Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

METライブビューイング「ナクソス島のアリアドネ」

2022年04月27日 | 音楽
 METライブビューイングで「ナクソス島のアリアドネ」を観た。気軽に外国に行けなくなったので、メトロポリタン歌劇場のオペラ公演を(たとえ映画館であっても)日本に居ながらにして鑑賞できるのは幸いだ。

 映画館なので、もちろん音質的には限界があるが、それでもアリアドネ役のリーゼ・ダーヴィドセンLise Davidsenの傑出した歌唱力には度肝を抜かれた。まだ若い歌手だ。今後ビッグネームになることはまちがいないだろうが、ビッグネームになってからよりも、今のはち切れるような才能の開花を愛でたい。

 アリアドネ役は第2幕の主役だが、第1幕の主役ともいえる作曲家役を歌ったイザベル・レナードは、すっかりMETの看板歌手になった。ズボン役の作曲家も、歌、演技ともによかった。幕間のインタビューでだれかがいっていたが、来シーズンの「ばらの騎士」ではダーヴィドセンが元帥夫人を歌い、レナードがオクタヴィアンを歌うそうだ。ライブビューイングでやったら、これは観に行きたい。

 ツェルビネッタ役はブレンダ・レイ。例のアリアでは高音の連発がビンビン決まることはもちろんだが、グルベローヴァの歌唱が刷り込まれているわたしには、声の軽さがもっとあれば、と思わざるを得ないところもあった。もっとも映画館という条件を割り引いて考えなければならないことだが。

 「ナクソス島のアリアドネ」は「ばらの騎士」の次に書かれた。だから、というわけでもないだろうが、第1幕の作曲家のパートと、第2幕のアリアドネのパートには、「ばらの騎士」を彷彿とさせる陶酔的な音楽が現れる。だが、その音楽に浸ろうとすると、ツェルビネッタが茶々を入れる。それがいかにもシュトラウス的だ。陶酔的な音楽を書けるのに、それを冷めた目で見るもう一人の自分がいる。「ナクソス島のアリアドネ」はもっともシュトラウス的なオペラといってもいいかもしれない。

 話を元に戻して、歌手でもう一人、バッカス役のブランドン・ジョヴァノヴィッチにもふれておきたい。最後の最後に登場して、すべてを持って行ってしまうこの役は、そもそも大変な役だろうが、それにふさわしい歌唱だったとは、残念ながら言い難かった。

 指揮のマレク・ヤノフスキは、粘らないリズムと快適なテンポで、練達の指揮だった。現代の巨匠中の巨匠というべき域に達した感がある。演出はエライジャ・モシンスキー。目新しいことはやっていないが、第1幕は細かく作りこまれ、それとは対照的に第2幕はシンプルな中にも視覚的にインパクトがあった。
(2022.4.26.109シネマズ二子玉川)
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インキネン/日本フィル

2022年04月24日 | 音楽
 インキネンと日本フィルが、コロナ禍で中断していたベートーヴェンの交響曲チクルスを再開した。昨日の横浜定期では第2番と第4番が演奏された。今後、10月の東京定期で第7番と第8番が演奏され、来年5月の横浜定期と名曲コンサートで「第九」が演奏されてチクルスが完結する。

 今回の2曲はともに安定した演奏だったが、第4番のほうが、ピッチがよく合ったスリムな音で、アンサンブルのきめも細かかった。加えて集中力が並みではなく、存在感のある演奏だった。名演という一般的な表現よりも、インキネンの特質がよく表れた演奏といったほうがいいかもしれない。以前聴いたメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」を彷彿させる演奏だが、今回はさらに逞しさがあった。

 演奏会の冒頭にシベリウスの交響詩「エン・サガ」が演奏された。ベートーヴェン・チクルスが中断する前には、ドヴォルジャークの交響詩が組み合わされていた。それをシベリウスの交響詩に代えた。来年5月の「第九」のときには「タピオラ」が演奏される。さらに来年4月の東京定期では「クレルヴォ交響曲」が演奏される。

 日本フィルはインキネンとの首席指揮者契約を2年延長してベートーヴェン・チクルスを完結しようとしているが、ベートーヴェンと併せて、最後にもう一度シベリウスに取り組もうとしているように見える。

 話が迂回してしまったが、今回の「エン・サガ」の演奏は、いかにもシベリウスらしいといったらよいか、シベリウスの本質に触れるようなところがあった。特別なことをしているわけではないが、一見クールな音の感触の中に、暗い情念が静かに燃え上がるような、内燃的な音楽が立ち現れた。それは稀有な経験だ。

 加えて、このような聴き方は邪道かもしれないが、エン・サガ(伝説)という題名から想像されるこの曲の表現するものが、北欧の(とくに現在の状況下のフィンランドの)強国からの圧迫とそれへの戦い、そして敗北という物語を想像させ、辛い思いがした。今回かぎりの経験だろうが。

 「エン・サガ」は2008年4月のインキネンの日本フィル初登場(横浜定期だった。場所は横浜みなとみらいホール)のときに演奏された曲だ(メインの曲目はチャイコフスキーの交響曲第4番だった)。そのときの感動はいまでも覚えている。日本フィル初登場にもかかわらず、日本フィルとよくかみ合った演奏に感心した。それから14年。両者は実り多い関係を築いた。今後、来年にかけて、有終の美を飾る演奏を期待する。
(2022.4.23.ミューザ川崎)
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高関健/東京シティ・フィル

2022年04月23日 | 音楽
 高関健指揮東京シティ・フィルの定期演奏会は、三善晃の「交響三章」とブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(第2稿1878/80年、コーストヴェット版)という異色の組み合わせ。両者の対比が鮮やかな演奏だった。

 三善晃の「交響三章」では緊張した音が鳴った。とくに変拍子が連続して猛スピードで駆け抜ける第2楽章が、手に汗握るスリリングな演奏だった。「交響三章」は三善晃の出世作だが、その前に「交響的変容」を書いているせいか、「交響三章」では無駄がなく、しかもみずみずしい感性が脈打っている。才能あふれる若手の、その才能がまぶしく、かつ堂々と表出された曲だ。

 当夜はコンサートマスターにゲストの荒井英治が入った(荒井英治は同団の特別客演コンサートマスターの称号をもつ)。これは良い意味でいうのだが、「交響三章」はいかにも荒井英治が好きそうな曲だ。演奏全体が生き生きしたものになった功績の一端は、荒井英治にあったかもしれない。

 休憩後のステージを見て驚いたのだが、木管、金管、打楽器がステージの床面に配置されている。山台に乗っていない。対抗配置の第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの、後方2プルトだけが山台に乗っている。これで響きがどう変わるかと、興味津々だ。結論からいうと、木管、金管、打楽器が、直接音として客席に届かずに、弦楽器とブレンドされて届く(言い換えれば、オーケストラ全体がゆるやかに一体となって鳴る)ような感覚があった。

 その音は明らかに意図されたもので、しかも今回のブルックナー演奏と表裏一体をなすものだった。高関健の演奏スタイルの基本は、張りのある音と、明確なアーティキュレーションにあると思うが、そのスタイルから脱皮して、今回のブルックナーでは、縦の線を合わすことにこだわらずに、ゆったりとした流れを重視し、その中でフォルテの部分を、大波が盛り上がるように充実した響きで鳴らす、という演奏スタイルをとった。

 高関健の新境地かどうかは、まだわからないが、ともかく今回、新ブルックナー全集のコーストヴェット版を使うにあたり、高関健はプログラムに寄せた一文を、次のように結んでいる。「しかしでき得るならば、細部だけに捕らわれることなく、ブルックナーの真意に迫る演奏を目指したいと考えている」。その思いの表れであることはまちがいないだろう。

 高関健は東京シティ・フィルの常任指揮者として8シーズン目に入った。オーケストラとの関係の熟成とともに、チャレンジングな姿勢に変わりがないことが頼もしい。
(2022.4.22.東京オペラシティ)
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B→C 吉村結実オーボエ・リサイタル

2022年04月20日 | 音楽
 東京オペラシティのB→CシリーズにN響の首席オーボエ奏者・吉村結実が出演した。プログラムはクープランから始め、バッハで終わるもので、そのあいだにフランス近代・現代の諸作品がはさまれた。吉村さんのルーツはフランス音楽にあるようだ。

 冒頭のクープランの「趣味の融合または新しいコンセール」第7番ト短調は、いかにもクープランらしい優雅な曲だが、吉村さんのオーボエよりも、むしろ桒形亜樹子(くわがた・あきこ)さんのチェンバロに耳を奪われた。楽器の特性上音量が小さく、演奏も控えめだったが、心地よいテンポを刻んだ。

 2曲目はラヴェルの「ソナチネ」。原曲はピアノ独奏曲だが、ダヴィット・ワルターという人のオーボエとピアノのための編曲版で演奏された。吉村さんのオーボエは一転して、水を得た魚のように精彩を放った。第1楽章と第2楽章では自然な呼吸感で歌い、第3楽章では無数の音を目まぐるしく駆け上がり、駆け下りた。ピアノ伴奏の大堀晴津子(おおほり・せつこ)さんの演奏もスリリングだった。

 3曲目はティエリー・ペクー(1965‐)の「オーボエ・ソナタ」。未知の作曲家の作品だが、おもしろかった。第1楽章はノリが良く、第2楽章は切々とした歌があり、第3楽章は拡大されたカデンツァのようだった。現代音楽というよりも、(ポップスというのではないが)わかりやすい音楽だ。とくにピアノ・パートがおもしろかった。

 休憩後はキャラクター・ピースが何曲か並んだ。フィリップ・エルサン(1948‐)の「シェーナイ」とジョリヴェの「オリノコ川の丸木舟を操る人の歌」は、ともにエキゾチックな小品だ。メシアンの「ヴォカリーズ・エチュード」(原曲は声楽曲だが、オーボエ用に編曲)は優美な曲で、少しもメシアンらしくない。

 次のジョルダン・ギュドファン(1988‐)の「白鳥の歌」は、歌と素早い動きが組み合わされた、典型的なフランス近代の(たとえば六人組の)音楽のように聴こえた。まだ若い人なのに(というか、今時の若い人らしく、というべきか)、現代音楽のとげとげしさとか、そんな既成概念とは別の、もっと一般受けする音楽のようだ。

 最後にバッハの「パルティータ ト短調 BWV1013」(原曲は無伴奏フルート・パルティータ イ短調)が演奏された。第3楽章サラバンドの、リラックスした部分での上質な音楽と、テンションが高まる部分での密度の濃さが、とくに印象的だ。バッハをふくめたプログラム全体からは、吉村さんの素直な音楽性が伝わった。N響で聴いているだけでは、吉村さんがどういう演奏家か、よくわからなかったが、今回それがわかった。
(2022.4.19.東京オペラシティ・リサイタルホール)
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エッシェンバッハ/N響

2022年04月17日 | 音楽
 エッシェンバッハ指揮N響のCプロはマーラーの交響曲第5番。壮麗に鳴る金管、艶のある音色のチェロ、ピアニスト出身を思わせるエッシェンバッハの、隠れた音型を浮き上がらせる解釈という具合に、聴きどころ満載の演奏だった。もっとも、Aプロのベートーヴェンの交響曲第7番のときのような精神の輝きは感じなかったが。

 マーラーの交響曲第5番の演奏とベートーヴェンの交響曲第7番の演奏と、どこがどうちがうかを具体的に指摘することはできないが、感覚的にいうなら、ベートーヴェンの交響曲第7番のときは、空に抜けるような音が鳴ったのにたいして、マーラーの交響曲第5番では、楽員が必死に譜面にくらいついているような印象を受けた。

 それだけ楽員を本気にさせたのはエッシェンバッハの力だ。譜読みと集中力が並外れた指揮者なのだろう。前回来日時(2020年1月)のマーラーの交響曲第2番「復活」(Cプロ)とブラームス(シェーンベルク編曲)のピアノ四重奏曲第1番(Aプロ)は、N響との関係にぎくしゃくしたものを感じたが、今回はそれがなかった。

 エッシェンバッハの指揮は、今回のほうがストレートだった。前回のマーラーと、とりわけブラームスのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏はツィモン・バルト)(Aプロ)は、テンポの変化にデフォルメされた面があったが、今回は大筋でそれがなかった。

 第1楽章と第2楽章の、襞の多い、ニュアンスの深い谷間を覗きこむような演奏。一転して第3楽章の、安定したホルン独奏に惹かれはしたが、それでもなお単調さを感じるのは、曲のせいか演奏のせいか、と自問自答した演奏。第4楽章の弦楽器の(とくにチェロの)、ホールいっぱいに鳴り響く威力に驚嘆した演奏。第5楽章の、狂乱の中にもこんなに細かい音型が埋めこまれていたのかと、発見にふるえた演奏。

 一言でいって、意義深い演奏だったと思う。ナルシズムとかヒロイズムとか、そんな音楽外のものとは無縁な、ひたすら譜面を読みこんだ、誠実で愚直な演奏だった。

 不思議なもので、ベートーヴェンの交響曲第7番もマーラーの交響曲第5番も、わたしは聴きすぎて、もう感動しなくなったと思っていた曲だが、それらの曲で感動した(少なくともベートーヴェンの交響曲第7番では感動した。神々しい演奏だと思った)、もしくは、控えめにいっても、新鮮な気持ちで聴くことができたのは、稀有な経験だった。

 エッシェンバッハは今年82歳だ。同年齢のほかの指揮者を考えるにつけ、人間の年の取り方を考える。
(2022.4.16.東京芸術劇場)
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平和祈念展示資料館「戦争のおはなし」展

2022年04月16日 | 身辺雑記
 新宿の高層ビル群の一角にある住友ビル。その33階の「平和祈念展示資料館」は、太平洋戦争後のシベリア抑留をテーマにした施設だ。常設展のほかに年に数度の企画展が開かれる。いまは「戦争のおはなし」展が開催中だ。

 過去にはシベリア抑留の記憶を描いた油彩画の展覧会が催されたこともある。今回はマンガ、絵本、紙芝居、カルタの展覧会だ。どれも親しみやすい。チラシ(↑)に「コトバだけでは伝わらない。絵にするとわかってくれた」とある。そうだろうな、と……。

 右上の緑の絵は、川崎忠昭(1932‐79)の「アカシア並木」だ。絵本「おとうさんの絵本 大連のうた」の所収作品。川崎忠昭は大連に生まれ育った。大連はアカシアが美しかった。だが、わが子にそれを語っても、理解してもらえない。そこで絵本にした、と。

 その左隣の白と青の絵は、ちばてつや(1939‐)の「トモちゃんのおへそ」。有名漫画家の作品だけあって、繊細な美しさは別格だ。収容所のお墓の前で、毎日トモちゃんは自分のおへそを見ていた。「おかあさんが死ぬ前にいったの。おかあさんに会いたかったら、おへそを見なさい。きっとおかあさんの顔が見えるでしょうって」。厳冬期のシベリア。窓ガラスが割れ、氷柱がさがった収容所。そっとおへそを見るトモちゃん。

 ちばてつやは敗戦直後、父親の仕事仲間だった中国人にかくまわれ、父親と母親と4人の子どもたちで屋根裏部屋に隠れて暮らした。ちばてつやは長男だった。むずかる弟妹を慰めるためにマンガを描いた。それが漫画家になる原点だった。

 その下の青と白と赤い点々の絵は、斎藤邦雄(1920‐2013)の「シベリアの霊魂よ 故国日本に還れ」。透き通るような紺色の夜空。真っ白い雪原。その上をシベリアで斃れた多くの人々の魂が日本に還る。ひとりだけ方向をまちがえている。仲間が「日本はそっちじゃないよ」と声をかける。

 その下の絵にもふれておこう。岩田シヅ江(1926‐2009)の「引き揚げ船の中で幼児二人を置き去りにしたと語る母親」。引き揚げ船の中でひとりの母親が泣き泣き語る。「子どもに菓子を与えて、ここに座っていなさい。用事をしたら、お母さんが迎えに来るから、と言って置き去りにした」と……。

 チラシの裏面(※)に斎藤邦雄の「シベリア抑留 いろはかるた」が掲載されている。「そ」は「ソ連を恨むウクライナの娘」。強制労働に従事させられているウクライナ娘がスターリンの写真をふみつける。
(2022.4.10.平和祈念展示資料館)

(※)チラシ
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エッシェンバッハ/N響

2022年04月11日 | 音楽
 エッシェンバッハ指揮N響のAプロ。1曲目はドヴォルザークの序曲「謝肉祭」。快速テンポの快演だったが、それ以上の感想が浮かんでこない。メカニックな優秀さに焦点を絞るなら、もう一段上を望みたい。

 2曲目はモーツァルトのフルート協奏曲第1番。フルート独奏はギリシャ出身の若手奏者スタティス・カラパノスStathis Karapanos。エッシェンバッハの秘蔵っ子らしい。優秀なフルーティストなのだろうが、この曲で個性を発揮するには至らなかった。エッシェンバッハの指揮もフルート奏者の引き立て役にまわり、とくに何もしていなかった。

 正直言って、このフルート奏者がどういう演奏家なのか、よくわからなかったが、アンコールで感心した。2曲演奏されたが、1曲目はだれのなんという曲か、独特の抒情をたたえて、心のひだに染み入ってくるような曲だった。演奏は大きな弧線を描き、その隅々に小さな息遣いがあり、その息遣いが生きた小動物のような、一言で言って、呼吸のコントロールが見事な演奏だった(帰宅後、N響のツイッターを見たら、久石譲の「となりのトトロ」から「風のとおり道」だった)。

 アンコールの2曲目はドビュッシーの「シランクス」。定番のアンコールピースだが、これも1曲目で感じたような、全体の大きなラインと、その陰で息づく小さな動きという音楽のつかみ方を裏打ちするような演奏だった。

 3曲目はベートーヴェンの交響曲第7番。冒頭の和音がスッと入ってくるように(そうとしか表現できないのだが、身構えずに自然体で)鳴らされた。その音の晴朗さにハッとした。力まず、しかも確かな手ごたえのある音だ。続く木管のフレーズのやりとりも、どのパートも細心の注意を払って、滑らかに受け継がれる。主部に入ってからも、心地よい手ごたえのある、(比喩的に言えば)青空に抜けるような音が鳴った。

 第2楽章では「タータタ・ターター」というリズム音型の裏のオブリガート旋律が前面に出た(その部分ではリズム音型は抑えられた)。オブリガート旋律を弾くヴィオラとチェロの、不思議な光を放つような(端的に言えば、底光りのする)音色に惹きこまれた。

 全体を通してこれは驚嘆すべき名演だった。どこがどうだというよりも、演奏全体から精神の輝きが感じられた。余計なものを削ぎ落し、磨き抜かれた精神が立ち上がってくるようだった。わたしはいままでエッシェンバッハの指揮をN響、北ドイツ放送響(現NDRエルプ・フィル)、パリのバスティーユ・オペラ、その他で聴いてきたが、エッシェンバッハの本領が今度こそわかった。
(2022.4.10.東京芸術劇場)
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メトロポリタン美術館展

2022年04月07日 | 美術
 ウクライナのキーウ近郊で民間人の多数の遺体が発見された。ロシアはウクライナの極右勢力がやったことと主張して、関与を否定――というニュースにどうしようもない既視感をおぼえた。第二次世界大戦中に起きた「カティンの森事件」だ。ポーランドに侵攻したナチス・ドイツがカティンの森で多数の遺体を発見した。それを発表したら、ソ連はナチス・ドイツがやったことと主張し、戦後もずっと関与を認めなかった。それとよく似ている。

 そんなこんなで憂鬱な日々が続くが、気を取り直して展覧会に出かけた。「メトロポリタン美術館展」だ。連休に入ると混むだろうからと、平日の午前中に出かけたが、会場はかなり混んでいた。絵を見ていても人がぶつかってくるし、「早くどいてくれ」という無言の圧力を感じることもあった。

 でも、ともかく平和な日常だ。外に出ると桜が舞っていた。この平和な日常とウクライナの現実と、両者はどうつながるのだろう。わたしも募金をしたり、署名に応じたり、ささやかな行動に参加したりしているが、安全な場からの支援にすぎない。わたしは傍観者なのだろうか。

 「メトロポリタン美術館展」の内容に入ろう。これは質量ともに世界最高峰の美術館であるメトロポリタン美術館にふさわしい内容だ。他の展覧会なら目玉になるような作品が何点も来ている。もちろんそれ以外の作品も充実している。

 チラシ(↑)に使われている作品はジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「女占い師」だ。画面の左から強い光が射している。中央の男とその右の女は明るく照らされている。一方、左の2人の女の顔は影になっている。右端の老婆はもっとも明るく照らされているが、浅黒い肌が異様に映る。また中央の男とその右の女がのっぺりした顔をしているのにたいして、老婆の顔には深いしわが刻まれている。それらのコントラストが、溢れる光と暖色系の色彩のなかで、(金の鎖を切り、財布を奪おうとする)ドラマの緊張を高める。

 本展のHP↓に画像が載っているが、フェルメールの「信仰の寓意」とレンブラントの「フローラ」も他の展覧会なら単独で目玉になるような作品だ。「信仰の寓意」は、開かれたタペストリーの奥で展開される信仰のドラマ、という一種の劇場性がある(なお実物を見て初めて気が付いたが、蛇を踏みつける「隅の親石」は未完のように見える)。一方、「フローラ」は憂いをふくんだ表情がレンブラントの心情を感じさせる。

 その他、ゴヤの「ホセ・コスタ・イ・ボネルス(通称ペピート)」やマネの「剣を持つ少年」も語りたい気はするが、もうやめよう。ともかく名品の数々だ。
(2022.4.6.国立新美術館)

(※)本展のHP
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夏目漱石「硝子戸の中」

2022年04月03日 | 読書
 先日、早稲田の漱石山房記念館を訪れた。館内とその周囲を見学するうちに、漱石の随筆「硝子戸の中」を思い出した。その余韻が消えないので、久しぶりに読み返した。たぶんこれで3度目だと思う。

 「硝子戸の中」は漱石山房記念館がたっているその場所で書かれた(記念館は漱石の家の跡にたっている)。記念館には漱石の書斎が復元されている。畳十畳くらいだろうか。文机と火鉢が置かれ、本が山積みになっている。漱石はそこで「三四郎」も「こころ」も「明暗」も、要するに「猫」などの初期作品以外はすべて書いた。書斎には硝子戸がはめられ、その先には外廊下があった。漱石は硝子戸越しに外を眺めた。「硝子戸の中」という書名の所以だ(「中」は「うち」と読む)。

 「硝子戸の中」は39編の随筆からなる。各編は400字詰め原稿用紙で3~4枚だ。1915年(大正4年)1月13日から2月23日までの朝日新聞に連載された。漱石は初回(「一」)に、勤め人が駅で新聞を買い、電車の中でそれを読み、ポケットに丸めて役所や会社に入るというシチュエーションを想定している。「硝子戸の中」はいまでいうと、新聞のコラムのようなものだ。

 なので、基本的には気楽でユーモラスな文章だ。だが、わたしは恥ずかしながら、今度初めてそのことに気付いた。いままではどこか暗いイメージをもっていた。漱石は「硝子戸の中」を書いた翌年(1916年、大正5年)に亡くなった。そのせいかどうか、死にまつわる話が多い。だから暗いイメージをもったのだろうか。異色なのは、亡き母の想い出を綴った「三十七」と「三十八」だ。甘美な思慕の念が溶けて流れる。全体の暗さの中でそこだけが色彩をもつ――それがわたしのイメージだった。

 だが、そのイメージは偏っていたようだ。わたしは漱石のユーモアを捉えきれていなかった。たとえば「三十一」と「三十二」に子どもの頃の友達の「喜いちゃん」が出てくる。その話は記憶に残っていたのだが、今度初めてその話が、漱石の意地っ張りな性格を戯画化して描いたものだと気付いた。

 「三十」では「継続中」という言葉が出てくる。すべての人々の「心の奥には、私の知らない、又自分達さえ気の付かない、継続中のものがいくらでも潜んでいるのではなかろうか」という(引用は新潮文庫より)。そのテーマは「硝子戸の中」の次に書かれた小説「道草」に引き継がれるわけだが、引用文は続けて「もし彼等の胸に響くような大きな音で、それが一度に破裂したら、彼等は果たしてどう思うだろう」という。この「破裂」とはなんだろう。その先を読むと、「死」かもしれないと思うが、そう割り切ってしまうには、書き方が少々入り組んでいるようにも思う。
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