Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

下野竜也/N響

2017年01月30日 | 音楽
 下野竜也指揮N響の定期。プログラム前半は20世紀の歴史に深くかかわったチェコの作曲家2人の作品、後半はブラームスのヴァイオリン協奏曲。

 1曲目はマルティヌー(1890‐1959)の「リディツェへの追悼」(1943)。いまさらいうまでもないが、マルティヌーは祖国チェコへのナチスの侵攻を受けて、パリに逃れ、さらにアメリカに亡命した。本作はチェコの小村リディツェがナチスに徹底的に破壊された事件を受けて作曲されたもの。

 暗鬱な曲想が連綿と続く。慟哭とか、怒りとか、そういった激しい感情が露わになるのではなく、暗澹たる気持ちを抱え込んだ曲。マルティヌーは本来、色彩豊かな作曲家なのに、本作では色彩を消した灰色の音が広がる。下野/N響の演奏ではそのような音が塊のようになって鳴った。

 2曲目はカレル・フサ(1921‐2016)の「プラハ1968年のための音楽」(1968年に吹奏楽用に作曲され、翌年、管弦楽版が作られた)。

 1968年はチェコの民主化運動‘プラハの春’にたいするワルシャワ条約機構軍(実質はソ連軍)の介入・弾圧があった年だ。当時アメリカにいたフサは(コーネル大学の教授だった)、怒りと悲しみをこめて本作を作曲した。あえて曲名に‘1968年’の年号を入れた点に、この年号を忘れまいとするフサの意志が感じられる。

 全4楽章からなるが、ソ連軍の介入・弾圧に遭って混乱するプラハ市民を描写したと思われる第4楽章で、下野/N響はスリリングかつ迫力ある演奏を展開した。わたしは息を呑んでその演奏に聴き入った。

 緊張の極みにあったわたしは、プログラム後半のブラームスのヴァイオリン協奏曲が始まると、一気に緊張が解け、やさしく慰撫されるように感じた。音楽のなんという穏やかさだろう。心のあらゆる襞に染み入ってくる。フサのあの緊張も音楽、ブラームスのこの穏やかさも音楽。音楽とはなんと多面的なんだろうと思った。

 ヴァイオリン独奏は‘ハンガリー出身の俊英’(プロフィールより)クリストフ・パラーティ。最近の人気ヴァイオリニストのような張りがある音で朗々と鳴らすタイプではなく、繊細な音でオーケストラと一体になって演奏するタイプ。じつに音楽的だ。

 アンコールにイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番から第4楽章が演奏された。多彩な音色を操った名演。
(2017.1.29.NHKホール)
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遥かなる愛

2017年01月28日 | 音楽
 カイヤ・サーリアホ(1952‐)のオペラ「遥かなる愛」は、2015年5月に東京でも演奏会形式で上演されたが(エルネスト・マルティネス=イスキエルド指揮の東響、歌手は日本人歌手たち)、わたしは満足できなかった。今回は2016年12月のニューヨーク・メトロポリタン歌劇場での上演の録画。

 映画館での上映なので、音質はかならずしもよくない。しかもヴォリュームを上げているので、耳への負担が大きい。でも、幕開きのオーケストラの序奏からしてクリアーでエッジの立った演奏であることが分かる。

 オペラが進むにつれて、薄日の中を舞う粉雪のような音が浮遊し、また倍音が垂直に積み上がる音響が現れる。その透明な美しさと劇的なインパクト。完全にサーリアホ・ワールドだ。指揮のスザンナ・マルッキの鋭敏な感性と、メトロポリタン歌劇場のオーケストラの優秀さ(普段は現代オペラをあまりやっていないのに)に感心する。

 クレマンスはスザンナ・フィリップス。美しい容姿。しかも心理の揺れが細やかに表現されている。メトロポリタン歌劇場の大空間で観ていたら、そこまでの細やかさは見えなかったかもしれない。表情がクローズアップされる映画館の強みだ。

 ジョフレ・リュデルはエリック・オーウェンズ。張りのある深い声だ。じつはこのブログを書く前に数人の方のブログを拝見したが、黒人で大柄で、年齢も若くはないオーウェンズは、この役にはふさわしくないというご意見があった。でも、わたしは気にならなかった。もし若くてハンサムな歌手だったら、このオペラは美男美女の話になって、わたしからは遠くなったかも‥。

 巡礼の旅人はタマラ・マムフォード。中性的なこの役に適任だ。このオペラの興味深い点は、領主であり吟遊詩人でもあるリュデルが、まだ見ぬ恋人のクレマンスへの愛を歌う詩を、リュデルではなく、巡礼の旅人が歌う点だ。たぶんメゾソプラノで歌わせたかったのだろう。マムフォードの歌唱が胸を打った。

 まだ会ったことがなく、しかも地中海で遠く隔てられているクレマンスとリュデルだが、だからこそ二人の愛は研ぎ澄まされていく。緊迫していくその愛の高まりに圧倒された。

 ロベール・ルパージュの演出、マイケル・カリーの美術は、舞台いっぱいに‘光の海’を現出し、このオペラが「トリスタンとイゾルデ」に連なる‘海のオペラ’であることを示した。
(2017.1.27.新宿ピカデリー)
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カンブルラン/読響

2017年01月26日 | 音楽
 カンブルラン指揮読響の名曲コンサート(今回は第600回に当たる)。デュカス、ドビュッシー、ショーソンと並んだフランス近代のプログラム。わたしは定期のほうの会員だが、プログラムに惹かれて行った。

 1曲目はデュカスの「ラ・ペリ」。カンブルランが振るデュカスというと、パリ・オペラ座の来日公演(あれはいつだったか)でのオペラ「アリアーヌと青ひげ」が忘れられないが、あのときの色彩感は再現せず、今回は比較的あっさり系だった。

 率直に言うと、カンブルラン/読響ならこのくらいできて当たり前と感じた。金管のファンファーレの冒頭で不安定さを感じたが、大きな破綻もなく乗りきり、バレエ音楽に入ってからはその演奏を楽しんだことも事実だが、終わってみると、もう一段の練り上げがほしかった。

 2曲目のドビュッシーの「夜想曲」は平板だった。デュカスの「ラ・ペリ」で感じた小さな物足りなさが、「夜想曲」では拡大した。女声合唱は新国立劇場合唱団。最後の低音は音程がふらつかず、太い音が出ていたことが印象的だ。

 考えてみると、「夜想曲」はわたしの好きな曲なのに、実演では感心したことがないかもしれない。アバド/ベルリン・フィルの来日公演でこの曲をやったときには、気合を入れて聴きに行ったが、ぴったりこなかった。なぜだろう。ひょっとすると実演向きではない要素がこの曲にはあるのだろうか‥。

 以上2曲の演奏は、控え目に言えばソフトフォーカス、はっきり言えば焦点が絞りきれていない印象が残った。積極性が足りなかったと言ってもよい。わたしは戸惑った。

 ところが3曲目のショーソンの「交響曲」になると様相は一変した。第1楽章の序奏が暗く悲劇的な音色で鳴り、主部に入ると明るく繊細な音色に変わった。リズムには浮遊感が生まれ、音が精妙に絡み合いながら流動性豊かな演奏が展開した。第2楽章、第3楽章も同様の演奏となり、カンブルラン/読響の名演がまた一つ生まれた。

 カンブルラン/読響は、フランス近代の音楽はもちろんだが、ワーグナーやブルックナーも演奏してきたので、そこで蓄積した音色のパレットの多彩さが、ショーソンの「交響曲」で結実した感がある。もっとも、来シーズンはメシアンのオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」が予定されているので、カンブルラン/読響はまだまだ先に行くだろう。頼もしいことだ。
(2017.1.25.サントリーホール)
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インキネン/日本フィル

2017年01月21日 | 音楽
 インキネンが日本フィルの首席指揮者に就任して初めての定期。曲目はブルックナーの交響曲第8番。以前に演奏した第7番がとてもよかったので、今回も期待が膨らんだ。

 結論から言うと、第7番よりもさらに先に進んだ演奏だと思った。冒頭、低弦のつぶやきが、遅いテンポで、抑えた音で演奏された。日常的な時間を超えた超越的な時間感覚があった。ブルックナーの本質に触れる感覚だ。

 すぐにトゥッティで第1主題が確保されるが、その音はシャープではあるが、威圧的な感じがしない。続く第2主題、第3主題もしっとりとした内省的な演奏だ。第3主題の後には時間が止まるような静寂の瞬間が訪れた。わたしは茫漠と広がる丘陵にたたずむブルックナーを想像した。

 第2楽章スケルツォでは輝かしい音が交錯した。第1主題が抑えた音で滑り出すので、ゴツゴツした感じにはならず、滑らかな起伏が生まれた。第3楽章は再び遅いテンポで超越的な時間感覚の中で推移した。コーダに向けて音圧が加わり、止めようもない精神の高ぶりが現れた。ブルックナーをふくむドイツ音楽の本質の一つだと思う。

 第4楽章は第3楽章の最後を引き継ぎ、力の漲る音で演奏された。だが、威圧的なところはなく、全体を通じてのコンセプトから外れることはなかった。コーダでは、わたしは‘夜明け’を感じた。最後の音は日の出の輝きのようだった。信仰心のある人なら、神の光を感じるのかもしれない‥。

 全体的にフレッシュな演奏だった。音は柔らかく、ときには羽毛でなでるような感触があった。第1楽章や第3楽章ではとくにそうだった。音には(薄桃色とでも形容したいような)淡い華やぎがあった。それがインキネン/日本フィルの持ち味になる可能性を感じた。もしそうなったら、今までの日本のオーケストラにはない個性だ。

 同時にまた、どっしり構えた演奏でもあった。真正面からこの曲を捉えた演奏。尖った個性を売り物にするのではなく、焦らず、じっくりと曲に向き合った演奏。正攻法の演奏だった。

 インキネン/日本フィルは以前、ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」第1幕の演奏会形式上演で名演を残したことがあるが、あれは奇跡ではなかったと、(正直なところ)そう思った。今回の演奏にはあのときにつながるものがあった。新たな船出を祝いたい。
(2017.1.20.サントリーホール)
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皆さま、ごきげんよう

2017年01月20日 | 映画
 最近は映画から足が遠のいているが、ジョージア(旧グルジア)の映画監督オタール・イオセリアーニ(1934‐)の「皆さま、ごきげんよう」(2015)はどうしても見たかったので、頑張って行ってきた。

 本作の制作時点でイオセリアーニは81歳。元気な老人の飄々としたユーモアが感じられる映画だ。筋はとくにない。相互に関連のないエピソードが、まるで‘しりとり’のようにつながっていく。一見とりとめのない作品だが、各々のエピソードにユーモラスな味があるので飽きない。そのうち各々のエピソードがつながってくる。

 場所はパリ。本作で描かれる庶民の生活は、パリの自由と猥雑さに結びついている。パリ以外の街では、本作は成立しないと思う。本作は‘パリ賛歌’だと、思わず叫びたくなるくらい、‘パリ’が感じられる映画だ。

 余談になるが、わたしが最後にパリを訪れたのは2014年11月。本作が制作された頃だ。何年ぶりかで訪れたパリは、ひどく汚れていた。本作にも登場するメトロのバスティーユ駅では、地上に出る階段が、ワインやビールやその他の液体で汚れ、砕けたビンのガラス片が散乱していた。人心の荒廃とか治安の悪化とかがうかがえた。テロが起きたのはその直後だ。

 でも、本作ではそういうパリは出てこない。もう少しのどかなパリだ。庶民が自分のやり方で生きることができたパリ。今のパリはどうか。旅行者でしかないわたしには判断できないが、少なくとも本作では、そんな荒んだパリは出てこない。

 本作のパリは、イオセリアーニ監督のイメージの中にあるパリ。イオセリアーニ監督がほろ酔い気分でその中に生きているパリだ。わたしたちもほろ酔い気分をともにすれば(本作を観ているあいだは)幸福になれる。

 題名の「皆さま、ごきげんよう」は、わたしにはベタな感じがする。本作の趣旨を押しつけられているような気がする。原題は「冬の歌CHANT D’HIVER」。古いジョージア(旧グルジア)の歌の題名だそうだ。イオセリアーニ監督によると、歌詞は「冬が来た。空は曇り、花はしおれる。それでも歌を歌ったっていいじゃないか」というものだそうだ。

 これなら本作にぴったりだ。パリの下町に住む庶民には、いいことはあまりない。むしろうまくいかないことばかりだ。でも、少しは楽しいこともあると、そう思って生きていたっていいじゃないか、と。
(2017.1.16.岩波ホール)
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メナ/N響

2017年01月16日 | 音楽
 ファンホ・メナJuanjo Mena(1965‐)という未知の指揮者が振るN響の定期Cプロ。

 1曲目はファリャの歌劇「はかない人生」から間奏曲とスペイン舞曲。N響を無理なく鳴らしている感じがした。間奏曲での暗い音色もいい。ポピュラーな名曲だが、けっしてポピュラー・コンサート的な気楽な演奏ではなかった。

 2曲目はロドリーゴの「アランフェス協奏曲」。ギター独奏はカニサレス。以前ラ・フォル・ジュルネで聴いたことがあるが、そのときはフラメンコを中心にした鮮烈な演奏だった。今回は期待に反して、控えめな、自分の土俵で勝負していない感じがした。

 アンコールにカニサレスの自作曲(「時への憧れ」という題名だったと思うが、メモしてこなかったので未確認)が演奏された。これは正直言って、あまり面白くなかった。小さな酒場でお酒を飲みながら聴くにはよいかもしれないが、大ホールの最上階からしらふで聴くには物足りなかった。

 以上がプログラム前半。指揮者もオーケストラも、お互いに瀬踏みしているような気配があり、聴衆であるわたしも同様なところがあって、演奏との間の微妙な距離感が拭えなかった。

 ところが後半の1曲目、ドビュッシーの「映像」から「イベリア」で目を見張った。鮮明な音色で、スコアがどう書かれているか、クリアに再現された演奏だった。厳しく音がコントロールされているが、厳しさよりもむしろ音楽的な愉悦を感じさせる演奏。N響の優秀さもさることながら、メナという指揮者も優秀だと思った。

 最後はファリャのバレエ組曲「三角帽子」の第1部と第2部。久しぶりに組曲版を聴いたが、これはバレエ音楽からつなぎの部分を除いて、まとまった単位の音楽をつないで構成していることがよく分かった。つなぎの部分を取り除いた結果、ぎくしゃくした感じがしたことも事実だ。

 メナは、オーケストラと聴衆を盛り上げるためか、指揮台で軽快なステップを踏みながら指揮をしていた。終演後は拍手喝さい。

 メナという指揮者に興味を持ったので、翌日NMLをのぞいてみた。CDが何枚か入っていた。ウェーバーの交響曲第1番、同第2番とファゴット協奏曲を聴いてみた(オーケストラはBBCフィルハーモニック。メナは2011年から首席指揮者を務めている)。溌剌とした名演だ。実力のある指揮者かも‥。
(2017.1.14.NHKホール)
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高関健/東京シティ・フィル

2017年01月15日 | 音楽
 東京シティ・フィルは、秋の定期では毎回ベルリオーズを組み入れたが、冬の定期では毎回ベートーヴェンを組み入れている。今回はその第1弾。

 1曲目は武満徹の「オリオンとプレアデス」(1984)。堤剛のチェロ独奏を想定したチェロ協奏曲だが、今回は宮田大の独奏。新旧の世代交代を感じる。わたしは堤剛の独奏でも聴いたことがあるが、そのときの記憶は薄れているとはいえ、深々と沈潜して語り続ける独奏だった(という印象がある)のにたいして、宮田大の独奏はオーケストラの音響空間の一部を構成する感じがした。

 そう感じたのは、オーケストラがよく鳴り、雄弁に音楽を語ったからでもある。けっして背後に引っ込んではいなかった。それが正解かもしれない。概して地味で、変化に富んでいるとは言い難い曲だから。

 アンコールにバッハの無伴奏チェロ組曲第1番から第1曲「プレリュード」が演奏された。低音をたっぷり響かせて、豊かな呼吸感のある演奏だった。

 2曲目はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。冒頭のトゥッティの2度の和音が張りのある音で鳴り、続くチェロの第1主題の提示の後で、第1ヴァイオリンが入ってくるときの音型が、明確なアーティキュレーションを付けて演奏された。それでもうこの演奏がどういうものになるか予感できて期待が高まった。

 以降の演奏は、その期待を裏切らなかった。快適なテンポで進み、所々で顔を出す明確な意図を持ったフレーズ処理に目をみはった。全体を通して新鮮な感覚が漂った。背筋が伸びる演奏だった。高関健の譜読みの緻密さと誠実さは、ご自身のツィッターからうかがうことができるが、以前は(他のオーケストラだったが)整理されすぎて感興に乏しいこともあった。だが、今回は感興が乗っていた。

 個々の奏者では、ティンパニ奏者に感心した。硬めのマレットを使って、パンチの効いた、音楽性豊かな演奏をした。ベートーヴェンはティンパニの使い方がうまいと思うが、そのうまさを十分に感じさせる演奏だった。

 また首席オーボエ奏者の成長が嬉しかった。素人のわたしが‘成長’などというのはおこがましいのだが、今の奏者が入団したときは、正直言って、まだ硬さがあったと思う。その奏者が聴かせどころをきれいに聴かせるようになった。若手奏者の成長ぶりを見ることは、聴衆の喜びの一つだ。
(2017.1.13.東京オペラシティ)
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デトロイト美術館展

2017年01月14日 | 美術
 アメリカのデトロイト美術館の収蔵品展。

 印象派、ポスト印象派、20世紀のフランス絵画(エコール・ド・パリその他)という構成は定番のものだが、20世紀のフランス絵画の前に「20世紀のドイツ絵画」が挟まる点がユニークだ。当時のドイツ表現主義の作品が来ている。

 ドイツ表現主義は、大雑把にいうと、ミュンヘンで活動した「青騎士」のグループと、ドレスデン(後にベルリン)で活動した「ブリュッケ(橋)」のグループに分かれるが、本展では「青騎士」からは中心人物の一人、カンディンスキー(1866‐1944)が、また「ブリュッケ」からは、おそらくもっとも才能のあった画家の一人、キルヒナー(1880‐1938)が来ていた。

 カンディンスキーの作品は「白いフォルムのある習作」(1913)。カンディンスキーが抽象画に突入して2~3年たった時期の作品だ。まだ具象の痕跡をとどめている。具象から抽象への移行に際しての緊張感がうかがえるこの時期の作品が、わたしは一番好きだ。

 上方に見える白い四角形は何だろう。垂直に立つ黄色い柱のようなものに直角に当たっている。わたしは雲ではないかと思った。カンディンスキーが恋人のミュンターと生活したバイエルン地方のムルナウは、自然の豊かなところだ。黄色い柱のようなものは見上げるように高い木で、そこに雲の切れ端がかかっているのではないだろうかと思った。

 一方、キルヒナーの作品は「月下の冬景色」(1919)。キルヒナーは第一次世界大戦に従軍して精神を病み、スイスのダボスで療養生活に入った。その頃の不安な精神がうかがえる作品だ。

 アルプスの雪山が青く描かれている。底知れないほど深く澄んだ青色だ。たしかに夜明け前の雪山はこういう色に見える。手前の樹林がピンク色に描かれている。強烈な色だ。これは朝日に照らされた樹林ではないだろうか。不眠症に苦しむキルヒナーが見た夜明け前の一瞬の光景のように思った。

 「青騎士」とも「ブリュッケ」とも隔たった位置で活動したパウラ・モーダーゾーン=ベッカー(1876‐1907)の作品が来ていることは望外の喜びだった。「年老いた農婦」(1905頃)という縦75.6cm×横57.8cmのパウラとしては比較的大きい作品。はっきりした輪郭線が、農婦の人格をはっきり主張し、またパウラ自身の個性を主張しているようだ。
(2017.1.12.上野の森美術館)

(※)「白いフォルムのある習作」と「月下の冬景色」の画像(本展のHP)
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小泉和裕/都響

2017年01月11日 | 音楽
 小泉和裕がベテランの域に達してきた。今回は長い関係を保っている都響とブルックナーの交響曲第5番を演奏するので、前から楽しみにしていた。

 第1楽章冒頭の低弦のピチカートが意味深く鳴った。期待が高まった。しかし直後の金管のファンファーレが幻滅だった。音に響きがない。のっぺりして、奥行きがないのだ。力んでいるだけの音。とたんに現世に引き戻された。

 第1楽章を通して、音楽の流れが出ない。いつまでたっても深まらない。平板な音型が連なるだけ。そんなもどかしさを感じた。少し疲れた。

 第2楽章も同様だった。音楽が動き出さない。指揮者のタクトが音楽を引っ張っているだけで、肝心の音楽がタクトを超えて動き出さない。こうなるとブルックナーは惨めなものだ。しかも、わたしは多少ショックだったのだが、情感豊かな第2主題が、突然、いかにも思い入れたっぷりに演奏されたので、指揮者の狙いが浮いてしまった。全体の流れにしっくり収まらなかった。

 第3楽章スケルツォの、とくに主部は、結果的に一番流れがよかった。そこだけは音が炸裂して目覚しい成果が出た。第4楽章もその流れを期待したが、第1楽章で経験した金管のファンファーレの奥行きのない力んだ演奏が興醒めだった。

 演奏後はものすごいブラヴォーが出た。わたしは驚いた。取り残された想いがした。弱々しく拍手をするのがやっとだった。

 小泉和裕がこの演奏にかける意気込みは十分にわかった。だが、それが結果に結びつくとは限らず、むしろ事前の意気込みが大きければ大きいほど、結果を出すのは難しいのかもしれないと思った。今回はオーケストラが流れに乗れなかった。小泉和裕ほどのベテランでもそうなのだ。演奏は偶然のたまものとしかいえない微妙なバランスの上に成り立っているもののようだ。

 なお、第3楽章と第4楽章との間に、低い機械音のような音が鳴っていた。あれはなんだったのだろう。他の方のツィッターなどを見たら、音楽評論家の山田治生氏がやはり書いておられた。都響のホームページには記載がなかった。昔話だが、都響では朝比奈隆がブルックナーを振ったときに(あれは何番だったか)、終始キンキンした機械音が鳴っていたことを思い出す。あのときは、聴衆の補聴器がしっかり耳に装着されていなかったから、というような説明だったと記憶する。
(2017.1.10.サントリーホール)
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焼け跡に手を差しのべて―戦後復興と救済の軌跡―

2017年01月09日 | 身辺雑記
 先月、某美術館で上掲(↑)のリーフレットを見かけた。戦後数年たった頃の幼稚園だろうか。子どもたちの服装はまだ貧しいが、子どもも大人も弾けるような明るい笑顔をしている。わたしが育ったのはこのような時期だった‥と思った。わたしがその中にいてもおかしくないような気がした。

 後で知ったのだが、その写真は1956年(昭和31年)の冬頃に戦争孤児のための施設「高風園」を撮ったものだそうだ。わたしは1951年(昭和26年)生まれだから、まさにこのような服を着ていた。戦争直後の悲惨な状態からはずいぶん改善されていたのだろう。大人も子どももこのような笑顔をしていた。明るく、活気があった。

 「高風園」は横浜市にあったそうだ。戦前から児童福祉に携わってきた平野恒(写真の中央にいる女性ではないかと思う)が、戦後、戦争によって親を失った戦争孤児が浮浪児となって荒んだ生活をしているのを見かねて、子どもたちの保護のために作ったそうだ。

 すべてが破壊され、だれもが自分が食うものを求めていた時期に、自分のためにではなく、戦争孤児のために救いの手を差しのべる人がいた‥。だれもが大変な時期だからこそ、こういうヒューマニズムが生まれたのかもしれない。

 上掲のリーフレットは、横浜都市発展記念館の機関紙だった。本文は同館のHP(※)で閲覧できる。同号は企画展「焼け跡に手を差しのべて―戦後復興と救済の軌跡―」を紹介する特集号だった。

 「高風園」を作った平野恒はその一例だった。他にも、知的障害をもつ戦争孤児の保護のための施設「光風園」や、占領軍兵士と日本人女性との間に生まれた多くの‘混血児’の保護のための施設「聖母愛育園」など、いくつかの事例が紹介されていた。

 わたしは同展を見たいと思った。幸いにも日本フィルの横浜定期があったので、その前に寄ってみることができた。上記の3つの事例の他にも、多くの事例が紹介されていた。できれば個々の事例が辿っただろうドラマをもっと掘り下げてほしいと思ったが、それは今後に期待するしかない。

 会場では占領軍が撮影した記録映像が放映されていた。明るく平和な街の光景だ。占領軍の兵士たちと横浜市民たちとの交流が温かい。わずか数か月前までは鉢巻をしめ、鬼畜米英と叫び、防空壕に立て篭もっていたが、一夜明けたらガラッと変わるのも現実なのだろう。
(2017.1.7.横浜都市発展記念館)

(※)同館のHP
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クラーナハ展

2017年01月07日 | 美術
 ルーカス・クラーナハ(父)(1472‐1553)は、アルブレヒト・デューラー(1471‐1528)とともに、ドイツ・ルネサンス期を代表する画家の一人だ。他にマティアス・グリューネヴァルト、アルブレヒト・アルトドルファー、ハンス・ホルバイン(子)などが輩出したこの時期のドイツは、イタリア・ルネサンス期と比肩する豊かな実りをもたらしている。

 ドイツのどんな都市の美術館に行っても、大抵はクラーナハの作品がある。デューラーその他の画家の場合は、ベルリンとかミュンヘンとか、概ね大都市の美術館に行かないと、その作品にお目にかかれないのとは対照的だ。

 結局はそれだけクラーナハが多くの作品を産み、しかもドイツ中に流通したことの証しなのだが、なぜそれが可能になったのかを解き明かした展覧会が本展である、という見方もできる展覧会だ。

 その秘密は工房にあった、というのが本展で示された解だ。クラーナハは工房を経営していた。多くの画工を使って大量の注文をこなした。工房で制作された膨大な作品は、クラーナハ・ブランドを身にまとってドイツ中に広まった。もちろん、たとえばデューラーも工房を持っていたが、クラーナハのほうが大規模だったのかもしれない(これはわたしの推測だが)。

 わたしは通常は、どこかの美術館でクラーナハを見る場合、それが工房作であることを意識しないが、本展を見ているうちに、工房作であることと‘作者性’との間には、どんな関係があるのだろう、という考えが芽生えてきた。

 本展の目玉はチラシ(↑)に使われている「ホロフェルネスの首を持つユディト」(ウィーン美術史美術館所蔵)だが、本作と同一の作品が、ドイツのシュトゥットガルトの州立美術館にもある。そのこと自体は、工房作でなくても起こり得るが、本展を見ていると、工房との関係でも考えてみたくなった。

 その意味では、まちがいなく‘真筆’と思われる作品があった。「フィリップ・フォン・ゾルムス=リッヒ伯の肖像習作」だ。眉間のしわ、頬の筋肉、こめかみの窪み、鋭い目、頑丈な鼻など、どこをとっても迫真性がある。わたしが本展で一番感銘を受けた作品はこれだった。

 でも、‘真筆’であるかどうかを問うこと自体が問われているのが本展かもしれない。本展は思いがけない問題提起に揺さぶられた展覧会でもあった。
(2017.Ⅰ.5.国立西洋美術館)

(※)本展のHP
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松江で過ごした年末年始

2017年01月03日 | 身辺雑記
 年末年始は松江で過ごした。松江は仕事で何度か行ったことがあるが、市内観光などしたことがなかった。今回たまたま現役時代に関係のあったホテルが取れたので、松江で年越しをした。

 松江に着いたのは大晦日の夜だった。その日はホテルで夕食をとった。外に出る元気はなかった。その代わり、ホテルで地ビール、地ワイン、地酒を飲んだ。これだけ飲めば十分というくらいに。暖房のきいた部屋に戻って、さらに地酒のワンカップを飲んだ。これがいけなかったらしい。翌朝(元旦)は頭が痛かった。

 元旦は出雲の神々の故郷の大庭町を歩いた。穏やかな晴天だった。素戔鳴尊(すさのおのみこと)と稲田姫命(いなたひめのみこと)を祀る八重垣神社(やえがきじんじゃ)から伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀る神魂神社(かもすじんじゃ)まで「はにわロード」という散策コースが整備されていた。古代の神々の大冒険をしのびながら、気持のよい散歩をした。

 わたしはとくに神魂神社(かもすじんじゃ)の凛としたたたずまいに感銘を受けた。「現存する最古の大社造り」で国宝だそうだ。写真↑はそのとき撮ったもの。森閑とした木立の中にひっそり建っていた。初もうで客を目当てにした屋台は1軒もなかった。地元の人が三々五々訪れるだけという風情だった。

 神魂神社(かもすじんじゃ)の先に「風土記の丘展示学習館」があるのだが、残念ながら休館だった。古事記、日本書紀そして出雲国風土記を手っ取り早く学習するよい機会だと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。

 バスで市内に戻って、松江城に行ってみた。前述のとおり、今まで何度か松江に来たことはあるが、松江城を近くで見るのは初めてだった。国宝に指定されたためか、観光客でにぎわっていた。

 松江城を囲む堀川を渡って、武家屋敷が並ぶ塩見縄手(しおみなわて)に出た。その一角の「小泉八雲記念館」で八雲の生涯をたどり、隣接の「小泉八雲旧居」で在りし日の生活ぶりを見た。

 「旧居」に置かれた八雲愛用の机と椅子に衝撃を受けた(もっとも、「旧居」にあるのはレプリカで、本物は「記念館」にあるのだが、生活の場に置かれたレプリカの方が、わたしには衝撃だった)。極端な高さの机と普通の椅子。少年時代に左目を失い、右目も極度の近視だった八雲は、机にへばりつくようにして執筆したらしい。そんな苦闘の跡がしのばれた。
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