Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

作曲家の個展Ⅱ 一柳慧×湯浅譲二

2017年10月31日 | 音楽
 サントリー芸術財団の「作曲家の個展Ⅱ」。今年の作曲家は一柳慧(1933‐)と湯浅譲二(1929‐)。

 開演前にプレトークがあった。司会は沼野雄司。さすがに簡潔でポイントを押さえた(ドキッとするような質問も一つ交えた)司会ぶり。音楽学者が司会をすると、自説をくどくど述べる人がいるが(聴衆は作曲家の話を聴きたいのに‥)、沼野雄司はそんなことはなかった。

 一柳慧と湯浅譲二は、演奏会で姿をお見かけすることも多いが、湯浅譲二は昨年末から体調を崩されたそうで、姿をお見かけせず、心配していた。最近ある演奏会で久しぶりにお見かけしたが、本調子ではなさそうだった。だが、プレトークでは杖も使わずに登場されたので安堵した。

 プログラム前半は、一柳慧のピアノ協奏曲第3番「分水嶺」(1991)(ピアノ独奏は木村かをり)と湯浅譲二の「ピアノ・コンチェルティーノ」(1994)(ピアノ独奏は児玉桃)。同世代のお二人の同時期のピアノ協奏曲。モノクロームな一柳慧の作品と、盟友・武満徹を髣髴とさせるカラフルな湯浅譲二の作品とが好対照。

 プログラム後半に入る前に、湯浅譲二へ委嘱されたが、体調不良により未完の作品の、冒頭の2分程度が演奏された。本来はこの演奏会で初演されたはず。それが完成されなかったことに心を痛めたが、さわりの部分だけでも音になったことは嬉しい。心配を吹き飛ばすような力強い音が鳴った。

 次に未完のその委嘱作の代わりに、旧作の「クロノプラスティクⅡ‐エドガー・ヴァレーズ讃‐」(1999/2000)が演奏された。これは名演。透明で色彩豊かな音がしなやかに動き、純度の高い演奏が展開された。言い遅れたが、当日のオーケストラは都響、指揮は杉山洋一。

 湯浅譲二が書いたプログラム・ノートによると、この作品が初演されたとき、「私は演奏に満足していなくて、再演を望んでいた。」と。わたしは氏のこのような率直さが好きなのだが、さて、今回の演奏はどうだったろう。満足してもらえたのではないかと思うが‥。

 最後に一柳慧への委嘱作「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」が初演された。ヴァイオリン独奏は成田達輝、チェロ独奏は堤剛。二人の演奏は聴き応えがあったが、30分程度かかる大作のこの曲は、既視感・既聴感のある音が続いた。
(2017.10.30.サントリーホール)
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ラザレフ/日本フィル

2017年10月28日 | 音楽
 ラザレフ/日本フィルの東京定期は、グラズノフの交響曲第4番とショスタコーヴィチの交響曲第1番という地味なプログラムだが、グラズノフもショスタコーヴィチもラザレフが継続的に取り上げている作曲家なので、このようなプログラムも可能となり、また意義も増すようだ。

 グラズノフは以前、交響曲第5番が演奏されたが、ラザレフはかつて読響でも第5番を演奏したことがあり、わたしは第5番を聴くのはそのときが初めてだった。その印象は今も鮮やかに残っている。一方、第4番は読響でやったかどうか。わたしが聴くのは初めてのような気がする。

 全3楽章からなるが、とりわけ第1楽章がロシア情緒たっぷりだ。その深々とした情緒はロシアの指揮者でなければ出せない性質のもの。ラザレフの本領発揮だった。第2楽章以下は民族的な明るい楽想になるが、第3楽章の後半で第1楽章の主題が回帰する。全体として第5番と互角の名曲だと思う。

 プログラム・ノーツを読んでいて気が付いたが、グラズノフはシベリウスやニールセンと同年生まれ(3人とも1865年生まれ)。フィンランドやデンマークとロシアとでは、音楽的な蓄積が違っていたとは思うが、グラズノフの歴史的な立ち位置をイメージする上で示唆的だ。

 2曲目はショスタコーヴィチの交響曲第1番。第1楽章冒頭のトランペットのテーマからして、ひじょうに抑えた音量で始まり、以下、ピアノ、ピアニッシモが多用される。息をひそめるような緊張感。きわめてシリアスな表現。スケルツォ楽章の第2楽章も、おどけた表情は皆無。第3楽章以下は言わずもがな。

 全体を通して、曲の隅々まで掘り下げ、すべてを表現した演奏。ラザレフのショスタコーヴィチは今までも第4番、第6番、第8番、第9番、第15番など、忘れられない名演があるが、この第1番もそれらの名演に連なる演奏。わたしは震えるような感動を覚え、終演後、少し涙腺がゆるんだ。

 いうまでもないが、第1番は19歳のショスタコーヴィチがモスクワ音楽院の卒業制作に作曲したものだが、ラザレフの演奏で聴くと、人が一生をかけて辿りつく究極の作品のように感じられた。そこから出発したショスタコーヴィチは、なんという天才だったのだろう。そのような格別の天才には、運命は普通の人には耐えられない試練を課すようだ。ちょうどベートーヴェンがそうだったように。
(2017.10.27.サントリーホール)
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小泉和裕/都響

2017年10月25日 | 音楽
 小泉和裕指揮都響は、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番とフランクの交響曲というプログラム。バルトークとフランクとはわたしの好きな作曲家で、しかもバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番は、バルトークの中でもとくに好きな作品の一つなので、期待していた演奏会。

 ヴァイオリン独奏はアリーナ・イブラギモヴァ。わたしは未知の演奏家だったが、すでに何度か来日して、ファンも多いようだ。演奏が始まると仰天したが、思い入れたっぷりの音とフレージング。バルトークのヨーロッパ時代最後の作品の一つで、アメリカに渡ってからの平明・清澄な作風を先取りしている、とかといわれるこの曲のイメージを一変する濃厚な演奏だ。

 そのような演奏は最後まで続いた。わたしは目を見張った。その熱量に圧倒され、少し持て余した。だが、ひじょうに肯定的に捉えた。イブラギモヴァがこの曲に注ぎ込む思いの熱さというか、むしろ生命の燃焼のようなものを受け取った。

 その演奏スタイルから、今夏のザルツブルク音楽祭で聴いたモーツァルトのオペラ「皇帝ティトの慈悲」の指揮者テオドール・クルレンツィスと、フランスの作曲家ジェラール・グリゼーの連作管弦楽曲「音響空間」の指揮者マキシム・パスカルとを思い出した。二人とも思い入れたっぷりの指揮だった。

 この先はわたしの仮説だが、世界の演奏の第一線では、このようなスタイルの演奏家が現れているのではないだろうか。演奏しているその曲に心酔し、自分のすべてを注ぎ込むような演奏。それはけっして主情的というのではなく、むしろ主知的・主情的という分類には収まらない演奏スタイル。

 一方、残念ながら、小泉和裕の指揮はそのようなヴァイオリン独奏には無反応だった。これがもしパーヴォ・ヤルヴィだったら、丁々発止の(たとえは悪いが)ボクシングの打ち合いのような壮絶な演奏になったのではないかと想像した。

 なおこの曲には、最後の終わり方について、バルトークの当初案と、初演の際の独奏者セーケイの求めに応じて変更した版(通常はこの版で演奏)があるそうだ。今回は当初案での演奏。

 2曲目のフランクの交響曲は、まるでワーグナーのように重くて厚い音と粘りのあるリズム、そして物々しい表情。こんなことをいっては申し訳ないが、何かフランクの音楽を誤解しているような感じがした。
(2017.10.24.サントリーホール)
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ラザレフ/日本フィル

2017年10月22日 | 音楽
 昨日はエッシェンバッハ/N響とラザレフ/日本フィルを梯子した。世評高いエッシェンバッハ/N響だが(そしてわたしなりに書き留めるべきポイントがいくつかあったが)、率直にいって、圧倒的に面白かったのはラザレフ/日本フィルのほうだ。

 1曲目はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番。ヴァイオリン独奏はボリス・ベルキン。若手の野心みなぎる演奏家の場合だと、アグレッシヴな演奏になりがちなこの曲だが、人生の年輪を重ねたベルキンの場合は、もっと落ち着いて、音をかみしめるような演奏になった。

 ベルキンとラザレフとのエピソード‥。二人はモスクワ音楽院の同窓生だそうだ。当時、モスクワ音楽院と東ベルリンの音楽大学とは交流があり、モスクワ音楽院の学生オーケストラが東ベルリンに演奏に行った。そのときの指揮がラザレフで、コンサートマスターがベルキンだった。

 そんな二人が偶然1年前に東京で出会った。今度日本フィルで一緒にやろうという話になり、今回の共演が実現した。二人の共演は本当に久しぶりだそうだ。(以上、日本フィルのHPに掲載されている山田治生氏のインタビューより)

 微笑ましい話だ。演奏は、いうまでもないが、老人の懐旧談ではなく、真摯そのもの。モスクワ音楽院でショスタコーヴィチの後姿を見て成長した二人の、師への想いが込められた演奏。

 話が前後するようだが、演奏が始まったとき、オーケストラの音がいつものラザレフ/日本フィルのショスタコーヴィチの音だと思った。誤解を招くといけないが、わたしにはその音は灰色の澄んだグラデーションを持つ美しいモノトーンの音に感じられる。今までの何曲ものショスタコーヴィチの交響曲の名演の記憶が蘇った。

 2曲目はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。ショスタコーヴィチの後で聴くと、チャイコフスキーのオーケストレーションの、なんと色彩豊かなことか。まるで原色系のイルミネーションの点滅を見るようだった。

 演奏もすごかった。第1楽章の展開部など、通常の演奏の2割から3割増しのパワーと激しさと豪快さとがあったような気がする。それはラザレフが日本フィルを、平凡な演奏ではダメだ、演奏するからには、だれにも負けない演奏をしなければならないと、全力で鼓舞しているような感があった。そういう演奏でないと、聴衆には訴えないと。
(2017.10.21.横浜みなとみらいホール)
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飯森範親/東京シティ・フィル

2017年10月20日 | 音楽
 飯森範親が客演した東京シティ・フィル。プログラムはオール・チャイコフスキー・プロ。1曲目の「イタリア奇想曲」は音楽の流れが今一つだった。とくに前半部分でそう感じた。

 今更ながらの話だが、ステージ上のトランペット奏者4人を見て、あれっ、そうだったっけと思った。じつはトランペット奏者2人とコルネット奏者2人。チャイコフスキーはそれぞれの音色を使い分けている。今回とくにコルネットに首席奏者の松本亜希さんが入ったので、その柔らかい音色が、チャイコフスキーがコルネットを使った理由を示した。

 2曲目は「ロココの主題による変奏曲」。チェロ独奏は今年のエリザベート王妃国際コンクールで第2位を取った岡本侑也。最初のフレーズを聴いただけで、その才能が伝わってくる。その後の変奏も水際立っていた。巨匠然とした演奏ではなく、もっと知的な演奏。そのどこをとっても筋のよさが窺われた。

 岡本侑也は1994年東京生まれなので、今年23歳。2011年の日本音楽コンクール・チェロ部門で第1位。そして前述のとおり、2017年のエリザベート王妃国際コンクールのチェロ部門で第2位。現在はドイツのミュンヘン音楽大学の大学院に在学中。

 アンコールが演奏された。チェロの旋律に(岡本侑也自身が歌う)ヴォカリーズが乗り、エスニックな香りが漂う不思議な曲だった。だれの曲だろうと思い、休憩時にロビーの掲示を見に行くと、ジョバンニ・ソッリマGiovanni Sollimaという人のラメンタチオLamentatioという曲だった。

 帰宅後、インターネットで検索すると、Wikipediaに載っていた。ソッリマは1962年イタリアのシチリア生まれの作曲家。ミニマル・ミュージックの影響を受けるとともに、「クラシック、ロック、ジャズ、ポップス、中東~地中海~アフリカに及ぶ民族音楽など、様々な音楽の素材を自在に取り入れ融合させた独特な作風で知られている。」。なるほど、そうかと思った。

 3曲目は交響曲第4番。オーケストラの音がよくまとまり、流れもよく、安心して楽しむことができた。品がよく、また迫力もある。まったくストレスが残らない。たとえていえば、CDを聴くような演奏だった。

 木管の若い4人の首席奏者が安定し、また前述したトランペットの首席奏者、松本亜希さんの加入により、トランペット・セクションの音にまとまりと輝きが出た。
(2017.10.19.東京オペラシティ)
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下野竜也/N響

2017年10月16日 | 音楽
 下野竜也が振るN響のAプロ。1曲目はモーツァルトの歌劇「イドメネオ」序曲。明るく歯切れのよい音で、テンポも快適。弦の編成は12‐12‐8‐6‐4。ヴァイオリンの比重が高いことが、その演奏に反映していた。この序曲ははっきりした終止をしないので、そのままオペラを聴きたくなった。

 その演奏は、下野竜也ならいかにも、という感じがしたが、では、次のベルクのヴァイオリン協奏曲はいかにと、下野竜也のベルクに興味が募った。

 結論からいうと、これもすばらしかった。オーケストラの音が混濁せず、また演奏が迷走することもなく、常に明確なパースペクティヴのもとにあった。全体に凛としたたたずまいを感じた。下野竜也の新ウィーン楽派の演奏を聴くのは初めてだが、さすがに優秀な指揮者は、なにを振っても優秀だと思った。

 ヴァイオリン独奏のクララ・ジュミ・カンも優秀だった。ザハール・ブロンやドロシー・ディレイに師事したそうだが、それらの門下生にありがちな、張りのある大きな音で弾くタイプではなく、細い音で強靭な集中力をもって弾くタイプ。第2楽章の第1部の後半で、嵐のような苦悶の音楽が次第に静まり、ヴァイオリンの独奏になる部分が、これほど集中力をもって演奏されたことは稀だと思う。

 後半のプログラムはまずモーツァルトの歌劇「皇帝ティートの慈悲」序曲。前半の「イドメネオ」序曲と同様に明るく歯切れがよく、快調。

 次はベルクの「ルル」組曲。これも前半のヴァイオリン協奏曲と同様、明瞭なパースペクティヴをもつ演奏。下野竜也の指揮でオペラ「ルル」を聴いてみたくなった。そのときオーケストラがN響ならどんなによいか。

 ソプラノ独唱はモイツァ・エルトマン。わたしはエルトマンが歌うルルをベルリンで観たことがあるが(2015年3月、指揮はバレンボイム、演出はブレート)、そのときは少女のようなキャラクターで、ひじょうに説得力があった。今回は成熟した女性として登場したので、別人のようだった。

 余談になるが、そのベルリンの上演では、プロローグと第3幕第1場(パリの場)がカットされていた。第2幕の最後でルルが脱獄した後、切れ目なく、第3幕第2場(ロンドンの場)に移った。プロローグはともかく、第3幕第1場のカットは、わたしにはショックだった。なお第2場のオーケストレーションはコールマンの新版だった。
(2017.10.15.NHKホール)
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神々の黄昏

2017年10月12日 | 音楽
 新国立劇場のリングが完結したが、なんの感慨も湧かなかった。普通なら、どんな演出であっても、長大な物語が完結したという感慨があるのだが‥。

 なぜだろう。まずレンタル・プロダクションだから。新国立劇場はレンタル・プロダクションが多い。ざっと思い返すと、「チェネレントラ」、「マノン・レスコー」、「ルサルカ」、「イエヌーファ」、「死の都」、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、「ピーター・グライムズ」そして「軍人たち」。これらのオペラは一度上演されたきりで、再演はされない。今回もそうだと思う。それでは消費財だ。

 もう一つは、今回のプロダクションがゲッツ・フリードリヒ演出と銘打っているが、内容が空疎で、一貫性がないため、どこまで原演出の跡を留めているのか、疑問を感じるから。個々の点をあげつらっても仕方がないが、たとえば今回、幕切れではブリュンヒルデだけが世界の崩壊から生き残ったような演出になっていたが、なんの伏線もなく、唐突な感じを否めなかった。

 装置、衣装、照明といった舞台美術はクールで、すっきりとした美しさがあり、北欧テイストに溢れていた。それが唯一の取り柄か。

 歌手は概ねよかった。ブリュンヒルデ役のペトラ・ラングは、大声を張り上げる歌手ではなく、音楽のラインをじっくり辿り、その抑揚を的確に表現する歌手だ。第3幕の幕切れの「ブリュンヒルデの自己犠牲」は、わたしが今まで聴いたこの曲の歌唱の中で、もっとも音楽的だと思った。

 ハーゲン役のアルベルト・ベーゼンドルファーは、開演前に「気管支を痛めている」とアナウンスされたが、まったく危なげなかった。声そのもののよさに加えて、本調子でないときも、それをカバーするテクニックを持っているのだろう。

 ジークフリート役のステファン・グールドは、まっすぐ通る声と超人的なスタミナは折り紙つきだが、問題は演技にある、と思っていたが、今回、第1幕の最後に隠れ頭巾で変装してブリュンヒルデの岩屋を訪れる場面は凄みがあり、ドラマに貢献した。

 今回ピットには読響が入った。さすがによい音だ。だが、読響の実力なら、もっと緻密なアンサンブルと、彫りの深い演奏ができるはず。残念ながら、飯守泰次郎の指揮の限界が出た。演奏とは容赦ないものだ。終演後、飯守泰次郎には盛大な拍手が送られたが、少数のブーイングもあった。
(2017.10.11.新国立劇場)
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トロイ戦争は起こらない

2017年10月10日 | 演劇
 ジャン・ジロドゥ(1882‐1944)の芝居「トロイ戦争は起こらない」(1935年初演)。ドイツではヒトラーが政権を握り、ドイツとフランスとの開戦が避けられない状況になっていた時期の作品。トロイ戦争に仮託したジロドゥの想いは何だったか。

 一番印象的だった場面は、幕切れ近く、トロイ側の王子エクトールとギリシャ側の知将オデュッセウスとが2人きりで会談する場面。開戦回避の道を必死になって模索するエクトールと、開戦必至との状況判断を持ちながらも、エクトールの努力に賭けてみようとするオデュッセウス。その場面は、今の北朝鮮とアメリカをめぐる状況を連想させ、妙にリアルだった。

 結局トロイ戦争は起きた。それは歴史的な事実だが、本作ではそのきっかけとなるものが、これまたリアルだった。いつの時代でも、戦争を起こしたがる者がいて、そのような者は、戦争を起こすために、なかったことをあったことにする(場合によっては、その逆も)。それが象徴的に示される。

 初演当時のパリの観客は、本作をどのような想いで観ただろうか。ペシミスティックな想いか。人間の愚かさへの想いか。それとも、本作には登場しないが、不和と争いの女神エリスの暗躍を想ったか。

 先ほども触れたが、今の状況では妙にリアルに感じられる本作だが、今回の公演はわたしには少々‘直球’すぎた。そう感じたのは、わたしの観た公演が、役者のテンションが上がりがちな初日の公演だったせいかもしれないが。

 今思い返してみると、本作には細かい対比が組み込まれている。その中心にあるものは「エクトールとその妻アンドロマック」と「トロイの人々」との対比だが、それ以外にも、トロイの王女カッサンドルが見る「未来」とギリシャのスパルタ王妃エレーヌが見る「未来」との対比、アンドロマックとエレーヌとの人物像の対比等々。

 それらの対比をさらに鮮明に打ち出す余地があったかもしれない。少なくとも初日は、エクトール役の鈴木亮平とアンドロマック役の鈴木杏の力演が、オデュッセウス役の谷田歩を除いて、他を圧し気味だった。

 音楽と電気ヴァイオリン演奏の金子飛鳥は、幕開き直後、会話劇から内心のモノローグに移行する場面に音楽を入れ、その効果にハッとしたが、以降は情緒的に盛り上げる例もあり、かならずしも厳密なものではなかった。
(2017.10.5.新国立劇場中劇場)
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ハワイ旅行(5)

2017年10月06日 | 身辺雑記
 最終日はホノルル美術館Honolulu Museum of Artへ行った。モネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、マティスなどのヨーロッパ絵画はもとより、アメリカ絵画ではジョージア・オキーフ(ハワイで描いた風景画があり、いかにもホノルルの美術館らしかった)の他、抽象表現主義の画家たち、その他見応えのある展示だった。

 でも、わたしが驚いたのは、それ以降だった。太平洋諸島の仮面その他の民芸品、さらに古代ラテンアメリカ、北アメリカ大陸(いわゆるインディアン)、アフリカなどの民芸品が展示されていた。わたしは今‘民芸品’といったが、それらの民族的な工芸品が20世紀以降のヨーロッパ絵画・彫刻に与えた影響からいうと、むしろ‘美術品’の感じだった。

 さらに、日本、中国そして韓国の仏像、陶磁器等々、またインド美術、東南アジア美術、インドネシア美術、イスラム圏美術などが続いた。わたしは圧倒された。世界を、(言い換えれば)地球をフラットに捉えて、それぞれの美術に同等の価値を見出す世界観。美術館でそのような世界観を感じるのは初めての経験だった。

 気持ちのよい風が吹く中庭のレストランで昼食をとった後、企画展「抽象表現主義 遥か西洋の地から東を見つめて」ABSTRACT EXPRESSIONISM Looking East From the Far Westを見た。マーク・ロスコその他の抽象表現主義の画家たちが、日本人その他の東洋人の画家たちから、どのような影響を受けたかを検証する試み。西洋中心主義とは一味違った視点だった。

 最後にハワイ美術を見た。唯美主義の影響を感じるもの、ポップな感覚のもの、その他どれも面白かった。

 結局、昼食の時間を含めて、約4時間半いた。わたしが美術館で費やす時間は、通常は2時間くらいなので、その倍はいた勘定だ。

 時刻は午後2時半になった。ハワイ旅行の最後はイオラニ宮殿Iolani Palaceに行った。ハワイ王朝第7代国王のカラカウア王が建設した宮殿。上掲の写真↑は「王座の間」。それほど広くはないが、暖かみのある美しい部屋だ。外国の賓客を招いて舞踏会を開いたそうだ。

 旅行中、折に触れて接したハワイ王朝の歴史が、イオラニ宮殿を訪れたことで、身近に感じられた。同宮殿の建設は、ハワイ王朝の財政を圧迫したそうだが、今になってみると、ネイティヴ・ハワイアンの矜持を後世に伝えている。
(2017.9.29.)
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ハワイ旅行(4)

2017年10月05日 | 身辺雑記
 4日目はハワイ島に行った。高校時代のブラスバンドの友人が、約20年前にご主人と子供たちとともにハワイに移住したとき、最初に住んだのがハワイ島のヒロだった。どんなところか、一度見てみたかった。またヒロは、日系人の多い街なので、その意味でも行ってみたかった。

 往きのホノルル発は早朝便、帰りのヒロ発は夕方便を予約した。一日中ヒロの街をウロウロするつもりだった。だが直前になってヒロの公共交通機関(バス)を調べてみると、ルートも本数も少ないことが分かった。またタクシーに頼るにしても、流しのタクシーはなさそうなので、必要の都度、電話で呼ばなければならない。それも面倒なので、現地のツアーに参加することにした。メールで問い合わせると、ヒロの到着便が1便早ければ参加可能とのことなので、往きの便を変更した。

 ツアーに参加して正解だった。ヒロの空港で出迎えてくれ、また帰りはヒロの空港まで送ってくれたので、世話なしだった。ガイドさんは聡明そうな人で、とくに植物に造詣が深く、興味深い話を聞けた。

 午前中はヒロの街をまわった。美しい公園もあるが、レトロな下町もあり、全体に静かで穏やかな感じがした。友人がヒロのどのあたりに住んでいたのか、聞いてこなかったことを悔やんだ。

 午後はハワイ火山国立公園(キラウエア火山)に連れて行ってくれた。標高1,213メートルなので、そんなに高い所ではないが、見渡すかぎりの荒涼とした大地にポッカリ火口が開き、噴煙を上げている(上掲の写真↑)。溶岩が見えるときもあるそうだが、今回は見えなかった。ともかく、月面のようなその光景に目を見張った。

 近くの溶岩台地では、ツアー参加者一同で溶岩の上に寝そべったり、密林にできた洞窟の中を歩いたりして、楽しく過ごした。

 ヒロの街に帰る約50分のドライヴでは、広々とした緑豊かな風景に感銘を受けた。ハワイの自然の豊かさを感じた。往きも感じたが、同じ道を帰る道すがら、その感銘が確かなものになった。

 ホノルルは、いや、ワイキキは、ハワイの中では特殊な場所だということが、よく分かった。それはハワイの経済を動かすためには必要な場所で、また先人たちが大変な努力をして築き上げた場所でもあり、さらにいえば世界的にも見事な成功例の一つかもしれないが、古きよきハワイも残っていることを実感した。
(2017.9.28.)
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ハワイ旅行(3)

2017年10月04日 | 身辺雑記
 3日目はビショップ博物館Bishop Museumへ行った。同博物館はハワイの歴史と文化にまつわる品々を展示する施設。毎日4回日本語ガイドツアーが催行されている。わたしもそれに参加した。所要時間は約30分。

 まずハワイ王朝の歴史を展示した部屋へ。歴代の国王の肖像画とその時代の出来事が展示されている。初代の国王はカメハメハ大王。1795年にハワイ王国の建国を宣言し、1810年にハワイ全島の統一を果たした。

 ハワイ王朝はそれ以降、第8代国王のリリウオカラニ女王(「アロハ・オエ」を作曲した人)まで続いたが、ハワイ政治への白人の影響力を制限し、ネイティヴ・ハワイアンの権限を強めようとした同女王にたいして、白人は1893年にクーデターを起こし、翌1894年にハワイ共和国を設立。ハワイ王朝は滅亡した。

 と、そういう歴史を(国王たちの肖像画を見ながら)説明してもらった後、ハワイアンホール本館に移ると、3層吹き抜けで、各階に回廊が巡らされた重厚な造りに(上掲の写真↑)、思わず足が止まった。ハワイ文化の底力といったらよいか。白人にたいするネイティヴ・ハワイアンの意地といったらよいか。

 同館では、タヒチから渡ってきたネイティヴ・ハワイアンの祖先の遺物や、その工芸品などを説明してもらったが、いかんせん、全体で約30分のツアーでは短すぎた。数点の展示品の説明で終わった。

 わたしはツアー終了後も見学を続けた。ネイティヴ・ハワイアンの祈りの場‘ヘイアウ’Heiauの復元模型が興味深かった。前日、高校時代のブラスバンドの友人の家を訪れたとき、車で5分ほどの所にあるヘイアウに案内してもらった(ヘイアウは各島にいくつか残っている)。林の中に開かれた平らな土地に、崩れた石垣があった。往時のそれはどのような形態だったか、想像がつかなかったが、復元模型でイメージが湧いた(※)。

 お昼時になったので、館内のレストランに行くと、ハワイ料理の老舗「ハイウエイ・イン」の経営するレストランだった。旅行中に一度はハワイ料理を食べてみたかったので、これはラッキーだった。

 タロイモをすりつぶした‘ポイ’、トマトとタマネギと塩漬けの鮭をあえた‘ロミ・サーモン’、豚肉の燻製‘カルア・ピッグ’そしてココナツ・ミルクのプリン‘ハウピア’を食べた。ポイ以外は美味しかった。
(2017.9.27.)

(※)ヘイアウ(Wikipediaの説明)
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ハワイ旅行(2)

2017年10月03日 | 身辺雑記
 2日目の午前中はパール・ハーバーへ。1941年12月7日(日本時間では8日)、日本軍の攻撃で撃沈された戦艦アリゾナは、今も海底に沈んでいる。その上を両脇から挟むようにアリゾナ記念館U.S.S.Arizona Memorialが建っている。その見学に。

 ワイキキからバスで約40分。午前9時前に着いた。ビジターセンターで見学ツアー(無料)を申し込むと、10時スタートのツアーが予約できた。各国語のオーディオ・ガイド(有料)があるので、日本語のものを借りた。

 10時にスタート。参加者は30人ほど。まず当時の記録映画を見る。日本が経済封鎖で追い詰められ、パール・ハーバーへの奇襲に踏み切る過程を、簡略だが正確に、感情を交えずに説明している。戦艦アリゾナが黒煙に巻かれて沈没する映像(写真でお馴染みの場面)は、やはりショッキングだった。

 映画が終了するとシャトル・ボートに乗り込む。洋上に建てられたアリゾナ記念館へ。ボートを降りて記念館に足を一歩踏み入れたときは、犠牲者にたいする想いから、胸に迫るものがあった。

 記念館は明るく開放的な施設だった。海を見下ろすと、戦艦アリゾナの船体が見える。そこを熱帯魚が泳いでいる。記念館の突き当たりの壁に犠牲者の名前が刻まれている。1,100人以上の犠牲者たち。その白い壁の横に赤い花束が供えられている(上掲の写真↑)。花束に付けられた帯を見ると、日本遺族会からのものだった。和解のための歩みが今も重ねられている。

 再びシャトル・ボートに乗り込んでスタート地点に戻り、ツアー終了。敷地内にある2つの博物館を見学。この時点で12時を過ぎた。本当は戦艦ミズーリ(その甲板で1945年9月2日に日本の降伏文書への調印式が行われた)を見学するつもりだったが、午後は高校時代のブラスバンドの友人の家を訪問する予定だったので、それは諦めた。

 友人の家はタクシーで10分ほどの所にあった。海を見下ろす高台の閑静な住宅街にある白い家。涼しい風が吹いている。うっとりするようだ。2階の窓から声をかけられた。ご主人ともどもわたしと家人との到着を待ってくれていた。

 ベランダでビールをご馳走になった。さっと細かい水滴が舞った。天気雨。すぐに晴れると、空の一角に小さな虹が出て、それが見る間に大きくなり、くっきりとしたアーチを描いた。その上にも薄い虹がかかり、2重の虹になった。みんなで歓声を上げた。
(2017.9.26.)
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ハワイ旅行(1)

2017年10月02日 | 身辺雑記
 ハワイ旅行の1日目。朝7時頃にホノルル空港に到着。スピーディ・シャトルでワイキキへ。ホテルに荷物を預けて、ワイキキの浜辺へ。20年以上前に出張で一度来たことがあるが、今回は、海がこんなにきれいだったろうかと思うくらいきれいに見えた。

 浜辺を歩いてカピオラニ公園へ。巨大なバニアンツリーの木陰のベンチに座ると、涼しくて気持ちがよかった。しばらく休んでから、ハワイ日本文化センターJapanese Cultural Center of Hawaiiへ。地味な施設だが、見学者がちらほらいた。

 同センターは日系人の移民の歴史を展示した施設。移民としてハワイに渡った日系人が、どんな生活をし、どんな苦労に耐えたか。わたしは事前に「ハワイの歴史と文化」(矢口佑人著、中公新書)を読んで予備知識を仕入れていたので、展示がよく分かって助かった。

 日系人の移民は「おかげさまで」I am what I am because of youとか、名誉、忠義、我慢とかの精神で、サトウキビ農場での重労働と貧しさとに耐えた。わたしたちの先祖のなんという頑張りか。

 ところが1941年12月7日(日本時間では8日)の日本軍の真珠湾攻撃で、ハワイの日系人の生活は一変した。アメリカ本土はもちろんだが、ハワイでも日系人の強制収容所が作られ、約2,000人の日系人(その中にはアメリカ国籍を持っている人もいた)が強制収容された。

 強制収容所の名前はホノウリウリ収容所Honouliuli Internment Camp。戦後、急速に忘れ去られ、跡地は草木に覆われた。その発掘が行われたのはじつに21世紀に入ってから。2015年にはオバマ大統領の布告により国定史跡に指定された。

 同センターでは、戦時中の日系人の強制収容の様子をドラマで再現し、また戦後の同収容所の発掘作業を記録したヴィデオが上映された。ヴィデオにはダニエル・イノウエ上院議員(1924‐2012)が登場し、「民主主義の国でもこのような強制収容が起こるということを忘れてはならない」と語っていたのが印象深い。

 同センターを出た後はワイキキに戻り、レストランで昼食をとった。屋外のテーブルに座ったら、日陰になっていたので、涼しい風が吹いていて、気持ちがよかった。

 夕方、ワイキキの浜辺に出ると、夕陽が海に沈むところだった(上掲の写真↑)。惚れ惚れするような美しさ。
(2017.9.25.)
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帰国報告

2017年10月01日 | 身辺雑記
 本日、ハワイ旅行から戻ってきました。今回の旅は高校時代のブラスバンドの友人のお宅を訪問すること。その友人は約20年前にご主人と子どもたちと共にハワイに移住し、最初はハワイ島に、今はオアフ島に住んでいます。一度その友人のハワイの家を訪問したいと思っていました。今回それが実現しました。
 また、ハワイに行くからには、わたしなりの目的を持った旅にしたいと思いました。わたしが考えたことは、日系人の移民の歴史に触れること、太平洋戦争の傷跡に触れること、ハワイの歴史と文化に触れることの3点。それらの目的を果たすこともできました。
 明日以降、旅の報告をさせてもらいます。
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