Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

インバル/都響

2012年03月30日 | 音楽
 インバル/都響の3月定期Bシリーズ。先日のAシリーズではショスタコーヴィチに違和感というか、これはなんだろうという疑問を感じた身としては、今回のマーラーはそんなことはないはずだと期待して出かけた。

 前半は「亡き子をしのぶ歌」。演奏が始まると、音は瑞々しく、フレージングは柔軟で、やはりマーラーになるとちがうと思った。第2曲の「いま、太陽は明るく昇ろうとしている」は、たしかにワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のようだ。それを今回ほどはっきり感じたことはなかった。この第2曲にかぎらず、どの曲も明確な目的意識をもって演奏されていた。

 メゾソプラノ独唱はイリス・フェルミリオン。高音、中音、低音のすべてが均質に出て、滑らかで陰影のある歌を聴かせてくれた。第5曲の「こんな天気の中」では思いがけないほど強烈な表現で圧倒した。

 フェルミリオンはすばらしかった。後半の「大地の歌」にも出演したが、それをふくめて、この日の演奏会はフェルミリオンのためにあるようだった――なんだか先に結論をいってしまうようだが――。

 フェルミリオンには忘れがたい思い出がある。2010年2月にドレスデンでオトマール・シェックのオペラ「ペンテジレーア」を観たときにタイトルロールを歌っていた。あれは特別な体験だった。ハインリヒ・フォン・クライストの原作にも異常なテンションの高さがあるが、シェックの音楽もそれに拮抗していた。指揮のゲルト・アルブレヒトは雄渾な演奏を展開し、演出のギュンター・クレーマーも骨太なドラマ作りだった。

 そしてフェルミリオンは、強靭な声と体当たりの演技により、魂の裸形ともいうべきものを表現した。そこにはなにか崇高なものさえ感じられた。

 思い出話が長くなってしまったが、わたしにはフェルミリオンはそういう歌手だ。

 そのフェルミリオンとテノールのロバート・ギャンビルが独唱を担当した「大地の歌」は、インバルらしく器の大きな演奏だった。その力量は称賛に値する。けれども少し前の交響曲第3番や第4番、あるいはプリンシパル・コンダクター就任直前の第6番に比べると、リズムに粘りがなく、表現が淡白になっている。今のインバルはそういうものだと思って付き合ったほうがよさそうだ。オーケストラは木管の名演、とくにオーボエの澄み切った音色とフルートの寂寥感の漂う表現が印象的だった。
(2012.3.29.サントリーホール)
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齊藤一郎/セントラル愛知交響楽団

2012年03月26日 | 音楽
 「地方都市オーケストラ・フェスティヴァル」で齊藤一郎指揮セントラル愛知交響楽団の演奏会を聴いた。これはかねてから楽しみにしていた演奏会だ。

 実に意欲的でアグレッシヴなプログラムだ。よくこういうプログラムを組むものだと感心する。

 1曲目は木下正道の「問いと炎2」。リコーダーとチェロを独奏楽器とする二重協奏曲だ。冒頭、バスドラムの強打で始まる。以下、ゆったりと持続する時間の流れのなかで、根源的な音が刻み込まれる。リコーダーとチェロの独奏者も自己の存在をかけた音を打ち込む。これは、今まで聴いたことがない、だれにも似ていない音楽だ。できることならもう一度聴きたい。そのときは絶対にこのメンバーで。

 2曲目は水野みか子の「レオダマイヤ」。これは箏(二十絃箏)と尺八のための二重協奏曲だ。こちらは対照的に、オーケストラのいかにも現代音楽風なテクスチュアに、箏と尺八がみやびな模様を織り込む音楽。残念ながら、全体的におとなしく、既視感が漂っていた。箏は野村祐子、尺八は野村峰山。

 3曲目はバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の野平一郎による編曲。冒頭のアリアは木管の各楽器で受け渡され、弦に引き継がれる。これはウェーベルンの先例に敬意を表したものか。第1変奏はいかにもバロック的な編曲だが、第2変奏になると現代的な音響が忍びこむ。第3変奏はバロック的な編曲に戻るが、どこかに異分子が潜り込んでいたかもしれない(はっきり記憶していないが、どうだったか。ともかく第2変奏の洗礼を受けた後なので緊張していた。)

 途中から、「どうもこの編曲では3曲ごとに一つのグループになっていて、バロック調、現代調、バロック調(変調あり)という順に出てくるようだ」と思い始めた。後半(第16変奏以降)もしばらくはそのパターンで追えたが、そうは問屋がおろさなかった。最後はパターンが崩れて一泡吹かされた。

 「最後のアリアの回帰はどうなるのだろう」と思ったら、冒頭と同様の編曲で戻ってきた。なるほど、そうなのかと思っていたら、やがて途切れ途切れになり、消え入るように終わった。なんて洒落た編曲だろう。思わず微笑んでしまった。

 齊藤一郎は岩城宏之のアシスタントをしていたそうだ。故人の精神を受け継ぐ人が現われて嬉しい。セントラル愛知交響楽団の演奏も鮮やかだった。フレッシュな音で、切れのよい演奏だった。
(2012.3.25.すみだトリフォニーホール)

注:「問いと炎2」の2はローマ数字。
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インバル/都響

2012年03月24日 | 音楽
 インバル/都響の3月定期Aシリーズを聴いた。

 1曲目はチャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」。チェロ独奏は1986年生まれの宮田大。まだ20代半ばの若さだ。わたしは見なかったが、先日テレビで小澤征爾との共演の番組が放映されたそうだ。若手の有望株なのだろう。わたしは初めてだし、曲が曲なので、どれほどのことがわかったわけでもないが、「なるほど、たしかに筋がいい」とは思った。そう思わせるだけの資質の持ち主だ。

 プログラムノートには、演奏はフィッツェンハーゲン版による、と明記してあった。つまり普通の版だ。そういえば、原典版による演奏は聴いたことがないと思った。原典版で聴くと、どう聴こえるのだろう。CDも出ているはずだから、いつまでも怠けていないで、一度聴いてみないといけないと思った。

 2曲目はショスタコーヴィチの交響曲第4番。昨年12月の第5番が、妙にあっけらかんとした、能天気な演奏だったので、逆に気になった。まさか第4番ではそういう演奏はできないだろう。だとすれば、どういう演奏をするのか――と。

 で、どうだったか。これはがっちり構成された、押しても引いても揺らぎのない、堂々とした演奏だった。大きな枠がそこにあり、各パートは自由に名技性を発揮するけれど、全体の枠は少しも動かない演奏だった。

 都響は、いつのまにか、ヴィルトゥオーゾ・オーケストラになったものだ――そう思った。それがこの演奏のすべてだった。実は、感想がそこで止まってしまって、先に進まないのだ。たとえば、この曲の理解が進んだとか、思ってもみなかった問題が提起されたとか、なにかその種の手ごたえがないのだ。

 これはどういうわけだろう。インバルは、マーラーのときは、あれほどやりたいことがはっきりあるのに、ショスタコーヴィチになると、それが消えてしまうのだ。結果的にものすごく優秀な職人芸ではあるのだが――とくにオーケストラのドライヴの面で――、マーラーのときのような表現意欲が感じられないのだ。

 だがそう思ったのは、わたしだけだったかもしれない。終演後はすごい拍手とブラヴォーが起きた。わたしの隣の席の人も、その隣の人も、疲れていたのだろう、演奏中は大胆にいびきをかいていたが(別にわたしは気にならないが)、終わったら盛大に拍手をしていた。最後はインバルのソロ・カーテンコールもあった。
(2012.3.23.東京文化会館)
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ラザレフ/日本フィル

2012年03月21日 | 音楽
 ラザレフ/日本フィルのコンビが好調でなによりだ。17日(土)の定期も聴衆はよく入っていた。低迷していた頃のガラガラの会場とは様変わりだ。聴衆は正直だと思う。ここまで盛り返したのは、一にも二にもラザレフのお陰だ。日本フィルの経営陣はラザレフ様さまだろう。

 この日のプログラムはエルガーのチェロ協奏曲(独奏:横坂源)とラフマニノフの交響曲第2番。《ラザレフが刻むロシアの魂》シリーズの第2弾だ。

 エルガーのチェロ協奏曲は、オーケストラも独奏チェロも、穏やかな、角のとれた、おっとりした演奏。オーケストラは肌理の細かいアンサンブルを聴かせ、横坂源のチェロ独奏も、あのジャクリーヌ・デュプレの、思いつめたような、渾身の演奏とはかけ離れた、上品で育ちのよい演奏を聴かせた。

 ラザレフはこのシリーズの前の《プロコフィエフ交響曲全曲演奏》シリーズでも、前プロにモーツァルトを置いて、やはりこのように肌理の細かい、穏やかな演奏を披露して、後半のプロコフィエフとの対比を図っていた。

 ラフマニノフの交響曲第2番は、生身の人間の情熱がほとばしる、身振りの大きい、怒涛渦巻く演奏だった。とくに第1楽章の展開部のクライマックスでは、狂おしいまでの情熱に圧倒された。人によっては第3楽章の寄せては返す情熱の波にも、同じものを感じたかもしれない。

 ラザレフが、なぜこのような演奏をするかは、わかる気がする。外国人にとっては(とくにロシア人はそうかもしれないが)、日本のオーケストラは情熱表現の点で物足りないのだろう。そこで西洋音楽が本来備える情熱表現を植え込もうとしているのだ。

 反面、プロコフィエフのときのアンサンブルの緻密さの追究は、後退している――もしくは、優先順位が後になっている。だから、できるなら、ラザレフの意図を汲みつつ、オーケストラ側が自主的に緻密なアンサンブルで受け止めてほしい。

 アンコールにラフマニノフの「ヴォカリーズ」が演奏された。演奏が終わると、会場は緊張しきった静寂に包まれた。この日の聴衆は質が高い。そして起こる爆発的な拍手。カーテンコールでのラザレフのパフォーマンス(=聴衆とのコミュニケーション)は、なかなか真似のできないものだ。クラリネット奏者を指揮台に立たせて拍手を受けさせたり、フルート奏者とオーボエ奏者のあいだに立って両手を上げたり――。
(2012.3.17.サントリーホール)
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寺岡清高/大阪交響楽団

2012年03月19日 | 音楽
 毎年楽しみな「地方都市オーケストラ・フェスティヴァル」。昨日は寺岡清高さん指揮、大阪交響楽団の演奏会を聴いた。

 この演奏会は当初は児玉宏さんが振る予定だった。ところが体調不良のため、急きょ寺岡さんに代わった。ウィーン在住の寺岡さんに電話が入ったのは、先週の金曜日か土曜日だったらしい。すぐに帰国して、プログラムの一部を変更して、16日(金)の定期と昨日の東京公演をこなした。

 当初予定されていたプログラムは凝りに凝ったもので、グラズノフ、ヘンゼルト、プフィッツナーを並べていた。寺岡さんはこのうちヘンゼルトを残して(これはソリストとの関係だろう)、フランツ・シュミットを入れた。フランツ・シュミットは2010年2月の定期で取り上げたので、準備ができていた。

 まずヘンゼルト。わたしには初耳の名前だが、実は寺岡さんも知らなかったらしい。家族に「ヘンゼルトって知ってるか?」と聞いたら、「ヘンゼルとグレーテル??」と言われたそうだ。

 アドルフ・フォン・ヘンゼルト(1814~1889)。ドイツ生まれのドイツ育ちだが、1838年にロシアの宮廷ピアニストになり、当地のピアノ教育に多大な貢献をした。ラフマニノフやスクリャービンはその孫弟子にあたるそうだ。

 演奏されたのはピアノ協奏曲。これはショパンのような曲だ。黙って聴かせられたら、ショパンと思うだろう。こういう曲を聴くと、ショパンといえども、突然生まれたのではなく、その時代の子だったのだと思う。ピアノ独奏は長尾洋史さん。男っぽい雰囲気の長尾さんがショパンに似たロマンティックな曲を弾く図は面白かった。

 次はフランツ・シュミット(1874~1939)の交響曲第4番。これは待望の曲だった。メータ指揮ウィーン・フィルのCDを何度聴いたことか。その後ウェルザー=メスト指揮ロンドン・フィルのCDも出たが、ピンとこなかった。わたしにはメータ盤でなければダメだった。

 ひょんなことで、その実演を聴く機会が訪れた。この曲は単一楽章の長大な交響曲だが、内容的には4楽章構成になっている。その緩徐楽章に相当する部分の、とくに後半が、CDの記憶よりも悲痛に演奏された。メータの演奏ではもっと甘美だったような気がする。

 寺岡さんはこの曲に東日本大震災一周年の想いを込めたそうだ。あの部分にはその激情が込められていたのかもしれない。
(2012.3.18.すみだトリフォニーホール)
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飯守泰次郎/シティ・フィル

2012年03月17日 | 音楽
 飯守泰次郎さんの東京シティ・フィル常任指揮者としての最後の定期が終わった。1997年9月以来足かけ15年。人生のもっとも大事な時期をシティ・フィルとともに過ごしたことになる。ご苦労様でした。

 この日は「チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ」の最終回でもあった。演奏されたのは交響曲第2番「小ロシア」。全6曲の交響曲(マンフレッド交響曲を除く)のなかでこの曲を残しておいたのは、周到な計画だったのか。6曲のなかでもっともエンターテインメント性に富む曲だ。ロシア民謡があちこち登場して楽しませてくれた。シティ・フィルはこれが特別の演奏会だったせいか、張りのある、上気したような音で演奏していた。

 後半はまずヴァイオリン協奏曲。ソリストの渡辺玲子さんがこの演奏会に花を添えてくれた。考えてみると、渡辺さんもデビュー当時から聴いている。昔の切れ味のよい演奏から、今はじっくり落ち着いた演奏を聴かせるようになった。アンコールにエルンストの「シューベルトの《魔王》による大奇想曲」という曲が演奏された。「魔王」のピアノ伴奏部分と声楽部分をヴァイオリン1本で弾く曲。盛んなブラヴォーが飛んだ。もっともわたしは「魔王」に不吉な予感を感じてしまった。

 最後は祝典序曲「1812年」。合唱付きの版。合唱は東京シティ・フィル・コーア。もちろんこれは飯守さんの労をねぎらう出演だろう。

 この日は全席完売だった。今まで入りのわるい会場で声援を送ってきた身としては、ちょっぴり皮肉を感じてしまう。全席完売とはいわないまでも、今までもっと入っていたら、またちがう展開があったかもしれない。

 まあ仕方がない。飯守さんもシティ・フィルも、今後それぞれの道を歩み始める。飯守さんはさしあたり東京二期会の「パルジファル」が大きい仕事だ。以前演奏会形式でシティ・フィルとやったときもすばらしかった。今度も期待できる。

 シティ・フィルは、周知のように、ガラッと個性が変わる人と組む。ポストは音楽監督。常任指揮者は空席なので、新体制は完成していないのかもしれない。そのへんの事情はわからないが、ともかくこの選択が成功することを祈るしかない。

 最後に余談だが、ヴァイオリン協奏曲の演奏中に1階前方にいた年配の女性が体調を崩した。前方のドアから出ようとしたが、閉まっていたのか、出ることができず、真ん中のドアに行ったが、そこも出られず、後方のドアまで行ってやっと出ることができた。見ていて気の毒だった。
(2012.3.16.東京オペラ・シティ)
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さまよえるオランダ人

2012年03月15日 | 音楽
 新国立劇場の「さまよえるオランダ人」。2007年の初演のときも観ているので、これで2度目だ。

 ネトピルの指揮が注目の的だ。まず序曲。冒頭の嵐のような音楽が静まって、穏やかな部分に入ったとき、後ろの席からラジオの音が聞こえてきた。かすかな音だが、これは気になる。音楽が音量を増すと、かき消されるが、静まると聞こえてくる。ついに何人かの人が振りかえったが、知らん顔だ。序曲が終わったとき、外国人の女性が小声で「消して!」といった。すると背広姿の男性が、緩慢な動作でポケットから携帯機器を取りだして、不承不承、スイッチを切った。ラジオの音は携帯機器に付いているイヤホンから流れていた。

 いろいろなことが起きるものだ。ともかくその女性のお陰で、静かになった。

 次に休憩後、劇場の人が舞台に出てきて、「ダーラント役のディオゲネス・ランデスが体調不良のため、カヴァーの長谷川顯が歌います」とアナウンスがあった。こういうアクシデントは、(本人にはわるいが)劇場でオペラを観る面白さだ。長谷川顯はさすがにベテランだけあって、堂々たるものだった。

 なんだかもう一つくらいアクシデントがありそうだなと思っていたら、第3幕の冒頭の水夫の合唱のところで地震が起きた。ユサユサとかなり大きく揺れた。でも音楽は止まらなかった。指揮者は気が付いていなかったかもしれない。止まらなくてよかった。

 さて指揮者のネトピルだが、何年か前にドレスデンで「サロメ」を聴いたことがある。そのときは豪快にオーケストラを鳴らしていた(しかもあのオーケストラはとびきり優秀なので、実に骨太の音がした)。今はオーケストラを抑えるところは抑えて、彫りの深いドラマを志向するようになった。

 オランダ人役のエフゲニー・ニキティンとゼンタ役のジェニファー・ウィルソンは、ともに高度なワーグナー歌手だ。第2幕の出会いの場面では、ネトピルの指揮ともども、きわめて濃厚な表現を聴かせた。「そうか!」と思った。このオペラは2種類の音楽(オランダ人とゼンタの超越的な音楽と、ダーラントとエリックの現世的な音楽)から成っていて、双方はかみ合わず、この場面で初めて同質の音楽が出会うのだと思った。

 シュテークマンの演出は2度目だが――、演出とはこわいものだと思った。その演出家の、演出家としてのセンスのある・なしが、舞台に出てしまうものだ。
(2012.3.14.新国立劇場)
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スクロヴァチェフスキ/読響

2012年03月14日 | 音楽
 スクロヴァチェフスキ/読響のベートーヴェン・プロ。

 1曲目は序曲「レオノーレ」第3番。序奏のアダージョの暗い響きが最弱音で演奏されるのを聴いて、先日のショスタコーヴィチとブルックナーを思い出した。そのときも弱音がさらに弱く、文字通り最弱音で演奏されていた。これが今のスクロヴァチェフスキの特徴かもしれない。

 すぐに主部に入ると、最弱音は姿を消す。老年の巨匠の遅いテンポでは全然なく、快走するテンポ。フィナーレは「歓喜」の爆発というよりも、表現の「激しさ」が印象的だった。そうなのだ、スクロヴァチェフスキは昔から情緒で聴かせる指揮者ではなく、なんというか、音の構造で聴かせる指揮者だった、と思った。

 2曲目は交響曲第4番。停滞しないテンポ、音の張り、精神力――これは名演だった。前の「レオノーレ」第3番にも増して音に輝きがあり、常に明瞭さが保たれていた。今まで聴いたこの曲の演奏のなかで、これが一番よいのではないかと思ったほどだ。

 なぜそう思ったかというと、技術的にどうのこうのというよりも、この演奏が、少なくともわたしには、「今ベートーヴェンを聴く意味はなにか」という問いに答えてくれたからだ。ベートーヴェンを聴いて感動することが、今は昔のように自明のことではなくなった。だからこの問いが漠然と頭にあった。

 この演奏で提示されたベートーヴェン像は、なんの揺らぎもなく、透明な心境でそこに在った。今の日本の、高度な気配り社会からは、絶えて久しいものだ。今の日本にあっては、みんな多かれ少なかれ、息苦しい思いをしているのではないか。そのとき見失いがちな精神のあり方――それを理想主義といってもよい――を思い出させる演奏だった。

 端的にいって、わたしはベートーヴェンに感謝した。このような精神のあり方を後世に残してくれたことに。

 3曲目は交響曲第5番「運命」。これはもう曲の性格からいっても、第4番で想像がつくように、張りつめた精神力に貫かれた演奏だった。冒頭の例のテーマは、スクロヴァチェフスキなら当然だが、アレグロ・コン・ブリオの基本テンポに乗った演奏だった。以下それに引き続く演奏は、緊張感に富み、少しも弛緩したところがなかった。スクロヴァチェフスキの年齢では、肉体的な衰えはあって当然だが、それを音楽的な思考の活発さがカバーしているようだった。
(2012.3.13.サントリーホール)
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あれから1年

2012年03月10日 | 身辺雑記
 あれから1年。月日は一回りして、またあの日が戻ってくる。人々の感情――家族を失った人、生活の立て直しがままならない人、故郷に住めなくなって流浪の生活を余儀なくされている人――それらの人々のさまざまな感情を呑み込んで、あの日が戻ってくる。

 今、日本中のすべての人は、同じ想いであの日を迎えようとしているだろう。その想いが静かにこの列島を覆いますように。もう言葉はいらない。無言の想いだけでいい。できることならその想いがこの列島を覆い、1年前のあの日に命を落とした多くの人々の無念の想いに拮抗しますように。

 できることならその日だけは、励ましの言葉が沈黙し、つらい気持ちを抱えている人々の傍らにそっと静かに佇みますように。つらい気持ちのそのつらさを、共にみずからのうちに抱え込み、そのつらさに耐えようとしますように。

 もう音楽もいらない。レクイエムやミサ曲や、その他のそれに相応しいあれこれの曲を聴いて、自分の気持ちを紛らわすことはやめよう。静かに風の音や木々のそよぎに耳を澄まそう。1年前のあの日の後に、わたしの感性は壊れてしまい、音楽はわたしのなかに入ってこなかった。それから徐々に、少しずつ、わたしの感性は修復された。けれども今は1年前のあの日に戻ろう。

 1年前のあの日を境に――逆説的なことだけれど――わたしたちは人間性を回復した。けれどもそれは長くは続かなかった。驚くほどの募金が集まった。けれども募金の行為に収斂して、気持ち(=生活)は元に戻っていった。

 今でもそうかもしれないが、被災者を励ます声――まるで競うように気のきいた言葉を考えだして励ます声――が巷にあふれた。わたしはそれに疲れてしまった。ラジオのアナウンサーが(わたしはテレビを見ない生活をしている。もっぱらラジオの生活だ)そのような声を読みあげても、わたしの耳には入ってこなくなった。

 そして原発問題。人々の関心は飛躍的に高まり、広がったけれども――そして市民参加型の集会も開かれているけれども――、威圧的にそれを封じ込めようとする勢力も衰えていない。わたしの周囲にもいて、びっくりすることがある。

 1年という期間はそれなりに長かった。だからこの機会にもう一度思い出してみたい。1年前のあの日に言いようのない喪失感に打ちのめされたことを。わたしたちはそのなかでなにかを学んだはずだ。それはなんだったのか。
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スクロヴァチェフスキ/読響

2012年03月08日 | 音楽
 読響の3月の各公演はスクロヴァチェフスキの客演だ。スクロヴァチェフスキは1923年10月3日生まれ。現在88歳。昨日は定期演奏会があったが、まだまだ元気だ。失礼ながら、同響のアルブレヒトやN響のプレヴィンには衰えが見られる。それに比べて、スクロヴァチェフスキは現役の気概を失っていない。

 1曲目はショスタコーヴィチの交響曲第1番。スクロヴァチェフスキは以前から、ブルックナーでは凝りに凝った演奏をするが、ショスタコーヴィチではストレートな演奏をする。交響曲第11番は希代の名演だった。第10番もよかった。

 今回は第1番。この曲の、過大でもなく、過小でもない、スコアをあるがままに、正しく鳴らした演奏。スコアの骨格がしっかりしているので、大きな構えの音楽になる。ショスタコーヴィチのあらゆる要素――たとえば才気煥発な躁状態とか、グロテスクな変形とかを含めて――をバランスよく構成している。

 一番感心したのは、加齢にともなうテンポの遅れが感じられないことだった。どんなに元気な人でも、このくらいの年になると、テンポは遅くなるのが一般的だ。それが見られないのは、それだけでも感心するに足る。

 あえていうと、実は一種の硬直性を感じた。これは年齢によるものかと訝った。だがそうではなかった。2曲目のブルックナーの交響曲第3番になると、リズムは柔軟性に富み、フレージングは瑞々しくなった。これはもういつものスクロヴァチェフスキだった。

 第1楽章の冒頭、弦が、聴こえるか聴こえないかの最弱音で歩みを始める。あんなに小さな音なのに、歩みのリズムはしっかり聴こえる。トランペットが第1主題を吹く。それが一気に盛り上がって、トゥッティで確保される。そのフレージングが、明確に前半と後半に区分され、前半はテヌート気味に、後半はフレーズの最後を切り上げるように演奏された。念のために、帰宅後、スコアを見た(ありがたいことに、今はインターネットでスコアが見られる)。たしかに音価はそうなっていた。だからスコアどおりに演奏したわけだが、なにかハッとさせるものがあった。

 この演奏は、「悠揚せまらぬ」ものではなく、もっと尖ったものだ。そのスタイルが今ではすっかり磨きあげられ、余計なものが削ぎ落とされて、完成の域にたっしたようだ。この曲は以前にも聴いたことがあるが、今回の演奏はその記憶を上回るものだった。
(2012.3.7.サントリーホール)
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パーマ屋スミレ

2012年03月06日 | 演劇
 鄭義信(チョン・ウィシン)の新作「パーマ屋スミレ」が初日を開けた。在日コリアンの戦後史シリーズ第3作。第1作の「たとえば野に咲く花のように」、第2作の「焼肉ドラゴン」に引き続き、これも笑いあり、涙ありの楽しい芝居だ。

 本作は1963年(昭和38年)に起きた三井三池炭鉱の爆発事故を題材にしている。その事故では458人が亡くなった。そのうち爆死はわずか5人で、残りの453人はCO(一酸化炭素)中毒死だった。さらに839人がCO中毒患者になった。

 CO中毒患者839人の苦しみがどういうものだったか。それは本作で描かれている。記憶を失い、人格が変わり、幼児に退行し、家族に暴力をふるい、苦しみで七転八倒し、四肢がマヒし、生きる意欲を失い――。その症状や程度は人によってさまざまだが、本人の苦しみ、そしてそのような夫をもつ妻たちの苦しみは測り知れない。

 このような悲惨なことが、1963年(東京オリンピックの前年)に起きたわけだ。もちろん大々的に報道された。でもやがて東京オリンピックの明るい話題にかき消された。当時中学1年生だったわたしは、マラソンの応援に行き、アベベや円谷に声援を送った。申し訳ないことだが、CO中毒患者の苦しみは知らずにいた。

 「パーマ屋スミレ」はCO中毒患者の夫や組合幹部の愛人をもつ3人姉妹の物語だ。長女(根岸季衣)と次女(南果歩)は、明るく、たくましく生きていく。三女(星野園美)も明るく、たくましいのだが、苦しみを抱えきれなくなる。その下降線には涙を誘われる。

 結局は、国からも、会社からも、そして組合からも、厄介者扱いされ、切り捨てられていく庶民たち。この国はいつもそうだった。そして今もそうだ。なにも変わっていない、と思った。本作では会社相手に訴訟を起こした次女が、組合から排除される。悲しいことだが、現実だ。

 鄭義信は「記録する演劇」を標榜している。本作はその好例だ。CO中毒患者とその妻たちの苦しみは、今も続いている。でもそういう人たちがいること――いたこと――は、忘れられている。それを思い出させることは、芝居の大事な機能だ。

 ストーリーテラーとして、長女の息子、大吉が登場する。大吉は、高度成長からバブル経済を経て、今の時代を生きている。本作は大吉の回想の形で進行する。そこに醸し出されるノスタルジックな味わいは、昨年上演されたソーントン・ワイルダーの「わが町」に通じるものがあった。
(2012.3.5.新国立劇場小劇場)
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ニーチェの馬

2012年03月02日 | 映画
 映画「ニーチェの馬」を観た。2月11日から公開されているので、早く観たいと思っていた。偶然にも昨日はサービスデーだった。料金は一律1,000円。そのせいもあってか、観客はよく入っていた。

 いうまでもないだろうが、ニーチェは1889年1月3日にイタリアのトリノで御者に鞭打たれる馬を見た。ニーチェは駆け寄り、馬の首を抱きしめて泣き崩れた。そしてそのまま昏倒した。ニーチェの精神は崩壊し、ついに正気に戻ることはなかった。

 このエピソードが事実かどうかは確認されていない。でもニーチェの哀れな姿が目に浮かぶような気がする。事実かどうかは別にして、ニーチェの晩年を象徴するエピソードとして忘れがたい印象を残す。

 この映画は、馬はその後どうなったか、という想像の物語だ。そして、結論を先にいうと、驚くべき物語になっている。なにか事件が起きるわけではない。むしろなにも起こらない。馬と、御者と、その娘との、貧しく、単調な、静かな生活。それだけを描いた映画だが、タル・ベーラ監督自ら語るとおり、神がこの世を創造した「創世記」を逆回しするかのように、なにかの崩壊が描かれる。

 それは死だろうか。緩慢に、しかし避けがたく進行する死。この映画は「死」の寓話だろう。また別の見方もできる。わたしたちは東日本大震災で劇的に認識させられたが、生活の崩壊。この映画は「崩壊」の神話かもしれない。そしてもう一つ。この映画はニーチェの狂気のアレゴリーかもしれない。そういったいくつもの見方ができる映画だ。

 馬と御者と娘との生活に、外部の人間が闖入する場面が2度ある。1度目は蒸留酒パーリンカを分けてくれといって男が訪れる場面。哲学的な言辞を弄するこの男は、ニーチェのカリカチュアだろう。2度目は旅の男と女たち。無作法にも、勝手に井戸の水を飲み、娘を連れて行こうとする。これはなんだろう。もしかすると、ワーグナーの楽劇の登場人物たちではなかろうか。ニーチェの生活をかき乱す、あのワーグナーの――。

 最小限の台詞(ほとんど無言だ)、単調な生活(=同じ場面)の繰り返し、延々と続く長いシーン、やがて生じるわずかな変化――このような手法は、ミニマル音楽を想わせる。けれどもその変化が新たな局面への移行ではなく、異常、欠落あるいは崩壊であることに特徴がある。ミニマル音楽でそのような例があったかどうか、ちょっと思い出せない。
(2012.3.1.イメージフォーラム)
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佐村河内守

2012年03月01日 | 音楽
 佐村河内守(さむらごうち・まもる)のCD第2弾発売記念コンサートに行った。CDは聴いたが、生を聴いてどういう曲か確かめたい気持ちがあった。やっぱり生を聴くと、いろいろ思うところがあった。

 1曲目は「ヴァイオリンのためのソナチネ嬰ハ短調」。ヴァイオリンは大谷康子、ピアノは藤井一興。嬰ハ短調と銘打っていることにびっくりしてしまう。事実これはシューベルト、ブラームス、グリーグあたりを想わせるロマンティックな曲だ。しかも少しも借り物の感じがしない。

 曲のよさもさることながら、日本人がこういう曲を作ったことに一種の感慨を覚えた。もはや現代の日本人には西洋音楽が異国のものではなくなっているのだ。それはわたしの場合もそうだ。物心ついた頃からベートーヴェンなどを聴いて育っている。わたしよりも一回り下の佐村河内さんなら尚更だろう。

 そしてもちろん、現代にあって堂々と調性音楽を書いて、しかもそれがパロディーでもなんでもなく、真情あふれる曲であることが驚きだ。現代にもこういう曲が生まれるのか、という素朴な驚きがあった。

 2曲目は弦楽四重奏曲第1番。演奏は大谷さんなどの東京交響楽団の首席奏者たち。この曲と最後(4曲目)の第2番とはペアの作品だ。さらに第3番を構想中で、3部作になるそうだ。だから、ということでもないが、2曲を聴いただけでは判断を保留したい気になった。両曲には共通のテーマが出てくるが(ベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章の第1主題を想わせる。)、その意味も第3番で明らかになるのではないか。

 3曲目は「無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌ」。演奏は大谷さん。これは傑作だ。バッハに対峙して、その偉大さを受け止めようとしている。演奏時間は約20分。あっという間に終わった。できれば60分くらい(つまりこの3倍くらい)聴いていたい気分になった。

 佐村河内さんは基本的に調性音楽を書いている(例外はあるが)。だから、異端の作曲家とか、現代音楽にたいするアンチテーゼという捉え方がある。でも、はたしてそうだろうか。案外、今の時代は、自分の聴きたい音楽を書いている一定の層があって、佐村河内さんもその文脈のなかで捉えることができるのではないか。たとえばグレツキの交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」のブームなどは、その文脈のなかで起きた現象のような気がする。あれからもう何年もたった。その文脈はだんだん太くなってくる。
(2012.2.29.Hakujuホール)
コメント (5)
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