Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

鈴木秀美/東京シティ・フィル

2024年06月30日 | 音楽
 鈴木秀美が指揮する東京シティ・フィルの定期演奏会。先にプログラムを書いておくと、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏は小山実稚恵)そしてシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」。わたしの好きな曲ばかりなので、楽しみにしていた。

 「ドン・ジョバンニ」序曲が始まると、12型の弦楽器のノンビブラートの音が耳に飛び込んできた。一人ひとりの音が透けて見えるようだ。指揮者によっては冒頭の和音の低音を長く引き伸ばすこともあるが、鈴木秀美は短く切る。慣習を洗い直してもう一度組み立てた演奏だ。だが主部に入ってからは、演奏の基本は変わらないが、アンサンブルに荒さを感じた。鈴木秀美の身中からほとばしる躍動感はあったが。

 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番では、オーケストラは「ドン・ジョバンニ」序曲よりもまとまった。陰影の濃いベートーヴェン演奏が繰り広げられた。小山実稚恵のピアノはいつもの通り流麗だが、鈴木秀美の毅然として堂々と構えた演奏に引き寄せられたのか、いつもより激しく打鍵する部分もあった。その振幅の大きさを自在に展開した演奏だ。ベテランの域に入った小山実稚恵の芸風だろう。

 小山実稚恵のアンコールがあった。シューベルトの4つの即興曲D899から第3番だ。アルペッジョが連綿と続く中でシューベルトらしい歌が流れる曲だが、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の演奏の余韻があったからか、わたしにはそのシューベルト演奏がリストのように甘く感じられた。

 「ザ・グレート」は恰幅の良い演奏だった。弦楽器は12型だが(この日は3曲とも12型だった)、驚くほど良く鳴る。とくにチェロとコントラバス(コントラバスは4本ではなく5本だった)が良く鳴る。歯切れの良い低弦の音が全体のサウンドの特徴だ。そして慣習的な溜めは一切なく、ぐいぐい進む。結果、音楽の形が明確に現れる。

 第3楽章の後半は少しだれたかもしれない(わたしが疲れただけか‥)。だが第4楽章の冒頭が弾けるように飛び込んできたとき、目が覚める思いがした。すべてを吹き飛ばすような勢いだ。そして驚いたことに、主部がリピートされた(第1楽章の主部がリピートされたことはいうまでもない)。元々長い曲がさらに長くなるのだが、それがまったく苦にならない。快速テンポで第4楽章を駆け抜けた。

 個々の奏者のことは省くが、木管、金管そしてティンパニのニュアンス豊かな演奏が浮き上がり、耳を楽しませた。
(2024.6.29.東京オペラシティ)
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東京都美術館「デ・キリコ展」

2024年06月26日 | 美術
 東京都美術館で「デ・キリコ展」が開かれている。ジョルジョ・デ・キリコ(1888‐1978)の生涯にわたる作風の変遷をたどる展覧会だ。

 デ・キリコの作品は「形而上絵画」といわれる。形而上絵画が生まれたのは1910年代だ。時あたかも第一次世界大戦の真最中。形而上絵画は戦争が生んだ不安の表現のひとつだったろう。だが、デ・キリコの難しい点は、そのような作風が第一次世界大戦の終結後も、折に触れて繰り返されたことだ。後年生まれたそれらの作品(新形而上絵画といわれる)をどう捉えるかは、人それぞれだ。

 本展には「大きな塔」(1915?)という作品が展示されている(残念ながら本展のHPには画像が載っていない)。81.5×36㎝の縦長の作品だ。画面いっぱいに5層の塔が描かれる。塔は暗赤色だ。各層ごとに何本ものベージュ色の円柱が並ぶ。空は不気味な暗緑色だ。画面左側に建物の一部が覗く。人の気配はない。

 同じ塔を描いた「塔」(1974)という作品が展示されている。デ・キリコの最晩年の作品だ。「塔」は「大きな塔」とほぼ同じサイズだ。だが「塔」の場合は4層で、各層は下から順に赤、青、赤、青とカラフルに彩られている。空は明るい。左側の建物は消えている。全体的にあっけらかんとした作品だ。思わず拍子抜けする。この作品を肯定的に捉えるのか、それとも否定的に捉えるのか。

 本展に展示されている1910年代のデ・キリコの作品の中には、傑作と思われる作品がある。たとえば不穏な雰囲気を漂わせる「預言者」(1914‐15)とか、危ういバランスの上に成り立つ「福音書的な静物Ⅰ」(1916)とかだ(本展のHP(↓)に画像が載っている)。それらの作品と後年の作品とは何がちがうのか。

 突拍子もない比較だが、デ・キリコの生涯は作曲家のストラヴィンスキー(1882‐1971)の生涯とほぼ重なる。ストラヴィンスキーは第一次世界大戦(そしてロシア革命)の前夜に「火の鳥」、「ペトルーシュカ」、「春の祭典」の三大バレエを書いた。1920年代に入ると作風をガラッと変えた(新古典主義といわれる)。だが第二次世界大戦後になって、「火の鳥」と「ペトルーシュカ」を透明感のあるオーケストレーションに編曲した。ストラヴィンスキーの場合とデ・キリコの場合とは本質的に異なるのか。それとも共通点があるのか。

 デ・キリコが最晩年に描いた「オデュッセウスの帰還」(1968)や「燃えつきた太陽のある形而上的室内」(1971)は、子どものいたずらの絵のように見える(画像は本展のHP↓)。画像で見るとピンとこないが、実物を見ると、なぜかホッとする。
(2024.5.31.東京都美術館)

(※)本展のHP
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関心領域

2024年06月22日 | 映画
 映画「関心領域」は5月下旬の公開後、約1か月たつ。関心のある人はあらかた観てしまったのかもしれない。わたしが行った日は雨の降る寒い日だったこともあり、観客は10人足らずだった。上映終了も間近いのか‥。ともかく間に合って良かった。

 いうまでもないが、本作品はアウシュヴィッツ強制収容所の所長だったルドルフ・ヘスとその家族を描く映画だ。ヘスの住居は強制収容所に隣接する。塀を隔てたむこうは強制収容所だ。ヘスとその家族はそんなきわどい住居で贅沢な暮らしをしている。ヘスはともかく、妻と子どもたちは強制収容所で何が行われているか、まるで知らない様子だ。関心領域の外なのだ。

 関心領域(The Zone of Interest)とは恐ろしい言葉だ。だれにでも関心領域がある。自分の生活を支える領域だ。恐ろしいのは、その外側に広大な無関心領域がひろがることだ。たとえばいま起きているガザの戦争やウクライナの戦争は、無関心領域にある。そんな大問題でなくても、もっと身近な、たとえば隣人の貧困の問題も、あるいは児童虐待の問題も、無関心領域にある。ルドルフ・ヘスとその家族を批判してはいられない。

 一方、大多数の人々には無関心領域にあっても、その問題に関心をもち、手を差し伸べようとする少数の人たちがいる。本作品で描かれる地元の少女はその典型だ。少女はアウシュヴィッツ強制収容所の近隣に住んでいる。夜になると自転車で、ユダヤ人たちが日中強制労働に駆り出される場所にそっとリンゴを置きに行く。ユダヤ人たちが見つけて食べることができるようにと。家族が少女の行動を支える。

 もうひとつの例は、ヘスの妻の母親だ。母親は遠路はるばる娘を訪ねてくる。娘のぜいたくな暮らしに驚く。娘は幸せだと思う。だが、だんだんと周囲の奇妙さに気付く。塀のむこうでは何が起きているのだろうか。ある夜、目が覚める。塀のむこうでは、煌々と明かりがつき、何かをやっている。母親は異常な状況を悟る。黙って家を立ち去る。翌朝、母親がいないので、家中大騒ぎになる。娘(ヘスの妻)は置手紙を見つける。無言で捨てて、今までの生活を続ける。

 だが、ヘスの家族の幸せな生活は、無意識のうちに蝕まれていく。いくつかのエピソードが重なり、ヘスも子どもたちも、精神的にすさんでいることが分かる。

 本作品は最後に、現代のアウシュヴィッツ博物館の光景になる。わたしたちはそこに今まで観てきたヘスとその家族の生活、そしてユダヤ人たちの悲惨な運命(絶え間ない音と煙突から流れる煙で暗示されている)の記憶を重ねる。
(2024.6.18.109シネマズ二子玉川)
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マトヴィエンコ/東響

2024年06月16日 | 音楽
 若手指揮者のドミトリー・マトヴィエンコが東響に初登場した。マトヴィエンコは2021年のマルコ国際指揮者コンクールの優勝者だ。同コンクールのHPを見ると、コンクール時点で30歳、ベラルーシ出身とある。モスクワ音楽院に学び、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ウラディミール・ユロフスキー、テオドール・クルレンチス、ワシリー・ペトレンコの各マスタークラスを受けた。2024/25のシーズンからデンマークのオーフス交響楽団の首席指揮者に就任予定。

 周知のことだが、今回の東響初登場に当たって、当初発表のプログラムはツェムリンスキーの「人魚姫」とストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」だった。只者ではないプログラムに注目したが、後に「人魚姫」がラヴェル2曲に変更された。がっかりしたというのが正直なところだ。

 1曲目はラヴェルの「道化師の朝の歌」。強いアクセントで弾むようなリズムだ。オーケストラが立体的に鳴る。音の照度が高い。ステージが一気に明るくなったようだ。例のファゴットのソロもキャラが立つ(福士マリ子さんだったと思う。名演だ)。プログラムの変更はこれがやりたかったからだろうかと思った。

 2曲目はラヴェルの「マ・メール・ロワ」。ていねいな演奏だったが、「道化師の朝の歌」とは曲の性格が異なるためか、何をやりたいのか、目的意識がいまひとつつかめなかった。少なくとも現時点では、マトヴィエンコはやんちゃな曲のほうが合っているようだ。

 3曲目はストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」(1947年版)。「道化師の朝の歌」の演奏に戻ったような強いアクセント、音の照度の高さ、そして木管楽器、金管楽器の各奏者のキャラの立ったソロの連続と、目の覚めるような演奏だった。音がけっして濁らずに、つねに明晰なことは特筆すべきだ。

 マトヴィエンコは「道化師の朝の歌」と「ペトルーシュカ」で鮮烈な日本デビューを飾った。両曲に現れたマトヴィエンコの個性は強烈にわたしたちに刻印された。ではマトヴィエンコは、それ以外にどんな面を持っているのだろう。演奏会の終了後、わたしはふと今回キャンセルされた「人魚姫」を思い出した。第2楽章はきらびやかな音楽だ。それはいかにもマトヴィエンコの個性に合いそうだ。だが第1楽章の深くて暗い音楽を、マトヴィエンコはどう表現するのだろう。また第3楽章の劇的な音楽は……。

 東響に再登場する機会があるとして、そのときは「人魚姫」でなくてもいいが、マトヴィエンコの他の面にも触れてみたい。
(2024.6.15.サントリーホール)
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ヴァイグレ/読響

2024年06月15日 | 音楽
 ヴァイグレ指揮読響の定期演奏会。1曲目はウェーベルンの「夏風の中で」。わたしの大好きな曲だが、演奏は少し勝手がちがった。絵画的な要素が(視覚的な要素といってもいいが)皆無なのだ。冒頭の弱音は驚くばかりで(わたしはワーグナーの「ラインの黄金」の序奏が始まるのではないかと思った)、以後も弱音のコントロールが徹底している。だがそこからの音の広がりがない。弱音の部分と強音の部分が二項対立的に存在し、その間のグラデーションがない。ヴァイグレが感じるこの曲はこうなのか。

 2曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第12番。わたしの偏愛する曲だ。以前持っていたLP(ブレンデルのピアノ独奏、マリナー指揮アカデミー・オブ・セントマーティン・イン・ザ・フィールズの演奏)を何度聴いたことだろう。今回数年ぶりに聴いて、心の故郷に戻ったような気がした。

 ピアノ独奏はダン・タイ・ソン。何度も日本に来ているだろうが、わたしが聴くのは何十年ぶりか。今はカナダに住んでいるらしい。すっかり東洋の賢人らしい風貌になった。ピアノの音は今もみずみずしい。旋律線もクリアだ。モーツァルトのこの曲を穏やかに、なんの衒いもなく演奏した。短調に転じる第2楽章の集中力もなかなかだ。

 アンコールにショパンのワルツイ短調(遺作)が演奏された。モーツァルトの第2楽章にも通じる秘めた悲しみが美しい。

 ピアノ協奏曲でのヴァイグレ指揮読響の演奏も良かった。尖ったところのまるでない穏やかな演奏だ。一昔前のモーツァルトはこうだった。スイットナーとかサヴァリッシュとか(ワルターまでいくとまた多少ちがうかもしれないが)……と懐かしくなる。

 3曲目はシェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」。カンブルランが読響の首席指揮者に就任した際に取り上げた曲だ(2010年4月)。今でもあの演奏は目に浮かぶ。引き締まった音で色彩豊かな演奏だった。その演奏と今回のヴァイグレの演奏とはなんとちがうことだろう。ヴァイグレの演奏はパワフルで感情がほとばしる。荒々しさをいとわない点では、カンブルランと対照的だ。

 ヴァイグレも角の取れた上品な演奏をすることがある。だが、たとえばアイスラーの「ドイツ交響曲」(2023年10月)のように、激しさをむき出しにした演奏をすることもある。今回の「ペレアスとメリザンド」はそのひとつだ。金管楽器が逞しい音で咆哮し、弦楽器が分厚い音で舞い上がる演奏は、日本のオーケストラのイメージから外れて、欧米の一流オーケストラのスタンダードに近い。
(2024.6.14.サントリーホール)
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原田慶太楼/N響

2024年06月10日 | 音楽
 原田慶太楼が振るN響のAプロ。プログラムはオール・スクリャービン・プロ。それだけでも凝っているが、加えて選曲が、スクリャービンが神智学に傾倒する前の曲ばかり。一捻りも二捻りもしたプログラムだ。

 1曲目は「夢想」。スクリャービンが書いた2作目のオーケストラ作品らしい(小室敬幸氏のプログラムノーツより。ちなみにオーケストラ作品の一作目は、2曲目に演奏されるピアノ協奏曲だ)。演奏時間約4分の短い曲だが、魅力的な曲だ。当時ショパンに倣ったピアノ曲を書いていたスクリャービンが、同じ音楽をオーケストラで書いた感がある。演奏も、たとえば弦楽器が大きく飛翔する部分など、N響の優秀さを感じさせた。

 2曲目はピアノ協奏曲。ピアノ独奏は反田恭平。会場が満席だったのは、反田人気か。キラキラ輝くような音色、あふれる情熱、夢見るような甘さ、それらが相俟ってスクリャービンのこの曲を余すところなく描きだした。原田慶太楼の指揮するN響もピアノと呼吸が合っていた。反田恭平のアンコールがあった。スクリャービンを予想したが、そうではなかった(ショパンのマズルカ第34番だった由)。

 3曲目は交響曲第2番。小室敬幸氏がプログラムノーツに書いたように「初期の集大成」だが、それが自然に(あるいは必然的に)生まれたというよりは、「集大成を書いてやろう」というスクリャービンの野心が先に立った作品だ。その野心を聴かせられている感がなくもない。それでも魅力ある作品だが。

 聴きどころは多数あるが、まず印象的なのは、シンコペーションで畳みかけるリズムだろう。だれが振ってもノリが良くなる部分だが、いかにも原田慶太楼の個性と合いそうな部分でもある。実際に切れの良い躍動感があった。原田慶太楼は前回のN響定期登場のときに(2022年1月)、ストラヴィンスキーの「火の鳥」(全曲)で目の覚めるような演奏を披露したが、それを彷彿とさせた。

 全5楽章で(詳述は控えるが)凝った構成のこの曲を、原田慶太楼は十分に把握して、彫りの深い演奏を展開した。N響の演奏力も見事だった。だが第5楽章の途中から一本調子になったように思う。スタミナ切れか。それとも他の要因があったのか。

 それはともかく、原田慶太楼はスター性のある指揮者だ。1985年東京生まれ。高校生のころからアメリカで暮らし、今も拠点はアメリカだ。地道にアメリカのオーケストラで経験を積んでいる。芸大や桐朋を出て有力な指揮者コンクールに優勝して……というコースから出てきた人ではない。異色のキャリアの指揮者に今後も注目だ。
(2024.6.9.NHKホール)
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大植英次/日本フィル

2024年06月09日 | 音楽
 ラザレフが振る予定だった東京定期が秋山和慶に代わり、プログラムもガラッと変わった。その秋山和慶が鎖骨骨折を起こしたので、急遽大植英次に代わった。プログラムは秋山和慶のものを引き継いだ。

 1曲目はベルクの「管弦楽のための3つの小品」。原曲は4管編成の巨大なオーケストラ曲だが、それをカナダの現代音楽作曲家ジョン・リーア(1944‐)が28人の室内アンサンブル用に編曲した。管楽器は2管編成が基本で、弦楽器は各パート2名だ。私見では、2名としたことがものを言っている。1名だとシェーンベルクの室内交響曲第1番のように各パートがソロ楽器のように動くが、2名だとそれなりの厚みがでる。

 この編曲はたいへんおもしろかった。原曲だと巨大なオーケストラが壁のように立ちはだかり、細かい動きは壁の中に埋もれるが、この編曲だと細かい動きがクリアに聴こえる。加えて、たとえばチューバのように、ドスのきいた低音にも欠けない。第3曲のハンマーはどうするのだろうと注目した。原曲どおり、ハンマーを使っていた。

 岩野裕一氏のプログラムノーツには、打楽器は3人と書いてあったが、実際には8人でやっていた。持ち替えをせずに、各楽器に演奏者を配置したのかもしれない。ただ時々4人以上が演奏している箇所があったようにも思う。

 2曲目はリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第2番。ホルン独奏は日本フィルの首席奏者・信末碩才(のぶすえ・せきとし)。音の輝かしさ、細かいテクニック、甘美なカンタービレのどれをとってもすばらしい。日本フィルのホルン・セクションは歴代、福川さん(日本フィル→N響→フリー)、日橋さん(日本フィル→読響)と名手を生んだが、信末さんは新たなスターの誕生だ。

 リヒャルト・シュトラウスのこの曲は1942年に作曲された。シュトラウスが帝国音楽院総裁を追われ、ガルミッシュに隠遁した際の作品だ。冬の時代の過ごし方として、たいへん興味深い。冬の時代の過ごし方は人それぞれだ。シュトラウスは限りなく美しい歌をうたうことを選んだらしい。

 3曲目はドヴォルジャークの交響曲第7番。大植英次は時に主観性の強い演奏をすることがあるが(まれに驚くほどデフォルメした演奏をすることもある)、今回の演奏は客観性を保った演奏だった。どっしりして、手ごたえ十分だ。ボヘミア的な要素は薄く、むしろドイツ的な構えの演奏だ。大植英次のそのような振れ幅の大きさは、師のバーンスタイン譲りかもしれない。
(2024.6.8.サントリーホール)
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目黒区美術館「青山悟展」

2024年06月07日 | 美術
 目黒区美術館で開かれている「青山悟展」。会期末ぎりぎりになったが、出かけることができた。同展は副題に「刺繍少年フォーエバー」とある。副題のとおり、青山悟(1973‐)は古い工業用ミシンを使って刺繍作品を作る現代美術家だ。

 チラシ(↑)を見ると、美しい都会の夜明けが写っている。写真のように見えるが、じつは刺繍だ。「東京の朝」(2005)という作品。本展にも展示されている。実物を見ると、なるほど刺繍だ。それにしてもなんて精巧なのだろうと思う。

 おもしろいのは、クシャクシャになった上記のチラシが、刺繍で作られ、本展に展示されていることだ。思わず笑ってしまう。チラシとは本来、その役目を終えれば(=本展が終われば)、用がなくなるものだ。だが刺繍で作られたチラシは、本展が終わっても、作品として残るだろう。消えゆくものの記憶を留めるのだ。刺繍のチラシがクシャクシャなのは、用済みのチラシというアイロニーか。

 おまけに、けっさくなのは、チラシの他にチケットの半券も刺繍で作られ、本展に展示されていることだ。ヨレヨレの半券と、クシャクシャのチラシが、たばこの吸い殻(これも刺繍で作られている)と一緒に床に置かれた台の上に展示されている。路上に捨てられたチラシ、半券、たばこの吸い殻というイメージだろう。

 「About Painting」(2014‐15、2023‐24)という作品がある。古今東西の29点の名画を刺繍で再現したものだ。各々の作品には青山悟のコメントが付く。たとえばジョルジュ・スーラの名画「グランド・ジャット島の日曜日の午後」には、次のようなコメントが付く。「光が強ければ影も濃くなる。点描は労働のメタファーで描かれているのはブルジョワの腐敗。色調的にも内容的にも意外に暗い絵なことはあまり語られていない。刺繍の言語との親和性は高い。」

 コメントからは現代社会への批判的な見方がうかがえる。本展全体からも青山悟の、18世紀後半のイギリスに始まる産業革命以来、現在に至る資本主義の負の側面への眼差しが感じられる。上記のジョルジュ・スーラの作品へのコメントもその一環だし、それ以上に青山悟が制作の道具として使う古い工業用ミシン自体、手仕事を奪った工業用ミシンというアイロニカルな含意をもつ。

 環境問題をはじめ、資本主義の行き詰まりが社会のそこかしこで見られるようになった現在、青山悟は刺繍という思いがけない手段で一石を投じる。刺繍なので人間のぬくもりが感じられることは特筆すべきだ。
(2024.6.5.目黒区美術館)

(※)本展のHP
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世田谷美術館「民藝」展

2024年06月04日 | 美術
 世田谷美術館で「民藝」展が開かれている。柳宗悦(1889‐1961)らが提唱した手作りの日用品に美を見出す民衆的工藝=「民藝」。本展では着物、茶碗、家具などが展示されている。いずれも無名の職人が作ったものだ。個性を競う芸術家の作品ではない。野心とは無縁のそれらの品々を見ていると、一種のさわやかさを感じる。

 本展は3章で構成されている。第1章は1941年に日本民藝館で開かれた「生活展」を再現したもの。テーブル、椅子、食器棚などを配置して生活空間を作り、そこに茶碗などをさりげなく並べる。当時は画期的な展示方法だったらしい。

 第2章では民藝品を「衣・食・住」に分類して展示する。わたしは今回「衣」の品々に惹かれた。八丈島の黄八丈の着物「八端羽織」(はったんはおり)(江戸時代19世紀)がまず目に留まった。素朴な風合いが何ともいえない。また「蓑(伊達げら)」(陸奥津軽(青森)1930年代)に注目した。雪深い地方の女性用の蓑だ。首周りに細工が施されている。男性が作ったものらしい。丹精込めた手仕事だ。

 第3章ではラテンアメリカ、アフリカなどの民藝品を展示する。民藝に相当する品々は、日本にとどまらずに、世界中に見出せることを実感する。また本章では現代日本の職人たちの仕事ぶりをヴィデオで紹介する。ヴィデオは5本ある。
(1)小鹿田焼(おんたやき)大分県日田市
(2)丹波布(たんばぬの)兵庫県丹波市
(3)鳥越竹細工(とりごえたけざいく)岩手県二戸郡一戸町
(4)八尾和紙(やつおわし)富山県富山市八尾町
(5)倉敷ガラス(くらしきガラス)岡山県倉敷市

 どれも昔ながらの手仕事だ。家業として伝わる製法を守る。どの品物も繊細な美しさを秘めている。職人たちはそれらの品々が現代に需要があるのかどうか、半信半疑だ。ひょっとすると途方もなく時代遅れのことをやっているのかもしれない。でも、昔からやってきたことだ。今もやる。進歩なんて考えない。後継者はいるのか、いないのか、そんなことは分からない。考えても仕方がない――と、皆さん呟く。

 民藝は作者の無名性が特徴だが、それらのヴィデオを見ると、無名性の裏には個々の作者の人生がひそむことが分かる。どんな人が作ったのか。どんな思いで作ったのか――それを知ると、民藝の品々が貴く見える。我ながら可笑しいのだが、わたしは帰宅後、身の回りの日用品が今までとはちがって見えた。量産品はともかく、手仕事の跡が残る品物は貴く見えた。民藝パワーに当たったからだろう。
(2024.5.15.世田谷美術館)

(※)本展のHP
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