Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

森鴎外「護持院原の敵討」

2023年01月12日 | 読書
 森鴎外の歴史小説の中からもう一作、「護持院原の敵討」(ごじいんがはらのかたきうち)を取り上げたい(岩波文庫では「大塩平八郎」↑の中に入っている)。これも名作なので、あらすじの紹介は不要かもしれないが、未読の方のためにざっと紹介すると、江戸城の大手門(いまでも竹橋付近にある)の向かいの大名屋敷に泥棒が入り、宿直していた山本三右衛門という武士が殺される。犯人は亀蔵という使用人であることがわかる。遺族は敵討ちを願い出て、許しを得る。亀蔵の行方を追う旅に出て、艱難辛苦の末、敵討ちを果たす。

 今なら防犯カメラで亀蔵の足取りがつかめそうだが、江戸時代のことなので、足取りはおろか、写真もないので、亀蔵の顔さえわからない。そこで長男の宇平(19歳)と故人の弟・山本九郎右衛門(45歳)は、亀蔵の顔を知る文吉(42歳)という男を連れて旅に出る。長女のりよ(22歳)も同行を望んだが、どこに行ったらいいのか、あてもなく、また何年かかるかもわからない旅なので、女には無理と退けられた。

 宇平、九郎右衛門、文吉、りよ、それぞれの人物像が鮮明だ。最後には、九郎右衛門、文吉、りよの三人は立派に敵討ちを果たす。一方、宇平は旅の途中で脱落する。そんなダメ男の宇平が興味深い。

 旅の途中で、亀蔵の足取りがつかめずに途方に暮れ、まれに亀蔵らしき人物の情報を得ても、ことごとく空振りに終わるうちに、宇平、九郎衛門、文吉は疲れきる。病気にもなる。資金も尽きる。そのとき宇平は九郎右衛門にいう。「おじさん。わたし共は随分歩くには歩きました。しかし歩いたってこれは見附からないのが当前かも知れません。」(岩波文庫より引用。以下同じ)。九郎右衛門はいう。「神仏の加護があれば敵にはいつか逢われる。」。宇平はいう。「おじさん。あなたは神や仏が本当に助けてくれるものだと思っていますか。」。九郎右衛門は宇平の言葉に「一種の気味悪さを感じた。」と。

 たしかに宇平の言葉にはニヒリズムが漂う。だが、当時はともかく、現代の感覚では、わからないでもない。むしろよくわかる。宇平は旅から脱落するが、その後どうなったか。鴎外はなにも書いていない。身を持ち崩して裏社会に入ったか、それとも乞食坊主にでもなったか……と思う。ところが、史実では、敵討が終わった後に現れて、隠居処分を受けたと注釈にある。なんだかつまらない注釈だ。

 鴎外は最後にこの敵討を賛美する歌を紹介する。そしてこう結ぶ。「幸に大田七左衛門(引用者注:狂歌作者)が死んでから十二年程立っているので、もうパロディを作って屋代(引用者注:歌の作者)を揶揄うものもなかった。」と。敵討礼讃に水を差すような一文だ。鴎外はなぜこの一文を書いたのか。
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