Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

インバル/都響

2016年03月30日 | 音楽
 インバルは、2008年から2014年までのプリンシパル・コンダクター時代はマーラーとブルックナーで押していたが、今回の来日ではバーンスタインとショスタコーヴィチ(それも意味深長の交響曲第15番)を取り上げている。一種の自由さというか、ほんとうにやりたい曲をやっているような感じがする。

 1曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第27番。弦の編成は10‐8‐6‐4‐2。穏やかな演奏。けっして声を荒げず、一定のテンポで淡々と進む。リズムは重くならず、かといってピリオド奏法的な尖ったところもなく、丸みを帯びたリズムが一貫している。なにも起こらない演奏。この曲になにか起きることを期待しているの?と、わたしは自らに問いかけたい気分だった。

 ピアノ独奏の白建宇(クンウー・パイク)の演奏も同様。だが、少し疲れたような――人生の疲れがたまったような――、沈みがちな気分が感じられた。

 モーツァルトの死の年に完成した曲だが、完成日付の1791年1月5日にはモーツァルトはまだ健康を害していなかった。しかも、近年の研究では、第1楽章は1788年12月から翌年2月までの間に書き始められたという。であれば、この曲は、もう少し生気のある演奏であってもいいのではないだろうか。生気があってこそ、この曲の透明な諦念が感じられるのではないかと思った。

 アンコールが演奏された。まったく知らない曲だが、途中でグリーン・スリーヴズの旋律が出てきた。だれの曲だろう。帰り際にロビーを見回したが、曲名の掲示は見つからなかった。

 2曲目はショスタコーヴィチの交響曲第15番。先週のバーンスタインの交響曲第3番「カディッシュ」と同様、神経の張りつめた音。けっして重くはなく、むしろ繊細だ。しかもピリピリせず、伸びやかなところがある。モーツァルトの演奏にはなかった生気が蘇ってきたような感じがした。

 この曲の演奏では、2013年11月30日に聴いたデュトワ/N響が忘れられない。全曲がパロディーで構成されているような不思議な感覚を持つ演奏だった。それに対して今回の演奏は、もっと生身の人間の声が聴こえた。なにかの究極の地点まで行った人間の声。

 本年7月にはラザレフ/日本フィルがこの曲を演奏する。第4番や第9番が名演だったので、第15番も期待できると思う。わたしの音楽体験もこうやって豊かになっていく……。
(2016.3.29.東京文化会館)
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インバル/都響

2016年03月25日 | 音楽
 インバル(1936‐)は、まだ無名の若者だった1958年に、イスラエル・フィルを振りに来たバーンスタインに見出されて、指揮者としての道が開けた。都響のホームページ内のスペシャル・インタビューで当時のエピソードが語られている。バーンスタインはインバルにとって指揮者人生の恩人ともいえる存在だった。

 そんなインバルにとって、バーンスタインの交響曲第3番「カディッシュ」は特別な曲のようだ。バーンスタインのリハーサルに立ち会ったことがあるそうだが、そのような個人的な想い出だけではなく、ユダヤ人としてのルーツにつながる曲だからでもあるのではないだろうか。

 今回の演奏では、バーンスタインが自ら書いた‘語り’の台本ではなく、バーンスタインやインバルと親交のあったサミュエル・ピサールが書いた台本を使用するという。わたしはピサールという人を知らなかったが、知れば知るほど興味を持った。

 ピサールの台本はバーンスタインのホームページに掲載されていた。事前に目を通したが、驚くべき内容だ。身震いするほどの内容。10代の少年だったピサールが、ナチスに捕えられて、マイダネク、アウシュヴィッツ、ダッハウの各強制収容所を転々とし、やがてアメリカ軍に解放されるまでの経験が語られている。

 人類が共有すべき20世紀の記憶が、歴史家ではなく、当事者によって語られる――そんな‘語り’を含む曲として、バーンスタインの交響曲が生まれ変わった。

 当夜の演奏では、インバルが抱くピサール版「カディッシュ」の演奏への使命感が、痛いほど伝わってきた。名演という表現では月並みすぎるほどの崇高さがあった。音は鋭く、緊張感があり、シャープな輪郭を伴っていた。これは末永く語り継がれる演奏だろうと思った。

 語りは、ピサール自身が出演予定だったが、2015年7月に亡くなったため、未亡人のジュディス・ピサールと娘のリア・ピサールが分担した。2人の個性の違いが、綾を織るような陰影を生んだ。ソプラノのパヴラ・ヴィコパロヴァーの優しい声には、緊張した神経が慰撫されるようだった。東京少年少女合唱隊の澄んだハーモニーも印象的だった。

 順序が逆になったが、1曲目にブリテンの「シンフォニア・ダ・レクイエム」が演奏された。一言でいうと、重量級の演奏だった。轟々と鳴る重い音は、あまりブリテンらしくなかった。
(2016.3.24.サントリーホール)
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フェルメールとレンブラント展

2016年03月23日 | 美術
 会期末が近づいてきた「フェルメールとレンブラント」展に行った。本展は会期中無休、しかも平日でも夜8時までやっているので、仕事の都合に合わせて行けるから助かる。

 なんといっても、看板に偽りなく、フェルメールとレンブラントが目玉だ。フェルメールはメトロポリタン美術館からの「水差しを持つ女」(※)。明るくやわらかい光に満たされた室内。ため息が出るほどの繊細さだ。テーブルの上の銀の水差しと水盤は、その光に照らされて金色に見える。水差しを左手に持ち、右手で窓を開ける女は、白いスカーフをかぶっている。スカーフが光を受けて、透き通って見える。

 本作は、フェルメールの中でも、もっとも明るい絵ではないだろうか。室内がこれほど明るく表現された例はないような気がする。本作を見ているうちに、‘考え得るかぎりもっとも上等な絵’という言葉が頭に浮かんだ。

 一方、レンブラントの方は「ベローナ」。ベローナはローマ神話の戦の女神。鋼鉄製の光り輝く鎧と兜、そしてずっしりと重そうな黒い盾、それらの存在感が凄い。レンブラントの力の充溢に圧倒される想いだ。ベローナの温厚そうな顔も、実物を見ると意外な感じはせず、むしろ安定感を醸し出していた。

 「ベローナ」もメトロポリタン美術館からの作品。メトロポリタン美術館には昔行ったことがあるが、2作品とも記憶にない。たぶん見たのだろうが。情けない話だ。

 本展は以上の2点で語り尽くせると、ついうっかり言いたくなるが、もちろんそうではなくて、他の見どころも十分ある。その一例として、カレル・ファブリティウスの2点を挙げたい。レンブラントの弟子で、その才能を評価された逸材だが、デルフト市内の弾薬庫の爆発事故に遭って命を落とした。弱冠32歳だった。

 1点は「帽子と銅よろいをつけた男(自画像)」。前述の爆発事故で落命した年の作品。レンブラントに比べると、光と影の強い対照というよりも、明るい光が勝っている。また、奥行きの深さよりも、浅い空間が捉えられている。鋭敏な感性が感じられるのは、若さのゆえだろうか。

 もう1点は「アブラハム・デ・ポッテルの肖像」。一見なんの変哲もない肖像画だが、画面の右上に打ち込まれた釘が浮き出て見える。トロンプルイユ(だまし絵)を得意にしたというこの画家の署名代わりなのだろうか。思わず微笑んでしまった。
(2016.3.22.森アーツセンターギャラリー)

各作品の画像
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高関健/東京シティ・フィル

2016年03月19日 | 音楽
 高関健が指揮する東京シティ・フィルの3月定期はドヴォルジャークの「レクイエム」。わたしの大好きな曲だが、意外に実演では聴く機会が少ないので、楽しみにしていた。

 総体的に第1部(第1曲「レクイエム・エテルナム」~第8曲「ラクリモーザ」)よりも、第2部(第9曲「オッフェルトリウム」~第13曲「アニュス・デイ」)のほうが充実した演奏が続いた。演奏への没入。確信をもった演奏が繰り広げられた。

 第9曲「オッフェルトリウム」の後半のフーガが見事だった。音楽の歓びが爆発するようだった。わたしは久しぶりに音楽の原点に戻ったような気がした。音楽とは抽象的な音の構成ではなく、人生の喜びや悲しみ、あるいは不安や苦しみに共振し、そばに寄り添うものだと思った。だれでも分かっているそんなことを、(じつは仕事上でちょっとしたことがあったので)あらためて想い出した。

 独唱はソプラノ中江早希、メゾ・ソプラノ相田麻純、テノール山本耕平、バリトン大沼徹という若手4人だった。いずれ劣らぬ個性を持った人たち。中でもわたしは相田麻純に注目した。芯のある声と、宗教音楽にふさわしい厳しい歌い方を持っていた。

 合唱は東京シティ・フィル・コーア。欲を言えばきりがないが、ともかくこの大曲を歌いきったことは大健闘だ。

 全体としては、高関健の力量が光った演奏だ。とくに(繰り返しになるが)第2部に入ってからの充実した流れは、高関健のリードの賜物だ。オーケストラについて言えば、東京シティ・フィルの持ち前の熱い演奏が、(その熱さが少しも損なわれることなく)高関健によってまとめられ、明快に方向づけられていた。

 東京シティ・フィルは2015年4月に高関健体制になって1年がたった。こう言ってはなんだが、前任者との3年間が空白の3年間だったような気がするほど、多彩なプログラムで演奏活動を続けている。来季のプログラムもベルリオーズの劇的物語「ファウストの劫罰」など変化に富んでいる。

 なお(チラシに書いてあったが)このドヴォルジャークの「レクイエム」は、東日本大震災から5年を意識した選曲だった。先日ローター・ツァグロゼク指揮の読響がリヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」を演奏したのも同様の趣旨から。あえて声高には謳わないが、東日本大震災を忘れないでいることが嬉しい。
(2016.3.18.東京オペラシティ)
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ツァグロゼク/読響

2016年03月18日 | 音楽
 ローター・ツァグロゼクは10年ぶりの来日だそうだ。ということは、N響定期を振ったあの時かと思い出す。ベルクのヴァイオリン協奏曲があった。ヴァイオリン独奏の樫本大進もさることながら、オーケストラの流暢な演奏に舌を巻いた。ベルクの音楽がほんとうに身についている演奏だった。

 そのツァグロゼクが読響を指揮した。1曲目はジョージ・ベンジャミン(1960‐)の「ダンス・フィギュアズ」(2004)。9曲の小品からなる約16分の曲。舞台を埋め尽くす大管弦楽のための曲だが、大管弦楽が咆哮することは皆無。様々な組み合わせの楽器群がむしろ薄めのテクスチュアを織る。

 第6曲“Hammers”だったと思うが、特徴的なリズムの動きが続いた。まるで音の粒子が飛び散るようだった。作曲者ベンジャミンの新鮮な感覚の表れだと思った。

 ベンジャミンは、現代イギリスの作曲家の中では、トーマス・アデス(1971‐)と並んでメジャーなオペラ・ハウスやオーケストラ、あるいは音楽祭でその名を見るが、作品を聴くのは初めてだった。ダンスのための作品だという本作だけで、ベンジャミンを云々することはできないが、ベンジャミンに触れることができただけでもよかった。

 ベンジャミンは2003年の武満徹作曲賞の審査員を務めたので、その時にはベンジャミンの作品も演奏されたのだろう。残念ながら、当時わたしは仕事が現役の真最中で、まったく余裕がなく、武満徹作曲賞までアンテナが延びていなかった。現役を退いた今になってやっと挽回を図っている気がする。

 2曲目はコダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」。この曲を生で聴くのは何年ぶりだろう。いや、何年ぶりなどではない、何十年ぶりだろう。それほどご無沙汰だった。演奏は切れのよいもの。わたしの気のせいかもしれないが、第5曲の“間奏曲”(例のツィンバロムが大活躍する曲)で、冒頭のテンポよりも、途中から(大雑把な言い方で申し訳ないが)テンポを微妙に落として、音価を引き延ばしているように感じた。その効果が抜群だった気がする。

 3曲目はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。仮にベートーヴェンのスコアを無数の音符の図像と捉えて、その視覚イメージを音にしたらこうなるのではないか、というような演奏。粒のそろった音が果てしなく続く。正直にいうと、いつまでたっても変わらない風景のようでもあったが。
(2016.3.17.サントリーホール)
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気仙沼と、東日本大震災の記憶

2016年03月14日 | 身辺雑記
 東日本大震災から5年。その日をどう過ごそうかと、かなり前から考えていた。3月11日は仕事だが、12日~13日の週末は空いているので、被災地に行こうと思った。さて、どこに行くか。思案の末に、2年前に一度行ったことのある気仙沼にした。

 港周辺の土盛りはやっと始まったばかり。壊れたビルはまだそのまま。プレハブ造りの復興市場も相変わらず。2年という歳月は復興のためには短すぎるのだろう。

 12日は港からフェリーで30分の大島に渡った。穏やかな天気。海も静かだ。島に着くと椿の花が咲いていた。濃い紅色。空気がおいしい。宿は2年前と同じところをとった。2年前には、夕食後、被災者の話を聞く催しがあったが、今回はなくなっていた。

 翌日は朝食後、フェリーで戻って、リアス・アーク美術館を訪れた。前回は陸前高田の「奇跡の一本松」まで足をのばしたので、時間が足りなくて行けなかった。

 リアス・アーク美術館は高台に建っているので、津波の被害は受けなかったが、施設が被災し、1年半休館したそうだ。その後、部分開館を経て、2013年4月から全面開館して現在に至っている。

 施設は休館したが、学芸員は大震災直後から記録活動を始めた。撮影した写真は約3万点。収集した被災物(学芸員は‘ガレキ’ではなく‘被災物’と呼んでいる)は約250点。それらの資料を2013年4月の全面開館の時から「東日本大震災の記録と津波の災害史」として常設展示している。

 その展示がユニークだ。写真の一枚一枚に「撮影者のコメント」が添えられている。その写真を撮ったとき、なにを感じたか。それが語られている。また被災物には学芸員が創作した「物語」が添えられている。そのことによって、それらの被災物が、失われてしまった生活の記憶をとどめていることが理解される。またこれらの記録活動から抽出した思想を「キーワードパネル」として掲示している。自然と人間との関係を考える上で、示唆に富む思想だ。

 学芸員のそれらの短文のすべてには、研ぎ澄まされた感性が感じられる。あの時、あの場にいた人でなければ書けない文章だと思う。

 現在、同展の展示物の一部が、東京の目黒区美術館で展示されている。「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展。リアス・アーク美術館の展示内容を体感することができる。
(2016.3.5.目黒区美術館)
(2016.3.13.リアス・アーク美術館)

リアス・アーク美術館
※※「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展
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サロメ

2016年03月10日 | 音楽
 世評高い「イェヌーファ」は、わたしには疑問と不安があるので(ベルリン・ドイツ・オペラの引っ越し公演のようなものをやることにどんな意味があるのかという疑問と、自主制作の体力が弱っている証拠ではないかという不安なのだが)、今度の「サロメ」で溜飲を下げる想いがした。

 サロメ役のカミッラ・ニールント、ヘロデ役のクリスティアン・フランツ、ヨハナーン役のグリア・グリムスレイの3人の歌手が強力だ。パワフルで、かつ重量級。この3人が集まればワーグナーの大抵のオペラはやれるだろうと思った。

 カミッラ・ニールントとクリスティアン・フランツはお馴染みだが、グリア・グリムスレイは初めてだった。古井戸から出てくるヨハナーンの第一声、新国立劇場の大空間に轟きわたるその声に息をのんだ。強靭な声とかなんとか、そんな月並みな表現を超えた声。端的にいって、ものが違うと思った。しかもシャープな歌唱だ。

 急遽ピンチヒッターに立ったヘロディアス役のハンナ・シュヴァルツ(「イェヌーファ」のブリヤ家の女主人役とこのヘロディアス役を連日交互に歌っている)、ナラボート役の望月哲也、小姓役の加納悦子の3人を加えた声楽陣が、密度の濃い歌唱を繰り広げた。

 指揮のダン・エッティンガーも濃厚な演奏を展開した。オーケストラ(東京交響楽団)をよく鳴らし、かつ締まりに欠けることもなかった。部分的に大きくテンポを落とす傾向も、今回はなかった。

 アウグスト・エファーディングのこの演出は、わたしは2度目だが、忘れていたことがあった。幕切れ近く、ヨハナーンの首を持って陶酔したように歌い続けるサロメから遠く離れた所で、小姓が膝を抱えてしゃがみこみ、放心したように虚空を見つめている。やがてヘロデが「あの女(サロメ)を殺せ!」と命じる。2人の兵士がサロメの両脇を押さえる。そのとき小姓が背後に回り、サロメの背中を刺した。自殺したナラボートに同性愛的な感情を抱いていた小姓は、サロメに復讐したのだ。

 このプロダクションは、プログラムには「2000年4月11日新国立劇場プレミエ」と書いてあるが、ちょっとひっかかるものがある。エファーディングはその1年前の1999年1月26日に亡くなっているからだ。演出プランが残っていたのだろうか。それとも(大道具、小道具、衣装はバイエルン州立歌劇場の製作なので)実質的にはレンタルに近いのだろうか。
(2016.3.9.新国立劇場)
コメント (2)
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アーノンクール逝去

2016年03月07日 | 音楽
 我が家にはテレビがないので、情報はもっぱら新聞とラジオに頼っているが、今朝、新聞を開くと、アーノンクールの訃報が載っていた。こういってはなんだが、そんなに驚かなかった。8時のNHKのニュースが始まった。いつものように殺人とかなんとか、どうでもいいニュースだろうと思っていたら、トップニュースでアーノンクールの逝去が告げられた。これには驚いた。アーノンクールが今の日本の社会でそれほど重みのある存在になっているとは思わなかった。

 アーノンクールは、キャリアの後半ではベルリン・フィルやウィーン・フィルを振る大家になったが、わたしの中ではウィーンの異端児だった頃のイメージが強烈だ。ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを結成して、バロック音楽を盛んに録音していた。

 ヴィヴァルディの「四季」の録音に驚愕した。イ・ムジチ合奏団の、滑らかな、澄みきった青空のような、品のいい演奏とは正反対の、尖った、軋むような、挑みかかるような演奏だった。ものすごく面白かった。音楽的な質の高さも感じた。真正な音楽がどこかにあった。

 アーノンクールはやがてモダン・オーケストラを振るようになった。アムステルダムのコンセルトヘボウ管を振ったモーツァルトのレコードを買った。鋭いアクセントがいかにもアーノンクールらしかった。そのときも真正な音楽を感じた。

 アーノンクールはチューリヒ歌劇場の常連になって、モーツァルトやモンテヴェルディを振っていた。ぜひ聴いてみたいと思った。でも、結局は行けなかった。あの頃のアーノンクールを聴いていたら――。今振り返ると残念だ。

 大家になってからのアーノンクールでは、ブルックナーの交響曲第9番の未完の第4楽章のフラグメント(断片的な草稿)を録音したCDが忘れられない。‘尖った’などという言葉を通り越す激烈なブルックナー。ブルックナーのイメージを打ち砕く録音だった。

 結局、実演では一度も聴けなかった。ウィーン・フィルを率いて来日したこともあったが、わたしは行かなかった。実演は聴けなかったが、録音だけでも、アーノンクールは鮮烈な印象を残した。そんな指揮者は、現役指揮者ではアーノンクールしかいない。

 アーノンクールが主宰するグラーツのシティリアルテ音楽祭で、ガーシュインの「ポーギーとベス」がプログラムに載ったことがある。わたしの大好きなオペラをアーノンクールが振る――。あれだけは聴きたかった。
コメント (7)
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大野和士/都響

2016年03月06日 | 音楽
 大野和士指揮都響の日本人作曲家の作品の演奏会。1曲目は武満徹の「ウィンター」(1971年)。この曲を実演で聴くのは初めてかもしれない。チャンス・オペレーション(偶然性)の書法がこんなに取り入れられていたのかと初めて気付いた次第。

 武満徹の作曲活動を前半の「前衛の時代」と後半の「武満トーンの時代」に分けるとすれば、本作は「前衛の時代」の終盤に属する。1972年の札幌オリンピックのための機会音楽だが、機会音楽といって済ませるべき音楽ではなく、作曲活動の軌跡にしっかり根を下ろした作品だ。

 大野和士指揮の都響の演奏は美しい音色だった。静謐な時間が過ぎていった。静謐さを乱すなにものもなかった。前述の分類でいえば、「武満トーンの時代」から振りかえったこの曲の解釈だったといえるかもしれない。

 2曲目は柴田南雄の「遊楽no.54」(1977年)。都響の第100回定期演奏会のために書かれた曲だそうだ。曲の途中でピッコロ2人が祭囃子のような音型を吹く。すると他のパートも即興的な音型を奏し始める。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの各奏者は立ちあがり、自由に歩き回りながら、自由な音型を弾く。舞台はカオスのような状態になる。

 これまた大雑把な分類だが、柴田南雄の作曲活動を「前衛の時代」と晩年の「民族音楽的シアターピースの時代」に分けるとするなら、本作は「民族音楽的シアターピースの時代」に属する。理論家肌の柴田南雄がなぜ‘民族音楽的’シアターピースに傾斜したのか、興味深いところだ。

 大野和士指揮の都響はそのパフォーマンスを楽しんでいるように見えた。わたしたち聴衆も楽しんだ。祭囃子の楽しさ。日本人のDNAに深く刻み込まれた民族性。もしかすると柴田南雄はそこまで見極めていたのかもしれない。

 3曲目は池辺晋一郎の「交響曲第9番」。2013年9月の初演(下野竜也指揮東京交響楽団、幸田浩子と宮本益光の独唱)は聴きそこなったので、今回が初めて。独唱2人は初演時と同じ。

 長田弘の詩をテクストに用いている。だれにでも分かる平易な詩。しかもその詩は深い余韻を残す。そのような詩がこの音楽の性格を決定づけている。透明感のある薄いオーケストレーション。親しみやすい音楽。第9楽章(最終楽章)でホルンが語る「幸福とは何だと思うか?」という音型は、池辺晋一郎版「答えのない質問」だろうか。
(2016.3.5.東京芸術劇場)
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広上淳一/日本フィル

2016年03月05日 | 音楽
 日本フィルの現代日本作曲家への作品委嘱シリーズ「日本フィル・シリーズ」の新作が初演された。尾高惇忠(おたか・あつただ)のピアノ協奏曲。ピアノは野田清隆。指揮は広上淳一。

 全3楽章。演奏時間は約30分。堂々たるピアノ協奏曲だ。どっしりした重みがある。構えも大きい。第1楽章は山あり谷ありの起伏の大きい音楽。第2楽章はクラリネット・ソロとピアノとの対話で始まる緩徐楽章。終盤のカデンツァが美しい。第3楽章は変拍子のスリル溢れる音楽。手に汗握って聴いているうちに終結部まで持っていかれた。

 バルトークとかなんとかのピアノ協奏曲よりも、矢代秋雄のピアノ協奏曲とのつながりを想った。矢代秋雄に遡る伝統。伝統とはこうして作られるのかと、伝統が形作られる現場にリアルタイムで立ち会っているような気分になった。

 野田清隆のピアノが瑞々しい。この曲を完璧に把握している。そんなふうに感じた。野田清隆は尾高惇忠のピアノ・ソナタも初演したそうだ。この作曲家の音楽語法をよく理解しているのだろう。広上淳一も完璧にこの曲を把握していたと思う。広上淳一は尾高惇忠のもとで作曲とピアノを学んだそうだ。師弟の関係。そういう人々の手で世に出たこの曲は幸せだ。

 本作は「日本フィル・シリーズ」の第41作。プログラムには第1作の矢代秋雄の「交響曲」(1958年)からそのすべての作品のリストが掲載された。今では日本の作曲の歴史の中で名作としての評価を得た作品も多い。下野竜也や山田和樹が再演、再々演を継続しているが、まだまだ取り上げてほしい作品がある。そんな想いを強くした。

 当夜の演奏会はシューベルトの「未完成」交響曲で始まった。尾高惇忠のピアノ協奏曲は2曲目。その「未完成」も好演だった。冒頭の低弦のモチーフからして幽玄。第1楽章を通して憂愁の情感漂う演奏。第2楽章はアンダンテの心地よいテンポで進んだ。中間部の激情溢れる演奏にも瞠目した。

 3曲目はベートーヴェンの「運命」。これも好演だった。特別変わったことをするわけではなく、オーソドックスな演奏なのだが、個々のフレーズはニュアンス豊かで、アンサンブルも整っている。揺るぎない精神の充実に支えられた演奏だった。

 全般的に広上淳一と日本フィルとの信頼関係が感じられた。一朝一夕には築けない信頼関係。その信頼関係の深まりが感じられた。
(2016.3.4.サントリーホール)
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イェヌーファ

2016年03月03日 | 音楽
 新国立劇場の「イェヌーファ」を観た。タイトルロールのミヒャエラ・カウネ、コステルニチカのジェニファー・ラーモア、ラツァのヴィル・ハルトマンの主要歌手3人はきわめて高水準。万全の布陣だ。プロフィールによると、これら3人はベルリン・ドイツ・オペラの公演でも歌ったそうだ。

 クリストフ・ロイの演出、ディルク・ベッカーの美術、その他、衣装も照明も振付も、すべてベルリン・ドイツ・オペラからのレンタル。最近、新国立劇場の公演は海外からのレンタルが目立つが、これもその一つ。

 たしかに優れたプロダクションだ。十分吟味して選んだろうから、むしろ当然だ。当たり外れがあるわけがない。でも、正直にいうと、こういった‘擬似’引っ越し公演のようなものにどれだけ意味があるのだろうかという気もした。

 本来、劇場にはオペラへの‘愛’が必要ではないか。オペラに対する溢れるばかりの愛(=情熱)がなければ、劇場は詰まらないものになってしまうと思う。その意味でレンタルというのはどんなものだろう。たまにはいいかもしれないが、最近の新国立劇場はレンタルに頼っている感じがする。

 そんな複雑な気持ちを抱えて「イェヌーファ」を観た。前述のとおり主要歌手3人は申し分ない。ロイの演出も分かりやすい。トマーシュ・ハヌスの指揮もきめ細かい。総体的に完成度が高い公演。きれいに剪定された庭木を見るような気がした。

 でも、生々しい人間のドラマは感じられなかった。第2幕で深まるはずのコステルニチカの苦悩も、ラツァの動揺も、イェヌーファの絶望も、生々しさに欠け、表面的なものに止まっていた。第3幕でイェヌーファを追い詰める村人たちの怒りも切迫感に欠けた。なので、そんな村人たちを押し止めるラツァの一声も、妙に空回りしていた。

 どうしてこうなるのだろう。ベルリンでの公演もそうだったとは、ちょっと考えられない。彼の地では、もっと生々しい情熱が渦巻いていたのではないだろうか。レンタル云々とは別問題だが、そんなことも考えさせられた。

 話を元に戻して、レンタルには劇場側の予算の問題があるのかもしれない。やりたくてやっているわけではないだろうと思う。でも、予算を抑えてレンタルに頼るか、低予算でも頭を使ってアッと驚く公演をやるか。わたしは後者に与したい。そんな公演を作り上げる人々が集まる劇場になってほしい。
(2016.3.2.新国立劇場)
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