Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

日本フィル定期

2008年10月28日 | 音楽
 先週は日本フィルの定期があった。その翌日には「騎士オルランド」があり、記録はそちらのほうが先行してしまったが、日本フィルも印象に残っているので、かいておきたい。
 指揮は尾高忠明で、プログラムは次のとおりだった。
(1)モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」
(2)三善晃:交響三章
(3)ラフマニノフ:交響曲第3番

 モーツァルトのハフナーは流れのよい演奏で、このオーケストラが時々きかせる大雑把さが影を潜めていた。これはすでにベテランの域にたっした尾高忠明の力だろう。思い返すと、私はこの指揮者がN響の指揮研究員をつとめていた時代からきいている。つまり、20代の若手のときから60代に入った今に至るまで継続的にきいているのだ。今はほんとうに信頼に足るいい指揮者になった。それが私には嬉しい。

 三善晃の交響三章は、この作曲家の若き日を代表する作品だが、私は初めてきいた。今まではどういうわけか、きく機会を得なかった。全篇にわたって変拍子が続き、当時20代だった作曲家の意欲がみなぎっている。私には何よりも、この作品が今でも少しも古びていないことが驚きだった。曲としての仕上げのよさの故だろう。

 ラフマニノフの交響曲第3番は、出だしはオーケストラに余裕がなくて驚いたが、第1楽章の後半からほぐれてきて、第2楽章冒頭のメランコリックなテーマでは気持ちがよくのっていた。第3楽章では残念ながら一部に粗さを感じた。翌日の演奏では改善されていたことを願う。
 私はこの交響曲をきくと、いつも、作曲の冴えを感じる。この曲と、ピアノとオーケストラのための「パガニーニの主題による狂詩曲」と、オーケストラのための「交響的舞曲」は、いずれもラフマニノフがアメリカに渡ってからかいた曲だ。3曲とも作曲の冴えが際立っている。
 20世紀は、さまざまな事情で、多くの作曲家がヨーロッパからアメリカに渡った。アメリカに渡ってからの人生もさまざまだ。ファシズムを嫌ってアメリカに渡ったバルトークが、そのもっとも悲劇的な例だとすれば、ロシア革命を避けたラフマニノフは成功例だ。ピアニストとしての成功が大きいが、作曲にかんしても新境地をひらいた。
(2008.10.24.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

騎士オルランド

2008年10月26日 | 音楽
 北区が毎年この時期に開催している「北とぴあ国際音楽祭」で、ハイドンのオペラ「騎士オルランド」が上演された。アーノンクールの名盤でその音楽の素晴らしさはよく知っていたが、舞台をみることができるのは遠い先だと思っていたので、嬉しい驚きだ。

 粟國淳の演出は、とくに目新しい解釈があるわけではなかったが、音楽と舞台上の動きがよく合っていた。また、歌手たちの立ち位置もワンパターンではなかった。横田あつみの美術はシンプルなもので、舞台正面を額縁で囲み、それと同じ額縁が、一つは床面に斜めに敷かれ、もう一つは正面奥の壁に少し傾いて掛けられていた。その他の装置は一切なし。笠原俊幸の照明がそれらの二つの額縁に色彩豊かな光をあて、また、さまざまな映像を映し出す。これだけの舞台だが、私は飽きなかった。
 歌手はみな健闘した。その中でも、臼木あいという若いソプラノ歌手が、嬉しい発見だった。やや硬質な声で、歌に正確さがあり、イタリア語の発音も明瞭だ。現在はザルツブルグに留学中とのことで、将来が楽しみだ。
 オーケストラはいつものとおり寺神戸亮&レ・ボレアード。寺神戸亮の指揮は、一昨年のこの音楽祭でやったハイドンのオペラ「月の世界」に比べて、積極性が増したと思う。レ・ボレアードはオリジナル楽器のオーケストラ。日本にもいつの間にかオリジナル楽器の演奏者が育っているという感慨をもった。

 このオペラでは、騎士オルランドとその宿敵のバルバリア王ロドモンテは、いつもいきり立った滑稽な音楽が与えられ(もっとも、オルランドの音楽の一部にはシリアスさがあるが)、女王アンジェーリカとその恋人メドーロは、真情あふれる音楽が与えられ、また、オルランドの従者パスクワーレとその恋人エウリッラは、素朴で庶民的な音楽が与えられ、魔法使いアルチーナは物々しい音楽が与えられている。そのような具合に、音楽の性格分けが実に明快だ。

 それにしても、これはだれでも気がつくことだろうが、このオペラはモーツァルトのオペラを連想させる点が多い。従者パスクワーレは「ドン・ジョヴァンニ」のレポレッロに似ているし、パスクワーレとその恋人エウリッラは「魔笛」のパパゲーノとパパゲーナにそっくりだし、メドーロはその優柔不断さで「ドン・ジョヴァンニ」のドン・オッターヴィオを連想させる。アルチーナは「魔笛」の夜の女王そのものだ。
 「騎士オルランド」の作曲は1782年で、同年にエステルハーザ宮殿で初演された。大変好評だったようで、83年と84年にも再演されている。ウィーン初演は1791年のようだ(当日のプログラムによる。アーノンクール盤の解説では1792年となっている)。一方、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の作曲・初演は1787年で、「魔笛」は91年だ。
 私には、どうしても、モーツァルトはこのオペラを知っていたのではないか、という疑問がわいてくる。おそらく、可能性はあると思う。モーツァルトがウィーンに住み始めたのは1981年で、間もなくハイドンと固い友情をむすぶ。その交友の中で、ハイドンの当時の成功作「騎士オルランド」のことが話題にのぼり、譜面をみたことさえあったかもしれない。もしみたとしたら、モーツァルトはハイドンをたたえなかったろうか。
 美しいエピソードに事欠かない二人の交友関係だが、これもまた微笑ましいエピソードになりそうだ。
(2008.10.25.北とぴあ「さくらホール」)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山の巨人たち

2008年10月24日 | 演劇
 新国立劇場で「山の巨人たち」が、初日の幕を開けた。イタリアの作家ピランデルロの未完の遺作だ。以前に「作者を探す六人の登場人物」を読んで衝撃を受けた私は、期待と不安(何の予備知識もなしに、ぶっつけ本番で舞台をみて、十分に理解できるだろうかという不安)を抱えて劇場に向かった。

 結果的には、筋を追うことに困難はなかった。幻想的な夢の場面も理解できた。哲学的な台詞、あるいは観念的な台詞は、十分に理解できたとはいえないが、それはそれで、作者も舞台で十分に理解されるとは思っていなかっただろう。

 一晩たって、今、この芝居を思い返しながら、妙にモーツァルトの「魔笛」を連想している自分に気がつく。それはもう固定観念のようになっている。お伽話のような外見、その裏に隠されている観念的な世界、全篇にちりばめられた細部の象徴性、論理にこだわらない奇想天外な飛躍、清も濁も呑みこんだ雑多さ、等々。
 さらに、もっと踏み込んでいうと、作品にただようどこか暗いペシミズムが共通している。これは、ピランデルロの場合は、1936年というファシズム全盛の時代にあって、みずからも党員だったファシズムの現実が分かってきた絶望感だろうか。モーツァルトの場合は、フリーメイソンにたいする弾圧が徐々に厳しさを増してきた閉塞感か。

 結局のところ、「山の巨人たち」は、ファシズムの時代にあって演劇だけは守ろうとする空しい闘いなのだろうか。あるいは、その直前にナチスによってドイツ上演が禁止されたという戯曲「取り替えられた息子の物語」への小さな墓碑銘なのだろうか。いずれにしても、大人のためのお伽話というキャッチコピーでは収まりきらないものを感じた。
 今回の演出では、未完の結末については、死の床にあるピランデルロが息子に語ったという展開が字幕で投影された。破壊的でむごたらしい結末だ。その結末は今でも苦い味となって私の中に残っている。
(2008.10.23.新国立劇場)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後のライラックが‥

2008年10月21日 | 音楽
 指揮者の下野竜也は、デビュー以来さまざまなオーケストラを振りながら、継続してヒンデミットを取り上げている。昨日の読響の定期でも、ヒンデミットのプログラムを組んだ。
(1)ヒンデミット:シンフォニア・セレーナ
(2)ヒンデミット:前庭に最後のライラックが咲いたとき ―愛する人々へのレクイエム―
   (メゾ・ソプラノ:重松みか、バリトン:三原剛、合唱:新国立劇場合唱団)
 もともと演奏頻度の高くないヒンデミットだが、これらの2曲はその中でも珍しい部類に属する。私も初めてきくので、事前にCDで予習をして行った。以下、CDとの比較をまじえて記録したい。

 「シンフォニア・セレーナ」は1946年の作品、つまり第二次世界大戦の終了直後にかかれた曲だ。この時期には世界中で多くの曲が生まれた。戦争の悲惨さを訴える曲も多いが、その一方で、極度の緊張から解放され、平和の訪れに安堵する曲も生まれた。この曲は後者に属する。
 ヒンデミットは、ユダヤ人ではなかったが、ナチスの弾圧をうけたので、その安堵は一入だったろう。もっとも、この曲は、素朴な安堵で終始するわけではない。第2楽章はベートーヴェンの軍楽のための行進曲のパラフレーズになっていて、どこか意味深だ。第3楽章はColloquy(会談、討議)と名づけられていて、これまた何かの意図が感じられる。全体としては、第1楽章では平和の訪れを安堵し、第2楽章と第3楽章では戦争とその終結を暗示し、第4楽章では平和の喜びを爆発させるという解釈が可能だろう。
 昨日の演奏は、私のきいたCD(ブロムシュテット盤)に比べて、抜けるような晴朗さよりも、どこか沈んだ気分が感じられた。それが意図したものかどうかは分からない。ただ私には、「世界はいまだに傷から癒えていない」と感じられるものがあった。

 次の「前庭に最後のライラックが咲いたとき」も同年の作品で、アメリカの国民的詩人ホイットマンの長編詩に音楽をつけている。原詩は、南北戦争の終了直後に暗殺されたリンカーン大統領を追悼するもので、そこに第二次世界大戦の終了直前に亡くなったルーズベルト大統領を重ね合わせたものだ。ただし、それだけではなく、最後の部分に戦場で散った多くの無名の兵士たちを偲ぶ箇所があり、そこに音楽的な重心がかかっている。これが「愛する人々へのレクイエム」という、原詩にはない副題のついた所以だろう。

 全体は前奏曲および11の部分に分かれていて、前半は淡々とすすむが、中間の第7番では合唱による壮大なフーガとなる。昨日のフーガの演奏は、ヒンデミットのかいた線的書法がよく出ていて、私のきいたCD(この曲の委嘱者であり初演者でもあったロバート・ショー盤)よりも優れていると感じた。先に結論をいってしまうが、総体的に昨日の演奏は、ヒンデミットの音楽語法にたいする理解の点でCDを上回っていた。

 話を元に戻して、第8番の後半から「賛歌《愛する人々のために》」と題された部分になり(この標題は原詩にはない)、メゾ・ソプラノとバリトンの美しい二重唱がきかれる。第9番は「死のキャロル」(これも同様)と名づけられた大きな合唱曲で、全体のクライマックスを形成する。ここまではCDをきいて分かっていた。
 けれども昨日の演奏では、さらに先のあることが分かった。エピローグとしてきいていた無名の兵士たちを偲ぶ第10番では、哀悼のトランペットが鳴らされていたのだ。CDでは気づかなかった。私は驚き、こみ上げてくるものを抑えるために、あわててハンカチを取り出した。これがあってはじめて、第11番で鳴らされる弔いの鐘が生きてくるのだった。

 私たちは、第二次世界大戦の死者を悼む、こんなにも優れた曲をもっていたのだ。それを私は知らなかった。
 それにしても、ヒンデミットを継続して取り上げている下野竜也の志は、高く評価されてしかるべきだ。ヒンデミットは地味で、渋く、人気の出にくい作曲家だ。だが、音楽の大事なものをもっている。それは、音楽的思考の活発さ、あるいは音楽をする喜びとでもいったものだ。そこに注目する指揮者が同時代の同国人にいたことを喜びたい。

 以上、ずいぶん長くなってしまって申し訳ない。最後になるが、新国立劇場合唱団は、この曲の演奏に欠かすことのできない役割を十分に果たした。重松みかの英語は本物だった。三原剛も不足はなかった。
(2008.10.20.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エルガー・ハウス

2008年10月19日 | 身辺雑記
 土曜日は久しぶりに結婚式に出席しました。今流行りの人前結婚式とレストラン・ウエディングなるもので、私は初めての経験でした。でも、あまり本質的な(?)新しさは感じられませんでした。むずかしいものですね‥。
 レストランは目黒の閑静な住宅街にあって、「エルガー・ハウス」という名前、そう、19世紀のイギリスの作曲家の名前です。たしかに庭は、イングリッシュ・ガーデン風に手入れされていて、よい雰囲気でしたが、料理はフランス料理のようでした。もっともイギリス料理といっても、フィッシュ&チップスかローストビーフ、あるいはイングリッシュ・ブレックファーストくらいしか思い浮かびませんが。
 で、本題ですが、人前結婚式にはヴァイオリンの生演奏が入ったので、これは絶対にエルガーの「愛の挨拶」をやるぞと思っていました。エルガーが婚約者のためにかいた愛すべき小品です。が、やらなかったような気がします。面白いですね。もしかすると、開業当初は「エルガー」でコンセプトを統一していたかもしれませんが、それがだんだん薄れてきたのかも‥。
 というわけで、結婚した当人にプレゼントするために、さきほど「愛の挨拶」のCDを買ってきました(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トゥランガリラ交響曲

2008年10月15日 | 音楽
 都響が初顔合わせの若手指揮者イラン・ヴォルコフを迎えて、以下のプログラムを演奏した。
(1)ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」
(2)メシアン:トゥランガリラ交響曲(ピアノ:児玉桃、オンド・マルトノ:原田節)
 実に大胆なプログラムだ。すでに何回も共演をかさねているヴェテラン指揮者ならともかく、初顔合わせの若手にふらせるのは冒険だ。事前のリサーチはしているにしても、やはり一種の賭けだろう。その心意気を歓迎したい。

 ドビュッシーの「遊戯」は作曲者晩年の作で、管弦楽作品の中ではもっとも抽象化がすすんでいる。それはちょうど印象派の画家モネが、生涯の最後になって形態にとらわれずに、かなり抽象化された作品を生んだことを連想させなくもない。
 ただ昨日の演奏は、残念ながら音の動きがぎこちなく、余裕がないように感じられた。指揮者には明確なテンポの設計があり、棒をみていると、指揮者が想定している音楽が想像できるのだが、実際の音はついていっていなかった。

 次のメシアンの「トゥランガリラ交響曲」については、少々煩瑣になって申し訳ないが、説明の都合上、まず各楽章の標題を掲げさせていただきたい。
 第1楽章 導入
 第2楽章 愛の歌1
 第3楽章 トゥランガリラ1
 第4楽章 愛の歌2
 第5楽章 星の血の喜び
 第6楽章 愛の眠りの庭
 第7楽章 トゥランガリラ2
 第8楽章 愛の展開
 第9楽章 トゥランガリラ3
 第10楽章 フィナーレ
 以上の標題からも感じられるように、この曲は多面体のような構造をもっていて、第5楽章と第8楽章は、解放的な官能の喜びを歌い上げている。第6楽章は、官能の果ての心地よい眠りだ。反面、トゥランガリラと名づけられた三つの楽章は、実験的で抽象的な音楽だ。これらを第1楽章と第10楽章がはさむ形をとっている。

 私のこの曲のきき方は、年月とともに変化していて、今は三つのトゥランガリラが面白い。その点では昨日の演奏は満足できた。ヴォルコフの指揮は、変拍子や複雑なリズムなど当たり前で、関心事は重層的な音構造の解析にあった。
 一方、第5楽章と第8楽章は、官能の喜びが伝わってこなかった。これは指揮者が若いせいだろうか。逆説的なようだが、官能の表現にはある程度の年齢が必要な気がする。
 第6楽章は、弦とオンド・マルトノの息の長い旋律にピアノが装飾をつけるが、昨日はそこにヴィヴラフォンの音色が明瞭にかぶさり、指揮者のセンスのよさが感じられた。

 総体的には、弱音の部分は音色の美しさで惹きつけたが、強奏の部分は音がやかましかった。もっともこれは、まさに今の都響の課題でもある。今の都響で強奏の音を十分制御できるのは、そうとう経験豊富な指揮者だけだ。初顔合わせの若手が十分にできなかったとしても、それは指揮者だけの責任ではないだろう。

 ヴォルコフが才能ある指揮者であることはよくわかった。だが昨日のプログラムは、いくら才能があるにしても、やはり荷がかちすぎていたのではないか。
 私は、現実にはシンデレラ・ストーリーはそう簡単には生まれないのだなと思った。

 最後になったが、ピアノの児玉桃は精彩ある演奏をきかせた。オンド・マルトノの原田節には、この曲ではいつもお世話になっている。
(2008.10.14.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近代能楽集

2008年10月13日 | 演劇
<メモ>
 新国立劇場が三島由紀夫の「近代能楽集」から「綾の鼓」と「弱法師」(よろぼし)を上演した。どちらも若手演出家の遠慮がちな手が感じられる舞台で、不完全燃焼の感をぬぐえない。現体制になってからこの種の舞台が増えているような気がするが、どうだろうか。
 もっとも、今日はこの問題には深入りせずに、一言だけメモを。
 「弱法師」の結末寸前で、戦争の災禍を語った狂乱の俊徳(木村了が好演)を級子(十朱幸代)が優しくいたわる場面で、ト書きがアナウンスされたのだ。「ト俊徳の手をとって、もとの椅子に座らせる。室内すでに暮し」。ト書きのアナウンスというのも珍しいが、面白かったのは、俊徳が椅子に座らないこと。つまりト書きと舞台上の動きが一致しない。
 そのことが妙にひっかかって、他に仕掛けはなかったのかと考えていた。そしてフッと思いついた。前半の「綾の鼓」では、舞台奥の壁に次のようなト書きが投影されていた。「(略)下手は三階の法律事務所。古ぼけた部屋。善意の部屋。真実の部屋。桂の樹の植木鉢がある。(略)」。けれども舞台にあった植木鉢は白い蘭のようにみえた。そう、あれもト書きを裏切っていたのではないか。
 私は思わず笑ってしまった。
(2008.10.09.新国立劇場)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大山崎山荘美術館

2008年10月12日 | 身辺雑記
 全国にちらばっている職場の仲間の集まりで京都に行ってきました。昨日は宴会、今日は山歩きで、今帰ったところです。
 今日の山歩きは、嵯峨野の念仏寺から渓流沿いの道を歩いて、清滝、高雄にいたるコース。コースタイムは2時間くらいですが、私たちは2時間半ほどかけてのんびり歩きました。清流を吹き抜けてくる風の気持ちよかったこと! 川には大きな魚が何匹もみえて、仲間の一人によれば、あれは鱒だそうです。

 昨日は夕方の集合時間まで余裕があったので、ちょっと足をのばして、大山崎山荘美術館をのぞいてみました。もともとは大正初期から昭和初期にかけてつくられた山荘で、英国チューダー様式にもとづいているそうです。昔の洋館というのは趣きがあっていいですね。日本にもこういう建築が生まれた時代があったんだなと思います。
 本館とは別に新館があり、そこではモネの「睡蓮」が3点並べて展示されていて、オランジェリー美術館を連想しました。

大山崎山荘美術館のホームページは↓
http://www.asahibeer-oyamazaki.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の日記(最終回)

2008年10月10日 | 音楽
 帰国の日は、飛行機が夜行便だったので、夕方まで時間が空いた。朝はホテルでゆっくりすごして、11時頃から何人かの方々とモンマルトルの丘に行ってみた。ちょうど日曜日だったので、サクレ・クール寺院ではミサがおこなわれていて、この寺院のオルガンの音をきくことができた。
 午後はバスティーユ歌劇場でヴェルディのオペラ「リゴレット」をみた。オペラをみることができたとは、何という幸運だろう。帰国便が夜行便で、しかもその日は日曜日だったので、マチネー公演があったという具合に幸運がかさなったお陰だ。

 公演の質は高く、最近のこの劇場の好調ぶりを示すものだった。「リゴレット」という人気演目の通常公演だが、ルーティーンワークに陥ることなく、意欲みなぎる公演だった。
 その第一の貢献者は、指揮者のダニエル・オーレンだろう。テンポのメリハリがきいていて、引き締まった造形感を生み出し、しかも情熱がこもっていた。オーケストラも実に反応がよかった。

 歌手では、ジルダをうたったエカテリーナ・シュリーナに強い印象をもった。ロシア出身の若手だが、どんなに高音になっても声の伸びを失わない。プログラムによれば、すでにヨーロッパ中で活動を開始しているようなので、今後よく見かける名前になるだろう。
 リゴレットはヴェテラン歌手のホアン・ポンス。ときどき声がかすれることがあったが、そんなことは小さな傷にすぎないと思えるほどの存在感があった。リゴレットの苦悩と孤独をこれほど陰影深く表現できる歌手はそうはいないだろう。
 マントヴァ公爵はしっかりうたっていたが、残念ながら声と演技と容姿に華がない。甘く、明るく、能天気で、どんなに浮気性であっても女は惹かれて、けっして憎めないというキャラクターを表現するには、やや真面目すぎた。

 演出はジェローム・サヴァリィという人。パリのオペラ公演の常として、作品の主題を明確に視覚化する演出で、とくに読み替えや斬新な解釈はない。前奏曲の部分では、だらしなく胸をはだけた女が横たわっていたり、第一幕冒頭の舞踏会の場面では、軽業師たちが飛び回ったりしていたが、その後はとくに眼を引く仕掛けはなかった。けれども人の動かし方はきびきびしていて明快で、飽きることがなかった。

 オペラが終わって集合時間までに集合場所につけてホッとした。帰りの飛行機の中ではビールやワインを飲みながら、ぼんやりと舞台を反芻していた。思えば、「リゴレット」は宮廷の腐敗をえがいたもので、道化師リゴレットも腐敗の構成員だ。だからほんとうは腐敗をもっと舞台で表現してもいいはずだし、リゴレットのいかがわしさをもっと強調してもいいだろう。だが今までそういう舞台をみたことがない。これは人気演目であるが故の難しさなのだろうか、と思った。
(2008.10.05.パリ「バスティーユ歌劇場」)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の日記(2)

2008年10月09日 | 音楽
 最終日はパリだった。夕方、プラハからパリに着いて、皆さんは買い物やナイトショーで自由時間を過ごしたが、私はコンサートに行った。折からハンガリーのブダペスト祝祭管弦楽団が来ていて、音楽監督のイヴァン・フィッシャーの指揮でマーラーの交響曲第3番を演奏した。会場はサル・プレイエル。プラハのドヴォルザーク・ホールのような古風でアナログ的な音ではなく、かといって日本で近年建てられている多くのホールのような最新式のデジタル的な音でもなく、その中間をいく素直でききやすい音だった。このホールは2年前に改修されたばかりだが、その際に音も改善されたのだろう。

 私はブダペスト祝祭管弦楽団をきくのは初めてで、その優秀さに強い印象を受けた。実にシャープで意欲的な演奏をする。前日のチェコ・フィルがローカルな色合いを強めているのに対して、こちらは明らかにインターナショナル志向だ。

 オーケストラのそのような性格に加えて、指揮者のイヴァン・フィッシャーの個性もあって、かれらの演奏するマーラーは、リズムが粘らず、緊張の糸が張り詰めた、鋭角的な踏み込みのマーラーだった。私は同じハンガリー人の指揮者ショルティを思い出した。ショルティのような腕力の強さはないにしても、必要なときには壮大な音を鳴らす、引き締まった、即物的な演奏スタイルは共通していた。国際化が進んでいる音楽界にあって、ハンガリー人の指揮者の伝統が感じられることが、かえって面白かった。

 ただこの日は、仕事の予定がすべて終わってホッとしたのか、あるいは疲れが出たのか、睡魔におそわれがちだった。ときどき無意識の世界に吸い込まれそうになりながら、早くホテルに帰ってビールを飲みたいと思っていた。だから演奏にかんしては、あまり偉そうなことは言えない。

 会場を出てから凱旋門まで歩いてみた。凱旋門は明るくライトアップされ、夜も遅いのにまだ大勢の観光客が集まっていた。円を描いてぐるぐる回る車のライトがあたりを照らす。パリはなんて明るいのだろうと思った。それに比べて、プラハはどこかに影をかかえていた。
 地下鉄でホテルに帰って、待望のビールを飲んだ。とたんに元気になった。
(2008.10.04.パリ「サル・プレイエル」)

付記
 メゾソプラノ独唱はビルギット・レンメルト、合唱はパリ児童合唱団とパリ聖歌隊だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の日記(1)

2008年10月08日 | 音楽
 夕食がフリーだったプラハの最終日は、たまたまチェコ・フィルの定期演奏会があったので、ききに出かけた。会場はチェコ・フィルの本拠地である「芸術家の家」の大ホール「ドヴォルザーク・ホール」。私は初めてだったが、古風で、ぬくもりのある、アナログ的な音がする。最新式のホールが増えている中で、今後こういう音は貴重になるだろう。
 指揮は前首席指揮者のズデニェク・マカールで、プログラムは次のとおりだった。
(1)ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:アレクサンダー・トラーゼ)
(2)チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」

 何といっても、ピアノ独奏のトラーゼが圧倒的だった。重量級の体重のすべてを指先に乗せて弾く。けっしてロマンチックな演奏ではなくて、体の中のエネルギーをすべて吐き出すような演奏、あるいは人生のすべてを賭けたような演奏だ。こういう演奏できくと、音楽は人生の真剣勝負だという気がしてくる。そして、音の強弱の設計、テンポ・ルバートのとり方など、演奏の細かな点は二次的なものに思えてくる。
 演奏が終わったとき、聴衆は全員総立ちで拍手をおくった。ヨーロッパの聴衆はこういう骨太の演奏が好きだ。その熱狂ぶりを見ていると、西洋人が感じている音楽は、日本人とは少しちがうのではないかと思えてくる。音をこえた肉体的な情熱、あるいは愛とでもいったらいいのだろうか。
 一転してチャイコフスキーは、かたちの整った穏やかな演奏だった。聴衆の拍手もおとなしいものだった。だがそれは不満の表明とは感じられなかった。チェコ・フィルとその聴衆の日常に戻ったということだろうか。

 ズデニェク・マカールは、個性を売り物にする指揮者ではなく、穏健な音楽をもった、やや古いタイプの指揮者だ。私は否定的な感想をもたなかった。こういう指揮者が一時期首席指揮者をつとめるのも悪くない。ただ、チェコ・フィルには次の時代が必要だ。幸いにも次期首席指揮者のマンフレッド・ホーネックは、ルーティーンワークでは満足しない意欲的な指揮者だ。チェコ・フィルに新しい時代が来るとよい。

 会場を出ると、夜空にプラハ城がライトアップされて浮かんでいた。ヴルタヴァ川(ドイツ語ではモルダウ川)の川面にはオレンジ色の街灯の影が何本も映っていた。私は夜景の美しさに息をのんだ。これが、第二次世界大戦中はドイツに支配され、戦後の「プラハの春」の際にはソ連をはじめとするワルシャワ条約機構軍に侵攻されたプラハの市民を支えたのではないかと思った。
(2008.10.03.プラハ「ドヴォルザーク・ホール」)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無事帰国

2008年10月07日 | 身辺雑記
 9月29日(月)に出発した海外研修から昨夜帰ってきました。ちょうど一週間職場を空けることになったので、出発前の土日は自宅で仕事。夜になってあわただしく荷造りをして、翌朝出発という具合でした。
 全6泊の日程のうち5泊目のプラハと6泊目のパリが夕食フリーになっていましたので、それぞれ現地でコンサートに行くことができました。またパリからの帰国便が夜行便でしたので、日中はオペラに行くことができました。
 仕事の報告は職場のほうにすることにして、このブログではコンサートとオペラの報告をします。明日以降になりますが、よろしくお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする