ダリ展へ行った。平日の夕方なのに、意外に混んでいた。お洒落な若者も多かった。ダリを見ることはお洒落なのかもしれない。
本展ではダリ(1904‐1989)の作品の変遷が要領よく辿られている。煩瑣になるかもしれないが、本展の構成を記すと、1920年前後の「初期作品」、1920年代の「モダニズムの探求」、1930年代の「シュルレアリスム時代」、1940年代の「アメリカへの亡命」、1950年代の「ダリ的世界の拡張」と「原始力時代の芸術」、1960年代以降の「ポルトリガトへの帰還‐晩年の作品」、そして生涯を通しての「ミューズとしてのガラ」。
わたしには「シュルレアリスム時代」が面白かった。ダリの才能が一気に開花した観がある。
たとえば本展の主要作品の一つ「謎めいた要素のある風景」(1934)は、わたしを惹きつけて放さなかった。砂漠のように茫漠とした場所で絵を描いている画家は、ダリが敬愛するフェルメール。画家の視線の先にある数本の糸杉は、象徴主義の画家アルノルト・ベックリンの「死の島」からの引用。そして、なにもない茫漠とした地表は、シュルレアリスムの仲間イヴ・タンギーから影響を受けたもの。
もっとも、こういった個々の要素よりも、作品全体を満たす黄色い不思議な光に強い印象を受けた。この世のものとは思えない光。黄昏時かもしれないが、それにしても、自然界にはないような、なにかのフィルターを通したような光。その光が、まったく筆触の跡を残さずに、透明に描かれている。
ダリは意識して奇人を演じていた節がある(ダリのセルフ・プロモーションは抜群だ)。そんな演技がいつの間にかダリ自身に取って代わった。‘ダリ’は大衆の心をつかんだ。その余韻は今でも残っている。だが、いつかは消えるだろう。そのとき、ダリの超絶技巧だけは残るような気がする。
「シュルレアリスム時代」から先は、わたしにはあまり面白くなかった。最後の「晩年の作品」の数点の薄い色は気になったが、その真の意味はなんなのか、むしろ真の意味があるのかどうかは、今回は分からなかった。
「シュルレアリスム時代」の前の「モダニズムの探求」に含まれる1923年制作の4点が面白かった。4点は並べて展示されている。キュビスムあり、点描主義ありと、作風が全部違う。4人のポスト印象派の画家の展示室のようだった。
(2016.10.5.国立新美術館)
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「謎めいた要素のある風景」を含む主な作品の画像(本展のHP)