鈴木秀美が指揮する東京シティ・フィルの定期演奏会。先にプログラムを書いておくと、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏は小山実稚恵)そしてシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」。わたしの好きな曲ばかりなので、楽しみにしていた。
「ドン・ジョバンニ」序曲が始まると、12型の弦楽器のノンビブラートの音が耳に飛び込んできた。一人ひとりの音が透けて見えるようだ。指揮者によっては冒頭の和音の低音を長く引き伸ばすこともあるが、鈴木秀美は短く切る。慣習を洗い直してもう一度組み立てた演奏だ。だが主部に入ってからは、演奏の基本は変わらないが、アンサンブルに荒さを感じた。鈴木秀美の身中からほとばしる躍動感はあったが。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番では、オーケストラは「ドン・ジョバンニ」序曲よりもまとまった。陰影の濃いベートーヴェン演奏が繰り広げられた。小山実稚恵のピアノはいつもの通り流麗だが、鈴木秀美の毅然として堂々と構えた演奏に引き寄せられたのか、いつもより激しく打鍵する部分もあった。その振幅の大きさを自在に展開した演奏だ。ベテランの域に入った小山実稚恵の芸風だろう。
小山実稚恵のアンコールがあった。シューベルトの4つの即興曲D899から第3番だ。アルペッジョが連綿と続く中でシューベルトらしい歌が流れる曲だが、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の演奏の余韻があったからか、わたしにはそのシューベルト演奏がリストのように甘く感じられた。
「ザ・グレート」は恰幅の良い演奏だった。弦楽器は12型だが(この日は3曲とも12型だった)、驚くほど良く鳴る。とくにチェロとコントラバス(コントラバスは4本ではなく5本だった)が良く鳴る。歯切れの良い低弦の音が全体のサウンドの特徴だ。そして慣習的な溜めは一切なく、ぐいぐい進む。結果、音楽の形が明確に現れる。
第3楽章の後半は少しだれたかもしれない(わたしが疲れただけか‥)。だが第4楽章の冒頭が弾けるように飛び込んできたとき、目が覚める思いがした。すべてを吹き飛ばすような勢いだ。そして驚いたことに、主部がリピートされた(第1楽章の主部がリピートされたことはいうまでもない)。元々長い曲がさらに長くなるのだが、それがまったく苦にならない。快速テンポで第4楽章を駆け抜けた。
個々の奏者のことは省くが、木管、金管そしてティンパニのニュアンス豊かな演奏が浮き上がり、耳を楽しませた。
(2024.6.29.東京オペラシティ)
「ドン・ジョバンニ」序曲が始まると、12型の弦楽器のノンビブラートの音が耳に飛び込んできた。一人ひとりの音が透けて見えるようだ。指揮者によっては冒頭の和音の低音を長く引き伸ばすこともあるが、鈴木秀美は短く切る。慣習を洗い直してもう一度組み立てた演奏だ。だが主部に入ってからは、演奏の基本は変わらないが、アンサンブルに荒さを感じた。鈴木秀美の身中からほとばしる躍動感はあったが。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番では、オーケストラは「ドン・ジョバンニ」序曲よりもまとまった。陰影の濃いベートーヴェン演奏が繰り広げられた。小山実稚恵のピアノはいつもの通り流麗だが、鈴木秀美の毅然として堂々と構えた演奏に引き寄せられたのか、いつもより激しく打鍵する部分もあった。その振幅の大きさを自在に展開した演奏だ。ベテランの域に入った小山実稚恵の芸風だろう。
小山実稚恵のアンコールがあった。シューベルトの4つの即興曲D899から第3番だ。アルペッジョが連綿と続く中でシューベルトらしい歌が流れる曲だが、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の演奏の余韻があったからか、わたしにはそのシューベルト演奏がリストのように甘く感じられた。
「ザ・グレート」は恰幅の良い演奏だった。弦楽器は12型だが(この日は3曲とも12型だった)、驚くほど良く鳴る。とくにチェロとコントラバス(コントラバスは4本ではなく5本だった)が良く鳴る。歯切れの良い低弦の音が全体のサウンドの特徴だ。そして慣習的な溜めは一切なく、ぐいぐい進む。結果、音楽の形が明確に現れる。
第3楽章の後半は少しだれたかもしれない(わたしが疲れただけか‥)。だが第4楽章の冒頭が弾けるように飛び込んできたとき、目が覚める思いがした。すべてを吹き飛ばすような勢いだ。そして驚いたことに、主部がリピートされた(第1楽章の主部がリピートされたことはいうまでもない)。元々長い曲がさらに長くなるのだが、それがまったく苦にならない。快速テンポで第4楽章を駆け抜けた。
個々の奏者のことは省くが、木管、金管そしてティンパニのニュアンス豊かな演奏が浮き上がり、耳を楽しませた。
(2024.6.29.東京オペラシティ)