後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔64〕ドイツからある夫婦が来宅、一週間の濃厚で豊潤な日独交流でした。

2015年12月31日 | 旅行記
  ドイツのバルト海に面したロストック(旧東ドイツ)在住のヨーラ・ヘルビック夫妻が、年も押しつまった暮れに我が家にやって来ました。今年の1月には早割の航空チケットを購入しているので突然の訪問というわけではなく、かねてからの予定の行動でした。
 実は、養蜂家の国際会議で、9月にも一週間ほど韓国に来ています。けっこう世界中を駆け巡っている夫婦なのです。我が家にはヨーラは2回目、ヘルビックは初めてでした。
夫妻との初めての出会いは2006年、エジプトの考古学博物館のことでした。一度ルクソールで見かけ、再び偶然対面したために妻がドイツ語で同世代の彼らに話しかけたのです。その後妻とのメールのやりとりがあり、妻がドイツにドイツ語留学をしているときに、何回かお宅にお邪魔しました。私自身も2回ばかり宿泊させてもらい、近隣の観光地を車で案内していただきました。
 その後、妻はヨーラに写真家のヨハネスを紹介してもらい、ヨハネスの写真を収録した妻の写真集、正・続『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』(福田緑、丸善プラネット)の完成に至るのです。つまり彼女は写真集発行のきっかけをつくってくれた人でした。

 ヨーラが前回来たときは座禅を組んだり、お茶や着物の体験をしたりで、観光と言えば長野の別所温泉に行った程度でした。今回は妻と相談しながら以下のような行動メニューを作っていました。

・12月24日(木) ヨーラとヘルビック、我が家へようこそ
・12月25日(金) アイヌ文化交流センターへ、近辺の本屋など2人で自主行動
・12月26日(土) 東京檜原村数馬へ一泊旅行
・12月27日(日) 青梅の漆工房皎月へ(蝋燭づくり)
・12月28日(月) 多聞天を求めて鎌倉巡り
・12月29日(日) 練馬の漆工房皎月で餅つき体験
・12月30日(月) ドイツに帰国

  2日目のアイヌ文化交流センターの見学以外は私も彼らに同行したのですが、ここでは5日目の「多聞天を求めての鎌倉巡り」について書いてみましょう。私がコーディネートしたからです。
 ヨーラの初来日時、東京国立博物館の阿修羅展を見に行きました。その時、彼女はなぜか多聞天(毘沙門天)に興味を持ったのです。家に帰ってから、多聞天特集の「日本の美術」を見せたところ、それがどうしてもほしいということで、差し出す羽目になったのでした。今回の旅でも、多聞天が見られるところに連れて行ってほしいというのが彼女の願いの1つでした。
 東京や埼玉で多聞天がある場所を本やネットで探したのですが、あまりピンときません。そこで、かなりお寺が密集している鎌倉なら多聞天が拝観できるだろうし、日帰りでも行けるということで、ここに決めたのです。私も数回鎌倉のお寺や美術館に足を運んでいます。十分案内は可能です。
 おおよその行程は次のようです。1日たっぷりかけた、約2万歩の「遠足」でした。巡った社寺は6か所、さすがに疲労困憊の4人でした。

 清瀬→(池袋)→鎌倉、小町通→段葛(工事中)→鶴岡八幡宮→宝戒寺(多聞天)→妙本寺(二天門、多聞天)→長勝寺(多聞天)→〔軽食〕→由比ヶ浜海岸→高徳院(鎌倉大仏)→長谷寺(多聞天)→(江ノ電)→鎌倉→(池袋)→清瀬

 たまには観光スポットを訪ねようということで、鎌倉の大仏に会いに行きました。3回目の私にとって興味深かったのは大仏よりもむしろ高徳院の石碑でした。かつてブログ〔19〕で紹介した「劇団ひこばえ通信」(村上芳信発行)の99号に与謝野晶子とジャヤワルダナ前スリランカ大統領の石碑のことを知りました。
  与謝野晶子の歌碑は「鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」というもの。ジャヤワルダナ前スリランカ大統領の顕彰碑は、サンフランシスコ対日講和会議で、日本対しての賠償請求や分割統治に反対する演説を仏教的な精神から説いたということでした。貴重な石碑を見落とすことがなかったのは「劇団ひこばえ通信」のおかげでした。

 養蜂家の2人は青梅の漆工房皎月で蜜蝋でのキャンドルづくりを指導してくれました。
 彼らが去って今日は大晦日。充実した年の暮れを体験することができました。彼らと妻に感謝したいと思います。

*「劇団ひこばえ通信」99号はA4版で50ページにもなる大作でした。ヒトラーに関する映画評、篠原睦治さんの永井隆・考など読み応え十分です。100号で終刊とはいかにも惜しいです。

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