Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

大野和士/都響

2023年03月29日 | 音楽
 大野和士指揮都響のリゲティ&バルトーク・プログラム。1曲目はリゲティのピアノ練習曲集第1巻から第5曲「虹」をデンマークの作曲家・アブラハムセンが室内オーケストラ用に編曲したもの。チェレスタ、ハープ、ヴィブラフォンその他の打楽器の透明な音が美しいが、あっという間に終わる。

 アブラハムセンは2020年2月にパーヴォ・ヤルヴィ指揮N響でホルン協奏曲が演奏されたので、その名を記憶している。ホルン独奏はベルリン・フィルのシュテファン・ドールだった。ホルン協奏曲は1月にパーヴォ・ヤルヴィ指揮ベルリン・フィル、シュテファン・ドールの独奏で世界初演されたばかりだった。ほぼリアルタイムで日本でも演奏されることに興奮した。

 2曲目はリゲティのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏はコパチンスカヤ。これはもうコパチンスカヤの独壇場だった。全5楽章からなり、どこをとっても精密なリズムと音程からできているが、曲全体はたとえばピアノ協奏曲のように極限的な複雑さを思わせるものではなく、どこか空虚で、白々として、あえていえば拍子抜けする音だ。反ロマン的であることはまちがいない。

 第2楽章と第4楽章では、木管楽器奏者がオカリナを吹く。西洋楽器とは異なるオカリナのヒューヒューいう音がこの曲の音響の象徴だ。第5楽章の最後にカデンツァが入る。そのカデンツァには独奏者の声が入り、足踏みが入る。そこにオーケストラがヤジと足踏みで乱入する。アッと驚く間に、聴衆がヤジを飛ばして参入する。わたしはその展開に声も出なかった。ヤジを飛ばした聴衆は敏感だ。

 コパチンスカヤのアンコールがあった。コンサートマスターの四方恭子を引っ張り出して、二人でヴァイオリン二重奏曲を演奏した。途中で「さくら、さくら」のようなフレーズが出てきたので、ハッとした。曲はリゲティの「バラードとダンス」(2つのヴァイオリン編)だそうだ。「さくら、さくら」の挿入はアドリブだろう。

 3曲目はバルトークの「中国の不思議な役人」(全曲版)。反合理主義の世界がやっぱりおもしろい。全曲版なので、後半に合唱が入る。その効果が抜群だ。オペラ「青ひげ公の城」で効果を発揮した合唱を「中国の不思議な役人」では前面に出して使った感がある。

 4曲目はリゲティの「マカーブルの秘密」。びっくり仰天の衣装とメークのコパチンスカヤの圧倒的なパフォーマンスだ。ただ、本来はハイ・コロラトゥーラソプラノのための曲なので、かなり自由に演奏していたのかもしれない。コパチンスカヤ版というべきか。
(2023.3.28.サントリーホール)
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山岡重信さんを偲ぶ

2023年03月26日 | 音楽
 先日、ある偶然から、指揮者の山岡重信(以下「山岡さん」)が2022年6月20日に亡くなったことを知った。享年91歳。名前を見かけなくなってから久しい。どうしているのかと思っていた。91歳なら、天寿をまっとうされたのだろう。ご冥福を祈る。

 わたしは1971年4月に早稲田大学第一文学部に入った。そのときオーケストラに入ろうか、どうしようかと迷った。中学高校とブラスバンドをやってきたので、入りたい気持ちはやまやまだったが、オーケストラに入ると、オーケストラに明け暮れる毎日を過ごし、中学高校の二の舞になることは目に見えていた。文学をとるか、音楽をとるか。でも、やはりオーケストラに入りたい。そこである日、練習を見学に行った。そのとき指揮していたのが山岡さんだ。曲目はブラームスの交響曲第3番だった。さすがにプロの指揮者はちがうと思った。わたしは結局、オーケストラには入らなかったが、演奏会には必ず行った。山岡さんが指揮することが多かった。

 わたしは在学中に日本フィルの定期会員になった(家庭教師をやっていたので金があった)。数ある在京オーケストラの中で日本フィルを選んだ理由のひとつは、山岡さんが指揮するブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」がプログラムに組まれていたからだ。

 当時の日本フィルは文化放送・フジテレビを相手に争議中だった。苦難の時期の日本フィルを支えた指揮者のひとりが山岡さんだ。争議は1984年3月に和解が成立した。それを祝う演奏会で山岡さんはインタビューに答えて、「争議に入ってから、初めてリハーサルで音を出したときには、みんな泣いていました」と涙ぐんだ。その光景が忘れられない。

 山岡さんはその後、ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉(現在の千葉交響楽団の前身)の常任指揮者になった。千葉交響楽団はいまでは支援体制が整備され、楽員も増え、上り調子にあるようだが、当時は数少ない楽員が細々と活動を続けていたにすぎない。山岡さんはその時期のニューフィル千葉を支えた。

 争議中の日本フィルといい、ニューフィル千葉といい、そのオーケストラがもっとも苦しい時期に支え、オーケストラの灯りを消さなかった――それがわたしにとっての山岡さんだ。

 山岡さんのレコード録音は、読響を振ったLP3枚組「日本の管弦楽作品1914‐1942」(VICTORレーベルから発売)が代表作だろう。1972年の芸術祭大賞を受賞した。残念ながらCDには復刻されていないので、いまは聴けない。ネット上では新交響楽団を振った芥川也寸志の「チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート」(チェロ独奏:安田謙一郎)がアップされている。音質は貧弱だが、ただ事ではない熱気が伝わる。
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佐藤俊介/東響

2023年03月20日 | 音楽
 東京シティ・フィルの定期演奏会が終わった後に、東京交響楽団の定期演奏会に行った。掛け持ちは苦手だが、どちらも振替ができなかったので、仕方がない。東京交響楽団の指揮者は佐藤俊介。古楽系のヴァイオリニスト・指揮者だ。プロフィールによると、いまはコンチェルト・ケルンのコンサートマスターとオランダ・バッハ協会の音楽監督・コンサートマスターを務めているそうだ。またアムステルダム音楽院古楽科教授でもある。どんどん進化するヨーロッパの古楽演奏の最前線に立つ人だ。

 1曲目はシュポア(1784‐1859)のヴァイオリン協奏曲第8番「劇唱の形式で」。もちろん佐藤俊介の弾き振りだ。強いアクセントでグイグイ弾く。それは古楽奏法から当然予想されることだが、加えて美音が印象的だ。約20分の演奏時間中、独奏ヴァイオリンがオペラのプリマドンナのように出ずっぱりの曲だが、その長大な「劇唱」をまったく弛緩せずに聴かせた。

 オーケストラの配置がユニークだ。指揮者(=独奏ヴァイオリン)の左右に第1ヴァイオリン(10名)と第2ヴァイオリン(10名)が配置され、その中間(指揮者=独奏ヴァイオリンの正面)にヴィオラ(8名)、ヴィオラの奥にチェロ(6名)、さらに第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの奥にコントラバス(各3名=計6名)が配置される。この配置だと、たとえば1階席前方の中央の席では、音の聴こえ方がそうとう違うだろう(わたしの席は2階席正面の後方だったが、それでもディヴィジの視覚的な効果はあった)。

 2曲目はベートーヴェンの交響曲第1番。驚いたことに、佐藤俊介はこの曲でもヴァイオリンを弾きながら指揮をした。猛烈な勢いでヴァイオリンを弾き、オーケストラを鼓舞するように、前傾姿勢で挑む。オーケストラもそれに応える。かくてそこにはオーケストラという集団ではなく、楽員一人ひとりの生気あふれるドラマが展開する。強弱のメリハリが大きく、細かなクレッシェンドが炸裂する。

 3曲目はメンデルスゾーンの弦楽のための交響曲第8番(管弦楽版)。佐藤俊介はこの曲ではヴァイオリンを持たずに、指揮に専念した(ただし指揮棒なしで)。冒頭ではベートーヴェンの前曲とはまったく異なり、クリアーで引き締まった音が鳴った。耳が洗われるようだった。以後、躍動感のある演奏が続いた。メンデルスゾーンが14歳のときの作品だが、習作の域をこえている。黙って聴かせられたら、ハイドンと思うだろう(もっとも、第4楽章ではフーガになるので、そこで、あれ?と思うかもしれない)。

 終演後、3月末に退団するコンサートマスターの水谷晃とホルン首席の大野雄太が聴衆と別れを惜しんだ。東京シティ・フィルでもフルート首席の竹山愛が楽員と別れを惜しんだ。3月は人事の季節だ。
(2023.3.18.サントリーホール)
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高関健/東京シティ・フィル

2023年03月19日 | 音楽
 高関健指揮東京シティ・フィルの定期演奏会。プログラムにショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」が組まれている。ロシアのウクライナ侵攻以降、ショスタコーヴィチのこの曲はチャイコフスキーの祝典序曲「1812年」とともに、演奏しにくい曲になっている。それをあえてやることに興味をひかれる。

 恒例の高関健のプレトークでは、この曲を演奏する思いが率直に語られた。まず個人的な思いとして、サンクトペテルブルク・フィルを2度振ったことがあり、また東京シティ・フィルを連れて「夕鶴」を上演したことがあるので、サンクトペテルブルク=レニングラードへの思いがあること。またショスタコーヴィチのこの曲をプログラムに組んだときは、ロシアのウクライナ侵攻が起きる前だったこと。しかしウクライナ侵攻が起きて、「正直、演奏するかどうか迷った」。けれども「作品そのものを見つめて演奏する。作品をどう思うかは、お客様一人ひとりにゆだねる」と。

 ショスタコーヴィチのこの曲は2曲目に演奏されたのだが、先にこの曲から述べると、第1楽章冒頭の「人間の主題」が、なんの気負いもなく、やわらかい音で演奏されたことが印象的だ。やがて最弱音で小太鼓のリズムが入ってくる。そして例の「戦争の主題」が、これまたやわらかい音で、そっと始まる。それが何度も繰り返されるうちに、いつの間にか阿鼻叫喚のカオスが訪れる。たしかにそれは戦争の暗喩だろう。しかしそれ以上に意義深く思われたのは、カオスが崩壊した後の荒涼とした音の風景だった。ショスタコーヴィチはこれを描くために第1楽章を作曲したのかと思うほどだった。

 わたしは第4楽章の最後で「人間の主題」が高らかに鳴り、勝利を宣言する部分がどう聴こえるか、不安になってきた。だが、東京シティ・フィルのどこまでも濁らずにクリアーに鳴る分厚い音を聴きながら、それが為政者云々にかかわらず、名もなき人々の勝利のように聴こえた。感動に身が震えた。

 東京シティ・フィルは全曲を通して澄んだ音を鳴らした。緊張感が途切れず、また過度なヒロイズムにも陥らずに、音楽を見つめる演奏をした。高関健の8シーズン目の最後の演奏会だったが、8年の成果が眩しいほどだった。

 1曲目にはカバレフスキーのチェロ協奏曲第1番が演奏された。チェロ独奏はミュンヘン国際コンクールの優勝者・佐藤晴真(はるま)。一度聴いてみたいと思っていた。だが、青少年のために書かれたというこの曲では、実力のほどはつかめなかった。アンコールにバッハの無伴奏チェロ組曲第1番からサラバンドが演奏された。ゆったりした演奏だったが、集中力に欠けた。
(2023.3.18.東京オペラシティ)
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B→C 加耒徹バリトン・リサイタル

2023年03月15日 | 音楽
 B→Cコンサートにバリトン歌手の加耒徹(かく・とおる)が出演した。加耒徹は2021年の東京二期会の「ルル」でシェーン博士役を好演した。B→Cコンサートでは10か国の言語を歌うというので、楽しみにしていた。

 まずバッハのカンタータ第203番「裏切り者なる愛よ」。バッハには珍しく、イタリア語のカンタータだ。そのせいなのかどうなのか、音楽と言葉がしっくりこない。松岡あさひの弾くピアノ伴奏は熱がこもっていた。

 次はカーゲル(1931‐2008)の「バベルの塔」から「ヘブライ語」「ポルトガル語」「ハンガリー語」「オランダ語」「日本語」の5曲。石川亮子氏のプログラムノーツによると、これは旧約聖書「創世記」第11章第5~7節(神が人間たちのバベルの塔の建設を怒り、言語をバラバラにした件)を歌詞とする18の言語による18のメロディからなる作品。カーゲルは「歌手は演奏に際して18曲すべてではなく、3~6曲を抜粋し、任意の順で演奏するように」と指示した。冒頭、ヘブライ語が始まると、エキゾチックな語感に惹かれた。特殊唱法が入る曲もある。日本語ではポンというユーモラスな音が入る。各曲ともおもしろい。当夜の大きな収穫だった。

 ライマン(1936‐)の「ヴォカリーズ」は激しい曲だった。加耒徹は構築的といっていいほど彫りが深く、陰影が濃やかな歌唱を聴かせた。

 シェイクスピアの「十二夜」から道化の歌「おお、私の恋人よ」にもとづくクィルター(1877‐1953)、フィンジ(1901‐1956)、フォルトナー(1907‐1987)の3曲が歌われた。ライマンの後で聴くと、ホッとするような安らぎがあった。加耒徹の英語の発音も自然だった。さらにデイヴィッド・ローチ(1990‐)の、同じ歌詞にもとづく3曲が歌われた。ローチはトマス・アデスが審査員をつとめた2020年度の武満徹音楽賞で第2位を受賞した人だ。

 デュパルクの「旅への誘い」と「悲しき歌」が歌われた。さすがに名曲だ。ラフマニノフの「夜の静けさの中」「ヒワの死に寄せて」「君は彼を知っている」の3曲が歌われた。「ヒワの死に寄せて」が情感豊かな曲だった。

 最後にホリガー(1939‐)の「ルネア」が歌われた。詩人ニコラウス・レーナウの23のセンテンス(1行~数行)にもとづく23の断片からなる連作歌曲だ。内部奏法を多用するピアノの音とあいまって、狂気の中で死を迎えたレーナウの、正気と狂気の境界の意外に広がりのある世界を感じさせた。ホリガーが、シューマンやヘルダーリンなど、狂気にとらわれた人にこだわる理由がわかる気がした。
(2023.3.14.東京オペラシティ・小ホール)
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藤岡幸夫/日本フィル

2023年03月12日 | 音楽
 藤岡幸夫指揮日本フィルの横浜定期。空席が目立つのは、プログラムに日本人の作品が組まれているからだろうか。だが、その作品が良かった。菅野祐悟のサクソフォン協奏曲「Mystic Forest」だ。この曲は2021年2月の初演のときに聴いた(サクソフォン独奏は今回と同じ須川展也。オーケストラは藤岡幸夫指揮東京シティ・フィル)。そのときはよくわからなかったが、今回は2度目とあって、どんな曲か、つかめた気がする。

 全3楽章からなる。プログラムに掲載された菅野祐悟のプログラムノートが、各楽章の性格を的確に語っているので(そのプログラムノートが初演のときにもあったかどうか、残念ながら記憶に残っていない)、一部を引用しながら、各楽章をたどってみよう。

 第1楽章は「桜は華々しく咲き誇り、そして一瞬で儚く散る。(以下略)」。桜の花びらが空中を舞うような細かい動きが印象的だ。第2楽章は「紅葉が散る直前に人の心を強烈に揺さぶるのは何故でしょう。(以下略)」。紅葉が散る、その絶え間ない動きを表すようなスケルツォ風の音楽。第3楽章は「日本の雪景色。(以下略)」。緩徐楽章。だが「ホワイトアウトした真っ白な世界の先にある漆黒の闇」とあるように、サクソフォンが腹の底から絞り出すような叫びをあげる。やがて光明が差し、肯定的な響きで終わる。

 全体的にとても美しいのだが、音楽の流れに予想がつかないところがある。細かいところがそうなのだが、その描写は難しいので、第3楽章を例にとると、もし全4楽章なら、第3楽章に緩徐楽章がくるのは常套的だが、全3楽章なので、第3楽章が緩徐楽章で始まると、不意を突かれる。そうか、緩徐楽章で終わるのかと思って聴いていると、明るい響きに変わり、前出の音の動きが回帰して終わる。各楽章のディテールをふくめて、予想のつかない流れが新鮮だ。

 わたしは先月、原田慶太楼指揮の東京交響楽団が演奏する菅野祐悟の交響曲第2番「Alles ist Architektur―すべては建築である」を聴き、美しい響きに感心した。その経験があったからだろう、今回のサクソフォン協奏曲も、響きの美しさを楽しんだ。

 須川展也のアンコールがあった。ビゼーの「アルルの女」から「間奏曲」のサクソフォンのメロディだ。サクソフォン1本でホールの大空間を満たす。すごい音だ。

 2曲目はチャイコフスキーの交響曲第4番。過剰な演出がなく、変な癖もない、きわめて真っ当な演奏だ。第4楽章の最後は迫力満点だった。藤岡幸夫はベテランの域に入っているが、正統的な良い指揮者になった。アンコールにグリーグの「過ぎにし春」が演奏された。東日本大震災から12年目の3月11日のためだろう。
(2023.3.11.横浜みなとみらいホール)
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鈴木優人/読響

2023年03月10日 | 音楽
 鈴木優人が指揮する読響の定期演奏会。1曲目は読響創立60周年記念委嘱作品の鈴木優人の新作「THE SIXTY」。60人のオーケストラのための“60”の数字にこだわった作品だ。全体は3つのセクションに分かれる。そのうちの第2のセクションがもっとも長い。独特の感覚の(その感覚をどういったらいいか。現代的で、明るく、軽い、しかし類似のものが見当たらない、一種名状しがたい感覚だ)音の重なりが延々と続く。そこに「YOMIURI NIPPON SYMPHONY ORCHESTRA」の30文字を音列化した「読響音列」が綴りこまれる。それにくらべると、第1のセクションはいわゆる現代音楽だ。一方、第3のセクションは調性音楽だが、あっという間に終わる。

 2曲目はイェルク・ヴィトマン(1973‐)のヴィオラ協奏曲。ヴィオラ独奏はアントワーヌ・タメスティ。演劇的要素を盛り込んだ曲だ。冒頭、指揮者が登場するが、独奏者はいない。指揮者は指揮台に立つが、何もしない。するとオーケストラの後ろにいた独奏者がピチカートで音を出しながら、オーケストラのあいだを歩き始める。やがて弓を見つけて高々と掲げる。ワーグナーの「ワルキューレ」でトネリコの幹に突き刺さったノートゥングを引きぬくジークムントのパロディか。

 弓を手にした独奏者は縦横無尽に弾き始める。チューバその他のパートが独奏者を威嚇する。独奏者とオーケストラの闘争だ。ついに破局に至る。瓦礫の中から独奏者が静かに身を起こす。オーケストラとの融和が訪れる。独奏者はノスタルジックな音楽を奏でる。その音楽は消え入るように終わる。

 じつにおもしろい作品だが、そのおもしろさはたんに演劇的なおもしろさにとどまらず、協奏曲という音楽形式の解体、あるいは問い掛けを思わせ、しかも音楽的なヴィヴィッドさを有している。また演奏もタメスティの圧倒的なソロ(+パフォーマンス)、鈴木優人指揮読響の研ぎ澄まされた音、ともに息をのむほどだった。

 アンコールが演奏された。バッハのヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ第1番から第3楽章だったが、そのとき鈴木優人がつけた伴奏は、右手でチェレスタを弾き、左手でピアノを弾いた。高音部はチェレスタの音、低音部はピアノの音だ。それが不思議な音色を生み、またヴィオラの音と調和した。

 3曲目はシューベルトの交響曲第5番。弦楽器は12‐12‐10‐8‐6の編成。そのせいかどうか、低音部がはっきり聴こえる演奏だった。第1楽章の冒頭など、第1ヴァイオリンが細く(あるいは痩せて)聴こえたのは、わたしのこの曲のイメージが、フワッとした音のイメージだったからかもしれない。
(2023.3.9.サントリーホール)
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「佐伯祐三」展

2023年03月07日 | 美術
 「佐伯祐三」展が開催中だ。パリの抒情的な風景画で知られる佐伯祐三(1898‐1928)のわずか30年の人生、そのうちのパリ生活だけなら、わずか3年にすぎない、まるで生き急いだように見える人生と画業をたどることができる。

 佐伯祐三のパリ生活は2回に分かれる。最初は1924年から1925年までの約2年間、次は1927年から1928年までの約1年間だ。本展では最初のパリ生活で生まれた作品を「壁のパリ」、次のパリ生活で生まれた作品を「線のパリ」と呼んでいる。それぞれの時期の作品の特徴を端的に表す命名だと思う。

 日本の木造家屋とは異なるパリの石造建築の、ザラッとした壁の手触りに着目して、その再現を目指した「壁のパリ」の作品群と、壁や広告塔に貼られた何枚ものポスターに踊る文字に着目して、文字がまるで生命を持ったかのように自由に飛び跳ね、画面のいたるところに散乱する「線のパリ」の作品群。

 だが、おもしろいことに、「壁のパリ」といっても、その作風がパリに着いてからすぐに生まれたわけではなく、短いけれども、やはり助走期間があったこと、また「線のパリ」といっても、その作風が2度目のパリ生活でいきなり生まれたわけではなく、「壁のパリ」の作品群にすでに萌芽状態で存在したことも、本展を通じてよくわかる。「壁のパリ」と「線のパリ」は画然と区切られるわけではなく、重なり合いながら、一気に進んだ。

 加えて感動的なことは、「線のパリ」で佐伯祐三の画業が終わるわけではなく、さらにその先に進もうとしていたことだ。亡くなる1928年の2月に佐伯祐三は友人たちとパリ郊外のヴィリエ=シュル=モランVilliers-sur-Morinに写生旅行に出かけた。同地で描かれた作品群からは文字が消えて、明確な輪郭線が現れる。明らかに画風が変化する。だがその変化は突然断ち切られる。3月にパリに戻ると、佐伯祐三は体調を崩す。精神的に不安定になる。6月に自殺未遂を起こし、精神病院に入院。8月に亡くなる。

 本展でもっとも惹かれた作品は、「壁のパリ」でも「線のパリ」でもなく、ヴィリエ=シュル=モランで描かれた「煉瓦焼」(本展のHP↓に画像が載っている)と、同地からパリに戻ったときに描かれた「郵便配達夫」(チラシ↑に使われている作品)だ。

 「煉瓦焼」のオレンジ色の強さは、画像ではわからないかもしれない。わたしは何かに打たれたように感じた。「郵便配達夫」は多くの人に知られた作品だ。背景にあるWAGNER(ワーグナー)の文字は、佐伯祐三が音楽好きだったことを思い出させる。両作品には、あふれる生気と簡明さ、あえていえば無邪気さが共通する。それを“絵本”性と呼んでみたい。
(2023.3.3.東京ステーションギャラリー)

(※)本展のHP
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エゴン・シーレ展(3)

2023年03月04日 | 美術
 エゴン・シーレ展。シーレの作品については2月3日と2月15日のブログで触れたが、他の画家の作品にも触れたいものがあるので、もう一度。

 シーレといえば反射的にクリムトとなるが、何点か展示されているクリムトの作品の中では、「ハナー地方出身の少女の頭部習作」が気合の入った作品だ。キャプションによると、学生時代の制作と推定されるそうだ。顔がまるで生きているように描かれている。クリムトの並々ならぬ力量が感じられる。

 もっとも、本展ではクリムト以上にリヒャルト・ゲルストルの作品がまとまっている。ゲルストルは音楽好きのあいだでも多少知られた画家だ。ゲルストルは音楽も好きだった。作曲家のシェーンベルクはゲルストルと親交を結んだ(シェーンベルクは、一時は画家になろうかと思ったくらい、美術も好きだった)。年齢はシェーンベルクが9歳上だが、二人はお互いを認め合っていた。

 だが、ある事件が起きた。ゲルストルはシェーンベルクの妻のマティルデと親しくなり、1908年に駆け落ちした。周囲は大騒ぎになった。マティルデを説得し、結果マティルデはシェーンベルクのもとに帰った。シェーンベルクもマティルデを受け入れた。一方、傷心のゲルストルは自殺した。

 わたしはそのエピソードが記憶に残っていたので、初めてレオポルド美術館を訪れ、思いがけずゲルストルの「半裸の自画像」(本展にも展示されている。画像はHP↓に掲載)に出会ったとき、その出会いに半ばうろたえた。こういう人物だったのか、と。腰から下を白い布で覆い、上半身は裸。まるで運命に魅入られた人物のように見えた。展示室にはヘッドフォンが備えられていた。ヘッドフォンを耳に当てると、シェーンベルクの弦楽四重奏曲第2番が流れてきた。上記の事件が起きたころに作曲された曲だ。

 本展で「半裸の自画像」に再会した。背景の紺色は記憶よりも明るかった。そこから浮き上がる人物は「私はここにいる」と言っているように見えた。

 ゲルストルの展示作品の中に「田舎の二人」という作品があった。手前に女性、その奥に男性が描かれている。二人とも野外の明るい日射しのもとに座っている。だがどういうわけか、二人の顔が判然としない。目鼻がはっきり描かれていないのだ。最初みたときは、未完の作品かと思った。キャプションを読むと、女性はマティルデ、男性はマティルデの兄のツェムリンスキー(シェーンベルクに作曲を教えた人だ)という説があるとのこと。制作は上記の事件のあった1908年。顔をはっきり描かなかったのは、なにか意図があったのか。
(2023.1.31.東京都美術館)

(※)本展のHP
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