Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ブエノスアイレスのマリア

2013年06月30日 | 音楽
 ピアソラのオペリータ(小オペラという意味。造語のようだ。)「ブエノスアイレスのマリア」。2011年3月19日に予定されていた公演。ところが東日本大震災の発生により中止になった。そのときの無念さが忍ばれる。それから2年、同じメンバーが集まって、復活公演にこぎつけた。ただしコントラバス奏者はこの2年のうちに亡くなったそうだ。なので、正確にいうと、コントラバス奏者が入れ替わって、再結集した公演。当時の「このままでは終わらせない」という皆さんの熱い気持ちが実った公演だ。

 当時、外人歌手と語りの3人のうち2人は帰国してしまったそうだ。無理もない話だが、これも皆さんの落胆に拍車をかけた。残った一人はリハーサルに参加して、皆さんを勇気づけ、感動させた。その人が今回も参加している。歌手のレオナルド・グラナドス。嬉しいことだ。

 嬉しい驚きはまだある。交代した外人歌手――主役のマリア役――にこの作品の初演時(1968年)のメンバー、アメリータ・バルタールAmelita Baltarが入ったことだ。わたしもCDでは聴いたことがあるが、まさかその人が今回の公演に参加するとは――と、夢でも見るような気になった。

 こうして迎えた今回の公演、なんだか平静な気持ではいられなかった。冒頭の「アレバーレ」、ゆっくり目のテンポで曲が始まり、小松亮太のバンドネオンがそこにくっきりした輪郭を与えたとき、皆さんのこの公演にかけた準備の総量が感じられた。

 そしてアメリータ・バルタール。ハスキーな低音がマリアそのもの、マリアの化身、生けるマリアだった。これは一生忘れられそうもない経験だった。

 いうまでもなく、マリアはタンゴの擬人化なのだが、こうして聴いていると、タンゴに限らず、そこにさまざまなイメージが重なる気がした。青春の思い出、破れた恋、苦い人生、不当な扱い――。聴く人それぞれの悔恨をこの音楽に注ぎ込んで、思いっきり感傷に浸ることのできる――そんな自分を受け入れてくれる――器のように感じた。

 終演後は大喝さい。スタンディングオベーションに応えてアメリータ・バルタールは「受胎告知のミロンガ」をもう一度歌ってくれた。

 嬉しいニュースがあった。2011年9月に公演が予定されていたが、訳あって中止になったゴリホフのオペラ「アイナダマール(涙の泉)」が、来年11月に上演されるそうだ。主催は日生劇場。これは感動的なニュースだ。
(2013.6.29.東京オペラシティ)

(注)2011年3月の様子は谷本仰氏(第2ヴァイオリン奏者)のブログによる(2011年3月19日付け)。
http://blog.livedoor.jp/aogoomuzik/
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フルシャ/都響

2013年06月27日 | 音楽
 ヤクブ・フルシャ指揮の都響。1曲目はショパンのピアノ協奏曲第2番、ピアノ独奏はヤン・リシエツキ。情報に疎いので、初めて聞く名前だったが、ヤニク・ネゼ=セガン指揮ロッテルダム・フィルのソリストとして来日経験があるそうだ。名前からいってポーランド人かと思ったが、カナダ人とのこと。今年18歳、長身、金髪で人気の出そうな好青年だ。

 演奏もよかった。とくに第2楽章のA-B-Aの三部形式のAの部分、弱音のコントロールが見事だった。さわれば壊れてしまいそうな繊細さだ。月の光が滴りおちる澄み切った夜――という風情だった。

 フルシャ指揮の都響もよかった。第1楽章の冒頭、この曲にしては豊かに鳴るなと思ったが、それがそのまま引き継がれ、ピアノにたいして出すぎもせず、かといって引っ込みすぎもせず、ピアノを豊かに包み込んだ。第1楽章と第3楽章でテンポを急に上げるところも、ピアノと一体化していた。

 面白かったのは、第3楽章のコーダに入るところで鳴るファンファーレの演出。舞台裏からホルン奏者が登場し、小ぶりのホルンを朗々と吹き鳴らし、また舞台裏に去って行った。思わずにっこり微笑んだ。こういう演出はよくやるのだろうか。わたしにはあまり記憶がないのだが。

 久しぶりに聴いたこの曲、やっぱりいい曲だなと思った。思えば昔から、第1番よりもこの第2番のほうが好きだった。なぜだろう――そう思って聴いているうちに、この曲のほうが等身大のショパンが感じられるから――、なのかなと思った。第1番のほうは、立派な曲を書こうという、構えたところが感じられる。

 アンコールにショパンのエチュード作品25から第12番ハ短調が演奏された。大波が打ち寄せるような演奏。これはそういう曲だけれども、それだけではなくて、リシエツキの若さの勢いが感じられた。

 プログラム後半はリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」。これは気負いが先行した演奏だった。とくに登りの部分(頂上に立つまでの部分)がそうだった。ガンガン脇目も振らずに登って行く感じ。山の清新な空気を味わう気などない(そんなことは眼中にない)という感じ。下山の途中で嵐に遭うところから、やっと楽しむことができた。

 最後の音が消え入るように終わるか終らないかというところで、一人のお客さんが出て行った。どうしたのだろうと思ったら、急病人が出たようだった。
(2013.6.26.サントリーホール)
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夜叉ヶ池

2013年06月26日 | 音楽
 香月修の新作オペラ「夜叉ヶ池」。前奏曲が始まると、ラヴェルのような音楽が流れてきて、前世紀にタイムスリップしたような気がした。第1幕に入ってしばらくすると、その音楽にも慣れ、ドラマに引き込まれた。一見淡々と進むように見える第1幕だが、その実起伏に富んでいた。

 第1幕が終わった時点で、これはすばらしいと思った。失礼ながら香月修という作曲家は(わたしには)未知の作曲家だったし、尾高芸術監督の友人という話も伝わってきたので、一抹の不安があった。でも、これはこれで、すばらしいと思った。新作の初演といえば、松村禎三の「沈黙」の初演に立ち会ったときに、震えるような感動を味わったことが思い出されるが、今回はそれに次ぐ手応えがあった。

 そのようにポジティヴに受け止めることができたのは、演奏がよかったからでもあるだろう。ヒロインの百合を歌った幸田浩子をはじめ、皆さん熱演=熱唱だった。また十束尚宏指揮東京フィルの演奏も濃密だった。十束氏は最近在京のオーケストを振らないので、どうしているかと思っていたが、健在でなによりだ。

 泉鏡花の戯曲「夜叉ヶ池」は昔読んだことがあるが、今回オペラを観るに当たって、読み直してみた。ひじょうに面白かった。軍国主義に突き進む当時の(1913年発表、第一次世界大戦前夜だ)日本社会にたいする批判が込められていることもわかった。

 この戯曲をどのようにオペラ化するのだろう、というのが目下の関心事だった。香月修と演出の岩田達宗(二人共同で台本を作成)のとった方法は、百合の子守唄を中心に構成する方法だった。戯曲では子守唄は一瞬しか出てこないが、オペラでは最初から最後まで出てくる。それによって全体をまとめる方法だった。

 これは慧眼だと思った。しかもその子守唄は、まだオペラ化のあてもない15年以上も前に書いて、作曲者自身ずっと特別の愛着を持っていた曲だと知って、静かな感動をおぼえた。

 細かいところでは、クライマックスで百合が自害したとき、その夫の晃が友人学円に「何時だ」と聞くその聞き方が妙に冷静なので、違和感があった。帰宅後戯曲を見てみたら「と極めて冷静に聞く」というト書きがあったので、戯曲通りだったわけだが――。

 もう一つ、幕切れでは大きなカタルシスを期待したが(そうなるものと思って音楽の流れに乗っていたが)、慎ましく終わった感じがした。
(2013.6.25.新国立劇場中劇場)
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ヘレヴェッヘ/読響

2013年06月22日 | 音楽
 フィリップ・ヘレヴェッヘが読響を振るのは初めて。もう何度も来日しているが、日本のオーケストラを振るのは初めてかもしれない。プログラムは2種類用意された。一つはベートーヴェン・プロ、もう一つはシューベルトとシューマン・プロ。わたしは両方聴いてみた。どちらも面白かった。

 ベートーヴェン・プロは、「コリオラン」序曲、交響曲第1番そして第7番。なんといっても、真っ先に感じたのは、リズムのよさだ。粒立ちのよいリズム、明快で、曖昧さがなく、粒子が転がっていくようなリズム、さらにいえば、各奏者がすべて均質に整えられているリズム、奏者によってばらつきのないリズム。

 それがもっともよく表れたのは交響曲第1番だ。リズムの飛沫が飛んでくるような演奏。この曲でこんな演奏を聴いたことはない。ヘレヴェッヘという稀有の個性がとらえた作品像なのだろう。一方、第7番はもともとリズム主体の曲で、そのように演奏されてきたわけだが、ヘレヴェッヘの演奏では、たとえば第2楽章の思いがけないところで細かなリズムの動きが見られた。

 シューベルトとシューマン・プロも基本的には同様の演奏だった。まずシューベルトの交響曲第6番。ハ長調の「ザ・グレート」にたいして、「小ハ長調」と呼ばれている曲だ。第2楽章の三連符の連なり――各パートに受け継がれながら鎖のように連なっていく三連符――が目に見えるようだった。また第1楽章第2主題、木管楽器が奏するその主題を支える弦の刻みが、ハッとするほど明瞭に浮かび上がってきた。

 2曲目はシューマンのチェロ協奏曲。独奏はクレメンス・ハーゲン。これも名演。けっして気張ったり、ことさらに大きく見せたりするわけではないのに、音楽的な充実度でホールを満たした。自然体なのに、自ずから生まれてくる充実度がすごい。ハーゲンはアンコールを弾いてくれた。バッハの無伴奏チェロ組曲第1番からアルマンド。ヘレヴェッヘも後ろで聴いていた。

 3曲目はシューマンの交響曲第3番「ライン」。この曲ほど演奏者によって大きく変わる曲もない。一方では高らかにホルンが鳴り、一点の雲もない晴れ渡った空のように晴朗な演奏があるかと思えば、他方ではシューマン特有の(といわれている)モヤモヤしたオーケストレーションそのままの演奏。ヘレヴェッヘは後者だった。この曲のありのままの姿を見せてもらった気がする。なお、第2楽章のテンポが速いなと思った。帰宅してからインターネットでスコアを見てみたら、四分音符=100だった。そのテンポだったかもしれない。
(2013.6.16&21.サントリーホール)
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大野和士/都響

2013年06月19日 | 音楽
 都響の次期音楽監督に就任が決まった大野和士がその都響を振った演奏会。否が応でもモチベーションが上がるはずの演奏会だったが、意外に感銘は薄かった。なぜだろう。曲はブリテンの「戦争レクイエム」。大野和士/都響でなくても、現代のオーケストラなら、この曲を取り上げる演奏会は特別のものだろうに。

 原因は、申し訳ないが、明らかだ。それは合唱。といっても、児童合唱(東京少年少女合唱隊)はよかった。問題は大人のほうだ。今のプロのオーケストラでは、このレベルの合唱では通用しない。残念ながら、この合唱が演奏を台無しにした。

 大きくいうなら、以上に尽きるのだが、もう一ついうと、独唱者(日本人)の英語の発音にも問題があった。大ベテランの歌手なので、失礼にあたることは承知の上だが、少しも英語らしく聴こえなかった。

 今回の演奏では、ソプラノは中国人、テノールは韓国人、バリトンは日本人という布陣だった。この曲の初演のときに、ソ連、イギリス、ドイツの歌手をそろえて、第二次世界大戦の当事者による平和への希求という性格を打ち出そうとした(実際にはソ連の歌手は参加できなかった)ことに倣ったものだ。

 今回、韓国の歌手オリヴァー・クックが、英語の発音もふくめて、感銘深い歌唱を披露してくれたのに反して、日本人の歌手は、英語の発音で互角に絡み合うことができなかった。そのことも著しく興をそいだ一因だ。

 こういったことが影響したかどうかはわからないが、大野和士/都響も、第6曲「リベラ・メ」の前半部分の、光彩陸離たる、めくるめくような表現を除いては、あまり聴くべきところがなかった。

 そういうわけで、妙に客観的に聴いてしまった。そうなると、この曲、意外とコンサートホールでやるのは難しい気がしてきた。たとえば第1曲「レクイエム・エテルナム」の冒頭部分、合唱が小声で呟くところなど、コンサートホールでは、はっきり聴こえすぎる。教会だったら、本来のワヤワヤした音響が生まれるのではないか。

 あるいは第2曲「ディエス・イレ」のラッパの音、あれもコンサートホール、とりわけ昨日の東京文化会館のようなデッドな音のホールではなく、教会のような巨大な空間だったら、本来の音――この世のものとも思われない恐ろしい音――に聴こえるのではないか。そんな夢想をしながら聴いていた。
(2013.6.18.東京文化会館)
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チョン・ミョンフン/N響

2013年06月17日 | 音楽
 チョン・ミョンフン指揮のN響。チョン・ミョンフンがN響を振るのはこれで5回目だそうだ。その全部を聴いているわけではないが、今回は鮮烈な、なにか決定的な印象を受けた。

 1曲目はベートーヴェンの交響曲第2番。わたしの大好きな曲だ。今までは第1楽章、第2楽章に比べて、第3楽章と第4楽章は軽いと考えていた。そういうバランスの曲は結構あるので、この曲もその一つだと思っていた。

 ところが、この演奏ではそう感じなかった。全体として均衡がとれていた。これはチョン・ミョンフンとN響のコンビの構成感――あるいは造形感――の表れだと思った。ひじょうにかっちりとした楷書体の造形感。ともに東洋人としての共通の血が流れている、その土壌から生まれる、楷書体の造形感だと思った。

 2曲目はロッシーニの「スターバト・マーテル」。これも同様の演奏だった。模範的ともいえる演奏。イタリア的でもないし、――多少語弊があるかもしれないが――宗教的でもない、あえていうなら古典的な演奏。その枠組みから外れるものはなにもない、見事に整頓された演奏。

 なので、文句はなにもなかった。繰り返しになるが、東洋人たる――しかも超一流の技術を持った――指揮者とオーケストラの出会いの、その化学反応としての演奏はこうだという、一つの見本かと思った。

 でも、日がたつにつれて、印象が色あせてきた。冒頭に「決定的な」印象を受けたと書いたが、それが怪しくなってきたのだ。オーケストラは「今回もきっちり仕事をしました」と、そういうことではないのか。チョン・ミョンフンも、フランスやイタリアのオーケストラとの仕事とはちがって、発火点に達しなかったのではないか、と。

 もし、そうだとしたら、結局はいつものN響と変わらないことになる。でも、――言い遅れたが――音には緊張感があった。それは稀にみる緊張感だった。わたしにはブロムシュテット以来だと思われた。だから、いつものレベルを超える演奏だったことは間違いない。あとは、そこからさらに脱皮する、勇気ある一歩があるか、ないか、なのだろう。

 歌手は、日本人一人を除いて、韓国の若手が3人。なかでもソプラノのソ・ソニョンSunyoung Seoが逸材だった。いつかヴェルディなどを聴いてみたいものだ。合唱は東京混声合唱団。大編成だったが、いつものレベルを保っていたのはさすがだ。
(2013.6.15.NHKホール)
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ラザレフ/日本フィル

2013年06月15日 | 音楽
 ラザレフ/日本フィルのラフマニノフ・チクルスの最終回。プロコフィエフがあまりにも鮮烈だったので、ラフマニノフは影が薄い感じがしないでもない。でも、よく考えてみると、このチクルスのお陰でラフマニノフの真価を知ったことは、我とわが身に認めなければならない。正確にいうと、このチクルスが進行しているお陰で、ラフマニノフに正面から向き合うことができた。結果、今までいい加減な認識しか持っていなかったラフマニノフに、きちんとした考えを持つことができた。

 最終回は「カプリッチョ・ボヘミアン」から。ラフマニノフにこんな曲があったのか。前半はロシア風の暗い情熱のように感じられたが(プログラム・ノートによるとロマ/ジプシー音楽とのこと)、後半はボヘミア的だった。若いころの作品。なぜこのような曲を書いたのだろう。なにかきっかけがあったのか。いずれにしても、チクルス公演でないとなかなか取り上げられない曲だ。

 演奏は緻密かつ豪快。好調だ。先日の「シェエラザード」には粗さがあったが、今回はそうではない。

 2曲目は「パガニーニの主題による狂詩曲」。ピアノは河村尚子。ものすごく優秀なピアニストだ。プロフィールによるとドイツを拠点に活動しているとのこと。演奏も、そしてステージマナーも、自然体というか、ラザレフを相手にしても、物おじしない。アンコールに曲芸的な小品を弾いてくれた。パガニーニ(リスト編曲)のカプリース第4番とのこと。

 最後は「交響的舞曲」。ラフマニノフ・チクルスを締めくくるに相応しい好演だった。あえて形容すれば、前述したように、緻密かつ豪快ということになるが、もっと実感に即していうと、プロコフィエフ・チクルスが終わってラフマニノフになったとき、ふっと気の抜けたような緩みを感じた、それを持ち直すような集中度があった。

 次回からはスクリャービン・チクルス。その告知の意味もあるのだろう、終了後にアフタートークがあった。ロビーでやることはあるが、今回は客席で。オーケストラが退場した後で聴衆の有志が残って聞く方法。これは珍しい。

 ラザレフの話の最後のくだりが面白かった。ストラヴィンスキーが、スクリャービンについてどう思うかと聞かれたとき、ストラヴィンスキー曰く、「ひじょうにいやな奴だ。自分のことしか考えられない奴」。で、ラザレフ曰く、「そういうストラヴィンスキーだって、天使ではありませんでした(笑い)」。
(2013.6.14.サントリーホール)
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旅立ちの島唄~十五の春~

2013年06月14日 | 映画
 映画「旅立ちの島唄~十五の春~」を観た。南大東島の話。正直いって、南大東島といわれても、台風情報のときに登場する島、というくらいの認識しかなかった。申し訳ない話だが。

 南大東島は沖縄本島から東に360㎞ほど離れている。360㎞というと、東京から名古屋までの距離に相当する。JRの場合は線路の延長だが、南大東島は直線距離だ。どれくらい離れているか、想像がつくというものだ。

 南大東島には高校がない。島の子供たちは中学を卒業すると、島を出る。多くの場合は沖縄本島に行くようだ。この映画はそんな子供たちの一人、優奈の物語。優奈は中学3年生。卒業までの一年間、多感な日々を過ごす。初恋もする。両親の離婚も経験する。大人たちの世界を垣間見る。そして迎える卒業の日、優奈は確実に成長している。

 卒業式を終えた優奈は、所属する島唄グループ「ボロジノ娘」のコンサートに出る。島民たちが集まってくる。毎年恒例の行事だ。優奈は別れの唄「アバヨーイ」(さよなら)を歌う。師匠の教えのとおり、泣かずに歌う。「ボロジノ娘」は後輩に引き継がれる。

 「ボロジノ娘」は実在のグループだそうだ。新垣則夫という方が指導している。島唄を教え、三線(さんしん)を教える。映画に出てくる師匠は、新垣氏ご本人だろう。

 島唄――。島唄には想い出がある。何年か前に奄美大島を旅したとき、夜、居酒屋へ行った。島唄を聴かせてくれる店だった。ご主人が興に任せて歌ってくれた。店の一角には何種類もの焼酎(奄美群島特産の黒糖焼酎)が用意されていた。我々お客は各自好きな焼酎を飲みながら、島唄に耳を傾けた。

 ご主人は奄美の島唄と琉球民謡のちがいを教えてくれた。たしかにちがっていた。今それを言葉で説明することはできないが。それと同時に、琉球王国に支配され、またあるときは薩摩藩に支配されて、苦難の歴史をたどった奄美群島の歩みを語ってくれた。

 大東諸島の歴史はまたちがう。大東諸島は無人島だった。1900年、最初の開拓団が入った。八丈島から来た23人だった。大東諸島の歴史はそこから始まる。そんな大東諸島の島唄と、奄美や琉球の唄・民謡とは、どんな影響関係にあるのだろう。

 映画で優奈を演じたのは三吉彩花。1996年生まれ。まだ10代だが、美しく、しかも存在感がある。将来、大輪の花を咲かせてほしいものだ。
(2013.6.12.シネスイッチ銀座)
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藝大~現代音楽の夕べ

2013年06月10日 | 音楽
 ある演奏会で受け取ったチラシに「藝大~現代音楽の夕べ」があった。演奏曲目の一つに廣瀬量平のチェロ協奏曲「悲(トリステ)」を見つけた。懐かしかった。そういえば最近この作曲家の作品を聴く機会がなかった。これはぜひ聴かなければ――。

 指揮は湯浅卓雄。海外での活動が長く、多数のCDを発表している。その何枚かは聴いたことがある。また在京のオーケストラを振るのも聴いたことがある。手腕のたしかさは折り紙つきだ。現在は藝大の演奏藝術センター教授とのこと。

 演奏は藝大フィルハーモニア(東京藝術大学管弦楽研究部)。藝大の教官および非常勤講師で構成されている。プロのオーケストラで年2回の定期公演をしている。残念ながら定期を聴いたことはないが、CDでそのレベルの高さは承知している。昔のパリ音楽院管弦楽団に似た組織という説明をどこかで読んだことがある。一度は生で聴いてみたいと思っていたオーケストラだ。

 さて、前置きが長くなったが、当日の演奏会の模様を。1曲目の坂田拓也「13人の奏者と弦楽合奏のための音楽」と2曲目の平川加恵「紅射す雨は萌黄色に~ピアノとオーケストラのための~」(ピアノ:中桐望)は、ともに大学院の作曲専攻課程で創作された作品とのこと。

 将来ある若者の作品を聴くことは楽しかった。一言だけ感想を記すと、坂田作品は肩に力が入った作品。意欲が先行している感がなきにしもあらず。一方、平川作品は世間とのコミュニケーションをどうとるかを心得ている観がある。二人の個性のちがいだろうが、一般的にいっても、この年代の男女のちがいに通じるものがあるように感じられた。

 休憩をはさんで3曲目は鈴木純明(すずきじゅんめい)准教授の「ラ・ロマネスカ2―ペトルッチの遍歴~管弦楽のための~」(注:「2」は正しくはローマ数字大文字だが、このブログでは変換できないので、「2」と表記)。

 冒頭に鄙びたルネサンス時代の旋律が引用され、以下、現代的な音響ながらも、明るい音色が続く楽しい作品。いかにも現代的な作品――現代の嗜好を体現した作品――。ひじょうに面白かった。鈴木純明という作曲家は要注目だ。

 そして最後に廣瀬量平のチェロ協奏曲「悲(トリステ)」(チェロ:向山佳絵子)。前曲の余韻が残っていたせいか、モノクロームの音色に時代の差を感じた。われながら意外だった。ちょっとショックだ。
(2013.6.7.東京藝術大学奏楽堂)
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コジ・ファン・トゥッテ

2013年06月07日 | 音楽
 新国立劇場の「コジ・ファン・トゥッテ」。2011年5月の初演。それからわずか2年しかたっていない時期での再演だが、十分楽しめた。夏のキャンプ場に舞台を移した演出。それが小気味いいほどピタッとはまっている。最近の新国立劇場は海外のプロダクションのレンタルが目立つが、逆にこれは海外にレンタルできる質を備えている。

 「コジ・ファン・トゥッテ」は20世紀後半になってさまざまな解釈=演出がなされてきた。モーツァルトのオペラのなかでもっとも現代性のある作品、という様相を呈してきた。そして今は、それらの「コジ・ファン・トゥッテ」再発見が一段落した――かもしれない――という感想をもった。

 幕切れでは、2組の恋人は元のさやに納まるどころか、椅子を投げつけるなど大荒れとなり、全員バラバラの方向に立ち去る。最後に残ったドン・アルフォンソが大笑いして幕になる。では、ドン・アルフォンソは、純粋な恋人たちの仲を引き裂いた悪魔か、それとも知らなくてもいいことを教えたおせっかい男か。

 でも、そこまで踏み込んだ解釈をしなくても、文字通り笑って済ませるほうがお洒落だ――と、そう思わせる感覚があった。

 声楽的には初演のときよりも今回のほうが上だった。まず女声2人、フィオルディリージのミア・パーションとドラベッラのジェニファー・ホロウェイの二重唱が、もうため息の出るほど美しかった。2人の声質に共通項があるようだ。このオペラはこの二重唱が全編にわたって出てくるので、その都度ひきこまれた。

 ミア・パーションは意外に濃い表現をする歌手のようだ。とくに第2幕の長大なアリアが絶品だった。ひじょうに彫りの深い表現だった。一方、第1幕の「岩のアリア」があっさりしていたのは、訳あってのことだろうか。

 男声陣ではフェランドのパオロ・ファナーレが、抒情的な表現でその心情を痛切に表現していた。

 面白く思った点は、ドラマとしては個性のちがいに乏しい男声2人が、音楽的にはくっきりと描き分けられていて、個性のちがいがはっきりしている女声2人は、重唱が多い点だった。ダ・ポンテが書いた台本(今回、読み返してみて、シュールな不条理劇のような感じがした)にたいするモーツァルトの反応――劇場的センスの現れ――だろうか。

 最後になったが、ドン・アルフォンソのマウリツィオ・ムラーロは、深々とした声と温かい人間味がよかった。
(2013.6.6.新国立劇場)
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つく、きえる

2013年06月05日 | 演劇
 ドイツの劇作家シンメルプフェニヒSchimmelpfennig(1967‐)の新作「つく、きえる」AN UND AUS。新国立劇場の委嘱作品だ。委嘱後、3.11の大震災が起き、その影響を強く受けた作品。ドイツの劇作家が3.11を自己のものとして書いた作品――という側面をもつ新作だ。

 観ているうちに、歯がゆくなった。歯がゆいという言葉しか思いつかないのだが、なにか違和感があった。それをどういったらいいのだろう。端的にいって、外側からの視線を感じた。それはたぶん、わたしが日本人だからだろう。西洋人だったら共通の土俵に立てるのだろう。けれども日本人には無理のようだ。それはなぜだろう。

 正直にいって、舞台を観ながら、映画「遺体~明日への十日間」(君塚良一監督、西田敏行主演)が思い出された。3.11の作品化――3.11の意味を探るという意味での作品化――は、わたしにとってはあの映画が原点なのだなと思った。それとのあまりの相違に面食らった。

 3.11から2年あまりたって、わたしたち日本人は3.11を内面化し始めているのだと思う。その内面化のプロセスにあの映画は――日本人の死生観という意味で――ぴったり合ったのだと思う。

 一方、今回の「つく、きえる」は、今のわたしにはタイミングが合わなかったのだろう。3.11以降、たとえば東京では、交通網が乱れた。通常の通勤ルートが使えず、また時間の予定が立たなかった。計画停電もあった。社会全体が、タガが外れたようになった。舞台を観ていて、あのときの感覚を思い出した。でも、わたしたちはもうその先に行ってしまっている。

 作品の形式面でも、各登場人物がモノローグのように「わたしは○○した」「××した」と語るその文体が、途中から単調に感じられた。以前の「昔の女」もそうだったろうか。単調に感じた記憶はまったくないのだが。

 演出についても、どうだったのだろうと、帰宅後、考えた。この作品では3組の不倫のカップルが出てくる。その3組が少しも官能的ではなかった。少なくとも不倫をしているのだから、海辺のホテルに部屋を取ったときは、官能がときめいてもよさそうだが、少しもそんな気配がなかった。そのことがこの作品を詰まらなくした一因かもしれない。もしもこの作品が海外で上演されたらどうなるのだろう。もっとエロティックな表現になったかもしれない。
(2013.6.4.新国立劇場小劇場)
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アントニオ・ロペス展

2013年06月01日 | 美術
 アントニオ・ロペス展。チラシ(↑)やポスターでマドリッドの大通りを描いた「グラン・ビア」を観て、写真と見紛うばかりの迫真性に驚いた。どんな画家だろう。調べてみると、1936年生まれの現存の画家だった。著書もあった。「アントニオ・ロペス~創造の軌跡~」(木下亮訳、中央公論新社)。2001年12月~2002年1月に行われた3回の講演会の記録だ。講演会といっても、聴衆と対話しながら、興に任せて、あれこれおしゃべりする、くつろいだものだ。ロペスの肉声が聞こえてくる感じがした。

 さて、準備万端、いつ行こうかと思っていた。会期終了が迫ってきたので、気になってきた。そこで、先日、出かけてきた。

 「グラン・ビア」はもちろんすばらしかった。チラシでは気が付かなかったが、左の建物の正面に06:30と時刻が描かれていた。夏の早朝、午前6時30分というわけだ。その時刻の、まだひんやりした空気をとらえた作品だった。

 面白いことに、もう一つ、時刻が描かれた作品があった。前掲の「アントニオ・ロペス~創造の軌跡~」の表紙にも使われている「トーレス・ブランカスからのマドリード」がそうだ。左手の大きなビルの屋上に21h40と描かれていた。これにも気付かなかった。夏の夕暮れ、午後9時40分というわけだ。この季節の、遅い夜が訪れる、その前の夕映えをとらえた作品だった。

 この作品では、もう一つ意外な点があった。左右両端の、手前の建物が、もうどうでもいいかのように、大雑把に描写されている点だ。それに気が付くと、他の風景画(マドリードの俯瞰図)にも同じような点が見つかった。それでいいのだろう。ロペスの場合は、リアリズムとはいっても、たとえばヴェネチア市街を描いたカナレット(1697‐1768)のような、写真のように克明な描写を目指すのではなく、なにかの主題を提示するタイプなのだろう。

 本展で一番感銘を受けた作品は、素描の「マリアの肖像」だった。これもチラシで観ていた。鉛筆だけで描いたとは信じられなかった。実際に観ても、やはり信じられなかった。すばらしいというか、すごいというか――。澄んだ眼差し、コートの材質感、その両方に圧倒された。繰り返していうが、鉛筆だけでこれを描いたのだ。

 帰宅後、前掲書をパラパラと読み返した。実際に作品を観た後なので、よくわかる気がした。作品を観る前よりも、ロペスの言葉が身体に入ってきた。
(2013.5.30.Bunkamuraザ・ミュージアム)

↓公式ホームページ
http://www.antonio-lopez.jp/
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