Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

都響の9月定期

2009年09月30日 | 音楽
 長年ドイツのケルン放送交響楽団(現WDR交響楽団)の第1コンサートマスターをつとめていた四方恭子(しかたきょうこ)さんが、今月から都響のソロ・コンサートマスターに就任した。9月定期はそのお披露目演奏会。舞台にオーケストラが並んで、四方さんが登場すると、全楽員から拍手が起こった。なんとも心温まる光景だ。

 この日の指揮者はアメリカの中堅指揮者アンドリュー・リットンで、プログラムは以下のとおりだった。
(1)ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ
(2)モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番(ピアノ独奏:パウル・バドゥラ=スコダ)
(3)ストラヴィンスキー:バレエ音楽「カルタ遊び」
(4)ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1945年版)

 「サーカス・ポルカ」と「カルタ遊び」はストラヴィンスキーの新古典主義時代の作品だが、演奏会で取り上げられるのは比較的珍しい。「火の鳥」はいわずと知れた三大バレエのひとつだが、新古典主義時代の編曲版というのがミソだ。この演奏会はストラヴィンスキーの新古典主義時代とはなんだったかを問うもの。

 「サーカス・ポルカ」はニューヨークのサーカス公演の演目として、50頭(!)の象が踊るバレエのために作曲されたとのこと。低弦の動きがいかにも象たちのステップのようで面白い。最後のほうでシューベルトの「軍隊行進曲」が引用されるのもユーモラスだ。

 「カルタ遊び」はもともとトランプ好きだったストラヴィンスキーのポーカー・ゲームを舞台化したバレエ作品とのこと。あちこちにどこかできいたことのある音型が出没して、気を抜けない。最後のほうで明瞭にロッシーニの「セヴィリアの理髪師」序曲が出現して大笑いという作品だ。

 「火の鳥」をふくめて、演奏は明るく、歯切れよく、しっかりと構築されていた。指揮者のリットンは、さすがに競争の激しいアメリカのオーケストラ界を生き抜いてきただけあって、たいへんな実力の持ち主だ。
 都響も優秀。四方さんの加入でオーケストラの音がリフレッシュされていた。

 なお、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番では、バドゥラ=スコダのピアノにミスが続出して、ほとんど崩壊状態だった。1927年生まれのこのピアニストの体内時計と速めのテンポ設定とが、まるで合っていないように感じられ、そのことが(ミスそのものよりも)辛く感じられた。
(2009.09.29.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スクロヴァチェフスキ&読売日響

2009年09月25日 | 音楽
 スクロヴァチェフスキの任期もいよいよあと半年。昨日の演奏会も別れを惜しむ多くの聴衆で埋まった。プログラムはスクロヴァチェフスキの勝負曲の一つであるブルックナーの交響曲第9番をふくむ以下のもの。
(1)ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(ピアノ:アンドレ・ワッツ)
(2)ブルックナー:交響曲第9番

 かつて華やかなデビューを飾った黒人ピアニストのアンドレ・ワッツも、今は押しも押されもせぬヴェテラン。おおらかで暖かみのあるピアノをきかせてくれた。ここぞというときにはピアノを存分に鳴らすが、基調としては抑えた音で、リラックスした音楽づくりだった。
 スクロヴァチェフスキ指揮の読売日響は、いつものとおり、弾みのあるリズムと明瞭なフレージングでバックをつけていた。その音は(よい意味で)モノラル・レコードのような懐かしさを感じさせた。

 話は脇道にそれるが、この曲の第2楽章はほんとうにユニークだ。威圧するような弦楽合奏と、小声で哀願するようなピアノ。やがてピアノが勝利し、弦楽合奏の怒りはしずまる。ベートーヴェンはなぜこのような音楽を考えたのだろう。後年のリムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」を先取りするようなアイディアだ。

 ブルックナーになると、読売日響の音は色彩豊かになり、フレージングの柔軟性も増してきた。スクロヴァチェフスキの指揮は、とくに第1楽章ではテンポを大きく揺らし、また(これは第1楽章にかぎらないが)ときどき木管楽器や金管楽器を浮き上がらせて、変化に富んだ演奏をきかせた。

 いや、そういうことよりも、スクロヴァチェフスキの意欲がすさまじかった、ということを言うべきだろう。1923年生まれのスクロヴァチェフスキの生命のかぎりを注ぎ込むような指揮ぶり。今年3月の「ミサ・ソレム二ス」でも感じたことだが、なにか尋常ならざるものが起こっているのを目撃するようだった。スクロヴァチェフスキは、本来、演奏に彫琢をほどこして、完成度の高さを目指すタイプだが、ここに来てそんなものは放り出し、生命の燃焼に身をゆだねているようだ。

 家に帰ってふと考えたが、ブルックナーがこの曲を第2楽章スケルツォ、第3楽章アダージョの順番にしていてくれてよかった。もし逆だったら、未完に終わったこの曲をきくことは、どうなっていたか。思い返せば、ブルックナーは(第2番の初稿を例外として)第8番ではじめてこの順番を採用し、第9番でも踏襲したのだった。
(2009.09.24.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

唐松岳~五竜岳

2009年09月20日 | 身辺雑記
 カレンダーの関係で5連休になったシルバーウィーク、皆さんはいかがお過ごしですか。今日の東京は朝から快晴で、気持のよい風がふいています。私の近所はお祭りで、今日は一日、家の前を通るお神輿や山車でにぎやかです。

 私は17日(木)から、使い残していた夏の休暇を(遅ればせながら)使って、北アルプスにいってきました。松本駅から北に向かってのびるJR大糸線にそって、後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)がそびえています。その中の唐松岳(2,696メートル)と五竜岳(2,814メートル)を目指しました。

 17日(木)は朝一番の長野新幹線に乗って長野へ。そこからバスで白馬八方へ――昔は中央本線で松本に行き、そこで大糸線に乗り換えたものですが、時代が変わりました。「特急あずさ」でないと気分が出ない、などとは言っていられません。
 白馬八方からはリフトを乗り継いで八方池山荘へ。そこはすでに標高1,850メートルです。老若男女の観光客にまじって八方池(2,080メートル)へ。
 そこから先はいよいよ登山道になります。右手に白馬岳、目の前に難所の不帰嶮(かえらずのけん)を見ながら八方尾根を登ります。稜線の手前でガスが出てきて、稜線に出たときにはガスの中。唐松岳の頂上ではなにも見えませんでした。
 その日は唐松岳頂上小屋に宿泊。夜、外に出たら、気温は6度でした。

 翌朝は晴天。厚い雲海から朝日が昇ってきます。稜線の反対側には、剣岳が朝日を浴びて、雲海に浮かんでいます。剣岳に連なって立山と薬師岳。小屋番の人が出てきて、「今日は穏やかないい朝ですね」と話しかけてくれました。

 小屋を出て、五竜岳へ。ルンルン気分の稜線歩きだと思っていたら、意外に鎖場があって、気を抜けませんでした。途中からまたガスが出てきて、剣岳もガスの中。視界はまったくききません。五竜山荘に着いて、コーヒーを飲んで休憩した後、頂上に向かいました。
 ガスの中を歩くこと約1時間、不意に頂上に出たら、目の前には鹿島槍ヶ岳(2,889メートル)が黒々と広がり、さらに雲海の向こうには剣岳が天を突くようにそびえていました。

 その日は五竜山荘に泊まり、翌朝、遠見尾根を下山しました。テレキャビン(ロープウェイ)の乗り場まで来ると、レストランが併設されていて、ソフトクリームの看板が出ていました。さっそく券売機で食券を買って、カウンターの前に行くと、そこにはケーキセットの見本が! 思わず尋ねると、現金でもOKとのことなので、ケーキセットも注文しました。
 外のテーブルに座って、野イチゴのタルトを口に運んだとき、人里に戻ってきた実感がわきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドン・カルロ

2009年09月14日 | 音楽
 ミラノ・スカラ座の来日公演のヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」。イタリア語、4幕版。指揮は近年評判のダ二エレ・ガッティ、演出および舞台装置はシュテファン・ブラウンシュヴァイク。私がみたのは12日(土)の公演。

 第1幕で王子ドン・カルロ(ラモン・ヴァルガス)と親友ロドリーゴ(ダリボール・イェニス)が友情を誓い合う場面は、意外に盛り上がらない。その後、ドン・カルロとエリザベッタ(ミカエラ・カロージ)の再会の場面では、お互いの気持ちを探りあう緊張した部分はよかったが、抑えられていた2人の心情が堰を切ってほとばしる部分では、熱いものが伝わってこない。

 結局、第1幕で感じたこのようなことは、オペラの最後まで続いた。抑制された緊張の場面はよいのだが、血の気の多い場面は、なにかが邪魔をして、発散されない――これは、歌手のためであるよりは、指揮者のためであるようだ。ガッティの指揮をきくのははじめてだが、この人には熱狂に向かって自らを解き放つことを抑える傾向がある。

 歌手では国王フィリッポ二世のルネ・パーペが抜群だった。虚無的で、人間にたいする信頼を一切失った、孤独な権力者としての存在感。その存在感のゆえに、自分とは対極の資質をもっていて、ほんらいは憎悪すべき理想主義的なロドリーゴを唯一の腹心にするという逆説を、この公演は結果として感じさせた。

 エボリ公女のドローラ・ザージックは、声は出ているが、演技が棒立ちで、野心にみちた驕慢な性格を表現できていなかった。
 宗教裁判長のアナトーリ・コチェルガは、押し出しはよいのだが、もっと冷たさがあってもよかった。

 ブラウンシュヴァイクの演出は、基本的にはオーソドックスな解釈だが、変わっている点は、ドン・カルロ、ロドリーゴ、エリザベッタの3人に、それぞれ分身となる子役を配していたこと。3人の子役は、かれらの少年時代、少女時代の純情を表現していた(もっとも、今になると、そこまで説明されなくても、という気がしないでもない)。

 ブラウンシュヴァイクは舞台装置も担当。第3幕冒頭のフィリッポ二世の独白の場面では、居室を牢獄のような白一色の部屋にして、殺伐とした心象風景の視覚化に成功していた。一方、随所で若き日のドン・カルロとエリザベッタの出会いの地、フォンテンブローの森を背景に写したことは、だんだんくどいように感じられてきた。

 このようなわけで、上演全体としては、ちぐはぐな印象をぬぐえなかった。
(2009.09.12.東京文化会館)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんにゃく座のオペラ「変身」

2009年09月11日 | 音楽
 カフカの小説「変身」を劇団黒テントの山元清多(やまもときよかず)さんが台本化して、林光(はやしひかる)さんが作曲したオペラ「変身」。1996年に初演され、昨日、再演の初日を開けた。東京での公演は13日まで。その後、15日に水戸芸術館で上演してから、ルーマニア(ブカレスト)、ハンガリー(ブダペスト)、オーストリア(ウィーン)、チェコ(プラハ)への旅に出るという。

 オペラがはじまると、舞台はプラハの居酒屋。カフカとおぼしき男が、新作をもって入ってくる。集まった人々が男をかこむ。男が朗読をはじめると、人々は笑う。そのうち男は「変身」の主人公グレゴール・ザムザと重なってくる。
 ストーリーはかなり忠実にカフカの原作をなぞっている。虫になったグレゴールは、もちろん人間の姿のままだが、舞台を這い回る動作や、人々のワヤワヤした手の動きで、だんだん虫らしくみえてくる。

 オペラは2幕に分れていて、第1幕は8曲、第2幕は9曲で構成されている。第1曲シャンソン、第2曲ブルース、第3曲フモレスケという具合に特徴的な音楽がつづく。楽器編成はピアノ、ヴァイオリン、クラリネット、ファゴットが各1人。基調としてはピアノが主導し、ときどきヴァイオリン独奏や、クラリネットとファゴットの2重奏がフィーチャーされる。

 林光さんの文章(プログラム誌)によれば、その音楽にはモーツァルトやラヴェルの引用、バルトークの模倣などが組み込まれているそうだが、私はあまりはっきりとは認識できなかった。むしろ、なんとなくどこかできいたことがありそうな、安心してきける音楽で、乾いた感性を感じた。それ故に第5曲ロマンスの叙情性が胸に迫った。

 グレゴールがひっそりと死に、父と母と妹が(晴れやかな気分で)郊外にピクニックに出かける場面まできて、これでオペラが終わりかなと思ったら、衝撃的なエピローグがあって、私は震えた。それを書いてもよいのだが、これからはじめてみる人のために、控えておく。ともかく、そのエピローグは、多様な読み方ができるカフカの原作にたいして、山元清多さんと林光さんが、自分たちはこう読むということを、(オペラの途中でも言及されていたが)最後に明示した瞬間だった。

 私はこんにゃく座のオペラをみるのは、これがはじめてだが、日本語がほぼ完璧にききとれることが驚異だった。しかも、日本語を西洋音楽のメロディーにのせたときの気恥ずかしさを、まるで感じないですむ。歌手の演技もきびきびしていて自然だ。日本の一角でこういうオペラが作られていたことを知らずにいた自分の怠惰を思い知った。
(2009.09.10.俳優座)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インキネン&日本フィル

2009年09月05日 | 音楽
 フィンランドの若手指揮者ピエタリ・インキネンが日本フィルの首席客演指揮者に就任して、そのお披露目演奏会があった。曲目は次のとおり。
(1)ショスタコーヴィチ:祝典序曲
(2)シベリウス:ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:樫本大進)
(3)ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

 インキネンは2008年4月にはじめて日本フィルを振った。私もそのとききいて、これはよい指揮者だと感心した。オーケストラ側も同じだったらしい。さっそく固定的なポジションを打診して、とんとん拍子に首席客演指揮者就任が決まったらしい。

 縁があるときはこうなのだろうが、翌年9月(つまり今回)という異例の短期間でスケジュールが合い、さらにインキネンの友人(インキネンはヴァイオリン奏者でもあり、ザハール・ブロンの同門)の樫本大進をソリストに獲得できた。すると、今年に入ってから、樫本大進のベルリン・フィル第一コンサートマスター内定(試用期間開始)のニュースが飛び込んできて、話題性を高めた。おまけに演奏会前日には、来日のための飛行機の中で樫本大進とばったり会った指揮者のバレンボイムが、リハーサルをみにきて、オーケストラを驚かせた(ホームページに写真がのっている)。
 そういうわけで、新しい船出を祝うような話題の多い演奏会になった。

 ショスタコーヴィチの祝典序曲は超快速の演奏。まずは聴衆にたいする挨拶といったところで、次の曲からが勝負。シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、暗く沈潜した弦の最弱音のトレモロの上を、樫本大進のソロが静かに乗ってくる。オーケストラとソロが一体になった演奏。以前、某人気ヴァイオリン奏者が、太い大きな音でプリマドンナのように入ってきた演奏と正反対。
 とくに面白かったのは第3楽章。樫本大進がまるでコンサートマスターのようにオーケストラをひっぱっていった。その演奏は、ソロとオーケストラの対比ではなく、ソロが加わってオーケストラが巨大化したような印象。こういうスタイルの演奏をきくのははじめてだ。私は樫本大進をきくのははじめてではないが、前にきいたときは、こういう演奏ではなかったと思う。ベルリン・フィルとの演奏活動がはじまって、なにかが変わったのか。

 ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、オーケストラの音が細部までよく整えられた演奏。反面、今では偽書とされている「ショスタコーヴィチの証言」の出版以来の引き裂かれた自我の苦痛は、もうきかれない。マーラーの演奏が長い年月をかけてたどってきた道を、ショスタコーヴィチの演奏は短期間のうちにたどってしまったのか。
 この日の演奏では、第3楽章の弱音の緊張感にきくべきところがあった。
(2009.09.04.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グルッペン

2009年09月01日 | 音楽
 戦後ドイツの作曲家シュトックハウゼンの意欲作「グルッペン」の演奏会があった。オーケストラはN響。

 演奏会では、「グルッペン」の前に、リゲティの「時計と雲」が演奏された。この曲は12人の女声とオーケストラのための曲。オーケストラにはヴァイオリンが欠けていて、その代わりに女声コーラスが入るかたち。
 曲は、フルートの小刻みなつぶやきに始まって、次第に女声がかぶさってくる。比喩的にいうなら、山の中腹に教会があって、周囲の森に霧がかかってくるような森閑さ。
 女声は東京混声合唱団、指揮はスザンナ・マルッキ。

 さて、いよいよ「グルッペン」。この曲は3群のオーケストラのための曲で、第1群は会場の1階前方の左側の客席の上に仮設ステージを設けて、そこに位置する。第2群は通常のステージの上。第3群は第1群の反対側(1階前方右側の客席の上)に位置する。それぞれのオーケストラは壁にむかって(中央に背を向けて)座る。3人の指揮者(第1群はパブロ・ヘラス=カサド、第2群はスザンナ・マルッキ、第3群はクレメント・パワーで、いずれも若い人たち)は壁を背負って立ち、お互いにキューを送る。

 親切なことに、この曲は休憩をはさんで2回演奏された。座席は全席自由席。私は、1回目は2階正面の席できいたが、音の生気に物足りなさを感じたので、2回目はステージのうしろの席(Pブロック)できいてみた(こういうパターンの人が多かった)。すると、第2群のオーケストラは生々しい音で、第1群と第3群は適度の距離感をもってきこえてきた。

 この曲では3群のオーケストラが独自のテンポ、拍子、リズムで演奏し、しかもときどき同一音型を受け渡したり、ぴったり合ったりするから、その演奏には譜面にかかれたとおりの厳格さが必要になる。昨日は、浮遊する粒子のような音の動きが感じられたので、演奏は立派だったのだと思う。

 この曲は1958年3月にケルンで初演され、同年10月にドナウエッシンゲン音楽祭で再演された。当時、それを吉田秀和さんがきいて、感想をかいている。シュトックハウゼンやブーレーズとの交流の様子が楽しいエッセイだが、曲の感想もさすがだ。その一部を引用すると――

 「私にとって、最も感銘のふかかったのは、何よりも、シュトックハウゼンの音楽に表出しうる――音楽を扱いうる能力のなみはずれた高さとでもいったものだった。この曲をつくりあげている音響の多様性と豊かさは、かつて、ほかで耳にしたことがないほどだったし、構成、配分のおもしろさにいたっては、いうまでもなく、全然独自だから、言葉の一番はじめての意味で独創的というほかない。」(吉田秀和全集第8巻所収「ドナウエッシンゲン・1958」)
(2009.08.31.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする