Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ポンス/N響「MUSIC TOMORROW 2019」

2019年05月29日 | 音楽
 今年のN響のMUSIC TOMORROW、1曲目は薮田翔一(1983‐)の「祈りの歌」。N響委嘱作品で世界初演。全体は「7つの短い音楽で構成」(作曲者自身のプログラム・ノート)されている。真ん中の「4」のところでは、弦楽合奏が美しい音楽を奏でるが、どこか既視感も漂う。「6」と「7」ではソプラノのヴォカリーズ(ソプラノ独唱はクレア・ブース)が加わるが、そこは甘ったるかった。

 2曲目は今年の尾高賞受賞作品、藤倉大(1977‐)の「Glorious Clouds for Orchestra」。無数の音の粒子が空中に舞い、それがいったん沈静化するが、動きは継続し、やがて音が集積して透明な層を形成し、圧倒的な音圧を発する、といった趣の曲。藤倉大の(既成の価値観から離れた)独自の思考方法と、ますます磨きのかかる雄弁な語法との両方が感じられる作品だ。

 外山雄三、尾高忠明、片山杜秀の選考委員3氏の選評を読むと、今年の尾高賞にノミネートされた作品は17作あったが、そのうち藤倉大の作品は本作を含めて3作あったとのこと。他の2作品は、今年1月の読響定期で演奏されたピアノ協奏曲第3番「IMPULSE」(指揮は山田和樹、ピアノ独奏は小菅優)と、わたしは未聴だがチェロ協奏曲(オーケストラ版)。こうなると、チェロ協奏曲も聴いてみたくなる。

 3曲目はジョージ・ベンジャミン(1960‐)の「冬の心」(1981年)。作曲者の「初期の代表作」(白石美雪氏のプログラム・ノート)。ウォレス・スティーヴンスの詩「スノー・マン」に作曲したもので、ソプラノ独唱が入る。「小品」(同)ではあるが、ニュアンス豊かな音楽が続き、心の襞に分け入ってくる。わたしは当夜の4曲の中では、この曲が一番気に入った。

 クレア・ブースの独唱もよかった。ヴィブラートがきついところがあり、他の曲では気になるかもしれないが、この曲ではそれもニュアンスの一つだった。

 4曲目はベネト・カサブランカス(1956‐)の「いにしえの響き――管弦楽のための即興曲」(2006年)。オーケストラがよく鳴った。その鳴り方は重心が低く、前3曲の重心の高い鳴り方と対照的だったが、むしろこの曲のほうが普通の鳴り方かもしれない。演奏後には作曲者が現れて拍手を受けた。

 指揮はジュゼップ・ポンス(1957‐)。「2012年、リセウ劇場音楽監督に就任」(プロフィール)とある(リセウ劇場はバルセロナの歌劇場)。N響とは初共演だが、落ち着いたリードぶりだった。
(2019.5.28.東京オペラシティ)
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ヴァイグレ/読響

2019年05月25日 | 音楽
 ヴァイグレがワーグナーとベートーヴェンでどんな演奏をするのか、それを聴いてみたくて、名曲シリーズに行った。1曲目はワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から第1幕への前奏曲。出だしは音が濁ったが、すぐに立て直した。全体に荒っぽいが、そこからヴァイグレのやりたいことがよく伝わってきた。テンションが高くて、ダイナミズムに富むワーグナー。オペラティックな興奮を誘う。

 2曲目はシューマンのチェロ協奏曲。チェロ独奏はユリア・ハーゲン。クレメンス・ハーゲンのお嬢さんで1995年生まれ。スター然としたところがなく、ドイツやオーストリアで普通に見かける若者といった感じだ。音が常にはっきり聴こえ、闊達な演奏だったが、稀に強いアクセントが付く癖があった。

 アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲第1番からサラバンド。短い曲なので、演奏がどうのこうのということはないが、若者が弾くバッハは好きだなと、そう思わせる演奏だった。

 ヴァイグレ指揮読響のバックは、控えめすぎず、雄弁な演奏だった。独奏チェロともよく合い、ぎこちなさがなかった。

 3曲目はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。弦は12型(12‐10‐8‐6‐5)で引き締まった音で鳴った。テンポも速めというか、遅くはなく、きびきびした演奏で、ワーグナーの演奏とはイメージが違った。ピリオド様式ではないが、重厚長大なロマン主義的な演奏でもなく、輪郭のはっきりした造形感を打ち出した。

 全体的に読響のアンサンブルの精度が際立った。見事なものだ。カンブルランの成果がまだ残っている。個別の奏者ではオーボエ首席奏者の情感あふれるソロに惹かれた。なお、第4楽章の最初のほうの変奏で、一般的には弦楽合奏でやる部分が、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ各一人で(ソリで)演奏された。

 読響のヴァイグレ体制は始まったばかりだが、これまでのアルブレヒト、スクロヴァチェフスキ、カンブルランの各体制と比べると、少し違うニュアンスを感じる。それは何かというと、アルブレヒト、スクロヴァチェフスキ、カンブルランは、それぞれ経験豊富で、その果実を読響に分け与えるニュアンスがあったが、ヴァイグレの場合は、今まさに経験を積み上げる秋(とき)に当たっているように感じる。

 そのような秋(とき)をともに過ごすことが、読響のまた一皮むける契機になるといい。
(2019.5.24.サントリーホール)
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ドービニー展

2019年05月23日 | 美術
 ドービニー(1817‐1878)はバルビゾン派の画家だが、バルビゾン派というとミレー(1814‐1875)と(広義のバルビゾン派の)コロー(1796‐1875)が有名で、ドービニーはそれに比べると影が薄い印象だ。本展はそんなドービニーに焦点を当て、どんな画家だったかを捉えるもの。

 ミレーというと「農民画の画家」、コローというと「銀灰色の画家」という言葉が脳裏に浮かぶが、ドービニーはどうか。本展では「水の画家」と捉えている。

 ドービニーは簡素な木造のボートのような船を持っていた。その船室をアトリエに設えた。初めて船を買ったのは1857年。ボタンBotin号と名付けた。1868年からはもう少ししっかりした船を使い始めた。ボッタンBottin号と名付けた。本展にはボッタン号を描いた作品が展示されているので、どんな船だったかが分かる(本展のHPに作品の画像が掲載されている)。(※)

 ドービニーはその船でセーヌ川の支流のオワーズ川を行ったり来たりした。気に入った風景があると、船を川べりに着けて、絵を描いた。本展に展示されている作品の多くは、そうやって描かれたものだ。

 チラシ(↑)に使われている作品は「オワーズ河畔」(1863年頃)。穏やかな川、川べりに生い茂る樹木、広い空、川の水を飲みに来た何頭かの牛。豊かで静かな自然の風景だ。この作品は本展のカタログ番号で62番だが、おもしろいことに、79番の「オワーズ河畔」もほとんど同じ風景。ただ、牛の代わりに、洗濯女が描かれている。両作品は大きさと支持体が異なるが(62番は32.2×56.8㎝で支持体は板、79番は84.0×157.5㎝で支持体はカンヴァス)、それを除けば、まちがい探しのクイズのようだ。

 同様のケースは他にもある。たとえば66番の「オワーズ河畔、夜明け」と68番「オワーズ川、朝の効果」そして63番「オワーズ河畔の牛」。これらの3作品も大きさと支持体がそれぞれ異なるが、風景は同じ。違う点は、66番が朝焼けの空を描いているのに対して、68番は少し時間がたって、雲が朝日に輝いている。63番では日が高く、日中の風景になっている。

 これはモネのルーアン大聖堂などの連作を連想させないだろうか。モネが光の推移による連作のアイデアをドービニーに学んだかどうかは分からないが、その先例はここに見出せる。また、モネもアトリエ船を持っていたことが知られているが、それはドービニーに倣ったのは確かなようだ。
(2019.5.22.損保ジャパン日本興亜美術館)

(※)本展のHP
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ネーメ・ヤルヴィ/N響

2019年05月19日 | 音楽
 ネーメ・ヤルヴィ指揮N響のCプロ。1曲目はシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。音響的にも内面的にも充実した演奏だったと思うが、それ以上の感慨は沸いてこない。そもそもこの曲は小細工のしようがないので、内面的に充実していればそれでよいということだろう。

 2曲目はトゥビン(1905‐1982)の交響曲第5番(1946年)。全3楽章からなり、演奏時間は約30分。第1楽章の冒頭は弦楽器の切迫した音型で始まる。後述するが、この作品が書かれた頃のトゥビンの危機的な状況を、そこに重ねて聴かざるを得ない。第1楽章の最後は2台のティンパニの掛け合いで終わる。それはニールセンの交響曲第4番「不滅」や第5番を連想させる。

 緩徐楽章(第2楽章)をはさんで、第3楽章は第1楽章を彷彿とさせる緊迫感のある音楽が続くが、突然の総休止の後、テンポを落とした抑制的な音楽になり、そこに(第1楽章の最後と同じように)2台のティンパニが執拗なリズム・パターンを打ちこみ、圧倒的なクライマックスに至る。

 全体的にリズムの明快さが顕著だ。シンフォニックな鳴り方はネーメ・ヤルヴィ好みかもしれない。だが、それだけではなく、同国人(エストニア人)ということで、ネーメ・ヤルヴィはトゥビンの作品の普及に使命感をもっているそうだ。すでに録音では全10曲の交響曲全集を完成させている。

 トゥビンはエストニア人だが、「第2次世界大戦中の1944年、隣国ソビエトがエストニアを占領。それに激しく抵抗したトゥビンはただちにスウェーデンへ渡り、同地で創作活動を続けながら77歳の生涯を閉じた。」(神部智氏のプログラム・ノーツ)。1937年生まれのネーメ・ヤルヴィも、旧ソ連時代にアメリカに居を移したので、トゥビンの生涯は他人事ではないのかもしれない。

 3曲目はブラームスの交響曲第4番。第1楽章冒頭で弦楽器が下行・上行を繰り返す音型が、なんの思い入れもなく繰り返され、一方、バックの木管楽器の装飾的な細かい動きが前面に出る。主客逆転したようなバランス感覚だ。第2楽章も思い入れがない。第3楽章はトライアングルが極小の音で、3階席のわたしにはほとんど聴こえなかった。第4楽章ではフルート・ソロが(演奏自体は見事だったが)突出せずに、あっさり先に進んだ。

 一風変わった演奏で、肩透かしを食った思いがした。それとともにネーメ・ヤルヴィにあまり生気が感じられなかったことが気になる。
(2019.5.18.NHKホール)
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ラザレフ/日本フィル「カヴァレリア・ルスティカーナ」

2019年05月18日 | 音楽
 ラザレフが「カヴァレリア・ルスティカーナ」を振るなんて、夢にも思わなかった。ラザレフほどの大指揮者なら、振れて当然だし、「カヴァレリア‥」にかぎらずイタリア・オペラのレパートリーも広いだろうが、それにしても(少なくとも東京定期では)禁欲的なまでにロシア音楽に集中してきたので、まさか「カヴァレリア‥」がプログラムに載るとは思ってもいなかった。

 前プロにメトネル(1879‐1951)のピアノ協奏曲第2番が組まれた(ピアノ独奏はエフゲニー・スドビン)。メトネルは「ラフマニノフの歳下の友人」(山野雄大氏のプログラム・ノート)。たしかにラフマニノフのように聴こえる。演奏時間約38分(プログラムの表記による)の長大な曲だ。正直なところ、最終楽章(第3楽章)では、わたしは集中力がもたなかった。

 アンコールが弾かれた。音符の数が多いメトネルとは対照的に、音符の数が少ないシンプルな曲。その最小限の音が緩やかにつながって豊かな起伏を描く。スカルラッティのソナタ ロ短調K.197だった。

 プログラム後半は「カヴァレリア・ルスティカーナ」。前奏曲が終わって導入の合唱が始まる。合唱は日本フィルハーモニー協会合唱団。全員暗譜だ。まずまずの出来にホッとした(じつは事前の不安要素だった)。

 サントゥッツァ(清水華澄)とルチア(石井藍)との対話。清水華澄の実力は十分承知しているが、石井藍は初めて。しっかりした歌唱だ。アルフィオ(上江隼人)の登場の歌。オーケストラとの呼吸がしっくりしない。再度壮麗な合唱。サントゥッツァのアリア「ママも知る通り」。滑らかな歌唱と感情表現がさすがだ。トゥリッドゥ(ニコライ・イェロヒン)の登場。すごい声だ。ラザレフの推薦だけある。ローラ(富岡明子)もまずまず。

 という具合にオペラの世界が展開した。日本フィルの演奏は、ピッチが合い、焦点の合った名演。ラザレフらしく、よく歌っていた。

 ラザレフの指揮は、全体をしっかり構築したものだった。前述のとおり、よく歌うし、感情表現も十分だが、それが全体の構成感の中に納まり、そこからはみ出さないというか、構成感を損なわない。結果、きわめて正統的で、格調の高い演奏が生まれた。それはラザレフのショスタコーヴィチ演奏と共通するように感じられた。ショスタコーヴィチの場合も、痛切な表現と全体の構成感とが矛盾しないが、それと似た原理を感じた。一方、音色は、ショスタコーヴィチの暗い音色と、今回の明るい音色とは対照的だった。
(2019.5.17.サントリーホール)
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セバスティアン・ヴァイグレ/読響

2019年05月15日 | 音楽
 セバスティアン・ヴァイグレの読響常任指揮者就任後の初の定期。1曲目はヘンツェの「7つのボレロ」。読響が元常任指揮者ゲルト・アルブレヒトの指揮で世界初演した曲だ。それを取り上げることに、読響へのリスペクト、同じドイツ人の先任指揮者へのリスペクト、そして自らも現代曲に取り組む意思表示が感じられる。

 演奏は、現代曲を積極的に取り上げたカンブルランが、淡彩色の音色を持っていたのに対して、極彩色の音色で、エネルギッシュに進めるもの。第1楽章は丁寧だったが、第2楽章以下では荒っぽさも感じられた。その辺はカンブルランにはなかったこと。もっとも、9年間も共演を重ね、読響との信頼関係を築いたカンブルランと、今日新たな一歩を踏み出したヴァイグレとを同一平面上で論じるのは不適当だろう。

 2曲目はブルックナーの交響曲第9番。第1楽章の冒頭の弦のトレモロ(原始霧)が始まると、悠然としたテンポと綿密な音作りが感じられ、1曲目のヘンツェとは違うと思った。それは確かな歩みとなり、ときに急激にテンポを上げて、強烈な音で鳴らす瞬間もあったが(そのときの金管の明るい音色が印象的だった。その音色は第2楽章以降も変わらなかった)、基調は維持された。

 第2楽章のスケルツォの主部は、あまり攻撃的にならずに、スタイリッシュに進んだ。もちろん強烈な音も鳴るには鳴ったが、重厚さとか押し出しのよさとか、そういうイメージとは異なった。

 第3楽章アダージョは、綿密に音楽を追っていた。わたしは演奏時間を計る習慣がないので、正確にはわからないが、(物理的な時間はともかくとして)心理的な時間は、とくにコーダに入ってからは長かった。その時間に耐えて音楽を追ったとき、最後に清澄な解放感が訪れた。

 ホルンの音が虚空に消えたとき、客席は静寂に包まれた。指揮者が腕を下ろしても、物音一つ立てなかった。やがて指揮者が軽く頷いたとき、初めて大きな拍手とブラヴォーの歓声があがった。当夜のお客さんは最高だ。

 総体的にいって、ヴァイグレのブルックナーは、極端な表現とか、特定のパートの強調とか、そんな「個性的な表現」などは眼中になく、ひたすら実直に譜面を追うもの。今はまだ読響としっくりかみ合ってはいないが、やがてかみ合った暁には、ずっしりした内実のあるブルックナーになるかもしれない。今は少し長いスパンで見る必要がありそうだ。
(2019.5.14.サントリーホール)
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エド・デ・ワールト/N響

2019年05月13日 | 音楽
 エド・デ・ワールト指揮N響の定期は、メイン・プロにジョン・アダムズの「ハルモニーレーレ」が組まれていることと、前プロにロナルド・ブラウティハムという未知のピアニストが登場することとで、以前から楽しみにしていた。

 演奏順に、まずベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」から。ピアノはブラウティハム。1954年アムステルダム生まれ。出だしのカデンツァからして、滑らかなコクのある、一種独特の美音に惹きこまれた。楽器はスタインウェイだが、そこから(陳腐な喩えで申し訳ないが)ヴィンテージ物のワインか何かのような音が出た。

 第1楽章での細かい強弱のニュアンスの豊かさ、第2楽章での繊細な表現(オーケストラの冒頭の弱音も美しかった)、第3楽章での、けっしてヒロイズムに酔うことのない、音楽の姿を見つめた演奏など、どこをとっても申し分なく、わたしは「この曲は、こういう演奏でなければ、演奏してはいけないのではないか」と思った。

 アンコールは、なんと「エリーゼのために」。これまた、通俗名曲の演奏ではなく、ベートーヴェンが書いた真の姿を伝える、音楽的な、きわめて音楽的な演奏で、感銘深かった。

 次にジョン・アダムズの「ハルモニーレーレ」。多くの方と同様に、わたしも2015年10月の下野竜也指揮読響定期でこの曲を聴いたが、下野竜也の意欲は大いに買うものの、その演奏はパワーで押す傾向があり、汗が飛び散る体育会系の印象が残っている。

 それに比べて、今回の演奏は、肩の力が抜け、軽いリズムと、明るく柔らかい音色で、この曲の本来の姿に接した喜びがある。N響のアンサンブルの精度はいうまでもなく、そのアンサンブルがあればこその演奏だったが、それは読響も同様だろう。やはりエド・デ・ワールトの軽く、粘らないリズム感とこの曲との相性がよかったのだと思う。

 わたしは迂闊にも忘れていたが、第2部「アンフォルタスの傷」のクライマックスで鳴る強烈な不協和音は、「マーラー《交響曲第10番》の悲痛な和音」の引用だそうだ(岡部真一郎氏のプログラム・ノーツ)。たしかにそう聴こえた。そう思うと、マーラーのあの曲が別のコンテクストで頭の中に蘇った。

 エド・デ・ワールトはこの曲の初演者だ。1985年3月、当時サンフランシスコ交響楽団の音楽監督だったワールトは、同交響楽団を振って初演した。わたしは聴く前はそのことにあまり重きを置かなかったが、聴いた後では、思いがけない感慨が湧いてきた。
(2019.5.12.NHKホール)
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キスリング展

2019年05月10日 | 美術
 エコール・ド・パリの画家キスリング(1891‐1953)は、同じエコール・ド・パリの画家ユトリロ(1883‐1955)、モディリアーニ(1884‐1920)、パスキン(1885‐1930)、藤田嗣治(1886‐1968)、シャガール(1887‐1985)などと比べると、その作品に接する機会が少ないと思う。本展はそんなキスリングの作品をまとめて見るいい機会だ。

 キスリングはポーランドのクラクフで生まれた。最初は彫刻家を志望していたが、地元の美術学校の彫刻教室が満員だったため、絵画教室に入った。そこで絵画に目覚め、師のすすめでパリに出た。1910年、19歳の時だった。最初はモンマルトルに住み、次にモンパルナスに移った。モディリアーニとは親友の間柄になった。

 キスリングは陽気で明るく、社交的だった。本展にはシャガールとのツーショットや、藤田嗣治や美女たちと写っている写真が展示されている。

 チラシ(↑)に使われている作品は「ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル)」(1933年)。本展の目玉の一つだ。サイズは160×110㎝と意外に大きい。堂々とした存在感を備え、キスリングの力量の充溢を感じさせる。紛れもない傑作だが、本展を通覧した後では、本作に(他の作品と比べて)例外的な点があることに気づく。

 それを列挙すると、まず全身像であること(キスリングには半身像が多い)。また背景が具象的であること(背景は無地のものが多い)。純潔の象徴である百合の花を持っていること(何かの象徴が描き込まれている例は珍しい)。影がないこと(ぼんやりした影が描かれている作品が多い)。

 一方、首を傾げて、斜め下を向いた視線は、キスリングの肖像画・裸体画に共通する特徴だ。モデルは画家(鑑賞者)と視線を合わせない。結果、モデルと画家(鑑賞者)との間に距離感が生まれる。モデルの心の中を見通せない、そんなもどかしさを伴う距離感と、前述のように社交的だったキスリングの性格との関係は、どうなのだろう。

 本作のキャプションによると、モデルのベル=ガズーは作家のコレット(1873‐1954)の娘だそうだ。そうか、気合の入り方が違うわけだと、納得できる気がするが、奔放な性生活で知られるコレットなので、その娘が純潔の象徴の百合の花を持って描かれている点に、興味を惹かれなくもない。

 本作はコレットの依頼で描かれたものか、それとも、ほかのだれかの依頼なのか、どんないきさつで描かれたものだろう。
(2019.5.9.東京都庭園美術館)

(※)本展のHP
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ラ・フォル・ジュルネ:ミクロコスモス「ヴェールを剥がれた夜」

2019年05月06日 | 音楽
 ラ・フォル・ジュルネは5月5日の最終日に出かけた。4公演聴いたが、中でもミクロコスモスという合唱団(ロイック・ピエール指揮)の公演が圧倒的だった。

 プロフィールによると「30歳以下の約40名の歌手から構成される」というが、今回の公演では30名くらいの編成だったろうか。男女ほぼ半々の団員たちが、舞台上だけではなく、客席まで使ってパフォーマンスを繰り広げた。

 「ヴェールを剥がれた夜」と題されたその公演は、「おおまかに3部から構成」(プログラムの解説)される。特定のストーリーがあるわけではないが、おもしろく、飽きさせない。なぜ、おもしろいのか、それを説明しようとすると難しいのだが、次から次へと生起する団員たちの動きが、意表を突き、予想ができない。そして一種の儀式的な雰囲気がある。それがおもしろいのではないか。

 合唱団なので、当然、歌が歌われるが、プログラムに掲げられている曲目は13曲あり(ただし、同じ曲が第1部の冒頭と第3部の冒頭で歌われるので、実質的には12曲)、その中で曲がりなりにもわたしの知っている曲は、プーランクの「人間の顔」(抜粋)とグリーグの「抒情小曲集」作品71だけ。しかもグリーグのその曲はピアノ独奏曲なので、だれかが歌詞を付けたものだろうか。

 あとの曲は作曲者も知らない曲ばかり。それがどの曲も親しみやすく、懐かしい感じさえする。ある曲が終わり、余韻に浸っていると、誰かが(一人または複数で)別の曲を歌い始める。それが波紋のように全員に広がる。それが終わるとまた別の誰かが歌い始める‥という具合に連鎖的に続いていく。

 前述のように、団員たちは舞台上で歌うだけではなく、客席の間の通路を歌いながら練り歩いたり、客席の2列の通路に分かれて並び、連祷のように歌い交わす中で、舞台上のグループがメロディを乗せたりする。また舞台上で歌う場合も、整列して歌うことはまずなく、複雑な動きを伴って歌う。

 指揮のロイック・ピエールは当合唱団の創設者(1989年に創設。本拠地はフランスのトゥール)。プロフィールでは「作曲者、演出家、舞台美術家、造形作家としても活躍」とあるので、当公演のすべてがかれの作品なのだろう。

 最後の曲は「ソンメロー/ペーデション:結婚行進曲」。北欧の素朴な民俗音楽を想わせるその曲を歌いながら、団員たちが腕を組んで退場したとき、思わず感動がこみ上げてきた。
(2019.5.5.東京国際フォーラム ホールB7)
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メータオ・クリニック支援の会編「国境の医療者」

2019年05月03日 | 読書
 タイとミャンマーの国境の(タイ側の)町メソットMae Sot(メソト/メーソート)。その郊外にある診療所メータオ・クリニックMae Tao Clinicは、ミャンマーからタイへの難民・移民に無償で医療を提供している。同クリニックを財政的・人的に支えているのは、外国からの支援だ。日本のメータオ・クリニック支援の会が編さんした「国境の医療者」(新泉社)は、同会が派遣したボランティアたちのリレー・エッセイ。

 第1代派遣員(2007.7‐2009.5)から第7代派遣員(2017.8‐2018.9)までの約10年間の記録。そのうちの1人は医師だが、他の6人は看護師・保健師。医師の記録も生々しくて興味深いが、看護師の記録も、そもそも看護の概念がない現地に行って、看護の立ち上げに苦闘する過程がリアルだ。

 国境地帯の現状とはこういうものか、医療ボランティアの現実とはこういうものかと、その体験談に惹きこまれる。

 メソットの難民・移民はカレン人だ。ミャンマーは多民族国家で、約7割はビルマ人が占めるが、残りの約3割は多くの少数民族に分かれる。そのうちの一つがカレン人。わたしは新聞報道などでカレン人という言葉は知っていたが、その実態については無知だった。

 難民・移民としてタイ側に逃れた人々もいるが、国内難民となってミャンマー国内を転々としている人々もいる。国内難民の人々も国境を越えてメータオ・クリニックを訪れることがある。

 一例を紹介すると、ある日、11歳の少女が1歳の妹を連れて、ミャンマー国内から6時間の道のりを歩いてメータオ・クリニックを訪れた。妹が高熱で痙攣を始めたという。少女の足には靴がなく、汚れて赤茶けていた。少女の母親は以前高熱と下痢で亡くなっていた。妹がそれと同じ症状だと思って、怖くなり、泣きながら必死に歩いてきた。

 少女の父親はタイで出稼ぎをしている。少女と妹は、目の悪いおばあちゃんと地雷で足を失ったおじいちゃんに面倒を見てもらっている。そのような子どもはミャンマー国内では多く見かけるそうだ。(本書223~225頁)

 本書が記録する約10年間でもミャンマー情勢は大きく変わった。アウンサンスーチー氏の率いる政党が政権を握ったので、民主化の進展と少数民族との融和が期待されるが、その反面、外国からの援助がミャンマー国内にシフトする現象が起きて、メータオ・クリニックの財政を揺るがしている。国境地帯の現実は一朝一夕には変わらないのだが‥。本書はそんな状況にも触れている。
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