い込みとか、そういったことは一切なく、肩の力を抜いた、心の襞の多い作品になっている。

 息子ラジーヴを演じているのはアディル・フセイン。父との葛藤、家族との軋轢、仕事の悩みなど、多くの心配事を抱えた男を繊細に演じていて共感できる。
(2018.11.6.岩波ホール)
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ボナール展

2018年11月04日 | 美術
 オルセー美術館所蔵のピエール・ボナール(1867‐1947)の作品は、過去に何度か日本に来たことがあるが、いずれも「ナビ派」の括りで来たように思う。今回はボナールだけで構成した展覧会。日本の美術館が所蔵する作品で補完して、ボナールの画業を辿っている。

 ボナールはナビ派の一員として登場したが、とくに主義主張にとらわれずに、感性の赴くままに制作したように見える。初期の暗い演劇的な作品を別にして、それ以降の作品は、とくに作風の変化は見られず、また一つの作風を突き詰めた様子でもなく、その時々の感性に従って描いたように見える。

 チラシ(↑)に使われている作品は「猫と女性 あるいは 餌をねだる猫」(1912年頃)。暖色系の色彩、愛する女性(恋人のマルト)、いたずらっ子の猫という具合に、幸福な日常を描いていると、とりあえずはいえるが、本作を実際に見ると、女性の目のあたりが陰になっていることが気になる。

 マルトは神経を病んでいたといわれる。たしかに本作のマルトは、病気のように見える。病気の女性を愛したところに、ボナールの繊細さが感じられる。ボナールがマルトと出会ったのは1893年。マルトはボナールの恋人となり、2人は1925年に正式に結婚。ボナールはマルトが1942年に亡くなるのを看取った。

 チラシに使われたのは作品の一部だが、本作を実際に見ると、手前のテーブルの大きさが印象的だ。作品の中心はマルトにちがいなく、そこに添えられた猫も目立つが、実際にはテーブルがマルトと同等の存在感をもっている。

 その構図を発展させたのが「ル・カネの食堂」(1932年)だろう(※)。画面の前景を大きなテーブルが占め、その左奥にマルトがいるが、マルトは画面の中心とはいえず、中心はテーブルになっている。テーブルには皿や瓶や小箱がとりとめもなく置かれているが、そのいずれも画面の中心とはいえない。あえていえば赤い小箱が目立つが、中心というには頼りない。猫もいるが、ほとんど目立たない。

 中心の喪失、あるいは中心部の空白は、他の作品にも類例が見られ、オールオーバーの画面構成の先駆けのように見えた。

 また「ル・カネの食堂」はクリーム色とオレンジ色のハーモニーが心地よい。それと同様に「トルーヴィル、港の出口」(1936‐45年)は黄色と灰色のハーモニーが美しい(※)。
(2018.11.2.国立新美術館)

(※)「ル・カネの食堂」と「トルーヴィル、港の出口」の画像(本展のHP)
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藤倉大「ソラリス」

2018年11月01日 | 音楽
 藤倉大(1977‐)のオペラ「ソラリス」の日本初演。本作が2015年にパリのシャンゼリゼ劇場で初演されたときは、どんなオペラだろうと思った。今回は演奏会形式だが、ともかくその台本と音楽に接することができた。

 原作はスタニスワフ・レム(1921‐2006)の同名作だが、それを勅使川原三郎が台本化した。勅使川原三郎というとダンスのイメージが頭に浮かぶので、台本作成には驚いた。勅使川原はシャンゼリゼ劇場での初演で、演出、振付、美術、照明、衣装のすべてを担当したので、その関係で台本を書いたのかもしれない。

 インターネットでスコアを閲覧できたので、事前に台本を読んだが、それを読んだときには、原作の精神をはずしていない点に感心した。いうまでもなく原作はSF小説だが、その哲学的な含意はSF小説の範疇を超えて、20世紀文学の傑作の一つとされる。台本はその精神を的確に切り取った。

 では、その精神とはなにか。原作は多様な読みを許容するが、勅使川原が切り取ったのは、ケルヴィンとハリーの愛だ。でも、その愛は普通の愛ではない――。

 ケルヴィンは惑星ソラリスの観測ステーションに降り立つ。そこに10年前に自殺した妻ハリーが現れる。ハリーの自殺に自責の念をもつケルヴィンは狼狽する。じつはそのハリーは、ほんとうのハリーではなく、惑星ソラリスが作り出したコピーだった。惑星ソラリスは巨大な海でおおわれているが、その海は高度な知能をもつ単体の生命体らしい。その海がケルヴィンの記憶の中を読み取り、ハリーのコピーを作り出した。

 自分がコピーだとわかって苦悩するハリー。その苦悩を見つめるケルヴィンは、コピーのハリーへの(新たな)愛に目覚める。だが、その愛は可能なのだろうか――。

 今回藤倉が付けた音楽は、台本の行間を埋め、緩急を付けて、緊密な室内オペラに仕立てた。閉鎖された空間で展開する心理劇になっている。原作はすでに2度映画化されているが、レムはそのどちらにも不満だった。原作の翻訳者・沼野充義氏は、「もし彼(引用者注:レム)が生きていてこれ(同:今回のオペラ)を観たら、驚嘆するに違いない。」(プログラムより)という。

 その一方で、ソラリスの「海」はどこかに置き去りにされた。ライブ・エレクトロニクスによる音の変調や青い照明では、「海」の他者性は表現できない。今後舞台化するときの課題だろう。
(2018.10.31.東京芸術劇場)
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