後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔397〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり ⑰ 苗が育ち穂が出始めました(矢部顕さん)

2021年08月31日 | メール・便り・ミニコミ
●福田三津夫様

「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり⑰ 苗が育ち穂が出始めました
8月の終わりころ、この季節になると苗が大きく育って、いよいよ穂がでてきました。
あと1か月少し経てば、この穂がふくらんでお米が稔るのです。







この季節には、病害虫にたいしての出穂期農薬散布を行います。
お米を食べて枯らしてしまうウンカなどは、、毎年、偏西風に乗ってやってくるのですが、
ときどき大発生するのです。

黄砂といい、PM2.5といい、ウンカといい、偏西風の乗ってやってくるものは、
困ったものが多いですねぇ。

薬剤の散布は、薬剤をタンクに入れてエンジン動力つきの背負ってやるもの、
もっと大きな動力散布機でやるもの、このごろは私のように歳をとるとエンジン
動力の散布機を背負って作業することが困難になってきますので、業者に依頼して
ラジコンヘリコプターで散布するやり方などいろいろです。

矢部 顕


〔396〕「残暑見舞い:311から十年、新米法律家のスタート」弁護士の柳原敏夫さんのメールです。

2021年08月27日 | メール・便り・ミニコミ
●福田さま

柳原です。
依然、猛暑が続きますが、コロナ禍のもと、その後、いかがお過ごしでしょうか。

今年5月、福島県が原発事故の自主避難者に国家公務員宿舎から出て行けと提訴した「避難者追出し裁判」に参加することになり、

https://seoul-tokyoolympic.blogspot.com/2021/05/blog-post_18.html

この夏、福島県の追出しに理由がないことを国際人権法から主張する書面を作成する中で「人権」を発見する経験をし、その経験を通じ、それまでずっと、法律と最も無縁だと思ってきた自分が法律家になった意味が初めて分かった経験をしました。

孔子は15で学に志し、30で立ち、50で天命を知ったそうですが、私は、この夏、70にして学に志し&立ち&天命を知るを同時多発で経験したような感じです。
自分が法律家になった意味を発見した以上、この発見に忠実に、新米法律家として学に志し&立ち&天命を知るに励みたいと思います。

以下、新米法律家として、ささやかな抱負を述べたものです。
今後ともよろしくどうぞ。

311から十年、新米法律家のスタート(2021.8.22)
https://copylawyer.blogspot.com/2021/08/blog-post.html



久しぶりに鎌田慧さんのコラムをどうぞ。

 ◆8月、希望の出発
  沈思実行(66)          鎌田 慧

 8月は傷痕と希望の月。大量虐殺の極限として原発投下と遅すぎた
敗北宣言。傷だらけの平和だったが、希望の出発の月でもあった。
 国民学校(小学校)一年生だった私は、その日の眩しい青空の記憶
を、平和憲法の記憶を、平和憲法の精神として生きてきた。
 いま、「敗戦の誓い」を自民党は地に捨てようと執拗な攻撃を加えて
いる。自衛隊の海外派遣と武器使用基準の緩和。集団的自衛権に
よって、日本は米軍の戦争に引きずり込まれそうだ。米軍の支配下に
ある米日合同訓練が、活発化している。

 戦争の最前線にいるのが、、海軍労働者である。海員組合の人たち
は、安保法制は違憲として裁判をつづけている。戦争に巻き込まれた
り、海賊にねらわれたりしながらも、「平和愛好国」の船として攻撃を
免れてきた。
 「1980年代のイラン・イラク戦争の只中、日本の船は中立国の証
として甲板と船側に大きく日の丸を描いてペルシャ湾の奥深く入り、
両当事国から原油や貨物を積み出しました。日本政府は、各国の政府・
現地大使館・商社・代理店と綿密な連絡をとりながら、一隻ごとに
進路や通過時間の決定に協力しました」
  (竹中正陽「海軍は平和な海なくして成り立たない」『羅針盤』を
   発行する会、2021年7月20日号)。

 この結果、無法な爆弾によって世界中で407隻が被弾し、333名が死亡
したのだが、日本船の被害は12隻、死者は2名にとどまった。日本が
イラン・イラク両国ともに友好国だったからだ。
 戦争はしない、という海外にむけての外交努力が、船員労働者の命を
守ってきた、と竹中さんは書いている。

 しかし、集団的自衛権によって「紛争国」になると、どうなるか。
 日本が運航する2500隻以上の外航船、2千人弱の日本人船員と日本
企業に雇用されている6万人の外国人船員の命が危うくなる。
 まして、海外からの物質の輸入に依存している日本社会は、立ち
行かない。
 それでも、米軍とともにまた戦争をはじめるつもりなのか。
 自民、公明共謀政府は。
       (8月17日「週刊新社会」8面(沈思実行)より)


◆カジノ政治の終焉       鎌田 慧(ルポライター)

 東京五輪がコロナ感染者を激増させたのはまちがいない。地域の
ひとびとの年に1回、伝統的な古里の祝祭を「健康と命を守る」ために
涙をのんで中止し続けているのを尻目に、菅首相は「世界の国々に
対する義務」と嘯(うそぶ)いて決行。終わってみれば日夜、全国2万人
の感染者。そして今日、パラリンピックの開会式。

 コロナ陽性、症状が悪化しても自宅療養。まるで無医村の医療逼迫。
救急車も来ず、死の淵での自助努力を強いられるひとがふえている。
20、30代に感染者が続出したのは、オリンピックという名の「国家的
祝祭」を、NHKはすべてのチャンネルで、朝から深夜まで垂れ流し、
コロナウイルスの警戒心を緩めたからだ。民放、一部の新聞も又
無反省だった。

 さらにパラリンピックでは、東京都と近郊の小中高校生の集団観戦が
おこなわれるという。信じがたい教育委員会の決定、まるで学徒動員だ。
 「オリ・パラ」は安倍前首相の福島原発事故払拭の野望から始まり、
菅首相のGOTOトラベルと東京五輪強行で感染爆発。それでも懲り
ないパラリンピックの強行。小池都政の「観戦プログラム」は、さらに
感染者を拡大させる政策だ。

 現実を直視しない、希望的観測を専(もっぱ)らとする政治は危険だ。
自己チュウ、賭博性、カジノ政治。
菅首相は自己本位で、あまりにも人の命に無頓着だ。
      (8月24日東京新聞朝刊25面「本音のコラム」より)

〔395〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり ⑯ブドウが熟れはじめました(矢部顕さん)

2021年08月22日 | メール・便り・ミニコミ
 久しぶりの矢部さんのお便りです。それにしても立派な葡萄ができましたね。

●福田三津夫様

「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり
⑯ブドウが熟れはじめました





ブドウの房が黒く色づいてきました。
8月下旬から9月下旬にかけて、これから順次少しずつ熟れてきますので、
黒く熟れたものから順番に収穫していきます。

近所のプロのブドウ栽培農家は、ほとんどがビニールハウスでの栽培ですので、
収穫時期ははやく、もう終わっているところもあります。
お盆前までに出荷すると高値で販売できるからのようです。

ビニールハウスは、①加温のビニールハウス、②二重のビニールハウス、③一重
のビニールハウスとありますので、①②③の順に熟れていきます。

我が家のようにハウスではなく露地栽培での房が熟れてくるのは、最もおそく今の時期
のお盆以降となります。

収穫したブドウは、房の大きさをを重量として計量して、箱詰めしていきます。
2kg箱には、一房670g以上は3個、500gから670gは4個、400g~500gは5個、
350g~400gは6個の房を箱詰めします。


左から、ブドウ2kg箱の3房入り、4房入り、5房入り、6房入り

今年は、ブドウ畑の全体を網(ネット)で覆いましたので、もうカラスがつつきに来る
ことはなくなりました。

矢部 顕

〔394〕腰越憲法9条ニュース(180号)は進む「戦争する国」づくりと駅頭行動での出会いについてでした。

2021年08月19日 | メール・便り・ミニコミ
「腰越憲法9条ニュース、180号ができましたのでお送りします。」腰越の塚越敏雄さんからのメールです。
「戦争する国」づくりについての論考と駅頭スタンディング行動でのある出会いについて書かれています。こちらも拡大してご覧ください。




〔393〕40年前出版の『しのぶちゃん日記-目が見えなくても、みんなといっしょ』(平林浩)は教育の原点が垣間見える本です。

2021年08月18日 | 図書案内
  前々ブログで紹介した『しのぶちゃん日記-目が見えなくても、みんなといっしょ』を購入したのは出版年の1981年のことでしたが、口絵の写真頁(宮原洋一撮影)を眺めただけでどうやら丁寧には読んでいなかったようです。読了すれば本の末尾に読んだ日付と簡単な感想が記してあるはずなのにそれが何処にも見当たらないからです。
 私は1972年に北区立滝野川第六小学校に新卒教師として着任しました。翌年の早い時期に雑誌『ひと』(遠山啓編集代表)が創刊され、わくわくした期待感を持ってそれを手にしたものです。『ひと』(現在廃刊)を出版したのが太郎次郎社でした。その冬休みには教師と親の教育講座「ひと塾」を太郎次郎社が開催したのです。私は意気込んでそれに参加しました。それ以来、太郎次郎社の出版する本はほとんど入手しました。その中の1冊に『しのぶちゃん日記』がありました。

■『しのぶちゃん日記-目が見えなくても、みんなといっしょ』平林浩、太郎次郎社、1981
■(ブックライブより)
障害をのりこえて学んでいくしのぶちゃんを囲んで、クラスの子どもたちもまた、ゆたかに育つ。彼ら三八名の二年間にわたる、授業を中心とした記録。朝日「天声人語」……教育の現場で日々、こういう心のこもった、ていねいな実践が続けられていることに敬意を表したい。

  今回40年ぶりに通読して、これは凄い本だなとあらためて感心した次第です。けして手垢の付いた古びたものではなくて、現在まさに読み返す価値があり、教育の原点がここに秘められていると言っても過言ではない本です。現在この本を皆さんが手にすることができるかどうかわかりませんが、とりあえずブログを通して紹介したいと思います。

 本は二部構成になっています。Ⅰ章は「子どもたちの四季」、Ⅱ章が「授業の中の子どもたち」。拙著『いちねんせい-ドラマの教室』(晩成書房、2005年)もⅠ章「学級づくり-こころとからだをひらく」、Ⅱ章が「授業のドラマ」です。つまり、教育実践記録を学級づくりと授業づくりの視点から捉えていることが共通していて、それは妙に納得できるのです。教師に求められるものは学級における人間関係づくりと毎日の授業を創る力量です。両者を同時並行で進めることによって教育は成立するものだと私は考えています。
  「子どもたちの四季」というタイトルを見たときにすぐに思い出したのが鈴木孝雄著『一年生の四季』(草土文化、1977年)でした。孝雄さんは日本生活教育連盟(日生連)の実践的リーダーで、新卒時代に公私ともにお世話になった方です。妻の学年主任で、結婚式にも参列いただいたのですが、惜しくも若くしてお亡くなりになりました。
  平林さんが勤められた和光小は日生連のメッカでしたので、孝雄さんとの実践の共通点は数多く認められます。そんなことからタイトルが似通ってきたのでしょうか。

  『しのぶちゃん日記』を読んでこれは凄い本だと思ったところを列挙してみましょう。

・歩いて10分もかからない地域の小学校に入学を拒否された全盲の子を受け入れてくれたのは和光小でした。一時間半かけて通ったといいます。私立といえども一年生は38人学級、その中の1人がしのぶちゃんでした。
・平林さんは試行錯誤の連続で、1学期は実践の糸口がつかめず途方に暮れたといいます。実践上の困難さや悩みを率直に綴っています。名人芸を披露する実践記録ではありません。二年生の孫がこの本の目次を眺めて「しのぶちゃんはじゃまだ」と書いてあるのにびっくりしていました。「みんなは対等さを要求する」も読ませます。
・和光小の教師集団が平林実践を力強く支えています。和光教育は民間教育団体の粋を集めているようなところがあります。各教科のエキスパートの存在が実践を支えています。
・しのぶちゃんが描いたスイカやお話の絵が色鮮やかで素敵です。目の見えない子が字や絵をなぜこれだけかけるのか、その秘密が実践記録に詰め込まれています。
・写真は宮原洋一さんです。『ひと』の写真も数多く手がけた写真家で、子どもたちの表情を的確に捉えています。
・「劇をつくりあげる」実践も秀逸です。「ききみみずきん」(小池タミ子脚色)の劇づくりで子どもたちのこころとからだを躍動させています。

 まだまだあげたら切りがない読みどころ満載の実践記録です。まだまだ図書館に所蔵されていると思いますので、是非手に取ってみてください。
 現役の教師や教師を目指す人に読んでもらいたいと思います。そして自分だったらこうしたいと反問しながら読んでみるのもお勧めです。

〔392〕最新の清瀬市議会便り・ゆめ通信です。(布施ゆめ発行)

2021年08月16日 | メール・便り・ミニコミ
 年に4回、市議会終了ごとに発行しているお馴染みの清瀬市議会便り・ゆめ通信です。清瀬市議・布施ゆめが発行しています。少し小さいので拡大してご覧いただければ嬉しいです。









〔391〕「白い灰の記憶~大石又七が歩んだ道」で高橋しのぶさんと「再会」しました。

2021年08月14日 | テレビ・ラジオ・新聞
 オリンピックを強行しコロナ禍が深刻で危機的な状況を呈している日々、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 私は、白梅学園大学での教育実習指導がなんとか1学期に終了して、2学期後半の新たな学年のスタートを待っているところです。残念ながらそこでは対面やリモートを織り交ぜての授業になるのでしょうか。
 外に出歩くのは買い物程度、地域の仲間との市民運動もリモートに逆戻りです。
 そんななか、録りためたビデオを見たり、ストックしていた本を読んだりの毎日です。

 今回紹介するのはテレビ番組「白い灰の記憶~大石又七が歩んだ道」です。
 大石さんは第五福竜丸の元乗組員で「ビキニ事件」で被爆した人です。他の乗組員が続々亡くなる中、「ビキニ事件」は何だったのか最期まで問い続け、様々な場所で語り続けた人でした。
 番組の概要は次の通りです。

■「白い灰の記憶~大石又七が歩んだ道」(NHK,HPより)

アメリカの水爆実験による「死の灰」で被ばくした第五福竜丸の元乗組員・大石又七さんが3月に亡くなった(享年87)。1954年に起きたこの「ビキニ事件」は、アメリカが日本に「見舞金」を支払うことで政治決着したが、乗組員の多くは事件後口を閉ざしたまま、若くしてがんや肝機能障害などで次々に命を落とした。ただひとり事件について語り続けた大石さんが抱え続けた怒りとは何だったか。家族や関係者の証言を交えて描く。


 大石さんが「ビキニ事件」について重い口を開いた切っ掛けは、ある学校の働きかけでした。子どもたちに「ビキニ事件」を語って欲しいというお願いがあったのです。番組では学校名は出されていなかったのですが、私は和光中学校ではないかと直感したのです。そして大石さんが語った本人が出演したのです。まさかの高橋しのぶさんの登場でした。大石さんはしのぶさんが全盲のため第五竜丸の模型をつくったということです。これ以降、何体もの模型をつくることになるのです。
  しのぶさんは全盲で、普通学級の和光小に入学したのです。担任は平林浩さん、次のような教育実践記録が出版され、懐かしく本棚から取り出しました。

■『しのぶちゃん日記-目が見えなくても、みんなといっしょ』平林浩、太郎次郎社、1981
■(ブックライブより)
障害をのりこえて学んでいくしのぶちゃんを囲んで、クラスの子どもたちもまた、ゆたかに育つ。彼ら三八名の二年間にわたる、授業を中心とした記録。朝日「天声人語」……教育の現場で日々、こういう心のこもった、ていねいな実践が続けられていることに敬意を表したい。
■平林浩(太郎次郎社エディタスHPより)
1934年、長野県・諏訪地方生まれ。子ども時代から野山を遊び場とする。1988年まで小学校教諭。退職後は「出前教師」として、地域の子ども・大人といっしょに科学を楽しむ教室を開いている。仮説実験授業研究会、障害者の教育権を実現する会会員。
著書に『仮説実験授業と障害児統合教育』(現代ジャーナリズム出版会)、『作って遊んで大発見! 不思議おもちゃ工作』『キミにも作れる! 伝承おも ちゃ&おしゃれ手工芸』『しのぶちゃん日記』(以上、太郎次郎社エディタス刊)など、津田道夫との共著に『イメージと科学教育』(績文堂出版)がある。


  1970年代前半のこと、新卒時に日本生活教育連盟に所属していた私は、板橋の火曜会という研究会で平林さんを講師にお招きしたことがありました。彼のことは「ひと塾」で知り合ったのでした。それからしばらくした1977年、彼はしのぶちゃんを2年間担任し実践記録を書いたのでした。
 しのぶさんは現在特別支援学校の英語教師として活躍していました。失礼ながら昔の教え子に再会したような気分でした。もちろん『しのぶちゃん日記』も再読し始めました。この本の凄さについてはいずれ本ブログで触れたいと思っています。

  大石さんの話に戻します。
 彼は残念ながら今年亡くなられました。でも「ビキニ事件」を語り継ぐ人がいるのです。第五福竜丸の展示館の学芸員の方です。小学校教師の時、数回、第五福竜丸の展示館を社会科見学で訪れたことがありましたが、今度は孫でも連れて行って彼女の話を聴いてみたいと思っています。行くとは言わないかな。

 蛇足ながら、NHKスペシャルではこんな放送もしていたのですね。

■NHKスペシャル 又七の海 ~死の灰をあびた男の38年~
放送日 : 1992年4月19日 (59分)

1954年3月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行った。その威力は広島の原爆の1000倍、実験場近くにいた第五福竜丸の乗組員23名が被ばくし、無線長の久保山愛吉さんが亡くなった。一般市民を巻き込んだこの実験は、世界中に大きな衝撃を与えた。死の灰を浴びた乗組員たちは、被ばくの健康への不安を抱えながらその後の人生を生きてきた。事件から37年たって乗組員の一人・大石又七さんは、自らの体験を後世に残すため、手記にして出版した。番組の中で、又七さんは、自分たち乗組員の犠牲に対するアメリカ側の責任が明確にされないまま、福竜丸の事件が忘れ去られようとしていることに不満を感じる、と語る。

〔390〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり⑮  稲の苗を食べる動物(矢部顕さん)

2021年08月11日 | メール・便り・ミニコミ
●福田三津夫様

「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり⑮
稲の苗を食べる動物

ブドウを食べにくるカラスの話をしましたが、稲の苗を食べにくる動物の話です。

その1「ヌートリア」
かつては沼狸(ぬまたぬき、しょうり)とも呼んでいたようですが、いま、このあたりではヌートリアと呼び体長が50cmくらいの水辺に住んでいる動物です。川や用水路を泳ぐ姿をよく見ます。

柔らかい上質な毛皮を入手するために、第二次世界大戦のころには軍隊の防寒用飛行服の裏地として使用するために、輸入されて飼育された外来種とのこと。
軍隊の「勝利」にかけて「沼狸(しょうり)と呼ばれていた???
戦後、飼育されなくなって放逐され野性化したようです。

稲の苗を食べに来るので、被害に遭いやすい田んぼには用水路から上がってこれないようにべニア板で囲っているところもあります。(写真)





その2「スクミリンゴガイ」(通称・ジャンボタニシ)
もともとは食用として輸入されたようで、全国各地に養殖場があったそうです。が、採算がとれず廃棄されたものが野生化した外来種のようです。
タニシよりもはるかに大きくて、近所の田んぼで苗が小さい時に食い荒らされて、田んぼの3分の一ほどを食べられてしまったところもあります。

このふたつは、人間の都合で輸入したもののの、結局は人間が廃棄して、それが野生化して、いまや人間に仕返しをしているようです。

矢部 顕

〔389〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり⑭ 茅の輪くぐりの材料はいくらでもあります。(矢部顕さん)

2021年08月03日 | メール・便り・ミニコミ
●福田三津夫様

「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり⑭
茅の輪くぐりの材料はいくらでもあります。
<またのタイトルは、「スサノオ」(番外編)>
















8月の第一日曜日は、我が家の裏山の亀山城跡にある神社のお祭りです。
神事のあと茅の輪くぐりをして、あとは、子どもたちのために、かき氷、
金魚すくい、ビンゴゲームなどの楽しみがあります。

昨年と今年は、コロナ禍のため神事と茅の輪くぐりだけにしています。

「茅の輪(ちのわ)くぐり」は、全国の有名な神社で行われています。
茅の輪くぐりとは、茅(かや)で編んだ直径数メートルの輪をくぐり、
心身を清めて厄災を払い、無病息災を祈願する夏越の祓を象徴する
行事です。

我々の場合は、この茅の輪を自分たちで製作するのですが、材料は茅(かや)
で、耕作放棄地に生えていますので、必要なだけ刈り取ってきて作ります。

この茅の輪くぐりは、ナント「スサノオ」から由来するとのことです。
神主さんからいただいた由緒書きから引用します。
――茅の輪くぐりは日本神話に由来します。スサノオノミコトが旅の途中に宿を求めた、備後国の蘇民将来(そみんしょうらい)との逸話が起源です。
貧しいにもかかわらず、喜んでスサノオノミコトをもてなした蘇民将来に対し、弟である巨旦将来(たんしょうらい)は裕福にもかかわらず宿を貸そうともしませんでした。数年後、再びスサノオノミコトは蘇民将来のもとを訪れ「疫病を逃れるために、茅の輪を腰につけなさい」と教えました。
教えを守った蘇民将来は難を逃れられ、それ以来、無病息災を祈願するため、茅の輪を腰につけていたものが、江戸時代を迎える頃には、現在のようにくぐり抜けるものになったといわれています。――
コロナ禍の今、この茅の輪くぐりを復活した有名な神社もあるとのニュースを見ました。

矢部 顕

〔388〕園部哲「英国で進むドイツ讃歌」(『GLOBE』)に啓発され、「戦争の記憶」(『定年時代』)は心して読んでいます。

2021年08月02日 | テレビ・ラジオ・新聞
  朝日新聞が月1回発行している20頁立ての『GLOBE』最新8月1日号の図書紹介欄に「英国で進むドイツ讃歌」という小さな記事が掲載されました。翻訳者でロンドン在住28年という園部哲さんが書いたものです。彼が取り上げたイギリスのベストセラーとは『Why the Germans Do it Better(なぜドイツ人はうまくやれるのか)』ジョン・カンプナーです。
  「その背後にはブレグジット(EU離脱)を悔やむ心情、新自由主義経済に対する忌避感、落ち着いた政治家へのあこがれ、そしてコロナ禍への対処の相違(ドイツの方が科学的だった)がある。」と綴っています。
 興味ある方は記事に当たってみてください。

 この記事が心に響くものがあり、次のような感想を編集部にメールで送りました。

*グローブ244号で一番興味を持ったのが「書店」の頁でした。「英国で進むドイツ讃歌」という見出しが衝撃的でした。
ロバート・ウェストールの作品が好きでほぼ読み尽くしているのですが、彼の作品にはドイツからのイギリス空爆の話がかなり多く登場します。実体験を下敷きにしてウェストールは書いているのですが、そうしたイギリス人からするとドイツに対する憎しみのようなものが消えているとは思えないのです。しかるに「英国で進むドイツ讃歌」とはにわかには信じられませんでした。しかし園部さんの文章を読んでなるほどと合点しました。しかもそれを裏付けるかのように英国の取り上げられたベストセラー5冊のうち3冊がドイツ関連本だったとは。
というわけで『なぜドイツ人はうまくやれるのか』を頑張って読みたいと思った次第です。
ちなみに私ども夫婦はドイツ好きで、20回弱の渡独経験があり、ドイツ人の友人も多いのです。

  朝日新聞がらみでもう1つ紹介したいと思います。月2回発行の『定年時代』というシニア向けの8頁立ての新聞です。
  夏場のこの時期、いつも待ち焦がれているのは「戦争の記憶」頁です。書かれた手記を丁寧に辿りながら反戦の思いを新たにします。今回は4人の方のうち、海中特攻の話が心に残りました。(「海中特攻『伏龍』の訓練」豊田黎一郎)
 数年前に、早稲田大学で海中特攻の体験談を生存者に伺ったことがありました。(ブログ掲載)その話とまさに重なる文章でした。他の手記も赤線を引きながら読ませていただいています。戦争体験の継承をこれからも願いたいものです。

〔387〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり⑬  ブドウ畑全体に網(ネット)をかける(矢部顕さん)

2021年08月01日 | メール・便り・ミニコミ
●矢部顕様
 今回は烏とのたたかいですか。
 それにしても1人でのネット張りとはすごいですね。その様子も写真にあるともっと驚きですが、これは1人では無理ですよね。福田三津夫


●福田三津夫様

「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり⑬
 ブドウ畑全体に網(ネット)をかける

ブドウの房が色づいてだんだん熟れてきだすと、カラスがつつきに来ます。
味がついてきて美味しくなる時期を知っているのです。
匂いでわかるのでしょうか。カラスは、房につけた袋を破いて、ブドウを
食べるのです。

そうはさせじと、プラスティック製のカラスの死骸をぶらさげたり、入り込み
そうなところにネットを張ったり、玩具のピストルで脅したり、爆竹を鳴らしたり、
いろいろやってみましたが、どれも一時の効果しかありません。

年々、被害が大きくなってきました。昨年は50房以上をカラスにやられました。
そこで今年は、ブドウ畑全体に網(ネット)で覆うことにしました。





18m×36mの網をどうやって張って覆ってしまうのか、大勢の人が一緒に
持って「セイノー」で引っ張るのか。

近所のブドウつくりのベテランの人に聞くと、ナントひとりで張ることが可能だ
というのです。
やり方を教えてもらって、ひとりで張ることに挑戦しました。ホントにひとり
で張ることが出来ました。これにはビックリ。

もうカラスは侵入することはできません。
この作業をやっていたものですから、今年の袋かけ作業は時期が遅くなって
しまいました

プロのブドウつくりは、ほとんどがビニールハウスでの栽培なので、このような
心配はもともとありません。

矢部 顕

〔386〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり ⑫ブドウの房の袋かけ(矢部顕さん)

2021年08月01日 | メール・便り・ミニコミ
矢部顕様
連載12回目ありがとうございました。
葡萄の袋掛けという作業も炎天下大変なんでしょうね。でも自然の中で健康的ですかね。
当然ながら葡萄の色についてもかなり気を遣うのですね。やはり農家は大変ですね。福田三津夫



●福田三津夫様

「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり
⑫ブドウの房の袋かけ





ブドウの品種によって、最終的にはさまざまな色があります。
緑色のブドウ、紫色のブドウ、黒色のブドウ、他にもいろいろ。

ブドウが色づき始めると房を保護するために紙袋をつけていきます。
(ホントは色づく前にしなければならない作業なのですが・・・)

私の栽培しているのは「ピオーネ」という品種で、最終的には
黒色になります。緑色から、赤紫色になって、真っ黒になるのです。
「黒い真珠」とのニックネームもあります。

ところが、美しい黒色になかなかならないのです。
なぜか。昼と夜の寒暖差が大きいほど黒くなるのですが、この
あたりは地球温暖化のせいで寒暖差が無くなってきているのです。

標高の高いエリア(岡山県でいうと、県北の中国山地のエリア)で
栽培されているのは黒くなっています。

ですから、美しい黒色がこのあたりでは難しいので、ブドウの木を
植え変えて、他の品種に切り替えるところが多くなってきています。

多いのは「シャインマスカット」という品種への切り替えです。
緑色のブドウで、甘くて最近は市場でも人気で高値です。
が、私に言わせれば甘すぎてブドウらしい酸っぱさに欠けている
ように思います。

矢部 顕