Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カーチュン・ウォン/日本フィル(横浜定期)

2023年11月26日 | 音楽
 日本フィルの横浜定期は、来日を見送ったラザレフの代わりにカーチュン・ウォンが振った。カーチュンは「ぶらあぼ」の取材に答えて「元首席指揮者であるラザレフの代役を、現首席の自分が引き受けるのは当然のこと」といっている(11月22日)。頼もしい責任感だ。

 プログラムは一部変更になった。1曲目は小山清茂(1914‐2009)の「管弦楽のための木挽唄」(1957)。渡邉暁雄指揮の日本フィルが初演した曲だ。何度か聴いた曲だが、うかつにも小山清茂自身の書いたプログラムノートを知らずにいた。大変参考になるので、以下に要約して引用したい。

 第1楽章はテーマ。木挽職人が山で材木を切りながらうたう唄。第2楽章は盆踊り。木挽職人が仕事を終え、村里に帰ってこの唄をうたうと、その節回しが村中に広まって、ついに盆踊りになる。第3楽章は朝の歌。その唄は都会にまで流行して、そば屋の出前持ちが自転車に乗って口笛を吹く。第4楽章はフィナーレ。民謡のもつ生命力を讃える。

 情景が目に浮かぶようだ。カーチュン指揮の日本フィルの演奏は、第1楽章冒頭のチェロ独奏のテーマから終始一貫クリアーな音像を結ぶ。第4楽章のフィナーレもポジティブなエネルギーに満ちていた。そのフィナーレを聴きながら、いまの作曲家にはこういう曲は書けないと思った。それは時代の差だ。

 2曲目はプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。ピアノ独奏は福間洸太朗。ピアノもオーケストラも、何をやりたいのかはわかるが、表現が十分に練れていない。荒っぽさを残しながら進んでいく。福間洸太朗のアンコールがあった。ハイドンのピアノ・ソナタ第60番から第3楽章アレグロ・モルト。これがものすごくモダンに聴こえた。じつは何かの曲のプロコフィエフの編曲かと思った。

 3曲目はラザレフの元々のプログラムを引き継いで、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。気合が入ったスケールの大きな演奏だ。カーチュン特有の細部へのこだわりが好ましく、また曲全体の大きなラインの描出にも欠けていない。ダイナミックレンジは広いが、弱音がやせていない。加えて1曲目の「木挽歌」もそうだったが、音がクリアーだ。音のエッジのきかせ方によるのだろうが、音がカラフルだ。カーチュン特有の、強調したい音へのテヌートもきいている。総体的にいうと、音に熱がある。日本フィルの音は渡邉暁雄のDNAが残っているのだろうか、寒色系の音で、その音は北欧系の音楽にはむいているが、ドイツ系の音楽にはユニークだ。カーチュンとの共演を重ねると、音のひきだしが増えるかもしれない。
(2023.11.25.横浜みなとみらいホール)
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新国立劇場「シモン・ボッカネグラ」

2023年11月24日 | 音楽
 新国立劇場の新制作「シモン・ボッカネグラ」は、複雑なストーリーのこのオペラに真正面から取り組み、歌手、演出、指揮のそれぞれの力が結集して、ヴェルディの数あるオペラの中でも特異な存在のこのオペラの真価を明らかにした。

 タイトルロールのシモンを歌ったロベルト・フロンターリは、揺れ動くシモンの内面を陰影深く表現した。シモンは25年前の前史を描くプロローグでは、恋人マリアの父・フィエスコに赦しを乞うが、かなえられない。第1幕の議会の場ではヴェネチアとの和平を諮るが、議会は与党(平民派)も野党(貴族派)も戦いの継続を主張する。25年ぶりに出会った娘・アメーリアにはシモンと敵対するガブリエーレという恋人がいる。シモンは25年前のフィエスコの立場に立たされたわけだが、シモンはフィエスコとは違って、ガブリエーレを赦そうとする。フロンターリはシモンのそのような襞の多い人物像を滋味豊かに歌った。

 フィエスコはシモンの死の直前までシモンを赦さないが、一方で、シモンと恋仲になった娘・マリアへの父性愛は十分にもち、またシモンを裏切るパオロからのシモン暗殺の誘いはきっぱり断る面もある。フィエスコのそのような、シモンと対峙する人物ではあるが、非人間的とはいえない人物像をリッカルド・ザネッラートは堂々と歌った。とくにプロローグでは張りのある声がフロンターリを凌いだ(フロンターリは第一幕以降の長丁場に備えて、プロローグでは力をセーブしていたようだ)。

 アメーリアの恋人・ガブリエーレはまだ若くて直情的な人物だが、ルチアーノ・ガンチの突き抜けるような声に説得力があり、それ以上にオペラ的な愉悦があった。すでにウィーン国立歌劇場やバイエルン州立歌劇場で主要な役を歌っている人のようだ。世界水準のテノール歌手の新国立劇場デビューだ。

 アメーリアを歌ったイリーナ・ルングは要所々々を締めた。パオロを歌ったシモーネ・アルベルギーニは、上記の歌手たちの中にあってはやや力不足だった。

 演出のピエール・オーディは登場人物の内面に焦点を合わせ、余計なものを排除して、各々の内面を端的に表現した。小技もきいていた。たとえば議会の場では、パオロが議員にヴェネチアとの戦いの継続を扇動した。幕切れの黒い太陽の出現とガブリエーレの総督用ガウンの拒否も説得力があった。舞台美術のアニッシュ・カプーアは、天上から巨大な火山を逆さに吊るした。それは視覚的なインパクトがあり、また平民派と貴族派に分断された不安定な社会情勢を象徴した。大野和士指揮の東京フィルは、静かな海を模した弦楽器の繊細な音から呪いの場の恐ろしい打撃音まで雄弁だった。
(2023.11.23.新国立劇場)
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SOMPO美術館「ゴッホと静物画」展

2023年11月20日 | 美術
 SOMPO美術館で「ゴッホと静物画」展が開かれている。もともとは2020年に予定された新館への移転記念の企画展だが、コロナ禍のために延期された。ゴッホの静物画の変遷をたどるとともに、ゴッホが影響を受けた(あるいはゴッホから影響を受けた)静物画と比較検討する試みだ。

 チラシ(↑)に使われている作品は「アイリス」だ。ゴッホの代表作のひとつで、日本にも以前来たことがある。わたしは2度目だが、会場で再会したとき、初めて見るような新鮮さを感じた。まず思ったことは、花瓶がこんなに小さかったか、ということだ。花瓶に盛られたアイリスの花のボリューム感に比べて、花瓶が小さい。今にも倒れそうなくらいにアンバランスだ。

 そのアンバランス感はアイリスのボリューム感を強調するためだったかもしれない。だが本作品はゴッホが亡くなる年に描かれた作品だ。その不安定さにこそ意味があるように思える。その不安定さはゴッホの精神状態を反映しているのではないかと。

 アイリスの葉の鮮やかな緑が圧倒的だ。アイリスの花の青紫を凌駕する(青紫の色は経年劣化しているようだ)。緑の葉が花瓶を起点に四方八方に伸びる。先の尖ったそれらの葉は暴力的なほどの勢いがある。その一方で、花瓶のわきには倒れた葉がある。静物画では落ちた花は死の象徴だ。だが本作品の倒れた葉は、一般的な死ではなく、ゴッホ自身を思わせずにはいない。

 アイリスの花の中には茶色に変色した花が混じっている。枯れた花だ。それはもちろん死の象徴だが、本作品では枯れた花が一つや二つではないことが特徴的だ。花束全体に点在する。花束全体が枯れる日も遠くないことを予感させる。本作品は不気味な作品でもある。

 背景の黄色は明るい。ゴッホの黄色だ。本作品は数多いゴッホの黄色の作品の中でもとくに目覚ましいもののひとつだ。だが手放しに喜んではいられない。ゴッホの黄色は、作品が優れていればいるほど、精神の緊張を感じさせる。本作品もまさにそうだ。その緊張は補色の関係から説明できるわけだが、前述のように、本作品がゴッホの亡くなる年に描かれた作品であることを考えると、ゴッホの精神の極度の緊張の表れのように思える。

 「アイリス」以外では「麦わら帽のある静物」に惹かれた(画像は本展のHP↓に掲載されている)。ゴッホの習作だ。農民画家として出発した初期のゴッホには暗い作品が多いが、その前に描かれた本作品は意外に明るい。本作品が描かれたのは1881年。上記の「アイリス」が描かれたのは1890年。その二つの年がゴッホの画業の起点と終点だ。
(2023.11.11.SOMPO美術館)

(※)本展のHP
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マーツァルとテミルカーノフの逝去

2023年11月16日 | 音楽
 今夏は7月に外山雄三さんが亡くなり、8月に飯守泰次郎さんが亡くなった。まったく何ていう夏だろうと思っていたら、10月にチェコ・フィルの元首席指揮者のズデニェク・マーツァルが亡くなり、11月に読響の名誉指揮者のユーリ・テミルカーノフが亡くなった。

 マーツァルは2003年にチェコ・フィルの首席指揮者に就任した。チェコが1989年にビロード革命を成し遂げた後、チェコ・フィルの首席指揮者は、短命に終わった第一次ビエロフラーヴェク時代を経て、ゲルト・アルブレヒト、ウラジミール・アシュケナージと外国人指揮者が続いた。その後を受けてのチェコ人・マーツァルの就任だった。だが2007年には退任した。

 わたしは2008年にプラハを訪れた。チェコ・フィルの定期演奏会があるので、聴きにいった。指揮はマーツァルだった。プログラムは1曲目がラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。ピアノ独奏はアレクサンドル・トラーゼ。脂の乗り切ったトラーゼの豪快な演奏に満員の聴衆は総立ちだった。2曲目はチャイコフスキーの交響曲第3番。きっちりまとまった演奏だったが、トラーゼの余韻が覚めないためか、大人しく感じた。ただ、はっきり焦点の合った音像が記憶に残った。

 後日驚いたことには、チャイコフスキーの交響曲第3番の演奏がEXTONレーベルからライブ録音のCDになって発売された。それを聴いてみると、当日の印象とは異なり、堂々と構築され、情感も豊かな演奏と思われた。その違いをどう考えたらよいのか。

 一方、テミルカーノフは(わたしは読響の定期会員なので)よく聴いた。前のめりの打点がオーケストラとかみ合ったとき、独特の高揚感が生まれた。最後の共演となった2019年10月の一連の演奏会では、ショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」が演奏された定期演奏会を聴いた。合唱は新国立劇場合唱団だった。正直にいうと、粗雑な合唱にがっかりした。当時、新国立劇場では「エウゲニ・オネーギン」が上演中だった。当日も公演があった。メンバーを分散させたのかもしれない。

 だがオーケストラは凄みのある演奏だった。凄みという言葉では不十分なくらいの、むしろ恐ろしさがあった。これが専制国家に生きる恐ろしさかと思った。わたしがテミルカーノフを聴くのはそれが最後になった。最後の機会にテミルカーノフは音楽を超えた体験をもたらした。

 マーツァルはわたしの人生で一度出会っただけの指揮者。テミルカーノフは何度も出会った指揮者。だが出会った回数に関係なく、それぞれが残した印象は鮮烈だ。それは人生での人との出会いに似ている。
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ノット/東響

2023年11月12日 | 音楽
  ノット指揮東響の定期演奏会はベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏はゲルハルト・オピッツ)と交響曲第6番「田園」。これ以上はないオーソドックス・プログラムだ。

 ピアノ協奏曲第2番ではオピッツのピアノに注目するわけだが、その演奏はドイツのベテラン・ピアニストのイメージとは異なり、みずみずしく輝くような音色が特徴的だ。清新なその音色で、激することなく、終始自分のペースを保って演奏する。穏やかといえば穏やかだが、それは変わったことをしないという意味であって、穏やかさの中にも精神の張りがある。もちろんノット指揮東響の演奏もオピッツに呼応する。演奏全体はルーティンに陥らず、若いベートーヴェンの感性を感じさせるものだった。

 だがこの曲はこれだけだろうかと、疑問がわくのも抑えられなかった。周知のようにベートーヴェンは1792年11月10日にウィーンに出る。22歳になる直前だ。すでにモーツァルトは亡くなっていた。ハイドンに師事するが、ハイドンは多忙のため、師弟関係は自然消滅する。ベートーヴェンはサリエリなどに学びながら力を蓄え、ついに1795年3月29日にブルク劇場で公開演奏会の機会を得る。ウィーン・デビューだ。そのとき弾いたのがこの曲だ(現在弾かれている最終稿とは異なる稿だが)。

 以上、音楽史をなぞるような話になって申し訳ないが、わたしがいいたかったことは、そんな機会に弾かれた曲が、たんに穏やかだとか、清新だとか、そんなレベルで終わるはずはないのではないかということだ。そう思うのは、もう何十年も前のことだが、ブレーメンでピエール=ロラン・エマール(まだ若かった!)のピアノ独奏、エッシェンバッハ指揮北ドイツ放送響(現エルプ・フィル)の演奏でこの曲を聴いたときの印象が強いからだ。エマールのピアノ独奏には若さの野心がみなぎっていた。この曲はそういう曲なのかと思った。

 2曲目の「田園」交響曲も穏やかだったが、やはりそれにはとどまらない。一言でいえば、ノットの、オーソドックスなレパートリーをオーソドックスに演奏して充実した音楽を成し遂げる意思が感じられた。とくに第1楽章と第2楽章では弱音主体の音に細心の注意が払われた。音を抑えているのに音が痩せない。それは細かい抑揚が付いているからだろう。聴いていて心地よいが、演奏者は緊張を強いられるのではないかと思った。

 1曲目もそうだったが、弦楽器の編成は12‐12‐8‐6‐5だった。奥田佳道氏のプログラムノートにあるように、「田園」では第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの応答が多いので、この編成が威力を発揮した。また1曲目と比べて、ベートーヴェンの管楽器の使い方が格段にうまくなっていることを実感した。
(2023.11.11.サントリーホール)
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B→C 中恵菜 ヴィオラ・リサイタル

2023年11月08日 | 音楽
 東京オペラシティのB→Cシリーズに、新日本フィルの首席ヴィオラ奏者で室内楽活動も活発な中恵菜(なか・めぐな)が登場した。

 1曲目はバッハの無伴奏チェロ組曲第3番のヴィオラでの演奏。一音一音をしっかり鳴らす演奏だ。原曲がチェロ用の曲だからそのような鳴らし方になったのかと、プログラム後半のヴィオラのオリジナル曲の演奏を聴きながら考えた。

 2曲目はブリテンの無伴奏チェロ組曲第3番のヴィオラでの演奏。バッハとブリテンの違いだろうか、元来はチェロ用の曲だということをあまり意識せずに聴いた。それはともかく、この曲の多様式ともいえる構成は圧倒的だ。バッハ風の音楽の出現もさることながら、パッサカリアの深さと(ブリテンのパッサカリアはどの曲も特別だ)、それに続く3つのロシア民謡の出現の意外さ。

 プログラム後半は現代曲が4曲。まず細川俊夫の「哀歌――東日本大震災の犠牲者に捧げる」。細川俊夫には珍しいくらい鋭角的な音型が多用される。作曲時期が2011年なので、東日本大震災の衝撃が反映されているのだろう。いま聴くと直接的すぎるような気がしないでもないが、それは時が経過したからだろう。東日本大震災の記録として特殊な位置を占める曲だ。

 次はペンデレツキの「カデンツァ」。1984年の作品。東川愛氏のプログラムノーツによると、ペンデレツキが1983年に書いたヴィオラ協奏曲をもとにした曲で、その縮小版のようなものらしい。細川俊夫の「哀歌」が我を失ったような動揺を感じさせるのと対照的に、安定した書法が印象的だ。演奏も手の内に入っていた。

 次はガース・ノックス(1953‐)という作曲家の「フーガ・リブレ」。未知の作曲家の未知の曲だ。ガース・ノックスはアイルランド生まれ。アンサンブル・アンテルコンタンポランやアルディッティ弦楽四重奏団のヴィオラ奏者を務めた人らしい。「フーガ・リブレ」はヴィオラの多彩な音色を駆使する曲だ。とくにハーモニクスの多用が印象的だ。ペンデレツキのような濃さよりも、風通しの良さが感じられるのは、世代の差か。演奏も目覚ましく、わたしには当夜の白眉だった。

 最後に野平一郎の「トランスフォルマシオンⅢ」。バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番のフーガの断片が浮き沈みする曲だ。小休止(?)の後に出てくる唄が魅力的だ。演奏も水際立っていた。アンコールにバッハの無伴奏チェロ組曲第1番からプレリュードが演奏された。ヴィオラだからか、冒頭の音型が蝶のように軽やかだった。
(2023.11.7.東京オペラシティ・小ホール)
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わたしの故郷

2023年11月04日 | 身辺雑記
 わたしの故郷は多摩川の河口の街だ。家の周囲には小さな町工場がひしめいていた。日本が高度経済成長期にあったころは、工場の廃液が溝に流れ、異臭を放った。普段羽振りの良かった工場主が夜逃げしたこともある。喧嘩もあった。ガラの悪い街だった。だがそんな街でも、子ども心には楽しい街だった。遊び場は多摩川の土手だった。今でこそ河川敷にはグランドなどが整備されているが、当時は草が生い茂る荒れ地だった。その中で野球をやったり、カニを取ったりした。

 私は結婚後家を出て、川崎に移り、今では目黒にいる。時々多摩川のその街が懐かしくなる。一年に一度くらいは訪れる。先日も行った。JR蒲田駅からバスに乗り、糀谷(こうじや)で下車。商店街を歩く。チェーン店が多数進出している。安っぽい商店街になった。だが、よく見ると、昔の店が奇跡のように残っている。たとえば本屋さん。わたしが中学生のころまで通った本屋さんだ。当時の店主がまだ店番をしている。すっかり老いたが、まだ店にいる。

 わたしの家があったあたりは、小さな町工場が姿を消して、大規模なマンションが林立している。様変わりだ。でも近所の和菓子屋さんがまだある。薄汚れた小さな店だ。世間から忘れられたような風情だ。でもまだ営業している。入ってみた。だれもいない。しばらく待つと、昔の面影を残す老人が出てきた。ドラヤキを買った。老人は「よく出るんですよ」と。お客が来る気配はないが‥。ふと「人生の最後はこのあたりのマンションに住んで、昔の記憶に浸るのもいいな」と思った。

 土手を歩いた。土手の上の道は、昔は舗装されていず、道幅も狭かった。今は広い遊歩道兼サイクリングロードになっている。川沿いに大師橋まで下った。昔は2本ある塔の1本が壊れた古い橋だった。今では近代的な橋に付け替えられている。橋から下をのぞくと干潟が見える。なんという鳥なのか、数種類の鳥がいる。全国各地に干潟を守る運動があることを思い出す。

 大師橋を渡って神奈川県側に出た。川沿いに上ると、東南アジアの寺院のような巨大な塔が見えた。なんだろう。土手を降りて見にいった。川崎大師の自動車交通安全祈祷殿とのこと。2006年建立。広い駐車場を備えている。川崎大師の資金力を思う。

 川崎大師に行ってみた(写真↑)。折しも七五三の季節なので、両親につれられた小さな子が何人かいる。わたしも幼いころ来たのかどうか。七五三の記憶はないが、初詣の記憶はある。人混みに埋もれて、うんざりした。今も仲見世通りは変わらない。くず餅や千歳飴が並ぶ。レトロな風景だ。喫茶のできる店に入った。明るい日差しが入り暖かい。くず餅を注文した。
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