Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

サン・ジミニャーノ

2008年12月29日 | 身辺雑記
 先日、近くのスーパーのワイン売り場をのぞいていたら、サン・ジミニャーノという文字が眼に入りました。サン・ジミニャーノとはイタリアのトスカーナ地方の町の名前です。これは懐かしい!ということで、一本買ってきました。ワインの名前はヴェルナッチャ。飲んでみると、のどごしがいい上品な白ワインでした。

 もう何年も前ですが、年末年始の休みを利用して、サン・ジミニャーノに行ったことがあります。ミラノから汽車でフィレンツェに行き、そこからバスで入りました。
 この町は、当時、ある新聞に連載されていたイタリア紀行のコラムで知りました。あの頃はヨーロッパの田舎に滞在するのが楽しくて、あちこち訪ねたものです。
 サン・ジミニャーノは、中世の面影を色濃くのこす町でした。昔の建物をそのまま使ったホテルに泊まって、朝、だれもいない薄暗い食堂でパンとコーヒーの簡素な食事をとったときの光景を覚えています。窓の外には深い朝靄のかかった丘陵が広がり、ロマンチックな気分になりました。
 今ではこの町は世界遺産に登録されているそうで、月日の移り変わりを感じます。

 大晦日にはバスでフィレンツェに戻り、汽車でスイスのルガノに行きました。着いたときにはもう夕方。暖かかったサン・ジミニャーノとはちがって、冷たい雨が降っていました。ホテルの近くの食料品店で夕食とワインを買い込んで年を越しました。
 翌朝、眼がさめたら、外は雪で一面真っ白でした。

 こんな年越しもありました。
 みなさんは、いかがお過ごしですか。
 では、良いお年を。
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今年のベスト3

2008年12月24日 | 音楽
 今年もそろそろ終わりになってきた。社会ではいろいろ気の重い出来事があったが、ここでは音楽にかぎって、この一年を振り返りたい。今年も多くの演奏会やオペラに行くことができた。感謝の思いをこめて、今年のベスト3を。

 実は、今年のベストワンは、かなり早い時期に決まった。新国立劇場が日本初演したツィンマーマンのオペラ「軍人たち」だ(05.10.新国立劇場)。巨大な不協和音、跳躍する音程、騒音、ジャズ・コンボ、拡声器、その他ありとあらゆる音から、透徹した音楽の結晶があらわれた。戦後のドイツの作曲界で軋轢を生じ、孤立する中で自殺したツィンマーマンが、ドイツやオランダに引き続き、日本でも蘇ったと感じた。
 この公演は指揮者の若杉弘さんの強い意志で実現したと聞く。私は最大限の感謝をささげる。今は体調を崩されているようだが、日本の音楽界にとって大事な人、無事回復を祈る。

 あとのふたつは、外来の公演をどう扱うかで異なってくるが、私の主なフィールドは日本人の演奏家にあるので、ここではそれに絞ることにしたい。

 そこで、ひとつはアルミンクの指揮した新日本フィルによるブリテンの「戦争レクイエム」(03.09.すみだトリフォニーホール)。東京の下町を焼きつくした東京大空襲の犠牲者のための特別演奏会だ。抑制されたスタイリッシュな演奏がブリテンの音楽と共振して、隙のない造形をきかせた。曲の末尾の弔いの鐘が静かに消えていったとき、私は演奏会をきいたという以上に、戦争犠牲者の追悼の行為に参加したと感じた。

 もうひとつは札幌交響楽団が尾高忠明の指揮により演奏会形式で上演したブリテンのオペラ「ピーター・グライムズ」(09.19.札幌コンサートホール)。一部の歌手の英語の発音に不満を感じたが、演奏に参加したすべての人の真摯さがそれを上回った。ブリテンの音楽を一画一画ゆるがせにせず、ていねいに音にした努力に心からの敬意を表する。

 以上のほかに、ペーター・コンヴィチュニー演出のヴェルディのオペラ「アイーダ」があった(04.17.オーチャードホール)。室内劇のような緊密な舞台をつくりあげ、戦争の虚しさを色濃くにじませた。ときどき大規模なスペクタクルとして演出されるこのオペラの本質を問い直すもので、コンヴィチュニーの演出の中でもとくに優れたものの一つだと思う。

 番外として外来公演をあげておくと、パリ国立オペラによるデュカスのオペラ「アリアーヌと青ひげ」(07.26.オーチャードホール)と、ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルによるロッシーニのオペラ「マホメット2世」(11.23.オーチャードホール)が、とくにインパクトが強かった。ともにヨーロッパでもめったに上演されない作品であるが、きわめて優れた演奏でその真価を明らかにし、私の視野を広げてくれた。

 思えば今年もよい年だった。
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ソウル・オペラ「魔笛」

2008年12月20日 | 音楽
 南アフリカのプロダクションによるモーツァルトのオペラ「魔笛」が来日公演中だ。題してソウル・オペラ。宣伝文句によると、モーツァルトの音楽がゴスペル、ソウル、ジャズ、伝統歌唱、ブラック・ミュージックなどに生まれ変わるとのこと。なんだか気になって、出かけてみた。

 会場に入ると、舞台は南アフリカのどこかの街の黒人居住区の路地裏のよう。薄汚れた鉄板の塀が三方を囲み、仮設の足場が組まれている。出演者たちがぶらぶらと舞台に出てきて、談笑したり、ふざけたりしている。そのうち客席の照明が落とされ、いつの間にか舞台が空っぽになったと思ったら、一人の男が出てきて指揮を始めた。両端に並んだいくつかのマリンバが「魔笛」の序曲を演奏する。いくぶんハスキーで柔らかく、けっして刺激的にならない音の泡立ちから、モーツァルトの音楽が立ち上がる。
 オーケストラはこれらのマリンバとドラム缶などの打楽器だけ。それでなんの不足も感じない。
 音楽は、モーツァルトをなぞりながら、いつしかゴスペルなどの黒人音楽に逸脱していく。その推移に生気があふれる。
 チラシやホームページに載っているサイモン・ラトル(ベルリン・フィル首席指揮者)の言葉のとおり、たしかにモーツァルトがこの舞台をみたら、狂喜するにちがいないと思った。

 演出はマーク・ドーンフォード=メイという南アフリカ在住のイギリス人。原作を基礎としつつも、セリフを大幅に切り詰めて、スピーディーな展開になっていた。
 面白かったのは、第2幕で沈黙の試練と火の試練を無事に乗り越えたタミーノとパミーナが、最後の水の試練に臨んだところ、2人とも気を失って助け出されるという演出。パミーナが先に気を取り戻して、まだ気絶しているタミーノを介抱し、やっとタミーノも息を吹き返して目出度し目出度し。私は笑ってしまった。なかなか人間らしくていいではないか。

 第2幕で夜の女王がパミーナにナイフを渡して、ザラストロを殺害しろと迫る場面がある。これは台本どおりの展開だが、私は今回、妙に生々しいものを感じた。これはテロの教唆ではないか‥。今までは意識していなかったが。
 南アフリカは、アパルトヘイトが廃止されたとはいえ、犯罪が多発し、世情は安定していないようだ。おそらく白人対黒人という関係だけではなく、黒人の間でも複雑な種族間の関係があるのではないか。私には、ナイフを渡す場面は、白人との共存をさぐるザラストロ一派に対して、対立関係にある夜の女王一派がテロをしかけたというようにみえた。そして、最後に夜の女王が滅ぼされる場面では、平和共存の含意を感じた。
 幕切れのフィナーレの合唱は、すぐに躍動的なアフリカの伝統歌唱と踊りになり、私の心も舞台に合わせて踊った。
(2008.12.19.東京国際フォーラム)
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幼な子イエスにそそぐ‥

2008年12月18日 | 音楽
 フランスのピアニスト、ロジェ・ムラロがメシアンの「幼な子イエスにそそぐ20の眼差し」を演奏した。同曲は去る10月に児玉桃もひいたが、残念ながらきけなかったので、期待して出かけた。

 第1曲の「父の眼差し」が始まると、低音の深々とした、柔らかい音響に驚いた。たとえて言うなら、濃い霧がゆっくりと地面の上をたゆたっているような趣だ。今まできいてきた父なる神の厳かな重さとは異なる空間が広がった。
 第3曲の「交わり」では、低音の力強い打鍵に圧倒された。神が人間の身体に入り込むときの暴力的な瞬間を垣間見るような思いがした、と言ったらよいだろうか。ムラロの腕が普通よりも長く見えた。
 以下、最後の第20曲にいたるまで、その演奏は幅広い多彩なタッチを交錯させながら、息つく暇もない目覚しい展開を見せた。誤解を恐れずに言えば、私はショパンの「24の前奏曲」をきいているような錯覚に陥った。

 21世紀に入った今、メシアンにかんする演奏の進化が始まっていると思う。メシアンは今後、さらに多様な演奏が出現し、普通のレパートリーになっていくのではないか。ちょうど20世紀後半にストラヴィンスキーやマーラーがたどった道のように。
 反面、私は反省もした。演奏の面白さに気をとられて、この曲のもつ宗教的な感情を受け止めることがおろそかになったのだ。途中で何度も自分を引き戻そうと思ったが、ついつい音色の変化に興味が向かった。

 全部で20曲からなるこの曲をきいて、私は奇妙なことに気がついた。動的な曲と静的な曲が、ある一定の法則にもとづいて出てくるのではないかと。
 第1部の第1曲から第10曲までの配列は、動的な曲を◇、静的な曲を○で表示すると、○‐○‐◇‐○‐○‐◇‐○‐(○)‐○‐◇となる。第8曲を(○)で示したのは、この曲が鳥たちの世界をえがいて音の動きは細かいのだが、精神的な性格は静的だと思うからだ。
 第2部の第11曲から第20曲までの配列は、○‐◇‐◇‐◇‐○‐◇‐◇‐◇‐○‐◇となる。
 これで見るように、第1部は、静的な曲が基調になって、動的な曲が一定の周期で出現するが、第2部は逆になっている。このことによって、一夜のコンサートが後半にかけて盛り上がる。また全体では静的な曲も動的な曲も10曲ずつで、バランスがとれている。以上のような構成により、この曲を通したリズムが生まれるのだ。

 従来、この曲がいつ作曲されたかは、必ずしも特定されていなかったが、当日のプログラムに載った藤田茂氏の解説によると、1943年末にフランス国営ラジオ放送から依頼され、翌年3月頃に作曲していったものだという。
 そうだとすると、当時のパリはまだドイツの占領下にあったわけだが(パリの解放はその年の8月だ)、この曲には戦争の影がまるでない。イエスの生誕をえがいているのだから当たり前と言えばそれまでだが、私はこの曲の音楽の陰に、当時メシアンの生徒だったイヴォンヌ・ロリオの存在を感じる。彼女は、ピアノの技術の卓越性ということ以上に、ミューズ(詩神)だったのだ。名曲の誕生に当たって、ミューズの存在はときどきある。
(2008.12.16.トッパンホール)
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読響の12月定期

2008年12月16日 | 音楽
 読響の12月定期は、広上淳一を指揮者に迎えて、次のようなプログラムが組まれた。
(1)ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲(ヴァイオリン:ルノー・カプソン、チェロ:ゴーティエ・カプソン)
(2)ブラームス(シェーンベルク編曲):ピアノ四重奏曲第1番(管弦楽版)

 二重協奏曲はブラームスの晩年の作品で、オーケストラ曲としては最後の作品だ。ブラームスはこの後、まだ室内楽の傑作をかく仕事が残されているが、オーケストラ曲にはもう戻らなかった。また、シェーンベルクの編曲は、第二次世界大戦の勃発をうけて、アメリカに渡った後の仕事だ。すでに主要な作品はかきあげていて、この後はピアノ協奏曲などわずかの作品しかかかなかった。
 つまり、2曲とも、ブラームス、シェーンベルクそれぞれのオーケストラ書法の最後の時期のものだ。実に渋いプログラムで、期待値は高まった。

 二重協奏曲はカプソン兄弟の艶やかな音色が印象に残った。オーケストラも明るい音色だった。弦が第一ヴァイオリンから順に12‐10‐8‐6‐4の編成で、第一ヴァイオリンがコントラバスの3倍あることも影響している。全体的に色彩感の豊かな華やぎのある演奏で、これが晩年のブラームスだろうかと思ったが、よく考えてみると、この曲をかいたときのブラームスは54歳、ふつうならまだ若いのだ。

 シェーンベルクのこの編曲は、いつきいても衝撃的だ。ブラームスの室内楽が巨大なオーケストラに変貌していることはもちろんだが、さらに、たとえば第2楽章以降の木琴の使用など、ブラームスでは考えられないオーケストレーションになっている。いってみれば、第1楽章、第2楽章と楽章を追うにしたがって、ブラームスの下地からオペラ「モーゼとアロン」をかいたシェーンベルクが顔を出す。
 広上淳一は全身を駆使して、この曲を極限まで大きな振幅で表現した。私をふくめた聴衆は、指揮者の百戦錬磨の手腕とオーケストラの優秀さに盛んな拍手をおくった。

 けれども、会場を出て、帰路につきながら、2曲とも楽天的だったかなと思った。
 ブラームスは、不器用な性格で、とくに晩年は友人との不和に苦しむことが何度かあった。二重協奏曲は、長年の盟友ヨアヒムとの仲たがいに悩んでいたブラームスが、和解のためにかいた曲だ。
 また、シェーンベルクは、ユダヤ人としての出自のためにナチスに追われ、ヨーロッパを去った。なぜこの編曲をしたかは、シェーンベルク自身が語っているが(「この曲が好きだが、めったに演奏されず、しかも演奏されるときは、ピアノが大きすぎてすべての音がきこえないことがあるから」という趣旨)、私見では、ヨーロッパにたいする郷愁もあったのではないかと思う。
 そういった人生のわだかまりは微塵も感じられず、ともにピカピカに磨かれた演奏だった。
(2008.12.15.サントリーホール)
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玉ねぎの皮をむきながら

2008年12月13日 | 読書
 ドイツの作家ギュンター・グラスの自叙伝「玉ねぎの皮をむきながら」(依岡隆児訳)を読んだ。2006年のドイツ国内での出版前から、少年時代にナチスの武装親衛隊SSに所属していたことを告白していると報道され、物議をかもした本だ。
 戦争が勃発した少年時代から、戦争をくぐり、1959年に小説「ブリキの太鼓」を出版するまでを振り返った本で、マスコミを騒がせた武装親衛隊SSの件はその一部だ。もちろん看過されるべき問題ではないし、第一それはグラス自身にとっても癒すことのできない傷になって残っているが、全般的な読後感としては、赤裸々な過去の告白に圧倒された。

 数多くのエピソードが詰まっているが、とくに印象に残ったものをあげると、
 ナチス思想に染まっていた少年グラスが勤労奉仕隊に所属していたときに、銃を握ることを拒否した同僚(その同僚は、毎日の点呼の都度、「ワタシタチハソンナコトハシマセン」と言って銃を落とした)がいて、グラスの信念に最初のひびが入ったこと。
 戦争末期に故郷のダンツィッヒ(現グダニスク)にロシア軍が侵攻し、父と母と妹の住む家にロシア兵が入ってきたとき、母は妹をかばって自ら辱めをうけたこと。
 全滅した部隊から離れて逃亡していたときに、ある村でロシア兵が隊列を組んで行進して来るのに遭遇し、銃を撃とうと思えば撃てたが、グラスはそうせずに、こっそり立ち去ったこと。

 こういったエピソードが無数に綴られている。その文体は、ときには自分を「彼」と呼びながら、過去を暴こうとする容赦のなさがある。それが私には驚異だった。ふつう、人は言い訳をするものだ。

 意外なことだが、人生でほんとうに大事な思い出は、10本の指があれば足りるくらいのものではないか。それらの思い出が今の自分を形成している。グラスはそれを語った。
 では、私はできるだろうか。今はできないと認めざるを得ない。でも、いつかはできるだろうか。他人にたいして語るかどうかは別にして、自分にたいして語ることはできるだろうか。そのとき私は、自分をかばわないだろうか。

 この本を読んでいる間、私はドイツ男の体臭を身近に感じていた。無愛想で、他人にたいして無頓着で、自分にこだわる男、私はそのような男が嫌いではない。けれども安易な共感はできない。いや、むしろ、相手から拒絶されている。
 グラスは私と近い存在ではない。グラスを考えることは、必ずしも私を考えることにはならない。けれども、ここで暴かれたグラスという男は、無視できる存在ではない。ここで語られた過去は、私の過去を対置する。
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ドン・ジョヴァンニ

2008年12月10日 | 音楽
 新国立劇場のオペラ部門が現体制になってから、足が遠のいてしまったが、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の新制作なので行ってきた。初台の駅のホームを歩きながら、いつ以来だろうかと考えた。5月の「軍人たち」以来だ。

 タイトル・ロールはルチオ・ガッロ。さすがにベテランらしい安定感があり、姿かたちもよくて合格点だ。従者レポレッロはアンドレア・コンチェッティという人で、指揮者と呼吸が合わないのか、ときどき歌い切れていなかった。ドンナ・アンナのエレーナ・モシュクとドンナ・エルヴィーラのアガ・ミコライは、声はいいのだが抑揚が大きくて、様式的に違和感があった。ドン・オッターヴィオはホアン・ホセ・ロペラという人で、ただ甘いだけでなく、芯のある歌唱をきかせた。以上が外国勢で、あとは日本人歌手、それぞれ頑張った。
 指揮はコンスタンティン・トリンクスという若手で、冒頭はフレーズを短く切ったピリオド奏法の援用かと思ったが、だんだん普通の演奏になり、全般的に単調さが否めず、次第に興味を失った。

 演出はグリシャ・アサガロフ。実績のあるベテランだが、観客すべての思いのこもったこのオペラの演出としては、中途半端に終わった。ドンナ・アンナのドン・ジョヴァンニにたいする心情、ドンナ・エルヴィーラの深みのある人間性、ツェルリーナのキャラクターの解釈など、観客は皆自分の思いをもっている。それにたいして演出家は、自分の解釈をぶつけるか、演劇的に細かく構築するか、様式美に徹するか、いずれにしても何かに徹底しなければ成功しない。
 もしかすると、今の日本ではできなかったのかもしれない。たとえば第2幕の終盤でドンナ・エルヴィーラが改悛をもとめて訪れたとき、ドン・ジョヴァンニは追い返すが、そのときドン・ジョヴァンニはドンナ・エルヴィーラを犯すような動作をした。もしあれがヨーロッパだったら、もっと大胆な演技になったのではないか。演出家による自主規制だったのか、あるいは劇場側の要請だったのかは分からないが、ほのめかすだけ。そのため意味が希薄で、人間のもつエロスの業が出てこなかった。

 美術と衣装はルイジ・ペーレゴという人。アサガロフのアイディアのようだが、舞台をヴェネチアに置き換えて、第1幕のフィナーレの夜会では、村人たち全員に仮面をつけさせ、ヴェネチアのカーニヴァルのような怪しい雰囲気をつくっていた。ただ、色づかいが雑多で、ドン・ジョヴァンニの衣装の濃い紫色で統一したほうがよいのではないかと思った。

 新国立劇場はオープン以来11年目だが、いまだにウィーン、ミュンヘン、ベルリン、パリ、ミラノ、ニューヨークなどの劇場と肩を並べる存在にならないのは何故なのだろう。
(2008.12.09.新国立劇場)
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ユダス・マカベウス

2008年12月08日 | 音楽
 来年はヘンデルの没後250年に当たるので、今からいくつかの企画が進行中だ。その一つの東京オペラシティ+バッハ・コレギウム・ジャパンによる「2007→2009ヘンデル・プロジェクト」の一環として、昨日、オラトリオ「ユダス・マカベウス」が演奏された。ヴィヴラートをつけない声と楽器による澄んだハーモニーに身を浸しながら、私はこの時間がいつまでも続いてほしいと思った。

 ヘンデルはロンドンに出てオペラで成功し、やがて人気が凋落すると、オラトリオに転進した。そうやって興行収入で生活した人だ。あらためて考えると、この時代には珍しい先駆的な生き方の人だった。ロンドンという街がそうだったと言ってしまえばそれまでだが、同時代のバッハは言わずもがな、曾孫くらいに当るモーツァルトやベートーヴェンと比べても近代的だ。
 そのことにより私たちには、オペラとオラトリオの両分野で、豊かな量の作品が残された。私たちはそれを感謝しなければならない。

 ヘンデルのオペラは、A-B-Aのダカーポ・アリアの連続だが、一見単純にみえるその音楽が、じっくりきくと、実は変化に富む音楽だと分かってくる。表面的には単純だからこそ、少しの変化が重要な意味をもってくるのだ。
 オラトリオになると合唱の比重が高まり、音楽はさらに陰影を増してくる。「メサイア」のハレルヤ・コーラスが代表的だが、抜けるような明るさをもつ合唱は、他には類例がない。そのような合唱と独唱の均衡がオラトリオの真髄だ。

 「ユダス・マカベウス」は、旧約聖書の外典を素材にして、ユダヤ民族の自由と宗教を守るために、抑圧に抗して立ち上がるマカベウスのユダの物語だ。2度の戦いとその勝利をえがいた単純な筋書きだが、全部で68曲ある独唱や合唱(数え方によって曲数は異なる)はすべて特徴がある。
 たとえば、2度目の戦いに立ち上がるときの合唱は、雄々しい叫びを上げるAの部分にたいして、ふっと不安になって「もし敗れることがあれば、それは法と信仰と自由のため」と歌うBの部分になると急に影がさす。昨日の演奏では、こういう曲想の変化がよく出ていた。

 指揮者でオルガンおよびチェンバロ奏者の鈴木雅明がバッハ・コレギウム・ジャパンを結成したのは1990年だというから、かれこれ18年たつ。この間の演奏水準の向上は目覚しい。私たちは今、その成果を享受できる幸せを得ている。
 昨日の独唱者は、日本人歌手3人のほかに、マリアンネ・ベアーテ・キーラントというメゾ・ソプラノ歌手が招かれていたが、すばらしいパワーがあった。
(2008.12.07.東京オペラシティ・コンサートホール)
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フラワリング・ツリー

2008年12月07日 | 音楽
 現代アメリカの人気作曲家ジョン・アダムズのオペラ「フラワリング・ツリー*花咲く木」を東京交響楽団が演奏会形式で上演した。指揮は大友直人、3人の独唱者は外国から迎えて(そのうちの2人は2006年の初演メンバー)、合唱は東響コーラス。演出はこのオペラの共同制作者ともいうべきピーター・セラーズ。

 このオペラは2006年のモーツァルト生誕250年記念プロジェクトとして制作された。題材は南インドの民話からとられ、それをジョン・アダムズとピーター・セラーズが台本にしている。貧しい娘クムダと王子との愛の物語で、この2人のほかに語り部が登場して話をすすめる。合唱はギリシャ悲劇のコロスのようにさまざまな役柄を演じる。
 このような構成なので普通のオペラとはちがって、むしろ音楽劇というべきかもしれない。でも、21世紀に入って何年もたった今、いまだに昔のオペラの概念にしがみつくのもどうかという気がする。思い切って、これもオペラだと言ってもいいだろう。

 この作品はモーツァルトの「魔笛」を現代に蘇らせたものと宣伝されているが、それはキャッチコピーのようなものだと割り切ったほうがいいだろう。話の筋も、テーマも、音楽も、モーツァルトとはまったく関係がない。話の筋は、世界中に類例のある素朴な民話だ。テーマは自然環境の破壊と保護が中心だ。音楽は、明るく、明快で、たえず何かが動いているジョン・アダムズ特有のもので、とくにこの作品では実験的なところは影をひそめて、手慣れた書法が前面に出ている。
 ピーター・セラーズの演出は、3人のジャワ舞踊手を登場させ(この3人も2006年の初演メンバー)、クムダの分身、王子の分身、その他のさまざまな役柄の分身を演じさせている。ゆっくりした動きの優美な舞踊は、登場人物の心理の表現にとどまらずに、欧米とアジアのメンタリティのちがいを際立たせて、その先には異文化共存のメッセージが感じられる。

 ピーター・セラーズは、2003年3月に東京交響楽団が演奏会形式で上演した、同じくジョン・アダムズの「エル・ニーニョ」でも演出を担当した。この作品は2000年のミレニアム企画として制作された現代の聖霊降誕の物語だが、その演出はスクリーンに現代アメリカのヒスパニック社会の映像をながし、マイノリティの悲しみを浮かび上がらせていた。
 ジョン・アダムズも社会問題に敏感で、9.11の同時多発テロの犠牲者のために書いた合唱曲On the Transmigration of Souls(魂の転生論)は感動的な現代のレクイエムになっている。2人ともジャーナリスティックな感覚をもちあわせているのだ。

 演奏は、オーケストラ、3人の独唱、合唱、いずれもすぐれていた。とくに合唱は、おそらくアマチュアの人たちなのだろうが、全員暗譜で、甘えのない、一種のきびしさを漂わせた見事なものだった。
 (2008.12.06.サントリーホール)
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ピカソ展

2008年12月05日 | 美術
 国立新美術館とサントリー美術館でピカソ展がひらかれている。ピカソはやっぱり気になる。会期末がせまってくるなか、強引に時間をつくって行ってきた。サントリー美術館は午後8時まで開館しているので助かる。

 ピカソは、周知のように、青の時代、バラ色の時代、キュビスムの時代(これはさらに細分化される)、新古典主義の時代、シュールレアリスムの時代、「ゲルニカ」に代表される戦中の時代、自由な作風の戦後の時代と変遷をたどるが、不思議なことに、どの美術館に行ってもピカソの絵があれば、それがどの時代の作品であれ、すぐに眼に飛び込んでくる。それだけの強さがあるということだろう。
 もっとも、今回私は、これほど変遷が激しいと、画家自ら個々の作風を相対化するように感じた。私たちは、画家を絶対化できずに、自分にとってはどれが意味があるのかを、あるいは、まったく意味がないのかを自問するようになる。

 私の場合は、以前は、深い悲しみに沈んだ青の時代にひかれていた。次に、一時的ではあったが、ブラックときわめて似かよったころのキュビスムの時代にひかれていたこともある。けれども今回は、古代の石像のような量感のある新古典主義の時代が面白かった。私自身も変わるのだ。そして今後も変わるだろう。

 ピカソの画家としての力量は明らかだし、野心もあった。少なくとも第二次世界大戦までの変遷は、成功のための賭けのようにもみえる。ピカソの天才的なところは、その賭けに全勝した点だ。ピカソはビッグネームになった。あり余るほどの名声と金を手に入れた。その軌跡は私にとってどのような意味があるのだろう。

 サントリー美術館の最後の展示作品の「若い画家」の前まで来たとき、私はハッとした。つばの広い帽子をかぶり、手に絵筆をもった少年が、無垢な目でこちらを見ている。しかしその輪郭はかすれていて、今にも消えていくようだ。これは人生にAdieu(さようなら)を言うときの作品ではないかと思った。
 会場を出ながら、私は、あれは魂が肉体から離れていくときに見える幻影なのだろうか、それとも、ピカソが残した絵画の新生の望みだったのだろうかと考えていた。
(2008.12.01.国立新美術館、12.03.サントリー美術館)
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