「マハゴニー市の興亡」はマチネー公演だったので、夜は空いていた。バイエルン州立歌劇場のボックスオフィスをのぞいたら、バレエ公演のチケットが残っていたので、みることにした。新制作の「私のラヴェルMein Ravel」と題した2本立ての公演。この日が初日だった。
1本目は「Wohin er auch blickt…」(英訳:Whichever way he looks…)という作品。ラヴェルの「海原の小舟」、「左手のためのピアノ協奏曲」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」の3曲で構成されていた。
「海原の小舟」はプロローグ的な性格。多くのダンサーが登場して、恋人と戯れる情景が繰り広げられた。そのとりとめのなさが、茫漠とした音楽によく合っていた。次の「左手のためのピアノ協奏曲」がストーリーの中心。にわかに事態が緊迫し、男たちが隊列を組んで戦地に向かう。「亡き王女のためのパヴァーヌ」はエピローグ的な性格。男たちが戦地から戻り、恋人に出迎えられる。しかし一人だけは戻らない。恋人は諦めて帰ろうとする。そのとき男が戻ってくる。しかし様子が変だ。目を合わせずに通り過ぎてしまう。あれは肉体から遊離した魂だったのか、それとも戦いで人格が破壊されたのか・・・。幕切れには喪失感が漂った。
衣装は黒。舞台装置はなにもない。あるのは4メートル四方くらいの大きなスチール製の網が8枚だけ。それぞれびっしりと照明が取り付けられている。これらの網が空中に浮かんだり、壁になったりして動き回った。メタリックな黒の世界。振付はドイツ人のJoerg Mannes。
ピアノ独奏は児玉桃だった。コンサートとちがって最初はやりにくそうだったが、後半の長大なカデンツァでは、やりたいようにやった観がある。指揮はケント・ナガノ。児玉桃の義兄にあたる。その指揮は繊細きわまりないもの。このオーケストラからこういう音が出るのかと驚くばかりだった。
2本目は「ダフニスとクロエ」。1本目とは対照的にダンサーの衣装は白が主体。舞台奥のスクリーンにはモネの風景画が投影され、照明も柔和だ。夢幻的な白の世界。振付はオーストラリア人のTerence Kohler。
驚いたことには、クロエを踊ったダンサーは日本人だった。名前はMai Kono(河野舞衣)さん。プログラムに掲載されている写真は別人だったので、急な代役だったのかもしれない。踊りの切れ味、表現力、ともに見事なものだった。
ケント・ナガノの指揮も素晴らしかった。たとえていうなら、最上のガラス細工のようだった。ケント・ナガノには意外に日本的な感性が根強い。この劇場のポストは退任するそうだが、今後ともその感性の可能性を見守りたい。
(2010.11.21.バイエルン州立歌劇場)
1本目は「Wohin er auch blickt…」(英訳:Whichever way he looks…)という作品。ラヴェルの「海原の小舟」、「左手のためのピアノ協奏曲」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」の3曲で構成されていた。
「海原の小舟」はプロローグ的な性格。多くのダンサーが登場して、恋人と戯れる情景が繰り広げられた。そのとりとめのなさが、茫漠とした音楽によく合っていた。次の「左手のためのピアノ協奏曲」がストーリーの中心。にわかに事態が緊迫し、男たちが隊列を組んで戦地に向かう。「亡き王女のためのパヴァーヌ」はエピローグ的な性格。男たちが戦地から戻り、恋人に出迎えられる。しかし一人だけは戻らない。恋人は諦めて帰ろうとする。そのとき男が戻ってくる。しかし様子が変だ。目を合わせずに通り過ぎてしまう。あれは肉体から遊離した魂だったのか、それとも戦いで人格が破壊されたのか・・・。幕切れには喪失感が漂った。
衣装は黒。舞台装置はなにもない。あるのは4メートル四方くらいの大きなスチール製の網が8枚だけ。それぞれびっしりと照明が取り付けられている。これらの網が空中に浮かんだり、壁になったりして動き回った。メタリックな黒の世界。振付はドイツ人のJoerg Mannes。
ピアノ独奏は児玉桃だった。コンサートとちがって最初はやりにくそうだったが、後半の長大なカデンツァでは、やりたいようにやった観がある。指揮はケント・ナガノ。児玉桃の義兄にあたる。その指揮は繊細きわまりないもの。このオーケストラからこういう音が出るのかと驚くばかりだった。
2本目は「ダフニスとクロエ」。1本目とは対照的にダンサーの衣装は白が主体。舞台奥のスクリーンにはモネの風景画が投影され、照明も柔和だ。夢幻的な白の世界。振付はオーストラリア人のTerence Kohler。
驚いたことには、クロエを踊ったダンサーは日本人だった。名前はMai Kono(河野舞衣)さん。プログラムに掲載されている写真は別人だったので、急な代役だったのかもしれない。踊りの切れ味、表現力、ともに見事なものだった。
ケント・ナガノの指揮も素晴らしかった。たとえていうなら、最上のガラス細工のようだった。ケント・ナガノには意外に日本的な感性が根強い。この劇場のポストは退任するそうだが、今後ともその感性の可能性を見守りたい。
(2010.11.21.バイエルン州立歌劇場)