Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

かづゑ的

2024年03月29日 | 映画
 瀬戸内海の島にたつ国立ハンセン病療養所「長島愛生園」。宮崎かづゑさんは10歳のときに入所した。90歳を超えたいまもそこで暮らす。映画「かづゑ的」は宮崎かづゑさんの日常を追ったドキュメンタリー映画だ。

 冒頭、かづゑさんが電動カートに乗ってスーパーにむかう。顔見知りの店員さんに声をかける。陳列棚から果物や野菜を取り、かごに入れる。だがその動作が大変だ。かづゑさんには両手の指がない。指のない手で商品を取るのは難しい。両腕でかかえるようにして取る。レジに行く。店員さんが財布を開けてお金を出す。指がないと財布を開けることも、お金を出すこともできない。

 わたしは冒頭のその場面で「可哀想だな」と思ってしまった。そう思ったわたしのなんと浅はかだったことか。かづゑさんの明るく前向きな生き方が、以後、わたしの同情心を打ち砕く。同情したわたしは甘かった。

 かづゑさんの言葉の一つひとつがわたしを撃つ。たとえばチラシ(↑)に掲載された「できるんよ、やろうと思えば」もその一つだ。それだけではない。映画にはハッとするような言葉がちりばめられている。常人には想像もつかない(常人には耐えられそうもない)過酷な体験から生まれた言葉だ。その体験をくぐったかづゑさんが到達した言葉のなんと逞しいことか。

 かづゑさんは愛が強い。たとえばかづゑさんが亡母の墓を訪れる場面がある。かづゑさんは墓石を抱きかかえて、しきりに話しかける。秋のその日、風が冷たい。かづゑさんの体調を心配する夫の(やはりハンセン病回復者の)孝行さんが声をかける。でもかづゑさんは墓石をかかえて去ろうとしない。数年後、孝行さんも亡くなる。納骨堂を訪れたかづゑさんは孝行さんの骨壺をかかえて、いつまでも泣く。

 ハンセン病はらい菌による感染症だ。だれでも感染する可能性がある。たまたまかづゑさんが感染した。以来ハンセン病患者としての人生が始まる。かづゑさんの意識では、ハンセン病患者としての人生を引き受けた。その人生はかづゑさんにも地獄だった。自殺も考えた。でも地獄から抜け出した。どうして抜け出せたのかは「わからない」という。

 わたしは以前、北条民雄の「いのちの初夜」などの諸作品を読んだことがある。感銘を受けたが、一方で、それらの作品には、ハンセン病患者を悲劇的に描き過ぎて、社会の偏見を煽ったという批判があることも知った。わたしは当時その批判がわからなかった。でも「かづゑ的」を観たいま、その批判が少しわかる気がする。
(2024.3.14.ポレポレ東中野)

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