Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ミュンヘン:私のラヴェル

2010年11月30日 | 音楽
 「マハゴニー市の興亡」はマチネー公演だったので、夜は空いていた。バイエルン州立歌劇場のボックスオフィスをのぞいたら、バレエ公演のチケットが残っていたので、みることにした。新制作の「私のラヴェルMein Ravel」と題した2本立ての公演。この日が初日だった。

 1本目は「Wohin er auch blickt…」(英訳:Whichever way he looks…)という作品。ラヴェルの「海原の小舟」、「左手のためのピアノ協奏曲」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」の3曲で構成されていた。

 「海原の小舟」はプロローグ的な性格。多くのダンサーが登場して、恋人と戯れる情景が繰り広げられた。そのとりとめのなさが、茫漠とした音楽によく合っていた。次の「左手のためのピアノ協奏曲」がストーリーの中心。にわかに事態が緊迫し、男たちが隊列を組んで戦地に向かう。「亡き王女のためのパヴァーヌ」はエピローグ的な性格。男たちが戦地から戻り、恋人に出迎えられる。しかし一人だけは戻らない。恋人は諦めて帰ろうとする。そのとき男が戻ってくる。しかし様子が変だ。目を合わせずに通り過ぎてしまう。あれは肉体から遊離した魂だったのか、それとも戦いで人格が破壊されたのか・・・。幕切れには喪失感が漂った。

 衣装は黒。舞台装置はなにもない。あるのは4メートル四方くらいの大きなスチール製の網が8枚だけ。それぞれびっしりと照明が取り付けられている。これらの網が空中に浮かんだり、壁になったりして動き回った。メタリックな黒の世界。振付はドイツ人のJoerg Mannes。

 ピアノ独奏は児玉桃だった。コンサートとちがって最初はやりにくそうだったが、後半の長大なカデンツァでは、やりたいようにやった観がある。指揮はケント・ナガノ。児玉桃の義兄にあたる。その指揮は繊細きわまりないもの。このオーケストラからこういう音が出るのかと驚くばかりだった。

 2本目は「ダフニスとクロエ」。1本目とは対照的にダンサーの衣装は白が主体。舞台奥のスクリーンにはモネの風景画が投影され、照明も柔和だ。夢幻的な白の世界。振付はオーストラリア人のTerence Kohler。

 驚いたことには、クロエを踊ったダンサーは日本人だった。名前はMai Kono(河野舞衣)さん。プログラムに掲載されている写真は別人だったので、急な代役だったのかもしれない。踊りの切れ味、表現力、ともに見事なものだった。

 ケント・ナガノの指揮も素晴らしかった。たとえていうなら、最上のガラス細工のようだった。ケント・ナガノには意外に日本的な感性が根強い。この劇場のポストは退任するそうだが、今後ともその感性の可能性を見守りたい。
(2010.11.21.バイエルン州立歌劇場)
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ミュンヘン:マハゴニー市の興亡

2010年11月29日 | 音楽
 4日目はゲルトナープラッツ劇場の「マハゴニー市の興亡」へ。この劇場は初めてだ。初めての劇場を訪れるときはワクワクする。古き良き時代の香りが残っている劇場だ。バイエルン州立歌劇場がインターナショナルな性格を強めているのにたいして、こちらはローカルそのものだ。

 かなり前になるが、ウィーンのヨーゼフシュタット劇場(ベートーヴェンがその開場のさいに「献堂式序曲」をかいた劇場!)で「三文オペラ」をみたことがある。あの劇場と似た雰囲気だ。19世紀以来続いている大人の社交場。

 「三文オペラ」はひじょうに面白かった。それ以来、同じくブレヒトの台本、クルト・ヴァイルの作曲による「マハゴニー市の興亡」をみたいと思っていた。「三文オペラ」の2年後の1930年に初演された作品。ナチスが台頭する当時の社会を反映しているが、そこはブレヒトのこと、痛烈な批判を乾いた笑いで包んでいる。

 Thomas Schulte-Michelsというフランス人の演出・美術によるこの公演は、真っ暗で、なにもない、ガランとした舞台から、荒野でエンストした車を思わせる2つのライトが客席にむかって照射されて始まる。

 物語が進むうちに、昔の学校の教室にあったような木製のいすが持ち込まれる。いすには黄色い塗料が塗ってある。これがいつしか増え始める。やがて合唱団員全員がすわれるくらいになる。いすはさらに増え続ける。どうやらこれはマハゴニー市の繁栄を象徴しているようだ。ついに狂乱のバブルの時期を迎えると、座面2メートル、背もたれ4メートルくらいの巨大ないすが登場する。

 バブルが崩壊して、主人公ジム・マホーニーは死刑を宣告される。マハゴニー市では命は金で買える。ジムは親友ビルに貸してくれというが、断られる。友情と金は別というわけだ。愛人ジェニーにも頼むが、これも断られる。ジェニーには金がなかったのかもしれないが、あったとしても、貸してくれたかどうか・・・。こうしてジムは処刑される。だれもジムを救えなかった。

 幕切れはナチスの台頭をゆるす当時のドイツ社会への警告だが、今でも意外にリアリティがあった。今の社会はマハゴニー化している、ということだろうか。

 ジムを歌った歌手以外は、すべてこの劇場の専属歌手。指揮者もこの劇場の専属。元気いっぱい、弾けるような公演だった。劇場のレパートリーは多彩で、そのなかにはヤナーチェクの「マクロプロス事件」なども入っている。来年3月にはフィリップ・グラスの「アッシャー家の崩壊」(エドガー・アラン・ポー原作)の新制作を出すそうだ。
(2010.11.21.ゲルトナープラッツ劇場)
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ミュンヘン:ドン・ジョヴァンニ

2010年11月28日 | 音楽
 3日目は「ドン・ジョヴァンニ」。指揮はケント・ナガノ。序曲では意欲が先走ってオーケストラにまとまりがなかったが、第1幕に入ると、みるみる精度を高めていった。常に細かい指示を出し続け、オーケストラにルーティンワークを許さない。結果としてひじょうに精緻で、すきがなく、神経の張りつめた演奏になった。

 演出はドイツ人のシュテファン・キミグStephan Kimmig。幕が開くとそこは巨大な倉庫のなか。コンテナがいくつも山積みにされている。一人の全裸の老人が出てくる。オペラ座の怪人ならぬ倉庫の怪人だ。この怪人が以降もあちこちに登場し、物語を見つめる。

 ドン・ジョヴァンニ、レポレッロ、ドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオ、みんな若者だ。普通は老人役の騎士長も、この演出では中年の紳士。続いて出てくるドンナ・エルヴィーラはピンクのコートに身を包んだ金髪美人。ツェルリーナとマゼットももちろん若い。要するにこの演出は、これらの若者たちが倉庫のなかで繰り広げる青春劇だ。謎の怪人はこういった若者のなれの果てかもしれない。

 ディテールがひじょうに細かく作られている。一例をあげるなら、第2幕でドン・オッターヴィオがドンナ・アンナに早く結婚してほしいと願うアリア。いつもはあまりにもナイーヴなドン・オッターヴィオにうんざりする場面だが、この演出では、一方ではドンナ・アンナに迫りながら、他方ではドンナ・エルヴィーラに求愛する無節操ぶり。それに気づいたドンナ・アンナは怒りだす!

 歌手たちは若くて生きがよい。隣り合わせた初老の紳士(ハイデルベルクから来たそうだ)が、「一人もドイツ人がいない」といって笑っていた。たしかにそうだ。世界中から実力のある歌手を集めている。そのなかに日本人もいるのが嬉しかった。ツェルリーナを歌った中村理恵さん。モーツァルトはこのオペラでツェルリーナにもっとも官能的な音楽を割り当てているので、それに伴って演技にはきわどいものが要求されていたが、堂々たるものだ。

 その他、ドン・ジョヴァンニはザルツブルク音楽祭でも同役を歌ったChristopher Maltman、レポレッロは10月に新国立劇場の「フィガロの結婚」でアルマヴィーヴァ伯爵を歌ったLorenzo Regazzo、ドンナ・アンナは来年6月に新国立劇場に登場するAnna Samuil、ドンナ・エルヴィーラはパワフルな歌唱で全体をリードしたMaja Kavalevska。

 これらの若い歌手たちが刺激し合い、ある発火点に達して、エネルギーが爆発した舞台。今までにみた「ドン・ジョヴァンニ」のなかでこれが一番面白かった。
(2010.11.20.バイエルン州立歌劇場)
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ミュンヘン:アイーダ

2010年11月27日 | 音楽
 2日目はバイエルン州立歌劇場の「アイーダ」。プログラムをみたら、指揮者がジョン・フィオーレJohn Fioreに変わっていた。ホームページではパオロ・カリニャーニになっていた。ジョン・フィオーレは、ライン・ドイツ・オペラの音楽監督をしていたころに、リヒャルト・シュトラウスの「カプリッチョ」をきいたことがある。とてもよかった。

 前奏曲が始まると、紗幕のむこうに数人の兵士が並んでいて、それぞれ女奴隷を抱え、その長い髪を剣で切り落とす。紗幕が上がると、身を寄せ合って怯えている女奴隷を若い兵士たちが奪っていく。当時(紀元前12世紀)の女奴隷の置かれていた境遇はまさにそうだったろう。

 舞台装置はきわめてシンプルで抽象的だ。色彩は白と黒と灰色に統一されている。エジプト王とその娘アムネリス、そして兵士ラダメスにだけは金色が使われている。

 ショッキングだったのは第1幕第2場、神に勝利を祈る場面。巫子の膝には生贄の兵士が横たわっている。司祭ランフィスによって頸動脈を切られ、恍惚とした表情だ。やがて息を引きとる。巫子は兵士の血をうけた器をもって立ち上がり、兵士たちの剣にその血を塗っていく。

 クリストフ・ネルのこの演出は、血塗られたアイーダだ。全編いやというほど血が流れる。アイーダの時代が今とちがってどういう時代だったかを語る意図だろう。舞台装置が白と黒と灰色のモノトーンなのも、血の赤を鮮明にするためだ。

 最後の場面にも驚いた。地下牢に生き埋めにされたラダメスのもとに現れたアイーダは、手首を切っている。血にまみれた手首を押さえながら、ラダメスに抱かれて息絶えるアイーダ。この場面の音楽は、魂が肉体から離れていくような音楽で、こういう音楽をかいたヴェルディには驚くほかないが、その音楽が具体的な死として視覚化されていた。

 これほど夥しい血が流れると、アイーダとラダメスの悲劇が、アムネリスを加えた三角関係によるものではなく、人知をこえた時代性のためという気がしてくる。いいかえるなら、現代にも通じる心理劇ではなくて、圧倒的な叙事詩になる。

 ジョン・フィオーレの指揮は、イタリア・オペラ的ではなかったが、このような演出にはよく合っていた。アイーダはMicaela Carosi、ラダメスはWalter Fraccaro、アムネリスはLuciana D’Intino。合唱にも感心した。新国立劇場の合唱も優秀だが、激しい表現力において一日の長があった。
(2010.11.19.バイエルン州立歌劇場)
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ミュンヘン:バイエルン放送交響楽団

2010年11月26日 | 音楽
 外国に着いたその日はホテルでゆっくりしたほうがよいとは思うものの、シャワーを浴びて洗たくをしたら、ちょうどよい時間になったので、演奏会に行ってしまった。バイエルン放送交響楽団の定期演奏会。指揮はダニエル・ハーディング。曲目はベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」とバルトークの「青ひげ公の城」。

 「皇帝」のピアノ独奏はポール・ルイスPaul Lewisという若いイギリス人だった。ドイツ流のゴツゴツした演奏ではなく、滑らかな語り口の演奏。オーケストラとの絡み合いもしなやかだ。アンコールにシューベルトを1曲。しっとりした抒情があった。このピアニストはテノールのマーク・パドモアと組んで「美しき水車小屋の娘」と「冬の旅」を録音しているそうだ。シューベルトのほうが、適性があるかもしれない。

 バイエルン放送交響楽団は、今シーズン、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の全曲演奏のシリーズを組んでいる。その独奏者が面白い。第1番がアンドラーシュ・シフ、第2番がマリア・ジョアン・ピレシュ、第3番が内田光子、第4番がマレイ・ペライア。これらの錚々たる顔ぶれに伍して弾くのだから、ポール・ルイスもそうとうなものだ。

 オーケストラは、「青ひげ公の城」になると、俄然意欲的になった。導入部から始まって、第1の扉、第2の扉と続き、第7の扉に至るまで、各場面には明確な性格づけがなされていた。この曲は、近年、演奏頻度が高まっているようだが、それは演奏が進化しつつあるからであり、ハーディングもその大きな流れのなかにいると感じられた。物語の不条理なテーマも、不条理であるがゆえに、長い生命力を保っていると感じられた。

 ユディットを歌ったのは私たちにもお馴染みのエレーナ・ツィトコーワ。独特の強い声だが、それがアンサンブルのなかで突出せず、しっかりと組み込まれていた。さすがにオペラ歌手だけあって、簡単なしぐさがドラマを語っていた。こういうユディットだと、主人公は青ひげではなく、ユディットだと感じられる。能動的にドラマを進めるのはユディットで、青ひげはむしろ受け身だ。

 青ひげを歌ったのはハンガリーの若い歌手。冷たく沈んだ歌い方がこの演奏に相応しかった。プロローグの語りはハンガリーのベテラン役者。短い出番だが、実に味があった。

 このオーケストラと同じように、放送局のオーケストラということで、N響を思い出した。N響もアンサンブルの強固さの点では引けをとらないが、聴衆に迫ってくる表出力の点では及ばないようだ。
(2010.11.18.ヘラクレスザール)
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帰ってきました

2010年11月24日 | 身辺雑記
 旅から帰ってきました。予定していたオペラ4本のほか、演奏会とバレエにも行ってしまい、もう満腹状態です。後日また報告させていただきます。
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旅行に行ってきます

2010年11月17日 | 身辺雑記
 18日(木)から旅行に行ってきます。ミュンヘン4泊、パリ1泊で、帰国は24日(水)。例によってオペラと美術館を回るだけで、観光、グルメ、ショッピングには無縁です(笑い)。
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アンドレア・シェニエ

2010年11月16日 | 音楽
 フランス革命を扱ったジョルダーノ作曲のオペラ「アンドレア・シェニエ」。2005年11月初演のプロダクションの再演だ。初演のときにもみたので、今回は2度目。細かいところは忘れているので、初めてみるような面白さがあった。

 演出・美術・照明はフィリップ・アルロー。先月は「アラベッラ」の新制作を出したばかりだ。「アラベッラ」は青のグラデーションがすばらしかったが、この「アンドレア・シェニエ」も、センスのある空間造形、色彩感、ともにすばらしい。さすがはヨーロッパの第一線で活躍する才人だ。

 空間造形からいうと、第4幕の展開に感心した。アンドレア・シェニエが監獄で処刑を待つ冒頭場面では、舞台前面に壁が立ちはだかり、閉塞状況を感じさせる。そこに恋人マッダレーナが訪れると、壁が崩れ始める。2人が愛を歌い上げる場面になると、空間が大きく広がる。処刑の場面では、広い空間に無数の人々が目隠しをされて進み出て、一斉に処刑される。死体の山を乗り越えて、子供たちが未来に向かって走り去る。

 今回は細かい演技にも感心した。たとえば第1幕。伯爵邸に招かれたアンドレア・シェニエが、うやうやしく伯爵夫人に手を差し伸べる。それに気付いたのか気付かなかったのか、伯爵夫人はシェニエを無視する。手のやり場のないシェニエ。続く牧歌劇の場面になると、シェニエに関心をもった令嬢マッダレーナが、しきりにシェニエのほうを振りかえる。

 あっと驚いたのは第1幕の幕切れだ。台本では貧民たちが追い出されて、何事もなかったかのようにガヴォットが再開されるが、今回の演出では、貧民たちが邸内に残り、貴族たちを惨殺する。惨殺には使用人たちも加わる。思えば第2幕のマッダレーナのアリアで伯爵夫人が惨殺されたことが語られるので、これは筋が通っているわけだ。

 第1幕が終わって、幕間にはプロジェクターで当時のギロチンの設計図が投影され、その数がまたたくまに増えていく。初演時の公演プログラムにのっていた「ベルサイユのばら」の作者池田理代子さんのエッセイによると、
 「1792年4月25日に初めてギロチンがテスト使用されて以来、1794年までの間に数千という単位の人々の命が奪われたが、驚くべきことにその犠牲者たちのほとんどが、実は思想にも陰謀にも無縁の農民や一般労働者だった。」とのこと。
 映像はこのような事実を視覚化していたのだ。

 長くなるので個々の名前は省くが、シェニエ、マッダレーナ、ジェラールを歌った主要3歌手はいずれもすばらしかった。指揮者も手堅かった。総じてこれはヨーロッパの主要劇場並みの公演だった。
(2010.11.15.新国立劇場)
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ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ第3回

2010年11月12日 | 音楽
 東京シティ・フィルの11月定期は常任指揮者の飯守泰次郎さんと取り組んでいる「ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ」の第3回。今回のプログラムは次のとおりだった。
(1)ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番
(2)ベートーヴェン:交響曲第1番
(3)ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

 このシリーズも3回目になって、多くの音楽ファンに知られてきたのだろう、会場には多くの聴衆が集まっていた。ざっとみたところ、8~9割は入っていたろうか。いつもは細々と頑張っているこのオーケストラ。さぞ嬉しいことだろう。

 1曲目の「レオノーレ」の第3番は、一言でいうと、かつての巨匠風の演奏。最初の音のずっしりした重みや、主部に入る直前のアッチェレランド等々。オーケストラにはほころびが目立ち、途中からは息切れした。それでも飯守さんのやりたいことはよくわかった。私たち聴衆の飯守さんへの理解も深まってきた、ということか。

 交響曲第1番は、オーケストラともども、迷いのない、確信にみちた演奏だった。第1楽章は、音を短く切って、アクセントを強くつけた演奏。第2楽章は一転してなめらかな口調で始まったが、基本は変わらなかった。第3楽章はメヌエットと名付けられているが、実質はスケルツォだと、よくいわれる。まさにそのとおりの演奏だった。大きく構えたベートーヴェンらしい音楽だと実感。第4楽章も大きな音楽だ。ティンパニの気迫のこもった叩き。ベートーヴェンはティンパニの改革者だ。

 全体的に飯守さんの情熱が伝わってくる演奏。こんなに本気になった第1番をきくのは初めてだと思った。

 「英雄」は、ゆったり構えながらも、確かな内実がそなわった演奏。とくに第2楽章の葬送行進曲では実に痛切な音楽がきこえてきた。ベートーヴェンは、英雄交響曲(Sinfonia eroica)と名付けたこの交響曲に、なぜ葬送行進曲を組み入れたのだろう。その真意はなんだったのかと思った。

 葬送行進曲をききながら、リヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」を思い出した。第二次世界大戦の末期、ベルリン、ドレスデン、ミュンヘン、ウィーンなどの街が次々に破壊されていく日々にあって、老シュトラウスが暗澹たるおもいで書いた曲だ。この曲は、実のところ、ベートーヴェンの葬送行進曲のパラフレーズだ。そのときの老シュトラウスのおもいが想像できる気がした。
(2010.11.11.東京オペラシティ)
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やけたトタン屋根の上の猫

2010年11月10日 | 演劇
 新国立劇場の「JAPAN MEETS…」シリーズ第二弾、テネシー・ウィリアムズの「やけたトタン屋根の上の猫」。昨日はその初日だった。

 昔テネシー・ウィリアムズの戯曲をいくつか読んだことがある。そのなかでは「やけたトタン屋根の上の猫」が一番強烈だった。登場人物たちの憎悪、嫉妬、偽り、性、愛、その他ありとあらゆる感情が煮えたぎる坩堝のようだと思った。その作品が舞台にかかるので、期待して出かけた。

 第1幕はヒロインのマーガレットが、しゃべって、しゃべって、しゃべりまくるが、その長尺物の台詞はかなり剪定されていたようだ。妙にすっきりした印象。それが結果的によかったかどうか。

 マーガレットを演じたのは寺島しのぶさん。最初から可愛らしさが表に出ていて、私には物足りなかった。マーガレットは奇矯で、虚栄心が強く、高慢だが、だんだん可愛らしさが滲み出てくる役柄だと思っていた。
 マーガレットの夫、ブリックを演じたのは北村有起哉さん。アル中のはずだが、最初はしらふのように見えた。第2幕、第3幕と進むにつれて、アル中のように見えてきた。おそらくこれは計算された演技だろう。

 第2幕はおじいちゃん――今回の翻訳ではビッグ・ダディ――が中心。この幕ではカットはとくに感じられなかった。ビッグ・ダディを演じたのは木場勝己さん。もうすっかりこの劇場の常連になった観がある。木場さんの個性が反映されたビッグ・ダディだった。
 第3幕はおばあちゃん――ビッグ・ママ――を中心としてさまざまな登場人物が入り乱れる。この幕でもとくにカットは感じられなかった。

 以上、カットの有無にこだわったのは、事前のイメージとはちがって、全体を通した印象がすっきりしていたから。端的にいうと、日本のどこかの家庭劇のようだった。プログラムに掲載された鼎談のなかで、宮田芸術監督が、翻訳劇をやるといつも「本当に成立するだろうか。本当に理解できるだろうか。」という思いにつき当たるといっている。その意味では、今回の公演は原作をわが身に引き寄せて解釈したきらいがある。逆にいうと、原作のモニュメンタルな壮大さをとらえきれていなかったと思う。

 それにしてもこの劇は、空気を読むことをよしとする現代の風潮とは真逆だ。お互いに真実を暴き合い、突きつけ合って、傷つけ合う。そこに生まれる濃密な人間関係が求められている。1955年の作品。日本もかつてはそうだった。
(2010.11.9.新国立劇場小劇場)
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デューラー展

2010年11月08日 | 美術
 国立西洋美術館で開催されている「アルブレヒト・デューラー版画・素描展」。金曜日は夜間開館日なので、仕事の帰りに寄ってみた。ガラガラの館内だったので、ゆっくりみることができた。版画は小さくて、かつ細密なので、これは助かった。

 展示はデューラーが重要と考えていた主題である「宗教」「肖像」「自然」の3セクションで構成されていた。

 最初の「宗教」では、「聖母伝」、「大受難伝」、「小受難伝」(以上いずれも木版画)および「銅版画受難伝」の各連作が展示されていた。個々の作品も面白かったが、木版画と銅版画(この場合はエングレーヴィング)のちがいも、まざまざと感じられた。またバッハの「マタイ受難曲」や「ヨハネ受難曲」が、200年以上も前からのイエスの受難物語の連作という伝統に連なることもよくわかった。

 次の「肖像」はさらに面白かった。ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公のような要人の肖像もさることながら、デューラーの周囲にいた人文主義者たちの肖像が、当時の闊達な精神風土を伝えていた。同セクションの流れのなかに収められている風俗的な作品も面白かった――たとえば「頭蓋骨のある紋章」など――。

 ここまで意外に時間がかかったため、最後の「自然」は駆け足になってしまった。このセクションが本展の白眉だった。なかでも最後の最後に展示されている、いわゆる三大銅版画といわれる「騎士と死と悪魔」「書斎の聖ヒエロニムス」「メレンコリア」は、緊密な構図と繊細さ、あるいは陰影のグラデーションといった点で、ため息が出るようだった。さらにはそれらの3点に比肩すると思われる「アダムとイヴ」や怪異な「ネメシス(フォルトゥーナ〈大〉)」もみごたえ十分だった。

 さて、閉館時間の夜8時になったので、後ろ髪をひかれる思いで展示室を出た。出口の売店では図録を買うことができた。土日はその図録をみてすごした。たいへん面白かった。デューラーの版画は、細かく描き込まれたさまざまな形象の意味を知り、作品解釈の研究成果を学ぶことが必要なので、こういう図録は必携だ。まだ拾い読み程度だが、ずいぶん教えられた。

 本展はオーストラリアのメルボルン国立ヴィクトリア美術館のコレクションから多数出品されているが、上記の三大銅版画をはじめとする重要作は、ありがたいことに、国立西洋美術館の所蔵品だ。私たちは今後も、日本にいながらにして、デューラーの最高傑作にふれる機会があるわけだ。
(2010.11.5.国立西洋美術館)
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ゴッホ展

2010年11月04日 | 美術
 国立新美術館で開かれている「ゴッホ展」。

 本展はゴッホの没後120年を記念した企画だ。ゴッホの生涯は1853年~1890年。わずか37年の短い生涯だ。そのなかで、画家となる決意をしたのが1880年。修行時代をふくめて、画家としての生涯はわずか10年にすぎない。

 会場に入ると、まず「自画像」が迎えてくれる。これは1887年の作品。お金がなかったからだろうか、安価な厚紙に描かれている。背景には厚紙がそのままみえている。解説によれば、もとは紫色が塗られていたらしい。それが年月を経て、「劇的に褪せた」とのこと。

 次には1884年の「秋のポプラ並木」と1890年(ゴッホが亡くなった年だ)の「曇り空の下の積み藁」が並べられている。どちらかといえば暗い色調で写実的に描いた前者にたいして、後者は明るい色彩で筆触もあらわに描いている。わずか6年しかたっていないのに、別人のようだ。

 この「曇り空の下の積み藁」は同年7月の制作。7月といえば、ゴッホが亡くなった月だ。前景の畑は、個々の形態が不分明で、大雑把な感じがした。解説によれば、これはゴッホが「前の絵の具が乾かないうちに塗り重ね」たからとのこと。「さまざまな緑の混合が曖昧な灰色を作り出している」。死を予感したゴッホが、制作を急いだ痕跡なのか。

 前年12月の「夕暮れの松の木」は美しい風景画だ。画面左には大きな松の木が何本も並んでいる。2本の折れた枝(これはゴッホ自身だろうか)が、横に伸びている。画面右には野原が広がっている。オレンジ色の夕日が照っている。小雪が舞っているらしい。真ん中の田舎道を歩く女性は傘をさしている。

 翌1890年5月の「アイリス」はよく知られた作品だ。ゴッホがサン=レミの療養院を出て、終焉の地となるオーヴェール=シュル=オワーズに移る直前の作品。花瓶いっぱいに活けられたアイリスには、よくみると、枯れて茶色になった花(これは死の象徴)がいくつも混じっている。画面右には折れた花がある。これはゴッホ自身のようだ。

 同年4月の「草むらの中の幹」は、下草の生い茂るなかに太い幹が立つ作品。下草は逞しい生命を表しているように感じられた。そうだとすると、太い幹はゴッホ自身の、そうありたいという願望だろうか。本作のキャプションにはゴッホの手紙の一節が引用されていた。「僕は何も考えずに仕事に没頭しようと思う。今までみたいに考えたり、後悔ばかりするのはもうやめた」。そういう心境で描かれた作品。
(2010.11.3.国立新美術館)
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442日系部隊

2010年11月01日 | 映画
 先週の土曜日は、台風接近ということで、朝から冷たい雨がふっていた。一日中家でごろごろしていたが、夜になって外出した。東京国際映画祭の「日本映画・ある視点」の枠で上映される「442日系部隊」(すずきじゅんいち監督)をみるためだ。

 本作はドキュメンタリー映画。第二次世界大戦のさなかにアメリカ合衆国陸軍に日系人だけで編成された部隊があった。当部隊はヨーロッパ戦線に投入され、勇猛果敢な戦闘によって注目された。その部隊が第442連隊戦闘団だ。

 Wikipediaによれば、当部隊の延べ死傷率は314パーセントだったそうだ。ということは、定数の約3倍の兵士が死傷したことになる。文字どおり命をかえりみずに突撃していった人たちなのだろう。

 生き残った人たちは今ではアメリカ本土やハワイ諸島で穏やかに暮らしている。みなさん80歳代から90歳代だ。当時の話をきけるのはそろそろ最後かもしれないというこの時期に、すずきじゅんいち監督が丹念にインタビューしたのがこの映画だ。

 ある人は自宅の美しい庭で、気持ちよさそうな風に吹かれながら、言葉少なに当時を語った。横できいている家族が「初めてききました」というと、その人は「戦争のことは、その経験がない人にはわかりませんから」とポツリといった。続けて、「戦争というのは人を殺すことで、そんなことは、人を殺した人でなければわかりません」といったような気がするが、これは記憶のなかでおぎなったことかもしれない。

 またある人は、室内でインタビューを受けながら、「私は勲章をつけています。それは家に帰れなかった沢山の兵士たちのためです。私自身は英雄でもなんでもありません」といった。この発言の前後には、両足を撃たれて、仲間に救出されず、手榴弾で自殺したドイツ兵のことにふれていた。そのなかで、「なんでだれも助けなかったのか……。助けていれば、あのドイツ兵も家に帰れたのに」と話していた。

 本作は、こういうインタビューのほかに、当時の映像や、今の現地の平和でのどかな光景によって構成されている。会場で手にしたチラシには、私とは思想を異にする人たちのコメントものっていた。が、作品そのものからは、特定の傾向は感じられなかった。

 終了後、すずき監督が――ロサンジェルスで自動車事故に遭ったばかりだが――片腕を包帯で吊りながら、元気な姿をみせて、質疑応答に応じた。会場からは積極的な質問が相次いで、充実した時間がすぎた。

 すずき監督がいった「国際化、国際化というけれど、日系人のことも知らないで国際化もないだろう、という気持ちで作りました」という言葉が印象に残った。
(2010.10.30.シネマート六本木)
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