Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

サン=サーンス没後100年

2021年12月31日 | 音楽
 2021年も大晦日になった。今年はサン=サーンス(1835‐1921)の没後100年、ストラヴィンスキー(1882‐1971)の没後50年だった。わたしが定期会員になっている在京のオーケストラの中では、高関健指揮の東京シティ・フィルが10月定期でオール・ストラヴィンスキー・プロを組んだ。一方、サン=サーンスにかんしては、そのようなプロを組むオーケストラはなかった。そこで年末はサン=サーンスの作品を聴いてすごした。

 サン=サーンスは有名な割には、フォーレやドビュッシーに比べると影が薄いような気がするのは、わたしだけだろうか。もちろん好きな方は大勢いるだろうが。

 ある音楽評論家が書いたサン=サーンスにかんする文章を紹介したい。「(略)私は、この人(引用者注:サン=サーンス)の器楽は、もうやりきれない気がする。一体、これは本当の芸術家の仕事なのだろうか。彼の旋律――有名な『交響曲第三番』『ヴァイオリン協奏曲第三番』『ピアノ協奏曲』第二、四、五番などの主題をきいてみたまえ。なんという安っぽさ、俗っぽさだろう! そのうえ、あとに出てくる発展は、もう常套手段ばかり。」。そしてこの音楽評論家はその先でさらに毒づくのだが、本人の名誉のために、引用するのは止めよう。

 この音楽評論家はだれだろうか。なにを隠そう(というのも大げさだが)、わたしの敬愛する吉田秀和だ。1959年(昭和34年)に書いた「名曲三〇〇選――私の音楽室」の一節だ。内容的には賛否両論あるだろうが、わたしは若き日の吉田秀和の威勢の良さに微笑んでしまう。若気の至りかもしれないが、その指摘にはもっともな面もある。とくに「発展」云々のくだりは否定しがたい。とはいえ、「発展」云々をふくめて、それらの総体がサン=サーンスだと弁護したい気もする。

 サン=サーンスとは親子ほども年が離れていたドビュッシー(1862‐1918)も、舌鋒鋭くサン=サーンスを批判した。引用はしないが、ドビュッシー特有の毒舌ぶりだ。そのドビュッシーはサン=サーンスよりも早く亡くなった。サン=サーンスはドビュッシーが残した最後の3つのソナタ(フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ、チェロ・ソナタ、ヴァイオリン・ソナタ)に刺激されて、亡くなる1921年にオーボエ・ソナタ、クラリネット・ソナタとファゴット・ソナタを書いた。それらの3つのソナタは、肩の力が抜けた、なんの欲もない音楽だ。

 サン=サーンスもドビュッシーも、6曲のソナタを構想したが、3曲しか完成しなかった。時代は下ってプーランク(1899‐1963)も、最晩年にフルート・ソナタ、オーボエ・ソナタ、クラリネット・ソナタの3つのソナタを書いた。どれも恐ろしいほどの傑作だ。プーランクもドビュッシーの3つのソナタを意識していたという。
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2021年の音楽回顧

2021年12月28日 | 音楽
 2021年は2年連続でコロナに振り回された年だった。とくに東京オリンピックの前後の感染拡大はすさまじかった。その直後にサントリーホール・サマーフェスティバルへの出演のためにパリの演奏団体「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」が来日したことは奇跡のように思われた。東京オリンピック開催のために導入されたバブル方式が、同団体にも適用されたようだ。

 わたしはその演奏会に連日通った。8月22日から27日までの6日間に7回の演奏会が開かれた。その7回で一年分の演奏会を聴いたような満足感があった。なかでも鮮明に思い出すのは、細川俊夫のオペラ「二人静~海から来た少女~」の演奏会形式上演と、同団体の音楽監督・指揮者のマティアス・ピンチャーの室内楽作品「光の諸相」の演奏だ。「二人静~海から来た少女~」の鮮やかな演奏は同団体の実力を示した。また「光の諸相」は、ピアノ・ソロ(第1部)、チェロ・ソロ(第2部)、チェロとピアノのデュオ(第3部)のそれぞれの音が大ホールの空間を満たし、孤高の音の存在感を感じさせた。

 通常の公演で印象深かったものは、ブロムシュテットが指揮したN響の10月定期だ。とくにAプロのニルセンの交響曲第5番とCプロの「ペール・ギュント」組曲第1番は、余分なものを削ぎ落した究極的で凄みのある演奏だった。

 音楽関係の図書では、岡田暁生の「音楽の危機」(中公新書)と沼野雄司の「現代音楽史」(同)という2冊の好著が刊行された。ともにコロナ危機のもとで必然的に生まれた著作だが、興味深いことに、執筆の動機が対照的だ。岡田暁生の「音楽の危機」は、コロナに閉じ込められた日々にあって、そこで考えたことを、生のままで書きとめたものだ。当然、「後から振り返ったとき、「事態を見誤っていた」との批判を受けるリスクは少なからずある」(同書「まえがき」より)が、そのリスクをとった果敢な著作だ。

 一方、沼野雄司の「現代音楽史」は、いつか書きたいと思っていたが、多忙のために書けなかったテーマ(現代音楽史)を、新型コロナのために予定がキャンセルされ、空白の期間が生まれたので、それを利用して書いたものだ。20世紀初頭から現代にかけての音楽の流れが見通しよく整理されている。加えて目から鱗が落ちるような指摘も随所にある。さらに激動の「1968年」の音楽への影響など、歴史的な評価がまだ定まっていない事象にも、積極的に踏み込んでいる。

 さて、今年はソプラノ歌手のグルベローヴァが亡くなった。わたしはグルベローヴァのおかげでベッリーニやドニゼッティなどのベルカント・オペラに開眼した。思いも一入だ。心からご冥福を祈る。死因などの詳しい情報は公表されていないようだ。カルロス・クライバーのケースが頭をよぎるが……。
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板倉康明/東京シンフォニエッタ「日仏女流作曲家の競演」

2021年12月24日 | 音楽
 年末になると演奏会は「第九」一色に染まるように思いがちだが、よく見ると、通常公演も続いている。昨日は東京シンフォニエッタの定期演奏会が開かれた。1994年創立の同団体の第50回となる定期演奏会だが、音楽監督・指揮者の板倉康明はトークのなかで「第50回ということを意識しないでプログラムを組んだ」と語っていた。

 今回のプログラムは日本とフランスの女性作曲家5人を特集したもの。いずれも現存の作曲家だ。世代は広範囲にわたる。日本とフランスの作曲家を同じ地平に並べて、いまの作曲家がなにを考えているのかを、世代のちがいという縦軸で捉える試みだ。いうまでもないが、女性という一般的な属性で捉えようとするものではない。

 1曲目はエディト・カナ・ドゥ・シジ(1950‐)の「雨、蒸気、スピード」(2007)。フルート(ピッコロ持ち替え)、クラリネット(バスクラリネット持ち替え)、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための曲だ。題名はターナーの絵画(ロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵)からとられている。逆巻く霧のなかを疾走する蒸気機関車を描いた絵画だが、その音楽化だとしたら、疾走感や力強さが物足りない。

 2曲目は金子仁美の「連歌Ⅱ」(1999)。フルート、クラリネット、打楽器、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための曲。なにかを突き詰めたような、音楽の極北を思わせる曲だ。中間部のトリルの連鎖、バスドラムの執拗な響き、そしてエンディングの、すべてが解体した後の空虚な空間のような感覚が印象的だ。わたしは当夜の5曲のなかで、この曲にもっとも感銘を受けた。演奏も見事だった。

 3曲目はカミーユ・ペパン(1990‐)の「リラエ」(2017)。弦楽四重奏、ハープ、バスドラム、ヴィブラフォン、タムタムのための曲。ロックのようなビート感があり、乗りのよい、エンタテインメント性のある曲だ。いまの若い世代のひとつの傾向だろうか。

 4曲目は平川加恵の「静謐な日常における諧謔についての考察」(2013)。クラリネット(バスクラリネット持ち替え)、テナーサックス(アルトサックス持ち替え)、ホルン、チェロ、ピアノのための曲。この作曲家は前曲のペパンと同世代らしい。哲学的な題名だが、明るく、屈託のない、ユーモアを感じさせる曲だ。

 5曲目はリザ・ウット(1991‐)の「Sextuor」(2020)。Sextuorとはフランス語で六重奏曲という意味だ。アコーディオン、クラリネット、ソプラノサックス、ハープ、ヴィブラフォン、ヴァイオリンのための曲。音色の美しさと透明感をもった曲だ。なにかしら作曲者の独自性が感じられる。リザ・ウットという名前を記憶したい。
(2021.12.23.東京文化会館小ホール)
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兼重稔宏ピアノ・リサイタル

2021年12月21日 | 音楽
 プログラムに惹かれて、兼重稔宏(かねしげ・としひろ)という若手ピアニストの演奏会に行った。日本演奏連盟の「新進演奏家育成プロジェクト」リサイタルシリーズの一環の演奏会だ。先にプログラムをいうと、フェデリコ・モンポウ(1893‐1987)の「沈黙の音楽」抜粋、ヤナーチェクの「霧の中で」そしてベートーヴェンの「ディアベリ変奏曲」。わたしの好きな曲ばかりだ。

 モンポウの「沈黙の音楽」の抜粋は、第1、2、3、13、25番の5曲が演奏された。とくに第1~3番はいかにもモンポウらしい静謐さと親密さが伝わる演奏だった。

 モンポウの5曲が連続して演奏されたことはいうまでもないが、ヤナーチェクの「霧の中で」に移るときも、間を置かずに、モンポウの続きのように演奏された。それがなんとも効果的だった。モンポウと同じように静謐で親密な音楽だが、モンポウと異なる要素も入りこみ、やがて最後のプレストで激情がほとばしる。その連続性と意外性が思いがけないドラマのように感じられた。

 ベートーヴェンの「ディアベリ変奏曲」は、わたしが年を取るとともに、ますます好きになる曲だ。なにがこんなにおもしろいのだろうと、自分に問うが、はっきりしない。そんな種類のおもしろさがある。

 「ディアベリ変奏曲」を暗譜で演奏した(モンポウとヤナーチェクも暗譜だった)兼重稔宏は、この曲をすっかり手中に収めているようだった。ベートーヴェンの演奏もかくやと思わせる激しい部分も、波が押し寄せるような躍動的な部分も、水を打ったように静かな部分も、千変万化な語り口で集中力を途切れさせずに弾いた。

 変な言い方かもしれないが、わたしは練習曲を聴くようなおもしろさを感じた。たとえばショパンとかドビュッシーとか、そんな作曲家の練習曲だ。ベートーヴェンは練習曲を残さなかったが、ある意味でこの曲には練習曲的な側面があるのではないだろうか。それをあえて具体的にいうなら、ベートーヴェンの発想の素材を覗かせるという意味でだが。もちろんこの曲はバッハの「ゴルトベルク変奏曲」に連なる曲であり、音楽史上、変奏曲の系譜の頂点にたつ曲だが。

 プロフィールによると、兼重稔宏は1988年生まれ。東京芸術大学を卒業後、ライプツィヒ音楽演劇大学修士課程および演奏家課程を修了。2020年1月にはライプツィヒ・ベートーヴェン生誕250周年記念演奏会で「ディアベリ変奏曲」を弾いた。同年に帰国し、現在は東京芸術大学でピアノ科非常勤講師を務めている。実力派のピアニストだ。今後の着実な演奏活動を期待する。
(2021.12.20.東京文化会館小ホール)
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岩波ホール「ユダヤ人の私」

2021年12月20日 | 映画
 ドキュメンタリー映画「ユダヤ人の私」を見た。アウシュヴィッツ強制収容所など4か所の収容所を転々とし、ブーヘンヴァルト強制収容所(ヴァイマール郊外)に収容されていたとき、ドイツが敗北し、解放されたマルコ・ファインゴルト(1913‐2019)の証言だ。

 真っ暗な空間の中にファインゴルトがただ一人いて自らの体験を語る。ナチスに捕らえられるまでのこと、強制収容所で見たこと、さらには戦後、ユダヤ人難民をパレスチナへ送り出したことなどを、淡々と、ときにはユーモアを交えて。撮影時には105~106歳だった。驚くほど元気だ。そして撮影終了後、亡くなった。

 ファインゴルトが語る主要なことは、1938年のナチス・ドイツのオーストリア併合のときのウィーンの光景だ。大勢の市民が歓呼してナチスを迎えた。ファインゴルトもそこにいた。当時の映像が挿入される――。広場を埋め尽くす市民たち。みんな右腕を掲げるナチス式の敬礼でナチスの行進を迎える。老若男女を問わず熱烈な歓迎だ。

 ファインゴルトは戦後、その光景を語り続けた。だが、それは「ナチス・ドイツに併合された被害者」としてのオーストリアの主張からは不都合な証言だった。ファインゴルトは歴史修正主義者や反ユダヤ主義者たちから誹謗中傷や脅迫を受け続けた。いまの日本にあふれかえるヘイトスピーチと似ている。

 それにしてもファインゴルトにむかって、「ホロコーストはなかった」とか「お前たちは戦争中、強制収容所で安全に過ごした」とかいう人たちがいる――。そのことに言葉を失う。オーストリアだけではなく、日本をふくめて、世界中の国々は、第二次世界大戦を経ても、根本的には何も変わらなかったのだろうか。

 本作を制作した4人の共同監督は、本作の前に「ゲッベルスと私」を制作した。ナチスの宣伝相ゲッベルスの秘書だった女性の証言だ。ファインゴルトと同様に撮影時には100歳を超える高齢だったその女性は、意気軒高に「私は秘書としての仕事をしただけだ。ホロコーストのことは何も知らなかった」と語る。ハンナ・アーレントが「悪の凡庸さ」と喝破したアドルフ・アイヒマンと同じ言い分だ。「ゲッベルスと私」は「ユダヤ人の私」の上映期間中は毎週日曜日の午後3時半から上映されている。「ユダヤ人の私」をご覧になった方で「ゲッベルスと私」を未見の方は、ぜひご覧になることをお薦めする。

 ファインゴルトは戦後、ザルツブルクに住んだ。地元では高名だったのだろう。市内に流れるザルツッハ川にかかる橋のひとつが「マルコ・ファインゴルト橋」と命名されている。以前は「マカルト橋」と呼ばれていた橋だ。最近名前が変わったらしい。
(2021.12.18.岩波ホール)

(※)「ユダヤ人の私」の公式HP
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高関健/読響

2021年12月15日 | 音楽
 指揮者が変わり、ソリストも変わって、協奏曲の曲目が変わり、その後もう一度指揮者が変わった演奏会。すべては新型コロナの対策強化のためだ。事務局は振り回されたことだろう。事務局はそれ以上に、急場を救った指揮者の高関健に感謝しているかもしれない。

 1曲目はモーツァルトの「イドメネオ」序曲。久しぶりに聴く曲だ。懐かしかった。「イドメネオ」は好きなオペラだが、実演に接する機会は多くはない。劇場側はどうしてもダ・ポンテ三部作や「魔笛」を優先して、「イドメネオ」は後回しにする。わたしが観た舞台上演は、新国立劇場と東京二期会、あとはコペンハーゲンで観たくらいだ。オペラ・セリアで堅苦しいイメージがあるかもしれないが、実際には生々しい人間のドラマだ。

 2曲目はショパンのピアノ協奏曲第1番。ピアノ独奏は小林愛実。小林人気によるのだろう、会場は満席だった。わたしは小林愛実を聴くのは二度目だ。最初は何年か前のデビューしたての頃だったので、久しぶりに聴いて、すっかり個性が現れているのに感心した。

 その個性は、軽やかでニュアンス豊かな音楽性、純でナイーヴな感性、スター然としない人間性といったところだろうか。わたしは苦手意識のあるこの曲を、なんの抵抗感もなく聴いている自分に気が付き、なぜこんなに自然に聴くことができるのだろうと自問した。そのとき突然、すでに亡くなっているが、一時代を築いた某女性ピアニストを思い出した。そのピアニストはこの曲を十八番にしていた。わたしはその演奏でこの曲を刷り込まれた。その演奏はスター然としていた。

 小林愛実はアンコールに「24の前奏曲」から17番を弾いた。その演奏も甘さ控えめだった。わたしは惹かれた。ピアノ協奏曲第1番から一貫する演奏スタイルだった。大向こうをうならせる演奏スタイルではないかもしれない。でもわたしの好みだ。

 3曲目はプロコフィエフの交響曲第5番。なんといったらよいか、わたしのイメージとは異なる演奏だった。わたしはこの曲に照度の高い色彩感を感じていたが、高関健指揮読響の演奏は、もっと地味な音色の、あえていえばソ連時代の音楽を感じさせた。それはこの曲の真実かもしれない。いままで聴いてきた演奏は、西側のショーウインドウに飾られた虚像だったかもしれない。――と、そう思うこともできる、おもしろい経験だった。

 第1楽章の結尾では打楽器が大音量で鳴らされて、うるさかった。同様に第3楽章でも銅鑼とシンバルが思い切り鳴らされた。その二か所は興ざめだった。一方、第4楽章の運動性はさすがに読響だった。
(2021.12.14.サントリーホール)
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カーチュン・ウォン/日本フィル

2021年12月12日 | 音楽
 カーチュン・ウォンの日本フィル首席客演指揮者就任披露となった東京定期。プログラムはアルチュニアン(1920‐2012)のトランペット協奏曲(トランペット独奏は同フィル首席奏者のオッタビアーノ・クリストーフォリ)とマーラーの交響曲第5番。

 同プログラムは2020年3月にカーチュン・ウォンの同フィル初登場のために組まれたものだった。ところが新型コロナウィルスの感染拡大のため、演奏会は中止になった。そのプログラムの復活が今回の首席客演指揮者就任披露のためのものになった。就任を披露するにふさわしいプログラムだ。運も実力のうちというが、カーチュン・ウォンと日本フィルはツキを呼び込んだとも感じる。

 アルチュニアンのトランペット協奏曲は、わたしは知らなかったが、トランペット協奏曲としては有名な曲らしい。明快な曲想で、アルメニア生まれというアルチュニアンの出自によるのか、民俗性も漂う。名手オッタビアーノの明るい音色が響きわたった。

 オッタビアーノはマーラーの交響曲第5番でもトランペットの一番奏者に入った。すごいスタミナだ。しかも日本フィルは東京定期を2日間開催するので、オッタビアーノは2日連続でこれをやった。見上げたプロ根性だ。交響曲第5番の第1楽章は、冒頭のトランペット独奏をはじめ、楽章を通じてトランペットのソリスティックな動きが続くが、さすがに安定した演奏だった。

 カーチュン・ウォンの指揮は、全楽章を通して、音色の変化とアクセントの多様さにより細かいドラマが生起するものだった。おもしろくて仕方がない。スコアからそのような音楽を読み取るとは、なんという才能だろう。しかもクリアーな音と粘らないリズムはこの指揮者の特徴だ。結果、ストレスを感じさせない演奏が立ち上がった。

 個別の点でいえば、第1楽章ではヴァイオリンとチェロの第一主題の提示のとき、チェロの旋律線が明瞭に浮き上がったのが印象的だ。第2楽章では第二主題の回帰のときに、一瞬の間を置き、その後にチェロが一音一音たしかめるように奏し始める、そのドラマにハッとした。第3楽章ではホルンの首席奏者の信末硯才が大活躍だった。福川、日橋を生んだ日本フィルのホルン・セクションの次代を担う逸材だ。第4楽章では弦楽器奏者たちの集中力に息をのんだ。第5楽章では、乗りに乗った演奏だったが、お祭り騒ぎにならない点が従来の演奏とは一線を画した。

 全体を通して、カーチュン・ウォンと日本フィルの新時代を告げる演奏だった。今後の共演が実り多きことを願う。
(2021.12.10&11.サントリーホール)
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飯守泰次郎/東京シティ・フィル

2021年12月10日 | 音楽
 飯守泰次郎指揮東京シティ・フィルのシューマンの交響曲チクルス第1回。プログラムは交響曲第1番「春」と交響曲第2番。プログラム・ノートで柴田克彦氏が触れているように、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームスなどの交響曲チクルスを展開してきた飯守泰次郎と東京シティ・フィルだが、シューマンの交響曲チクルスは初めてだ。意外な気がするし、新鮮でもある。

 交響曲第1番「春」はテンションの高い演奏だった。第1楽章はアンサンブルが練れていない感じがしたが、第2楽章では弦楽器の密度の濃い音が聴け、第4楽章のコーダでは圧倒的な高まりがあった。コーダの手前のフルートのソロでは、首席奏者の竹山愛がセンスのある演奏を聴かせた。さすがにソロ活動も活発な奏者だけあると思わせた。

 飯守泰次郎は、ステージの出入りが不自由そうで、ハラハラしたが、演奏中は指揮台に置かれた椅子には腰かけず、立ったままで指揮した。その姿から発散される音楽には張りがあった。けっして年寄臭くない。指揮者というのは不思議なもので、その人の内なる音楽がオーケストラに反映される。東京シティ・フィルから出てくる音楽は若々しく、なんの衰えも感じさせなかった。

 交響曲第2番は第1楽章から落ち着いたアンサンブルが聴けた。冒頭の金管のテーマではトランペットの首席奏者の松木亜希がしっとりした音色を聴かせた。第2楽章のスケルツォの最後は豪快な演奏になった。また第4楽章のコーダは交響曲第1番「春」の第4楽章のコーダと同様に、圧倒的な高まりをみせた。

 交響曲第1番「春」と交響曲第2番を続けて聴くと、両曲の音色のちがいが浮き上がった。第1番「春」では音色に鮮やかなコントラストがある。一方、交響曲第2番はくすんだ音色だ。また音楽の展開も(シューマンの語り口も、といったほうがいいかもしれないが)、交響曲第1番「春」では前のめりで、先へ先へと急ごうとするが、交響曲第2番ではじっくりかみしめながら語る。わたしは交響曲第2番を偏愛するが、今回は交響曲第1番「春」の魅力を再認識した。

 今回の演奏会では、東京シティ・フィルの飯守泰次郎への献身に心を打たれた。とくに交響曲第2番でそれを感じた。たぶん交響曲第2番のほうがリハーサルを積んでいたのではないかと想像するが(わたしの想像に過ぎないが)、飯守泰次郎のテンションは交響曲第1番「春」のほうが高かった。それをカバーするように、東京シティ・フィルは交響曲第2番では飯守泰次郎のやりたいことを先取りして、一丸となって実現する感があった。演奏会とは生身の人間のドラマだ。
(2021.12.9.東京オペラシティ)
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デスピノーサ/N響

2021年12月06日 | 音楽
 N響の池袋Aプロは指揮者とソリストが変わった。それに伴い協奏曲の曲目も変わった。結果的にガエタノ・デスピノーサという、名前はよく見かけるが、わたしには未知の指揮者を聴く機会になった。またバルトークのピアノ協奏曲第3番という、わたしの大好きな曲だが、なかなか聴く機会のない曲を聴く機会になった。

 デスピノーサは1978年、イタリアのパレルモ生まれ。ドレスデン国立歌劇場のコンサートマスターをしていたときに、当時の音楽監督のファビオ・ルイージのすすめで指揮者に転向した。来年9月からN響の首席指揮者に就任するルイージとつながりのある指揮者だ。今後もN響への登場機会があるかもしれない。

 1曲目はブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」。冒頭のテーマの提示のとき、低弦がはっきり聴こえるので、ドレスデン国立歌劇場のオーケストラの音を思い出した。全体的には滑らかで、角のとれた演奏だった。細かな起伏がつけられ、変奏ごとのニュアンスが工夫された演奏だ。通り一遍の演奏ではなかった。

 2曲目はバルトークのピアノ協奏曲第3番。ピアノ独奏は1995年生まれの小林海都(こばやし・かいと)。今年9月のイギリスのリーズ国際ピアノ・コンクールで2位を受賞した。バルトークの同曲はコンクールのファイナルで演奏した曲だ。

 演奏は終始ピアノの音がクリアーに聴こえたが、その先に求めたいピアニストの個性とか、豊かな将来性とかは、まだ発現の途上だった。わたしは本プロよりもアンコールに惹かれた。独特の情緒をたたえた曲だった。だれの曲だろう。N響のツイッターをチェックしたら、ヤナーチェクの「草陰の小径にて」第1集から第7曲「おやすみ」だった。その演奏のほうが印象に残った。

 オーケストラの演奏は、第3楽章に入ると、熱い演奏が繰り広げられたので、思わず目をみはった。第1~第2楽章からは、また前曲のブラームスからも、あまり想像しなかった演奏だ。デスピノーサの別の面を見る思いがした。

 3曲目はシェーンベルクの「浄められた夜」。これは名演だった。音楽にドラマがあり、彫りの深さと語り口の雄弁さで、約30分の長丁場を一気に聴かせた。デスピノーサの歌劇場でのキャリアの反映と思いたくなるが、それ以上に本人の資質だろう。デスピノーサの本領がどこにあるのか、今後見極める楽しみができた。オペラはもちろんだが、それ以外にも豊かな可能性を秘めていそうだ。なおN響の編成はヴァイオリン12+12、ヴィオラ8、チェロ8、コントラバス6の合計46人。N響の弦の底力に圧倒された。
(2021.12.5.東京芸術劇場)
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「ニュルンベルクのマイスタージンガー」~ハンス・ザックスの最後の演説

2021年12月03日 | 音楽
 ゲーテ・インスティテュート東京が主催した新国立劇場の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のトーク・イベントを視聴した(Youtubeで公開中↓)。出演者は、指揮の大野和士、演出補のハイコ・ヘンチェル(演出のイェンス=ダニエル・ヘルツォークは来日しなかった)、字幕担当の舩木篤也の3人。

 ヘルツォークが来日しなかったので、演出についての突っ込んだ話は聞けなかったが、トークの終わりころに舩木篤也が、ナショナリズムを煽るハンス・ザックスの最後の演説について、ハンブルク歌劇場でのペーター・コンヴィチュニーの演出を紹介した。わたしはその演出を観たことがあるので、懐かしかった。

 舩木篤也が紹介したように、コンヴィチュニーの演出では、ハンス・ザックスの演説が始まると、ナショナリズムを煽るその内容について舞台上の人々が議論を始め、音楽が止まってしまう。聴衆が呆然としていると、指揮者(当時の音楽監督のインゴ・メッツマッハーが振った)がマイクで「とにかく先に進もう」と呼び掛けて、やっと音楽が再開する。

 その演出は、舩木篤也が言うように「もっともラジカルな演出」だと思うが、その前に周到な伏線が張られているので、それを補足しておきたい。第2幕の幕切れでダーフィッドがベックメッサ―を襲い、それが発端となって市民たちの大乱闘に発展するが、その大乱闘が常軌を逸して、火の手があがり、あたり一面が火の海になって建物が崩れ落ちる。わたしは最初は笑っていたが、次第に笑えなくなった。

 第3幕の幕が開くと、廃墟と化した街の中にザックスが一人呆然と佇んでいる。背景には第2次世界大戦で破壊されたニュルンベルクの街の写真が投影される。第2幕の幕切れは第2次世界大戦のメタファーだったのだ。続くザックスのモノローグ「迷いだ、迷いだ!」は、いつの時代にも戦いに明け暮れる人間たちの愚かさを嘆くモノローグだが、その嘆きが第二次世界大戦にむけられる。

 その文脈でのハンス・ザックスの最後の演説だ。ナショナリズムを煽る演説は正当かという、舞台上のすべての人々を巻き込む議論は、一般論ではなく、第2次世界大戦を踏まえた議論のように見える。

 ところで公演プログラムに掲載された鶴間圭氏の「ワーグナーの『マイスタージンガー』への旅」には、「コージマ(引用者注:当時ワーグナーと同棲中。後に正式に結婚した)はザックスの最後の演説を削除しようとしたワーグナーを説得して翻意」させたと書かれている。ワーグナーがザックスの最後の演説を削除しようとしたという部分がショックだった。なぜ削除しようとしたのだろう。

(※)トーク・イベントのYoutube
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