Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ルーツを探して

2015年04月30日 | 身辺雑記
 4月26日(日)と29日(祝)の2日間、自分のルーツを探して生まれ故郷の周辺を歩いてきました。

 生まれ故郷は東京都大田区の多摩川の河口付近。町工場が密集していました。わたしの父は旋盤工でした。先日、高校のときのブラスバンド仲間と飲んでいたら、「お前の家のあたりは臭かった」と言われました。町工場の廃液や油の匂いがしたのでしょう。でも、そんな環境に育ったわたしには、それが当たり前でした。

 母は新潟県から嫁いできました。わたしは時々田舎に連れて行ってもらったので、母方の祖父と祖母はよく知っていました。でも、父方の祖父と祖母は、わたしが生まれる前に亡くなっていたので、まったく知らずにいました。写真もありませんでした。今思うと情けない話ですが、名前さえ不確かでした。

 それには家庭の事情がありました。でも、それを書いても仕方がないでしょう。ともかく父方のことをあれこれ聴く雰囲気ではなく、父方の祖父や祖母のことは知らずに育ちました。父はもう10年以上前に亡くなっていますので、聴く機会を失いました。

 ところが、先日、妻が父の戸籍をもとに祖父の戸籍を取ってみました。そうしたら、いろんなことが分かりました。祖父の生没年月日、住所地、祖母の生没年月日、旧姓、実家、さらに祖父の兄弟姉妹、父の兄弟姉妹、長兄(父は三男です)の子どもたち等々。

 なにも知らなかった自分のルーツが、いきなり目の前に広げられたような気がしました。とくにショックだったことは、祖母の実家があった場所が、わたしの生家から歩いてすぐの所だったことです。小さい頃に自転車でよく通った場所です。そんなところに(当時はすでになかったのかもしれませんが)祖母の実家があったとは――。

 わたしは、今は目黒区に住んでいます。生まれ故郷に帰ることは稀です。でも、祖父の住所地と祖母の実家があった場所を訪れてみたい――という気持ちが湧いてきました。そこで、冒頭に記したように、生まれ故郷に行ってみました。

 祖父の住所地には民家が建て込んでいました。貧しかった当時の風景が目に浮かぶようでした。祖母の実家のあたりは倉庫やスーパーが建ち並ぶ殺風景な一角になっていました。生活臭が感じられませんでした。

 父方の祖父と祖母はどんな人だったのか。戸籍を見ると苦労したようですが、どんな人生を送ったのか。会えなかったことが、今では寂しく感じられます。
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ボッティチェリとルネサンス展

2015年04月29日 | 美術
 「ボッティチェリとルネサンス展」。最初そのチラシをみたときは驚いた。昨年秋の「ウフィツィ美術館展」でボッティチェリを堪能したばかりだったからだ。日本では見る機会が稀なボッティチェリを2年連続で見ることができるなんて――。

 「ウフィツィ美術館展」のボッティチェリも充実していたが、今回も充実の内容だ。中でもフレスコ画の「受胎告知」(※)は243㎝×555㎝という大きさ。大天使ガブリエルの緊張した表情が凛々しい。ダイナミックなその動きは、画面の巨大さに負けていない。一方、聖母マリアは一般的な恭順の表情だ。

 もう一つのフレスコ画「キリストの降誕」は、後年キャンバスに移行されたもの。画面の緊密な構成では「受胎告知」を凌ぐ。保存状態がよいのか、色彩が瑞々しい。本展の中で好きな作品を1点挙げるなら、わたしはこの作品だ。

 以上2点に加えてもう1点、テンペラで描かれた「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」(※)が、わたしにはベストスリーだ。本作の色彩の美しさは際立っている。修復が成功したのだろう。聖母の表情もいいが、聖ヨハネの美少年ぶりが現代的だ。残念ながら、本作は5月6日までの限定公開だそうだ。

 上記の各作品の制作年は「受胎告知」が1481年、「キリストの降誕」が1473‐1475年、「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」が1477‐1480年頃。ボッティチェリ(1445‐1510)が脂の乗りきった頃だ。修道士サヴォナローラの影響を受ける前の時期。結局この頃のボッティチェリが一番いいのではないか。

 ボッティチェリの作品は他にも何点か来ている。中には工房作品もあるが、真筆も多い。1460年代後半の作品はどれも甘く美しい。好感度抜群だ。師のフィリッポ・リッピ(1406‐1469)の影響がよくいわれるが、まさにそうだろう。師の没後の作品「ケルビムを伴う聖母子」(1470年頃)(※)にもその余韻が感じられる。

 ボッティチェリ以外の作品も、もちろん来ている。その中にフラ・アンジェリコ(1395頃‐1455)の小品が2点あった。「聖母マリアの結婚」(※※)と「聖母マリアの埋葬」。初期ルネサンスの淡い情感がなんともいえない。

 これらの2点はウフィツィ美術館所蔵の祭壇画「聖母戴冠」のプレデッラ(下部の小型の絵)の一部だそうだ。「聖母戴冠」はフラ・アンジェリコの代表作の一つだ。
(2015.4.27.BUNKAMURAザ・ミュージアム)

(※)の作品の画像

(※※)の作品の画像
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インキネン/日本フィル

2015年04月26日 | 音楽
 インキネンの日本フィル首席指揮者就任の発表には、自分でも意外なくらい新鮮な喜びを覚えた。ラザレフだってまだまだ鮮度がいいが、でも、絶妙なタイミングだ。インキネンは今まで首席客演指揮者として成果を上げてきたが、首席指揮者となると、さらに一段高い成果を期待できるのではないか。そんな歓迎ムードが、わたしを含めた日本フィルの聴衆に広がっているような気がする。

 インキネンは今後、ブラームス、ブルックナー、リヒャルト・シュトラウス、ワーグナーといったドイツ音楽に取り組んでいくという。これも大歓迎だ。というのも、2013年9月の東京定期での「ジークフリート牧歌」と「ワルキューレ」第1幕の名演の記憶があるからだ。ジークムントを歌ったサイモン・オニールの名唱もあったが、オーケストラだけの「ジークフリート牧歌」でも、途中から‘うねり’のようなものが生まれ、この曲のイメージを一新した。

 あのとき、インキネンのドイツ音楽指揮者としての潜在能力を垣間見る思いがした。驚くべき能力。北欧のイメージで画一的に捉えることはできないと思った。

 思えば、日本フィルの歴代の指揮者には、ドイツ音楽で本領を発揮する指揮者がいなかった。そんな中でのインキネンの就任は、渡邉暁雄以来のシベリウス演奏の伝統の継承はもちろんのこと、ドイツ音楽の演奏という新たな局面の展開を期待させる。

 その予告ともいうべき今回の定期は、ブラームスのピアノ協奏曲第1番とブルックナーの交響曲第7番という重量級のプログラムだった。結論を先にいうと、ずっしりと重い音は、今までの日本フィルからはあまり聴いたことがない音だ。しかも清新な空気感があった。重量級のプログラムだが、まったくストレスを感じなかった。

 個別のパートでは、第1ヴァイオリンが入ってくるときの音の美しさに、ハッとすることが何度かあった。すがすがしい音色。インキネンのドイツ音楽の音か。今回ゲスト・コンサートマスターに入ったヴェサ=マッティ・レッペネンの効果もあったろう。

 今回すでにドイツ音楽での‘個性’が感じられた。でも、前述のワーグナーを思い起こすと、まだ先があるはずだ。楽しみにしたい。

 なお、ブラームスでのピアノ独奏は、アンジェラ・ヒューイットだった。ピアノはファツィオリ。スタインウェイとはまったく違う、柔らかくて、丸みを帯びた音だ。興味津々だった。
(2015.4.25.サントリーホール)
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ウィンズロウ・ボーイ

2015年04月22日 | 演劇
 新国立劇場の演劇公演「ウィンズロウ・ボーイ」。作者はイギリスの劇作家テレンス・ラティガン(1911‐1977)。プロフィールによると「英国で最も愛される劇作家のひとり」だそうだ。

 「ウィンズロウ・ボーイ」は1946年の作品。時は第一次世界大戦前夜。所はロンドン。上流階級のウィンズロウ家の次男ロニーが、海軍士官学校を退学になる。学友の郵便為替5シリング(つまり小銭だ)を盗んだ廉だ。だが、ロニーは「やってない」という。父のアーサーは無実を訴える。ついには国家を揺るがす大騒動になる。

 これは実話だそうだ。1908年に起きた。作者はそれを第一次世界大戦前夜に置き換えた。国家の一大事を前にして、たかが子どもの5シリングの盗みで――と眉をひそめる世論と、子どもの‘しかるべき権利’を守れない国家なんて――と無実を訴える父。父には大変なプレッシャーがかかる。

 こういう筋立ての芝居が、第二次世界大戦の勝利に沸く1946年のロンドンで上演されたこと自体が興味深い。イギリス社会の懐の深さだろうか。

 この芝居はシリアスな芝居ではない。テーマ自体はシリアスだが(今の日本に置き換えてみても十分にリアリティがあるが)、芝居そのものは喜劇だ。また、演出の鈴木裕美が作者ラティガンを評した言葉を借りると、‘直木賞的’な作品だ。

 ‘直木賞的’という言葉は名言だ。人情の機微に触れる芝居。何度かグッときた。登場人物の心の襞が細やかに描かれている。しかも分かりやすい。

 今回の公演では、ベテラン俳優3人の他に、演劇研修所の修了生が多数出演している。2013年の「長い墓標の列」、2014年の「マニラ瑞穂記」に続く企画だ。その企画は大賛成だが、今回は研修所の修了生とベテラン俳優3人との格差を感じた。ベテラン俳優の奥深さに比べて、研修所修了生はやはり生硬だ。大仰な演技、あるいはやり過ぎの演技は、笑いや共感を呼ばない。演技とは難しいものだと思った。

 翻訳は小川絵梨子。プログラムに掲載された演出の鈴木裕美との対談で、「これは70年前の英国の戯曲ですけれど、現代ロンドンの人たちがこの作品を観た時に感じる距離感と私たちが感じる距離感とを一緒にしたかった」と述べている。たしかに、時代背景や社会構造が違うので、距離感はあった。翻訳者はその距離感まで測っているのか――と感心した。
(2015.4.20.新国立劇場小劇場)
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フェドセーエフ/N響&インキネン/日本フィル

2015年04月19日 | 音楽
 N響のC定期と日本フィルの横浜定期が重なった。もっとも、N響は15:00開演、日本フィルは18:00開演なので、渋谷→横浜の移動はあるが、なんとか間に合うだろうと思った。こういうことは今までも何度かあった。間に合わなかったことはない。両方とも会員だから仕方がない。

 N響はフェドセーエフの指揮。ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、ピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏はアンナ・ヴィニツカヤ)、アンコールがあり(バッハの前奏曲ロ短調をジロティが編曲したもの。ラフマニノフのように甘美だった)、休憩後はリムスキー・コルサコフの「シェエラザード」。

 「シェエラザード」が始まると、冒頭の威圧的なテーマが、あまり荒々しくない。肩の力が抜けている。ヴァイオリン独奏も、細かい息継ぎがあって、一気に歌いあげない。大洋のうねりも、ゆったりしている。

 フェドセーエフは1932年生まれ。今年83歳だ。その割には背筋が伸び、足元もしっかりしている。でも、演奏はテンポが落ち、一音一音を慈しむようになった。

 終演は17:00。NHKホールを飛びだして渋谷駅に向かった。東横線のホームに出たら、特急は17:25発。もう一本前の特急に乗りたかった。間に合うかどうか。みなとみらい駅に着いた。ホールに急いだ。入口に着いたそのとき、会場の拍手が聞こえた。スピーカーから流れているのだ。万事休す。1曲目のシベリウスの組曲「カレリア」は、ロビーで聴く羽目になった。

 2曲目はシベリウスのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏の三浦文彰は1993年生まれだそうだ。今年22歳。第1楽章の冒頭の演奏を聴くだけで、ストレートな音楽性がよく分かった。インキネンが指揮する日本フィルも充実した音だった。

 休憩後はシベリウスの組曲「レンミンカイネン」。第1曲「レンミンカイネンと乙女たち」からすでにこの演奏のモチベーションの高さが感じられた。第2曲は「トゥオネラの白鳥」ではなく、「トゥオネラのレンミンカイネン」だった。曲順が違うので、慌てた。その「トゥオネラのレンミンカイネン」も的確な演奏で、この曲はこういう曲だったのかと、納得する思いだった。

 以下「トゥオネラの白鳥」、「レンミンカイネンの帰郷」と名演が続いた。インキネンと日本フィルとの理解が深まり、またインキネン自身も逞しさを増していることが感じられた。
(2015.4.18.NHKホール&みなとみらいホール)
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ルーヴル美術館展

2015年04月18日 | 美術
 国立新美術館の「ルーヴル美術館展」へ。金曜日の夜間開館の時間に行ったが、それほど空いてはいなかった。もっとも、作品と作品との間にゆったりとスペースが取られていたので、気持ちよく見ることができた。

 本展のテーマは風俗画だ。そのテーマのもとに、ルーヴル美術館の膨大なコレクションの中から作品を選択している。見ていて気が付くことは、たとえばトランプ遊び(またはトランプ占い)とか、ワインを飲む男女とか、その他いくつかの同一テーマの作品が集められていることだ。それらのテーマの広がり、あるいは画家による含意の違いが検証されている。

 それらの作品を見ていると、本展には来ていない作品も想い出される。一例をあげると、トランプ遊びのテーマでは、以前に日本にも来たことがあるジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「ダイヤのエースを持ついかさま師」※を想い出すという具合だ。

 本展は――ルーヴル美術館展と銘打つ割には――地味な印象だが、よく考えられた内容だ。見ているうちに、それがだんだん分かってきた。

 目玉はフェルメールの「天文学者」※だろう。さぞや黒山の人だかりかと思いきや、意外にそうでもなくて、ゆっくり見ることができた。皆さん分散しているようだ。たまたまそうだったのかもしれない。でも、好ましい会場風景だった。

 いうまでもなく、「天文学者」は傑作だ。学問への没頭、そのときの霊感の一瞬をとらえたいかにもフェルメールらしい静かなドラマだ。フェルメールには、あえて輪郭をぼかした作品と、輪郭をはっきり描いた作品とがあるが、本作は前者のほうだ。会場の照明は、そのことを意識して調整されているのではないだろうか。微かに演出らしきものを感じた。

 「天文学者」はフランフルトのシュテーデル美術館の「地理学者」※と対になる作品だ。「地理学者」も数年前に来日した。わたしの記憶の中で、両作品が結びつく。展覧会に足を運ぶ楽しみだ。

 ル・ナン兄弟の「農民の食事」※は、数年前に来日した「農民の家族」※とよく並べられる作品だ。インパクトの強さも同じくらいだ。もっとも、「農民の家族」はフリーズ状の家族の肖像だが、「農民の食事」にはドラマが感じられる。テーブルに座る3人の男たちのうち、2人はワイン(キリストの血の暗喩)を手にしているが、1人は持たない。破れた衣服、放心したような顔つき。これはどんなドラマだろう――。
(2015.4.17.国立新美術館)

※「天文学者」と「農民の食事」

※「ダイヤのエースを持ついかさま師」

※「地理学者」

※「農民の家族」
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運命の力

2015年04月15日 | 音楽
 新国立劇場の「運命の力」。例の序曲が始まる。快適なテンポ、濁りのない音、繊細な呼吸感。けっして力まない演奏だ。指揮はホセ・ルイス・ゴメスという未知の指揮者。新国立劇場のホームページによると、「ベネズエラ生まれのスペイン人」とある。ベネズエラというと、グスターボ・ドゥダメルを思い出すが――。ともかくこの指揮者、要注目だ。

 声楽陣もハイレベルだった。レオノーラのイアーノ・タマー、ドン・アルヴァーロのゾラン・トドロヴィッチ、ドン・カルロのマルコ・ディ・フェリーチェ、これらの3人の歌手は世界の主要歌劇場のレベルだった。

 今回の目玉と思われるプレツィオジッラのケテワン・ケモクリーゼは、十分期待に応える出来だった。存在感のある声、歌い回し、演技。一言でいって、舞台での華がある。上記のホームページを見ると、2014年1月の「カルメン」に出演したそうだ。これには慌てた。その「カルメン」なら観ている。だが、まったく記憶がない――。

 帰宅後、当日の日記(というよりも、数行のメモだが)を見ると、「スターの要素がある」と書いてあった。評価はしていたようだ。だが、忘れていた。それは多分、演出に不満があったからだ。煮え切らない、焦点のぼけた演出だった。

 一方、今回の「運命の力」は、輪郭のはっきりした演出だ。2006年3月のプレミエも観ているので、2度目だが、新鮮な気持ちで観ることができた。エミリオ・サージのこの演出、無駄なことは一切せず、人物像をくっきり浮き彫りにした、シンプルかつスレートな演出だ。赤が基調の舞台美術も見応えがある。

 「運命の力」は、骨格の大きさで、「ドン・カルロ」と双璧をなすオペラだ。姉妹作ともいえる。だが、不思議なことに、「ドン・カルロ」程の上演機会はない。どちらも、実力のある歌手を多数揃えなければならない点で、上演の困難さは似たようなものだろうが。

 今回、久しぶりに「運命の力」を観ているうちに、「ドン・カルロ」のいつも気になっている箇所を思い出した。先代のカルロ五世の霊が現われて、窮地に陥ったドン・カルロを救うという、あの幕切れだ。それをどう解釈すればいいのか。

 それに比べると「運命の力」は、そういう奇妙な点がない分、観やすいかもしれない。また、戦争に明け暮れる社会の底辺で飢えに苦しむ人々が、意外にきちんと描かれている。それが発見だった。
(2015.4.14.新国立劇場)
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高関健/東京シティ・フィル

2015年04月12日 | 音楽
 都響では大野和士が音楽監督に就任したが、東京シティ・フィルは高関健が常任指揮者に就任した。その初定期。曲はスメタナの「わが祖国」全曲。

 第1曲「高い城」では冒頭、2台のハープが豊かな音量で鳴った。高関健による新時代を高らかに宣言するような観があった。だが、その後の展開には乗り切れなかった。もっともわたしは、この曲の実演ではそういうことがあるので、様子を見た。

 第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」も、エンジンが掛かりそうで掛からない、そんな感じがした。少し不安になった。楽曲を隅々まで考え抜き、がっちり構築する高関健と、体当たり的に熱い演奏をする東京シティ・フィルとでは、タイプがちがうのかと、このときは考えた。

 第3曲「シャルカ」では音楽に流れが出た。山口真由のクラリネット・ソロが光った。3月定期のときのラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲で見事なフルート・ソロを聴かせた神田勇哉ともども、東京シティ・フィルの期待の若手だ。

 休憩後の第4曲「ボヘミアの森と草原から」ではエンジン全開になった。冒頭のトゥッティの華やぎのある音で聴衆の心を一気につかんだ。その後の展開も緩急豊か。音楽の流れに乗ることができた。

 第5曲「ターボル」の冒頭では充実したずっしりと重い音が鳴った。その後の展開も雄弁だった。東京シティ・フィルの持ち前の熱い演奏が、高関健の構築感の中で脈打った。両者一体となって感動的な演奏が生まれた。それは第6曲「ブラニーク」まで続いた。

 その演奏を聴きながら、1985年1月の日本フィル定期での高関健のデビューを想い出した。メインの曲はストラヴィンスキーの「春の祭典」だった。小柄でずんぐりした、マッシュルーム・カットの無名の青年(若き日の高関健)から、大地を揺るがすような音が出た。びっくりした。鮮烈なデビューだった。それから30年たった。近年は、整理されすぎて、面白みに欠ける演奏もあったが、今回、あのデビューのときの音が戻ってきた。

 大きな拍手が起こり、ブラボーの声も飛び交った。高関健による新時代は好スタートを切った。聴衆はその新時代を温かく迎えた。

 今後の活動が高関健にとっても、東京シティ・フィルにとっても、実り多いことを願う。各々の良さはそのままに、両者がかみ合って、ともに一段上の高みにのぼることを――。その兆しはすでに現れている。
(2015.4.11.東京オペラシティ)
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カンブルラン/読響

2015年04月11日 | 音楽
 大野和士/都響のアグレッシヴなプログラミングに熱いエールを送ったばかりだが、カンブルラン/読響も相変わらず尖っている。

 1曲目はリーム(1952‐)の「厳粛な歌‐歌曲付き」。歌曲付きという添え書きは奇妙な感じがするが、楽譜出版元のホームページを見ると、歌曲部分を付けて演奏することも可能だし、オーケストラ部分だけを演奏することも可能な曲とのこと。

 オーケストラ編成は、ヴァイオリン、フルート、オーボエ、トランペットの高音楽器を欠く特殊編成。チューニングはイングリッシュホルンとヴィオラの首席によって行われた。珍しい光景だ。

 そういう特殊編成のオーケストラ部分は、低く蠢くような音型が延々と続いた。クラリネットやイングリッシュホルンに旋律のようなものが出るが、あまり印象に残らない。色を失った音楽。灰色の音楽。正直いって、あまり面白くなかった。

 だが、最後のほうになって、バリトン独唱(独唱者は小森輝彦)が入ると、途端に色が出た。前述の蠢くような音型にバリトンの声が――蔦が絡まるように――浮遊するような曲線を付ける。俄然面白くなった。でも、歌曲部分はそれほど長くはなかった。また元のオーケストラ部分が戻ってすぐに終わった。ともかく、演奏が歌曲付きでよかった。オーケストラ部分だけだったら、なにがなんだか分からなかったろう。

 2曲目はブルックナーの交響曲第7番(ノーヴァク版)。音が明るい。透明な叙情の世界。カンブルランのブルックナーはこうなのか――。これもブルックナーだ。ブルックナーの本質に触れている。それが発見だった。

 第1楽章コーダに猛烈なアッチェルランドが付いていた。正直、度肝を抜かれた。そういえば、提示部の第2主題の高まりの、ピークの直前にもアッチェルランドが付いていた。あのときは、なにが起きたのか分からなかった。

 第2楽章の第2主題が大きな弧を描いて演奏された。ハッとしたほどだ。歌い方の大きさもあるが、リズムに弾みがあったから、そう感じたのだ。しなやかなリズムの弾み。それはカンブルランの指揮姿に重なっていた。

 第3楽章を結節点として、第4楽章は鳴りに鳴った。豪快な響き。巨大なブロックが見渡す限りいくつも並んでいるインスタレーションのような演奏だ。デジタル思考のブルックナー。ブルックナーにはそういう一面もある。これも発見だった。
(2015.4.10、サントリーホール)
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大野和士/都響のB定期

2015年04月11日 | 音楽
 今気が付いたのだが、4月3日に聴いた大野和士/都響のB定期の記録が消えていた。いつから消えているのだろう。ともかく、なにかの拍子に誤った操作をしたようだ。記憶を頼りに復元することも面倒だから、そのままにしておこうかとも思ったが、大野和士/都響の新たな船出を祝う定期なので、拙いながらも記録にとどめておきたい。

 B定期はシュニトケの「合奏協奏曲第4番=交響曲第5番」とベートーヴェンの交響曲第5番「運命」というプログラムだった。そのアグレッシヴな姿勢に熱い共感を覚えた。多少前のめりかもしれないが、それくらいのほうがいい――。

 音楽監督就任の定期。その定期によくシュニトケのこの曲を持ってきたものだ。第1楽章は、矢部達哉のヴァイオリンと広田智之のオーボエ、そしてチェンバロ(今プログラムをよく読んだら、鈴木優人と明記されていた)を独奏群とする擬バロック的な音楽だが、どこかにシュニトケらしい苦味もあった。

 第2楽章は、マーラーの若書きのピアノ四重奏曲の第2楽章(未完)のテーマを素材とした音楽(片山杜秀氏のプログラムノートによる)。原曲を知らないので、原曲からシュニトケのこの音楽に変わる過程はつかめないが、音の動きを追うだけでも飽きない、そんな音楽だ。

 第3楽章は(暗いレントの序奏を伴う)シュニトケらしい狂騒のアレグロ。エネルギーが渦巻き、饒舌極まりない。全体構成の把握は困難。ただもう呆然と聴くしかない。一転して第4楽章は悲しみのレント。晩年の苦渋はまだなく、透明な空気が漂っている。夕暮れの情景。

 ざっとこんな音楽だった。音楽監督就任後の初定期ではあるが、若いころから培ってきたパートナーシップがあってこそできるプログラミングだ。守りに入らない攻めの姿勢が好ましい。

 「運命」は、弦は16型、木管とホルンは倍管の編成だったが、少しも重くない。ことに第1楽章は快速テンポで進み、例の冒頭の音型が無限に連なっていく様子が、まるで目に見えるようだった。

 前回書いたように、4月8日のA定期はマーラーの交響曲第7番だった。興味深い点がいくつかあったが、全体としてはB定期のほうが、今後の可能性を期待させた。問題意識の高い大野和士と、今それを受け止める状態にある都響のことだから、刺激に満ちた、音楽のフロンティアを開拓する演奏活動を期待したい。そんなエールを送りたい。
(2015.4.3.サントリーホール)
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大野和士/都響

2015年04月09日 | 音楽
 大野和士の都響音楽監督就任定期の第2弾。曲目はマーラーの交響曲第7番。今回もプレトークがあった。大野和士の話は面白いという評判があるが、たしかに面白い。その面白さは、立て板に水といった話術の巧みさではなく、その音楽観にあることがよく分かった。

 前回のシュニトケ、ベートーヴェン、そして今回のマーラー、それぞれの曲に大野和士はじつに生き生きとしたドラマを見出している。マーラーのこの交響曲第7番では、たとえば第2楽章「夜曲」の冒頭テーマを――レンブラントの「夜警」をマーラーが見たというエピソードを交えながら――夜警が銃を構えて、ビクビクしながら前傾姿勢であたりを窺っている様子に例えていた。後ろで物音がしたので、ギョッとして振り向く、その様子を大野和士がユーモアたっぷりに演じた。

 大野和士は音楽を具体的なドラマとして理解しているようだ。オペラの細かい動作の連続のように理解している。そういうディテールにこそリアリティがある、ディテールを大事にして初めて‘真実’が浮かび上がってくる――と。

 演奏もこの楽章が一番面白かった。思いがけないドラマの連続だった。細かな起伏があった。今まで聴いてきた第2楽章の演奏は、少し平板だったかもしれないと、そんな気がした。第2楽章が終了したとき、近くの席でそっと拍手をする人がいた。わたしも同感だ。

 第4楽章(これも「夜曲」だ)も面白かった。でも、この楽章にはギターやマンドリンが入るので、今までの演奏でも平板と感じることはなかった。その意味では第2楽章ほどの驚きはなかった。

 とかく物議を醸しがちな第5楽章は、納得の演奏だった。先行楽章との違和感があまりなかった。小宮正安氏のプログラムノートの言葉を借りれば、‘カーニバル’の夜、あるいは夜の‘遊園地’として先行楽章とつながっていた。大野和士の素直な音楽性と均整のとれた造形のゆえだ。

 最後は大いに盛り上がった。夜空を照らす無数の花火のようだった。じつは演奏会の前には、この曲は音楽監督就任を祝う定期に相応しいだろうかと、一抹の懸念があったが、わたしの認識不足だった。この曲は十分に祝祭的だった。

 盛大な拍手が起きた。やがて客席が明るくなり、楽員が引き上げた。拍手も終わりそうな気配だった。でも、また盛り返した。大野和士が再登場してブラボーの声を浴びた。
(2015.4.8.東京文化会館)
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