毎年恒例のサントリー芸術財団「作曲家の個展」。今年の作曲家は原田敬子だ。
原田敬子というと、2014年1月の都響の定期を想い出さずにはいられない。新作の「ピアノ協奏曲」が初演される予定だったが、旧作の「エコー・モンタージュ」(2008)に差し替えられた。そのとき十分な説明がなかったため、ネット上ではさまざまな‘情報’やら‘憶測’やらが飛び交った。
もっとも、わたし自身は第57回尾高賞受賞作品である「エコー・モンタージュ」を聴いてみたかったので、それはそれでよかった。秋山和慶が指揮する都響の異様なまでに緊張をはらんだ演奏と相俟って、その大胆かつ新鮮な作品に驚愕した。
そのとき演奏されなかった「ピアノ協奏曲」が、今回初演されるとあって、否が応でも興味をそそられた。プログラムには‘2013‐15’の作曲と表記されている。あの都響の定期以降も書き続けていたのだろう。
音の鮮度のよさと透明感が並外れている。演奏時間25分30秒の曲だが(作品リストの表示による)、常になにかが生起し、変化し、また思わぬところで微かな音がうごめいている。ものすごい集中力の持続だ。最後の不思議な終わり方に意表を突かれた。脱力感をともなって虚空のどこかへ消えていくようだった。
プレトークでピアノ独奏の廻由美子が「21世紀のピアノ協奏曲の傑作だと思う」と言っていたが、まさにそうだ。その傑作の誕生に立ち会えたことが嬉しい。
余談だが、プレトークで原田敬子がしきりに‘演奏拒否’にこだわっていた。「学生の頃から演奏拒否にあっていた」とか、「譜面を見ただけで、あっ、これ無理、とか言われるんです」等々。そんな話を聞いていると、どうしても都響との一件に想像を逞しくしてしまう。でも、それは本人の望むところではないようだ。
指揮は中川賢一、オーケストラは桐朋学園オーケストラにドイツの現代音楽の演奏グループ、アンサンブル・モデルンのメンバーが入ったもの。これはもう感動的なほど献身的な演奏だった。なおオーケストラにはギター、ハープ、アコーディオンが入るが、アコーディオンは世界的な奏者、シュテファン・フッソングだった。
その他にサントリー芸術財団と関連の深い「響きあう隔たりⅢ」(2000‐01)、「第3の聴こえない耳Ⅲ」(2003)そして今回の委嘱作「変風」(2015)が演奏された。
(2015.10.27.サントリーホール)
原田敬子というと、2014年1月の都響の定期を想い出さずにはいられない。新作の「ピアノ協奏曲」が初演される予定だったが、旧作の「エコー・モンタージュ」(2008)に差し替えられた。そのとき十分な説明がなかったため、ネット上ではさまざまな‘情報’やら‘憶測’やらが飛び交った。
もっとも、わたし自身は第57回尾高賞受賞作品である「エコー・モンタージュ」を聴いてみたかったので、それはそれでよかった。秋山和慶が指揮する都響の異様なまでに緊張をはらんだ演奏と相俟って、その大胆かつ新鮮な作品に驚愕した。
そのとき演奏されなかった「ピアノ協奏曲」が、今回初演されるとあって、否が応でも興味をそそられた。プログラムには‘2013‐15’の作曲と表記されている。あの都響の定期以降も書き続けていたのだろう。
音の鮮度のよさと透明感が並外れている。演奏時間25分30秒の曲だが(作品リストの表示による)、常になにかが生起し、変化し、また思わぬところで微かな音がうごめいている。ものすごい集中力の持続だ。最後の不思議な終わり方に意表を突かれた。脱力感をともなって虚空のどこかへ消えていくようだった。
プレトークでピアノ独奏の廻由美子が「21世紀のピアノ協奏曲の傑作だと思う」と言っていたが、まさにそうだ。その傑作の誕生に立ち会えたことが嬉しい。
余談だが、プレトークで原田敬子がしきりに‘演奏拒否’にこだわっていた。「学生の頃から演奏拒否にあっていた」とか、「譜面を見ただけで、あっ、これ無理、とか言われるんです」等々。そんな話を聞いていると、どうしても都響との一件に想像を逞しくしてしまう。でも、それは本人の望むところではないようだ。
指揮は中川賢一、オーケストラは桐朋学園オーケストラにドイツの現代音楽の演奏グループ、アンサンブル・モデルンのメンバーが入ったもの。これはもう感動的なほど献身的な演奏だった。なおオーケストラにはギター、ハープ、アコーディオンが入るが、アコーディオンは世界的な奏者、シュテファン・フッソングだった。
その他にサントリー芸術財団と関連の深い「響きあう隔たりⅢ」(2000‐01)、「第3の聴こえない耳Ⅲ」(2003)そして今回の委嘱作「変風」(2015)が演奏された。
(2015.10.27.サントリーホール)