後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔414〕第2回福田緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」のチラシ完成、写真集5冊目も出版します。

2021年10月28日 | 美術鑑賞
 コロナ禍でやきもきしていた第2回福田緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」がなんとか開催に漕ぎ着けそうです。

●2022年1月19日(水)~24日(月)
●東京都国分寺市 司画廊(JR国分寺駅北口徒歩3分)

 連れ合いの福田緑作成のチラシが綺麗に刷り上がってきました。今回のチラシで画期的なのは、「日独交流160周年」のロゴが入ったことです。もちろんドイツ大使館公認です。
  このチラシ、ご連絡いただければお送りします。





 さて、もう1つお知らせがあります。それは、夫婦2人の共著として『中世ドイツ彫刻を歩く-リーメンシュナイダーからシュトース』(仮)が丸善プラネットから来年6月に出版されます。緑としては5冊目の写真集も兼ねています。
 2人の共著としては、『男の家庭科先生』(1989年、冬樹社)、『ヨーロッパ2人旅、22日間』(2000年、私家版)以来のことになります。
 いずれ詳しくお知らせしますが、次のような特徴があります。

①今まで掲載許可が下りなかったゲルマン国立博物館(ニュルンベルク)、バンベルクのドーム教会の作品などが掲載されます。もちろん本邦初です。そのほかの作品もおそらく日本の書籍には紹介されていないものばかりです。ご期待ください。
②ティルマン・リーメンシュナイダーを初めとしてファイト・シュトースなど中世ドイツの彫刻家を10人以上紹介しています。この作家列伝は日本語文献ではほぼ掲載されていません。美術史家ではない2人ですが、ほとんどを現地で収集し、ネットでも購入した新しい作家ごとのドイツ語図録を緑が読み解き、ドイツ人の先生の力も借りながら緑が書き上げました。
③中世ドイツの彫刻を拝観できる美術館・博物館・教会などを可能な限り丁寧に紹介しました。『地球の歩き方』には掲載されていないものが多数あり美術散策の手助けになると自負しています。

  目次など本の詳細については出版前後にあらためてお知らせします。しばらくお待ちください。

〔413〕「今の政治を続ける? 変える?」最新・腰越九条ニュースが届きました。(塚越敏雄さんより)

2021年10月27日 | メール・便り・ミニコミ
  衆院選が近づき、慌ただしいこの頃ですが
 お元気でしょうか。
  遅くなりましたが、9条ニュースを送ります。
                 塚越敏雄




〔412〕「子どもたちの未来のために、脱原発政権、つくりましょうよ。」(「通販生活」2021冬号)

2021年10月26日 | 図書案内
  年に4回発行されている「通販生活」2021冬号が届きました。
 まずは表紙の写真、もりわじんさんの「守り猫」が強烈な色彩を放っています。猫ちゃん自身が炎に燃えて怒っている像なのでしょう、次のように語っています。

「11月の総選挙は、この先わが国が原発を残していくのか、原発をゼロにしていくのか、を争う選挙になってきた。子どもたちの未来のために、脱原発政権、つくりましょうよ。」

 さらに「通販生活」のタイトルの上には「巨大地震はいつ来るかわからない、『老朽原発の再稼働』という暴挙!」とあります。こちらにも共感多々。
 本文中にも、「世界の原子力発電はいまどうなっているの?}という定例ページがあり、本号は「40年超運転の美浜原発3号機が再稼働。『例外』が『当たり前』になる不思議。」という記事に納得させられます。「寿命延長は百害あって一利なしだ。」は心地良く潔い一言です。

 次は、反原発・脱原発の太い支柱、鎌田慧さんのコラムです。

 ◆公害と私害
  世界最大の公害源・原発を総選挙の争点に
                 鎌田 慧

 焔炎々 波濤をを焦がし 煙濛々 天に漲(みなぎ)る
 天下の壮観 我が製鉄所

 八幡市(現北九州市)の市歌の一節。煙は工業化・近代化の
象徴だった。
 「この天の虹」。八幡製鉄所を舞台にした、木下恵介の映画の
タイトルだが、高炉やコークス工場から立ち昇る噴煙は「七色の煙」
とも言われていた。
 八幡市は、降下煤塵量日本一だった。八幡製鉄所はいまは休止した
が、官営製鉄所として建設された、日本製鉄の主力工場だった。
 実はわたしはここの東田高炉工場で、日雇い労働者のひとりとして
働いたことがある。
 仕事が終わって工場内の共同風呂にはいる。タオルの端をねじって
鼻穴に突っ込むと、粉塵で真っ黒だった。
 労働者は粉塵やガスで職業病、市民は公害で喘息患者になった。
 児童が描く絵の海や空は真っ黒で、けっして青のクレヨンは使われ
なかった。「カネと命の交換(鋼管)会社」とは、日本鋼管(現・日本
製鉄)の労働者の自嘲だった。
 1960年代の日本列島を覆った公害は、根ばり強い住民の反公害闘争
によってほぼ終息した。「公害輸出」として、アジアへの工場侵出も
大きかった。
 石炭から石油へ「エネルギー転換」しても、チッソの水俣病は
拡大していた。
 さらにそのあと、「原子力時代」が喧伝され、無謀、危険極まり
ない、利益追求がまだ終了していない。
 これから、爆発した福島原発の膨大な量の汚染水が海に放出されよう
としている。このなかにふくまれている核物質クリプトンは、まだ
建設中(30年たっても完成の見通しはない)の青森県六ヶ所村の核燃料
再処理工場からも、放出が予定されている。
 1960年代。あれほど公害が住民を苦しめ、死者を出し、経済的に
圧迫し、社会を不安にしたのにもかかわらず、いま世界最大の公害源・
原発を平然と押し進める、自公政府、政治家、電力会社、科学者、広告
会社の欲望は、犯罪的だ。
 この私欲は私害であり、社会秩序を破壊、経済的に打撃を与える
公害だ。
 脱原発を総選挙の主要なテーマにしよう。
     (週刊「新社会」10月13日第1229号「沈思実行73」より)

〔411〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり⑳-2  お米の収穫作業(乾燥、籾摺り、選別、袋詰め)(矢部顕さん)

2021年10月23日 | メール・便り・ミニコミ
●福田三津夫様

「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり⑳-2
お米の収穫作業(乾燥、籾摺り、選別、袋詰め)









籾を乾燥機に入れて、所定の水分量になるまで乾燥します。
今年はよく乾いていますので、12時間くらい乾燥機を動かします。
灯油を燃やして温風をまんべんなくあてるのです。
(乾燥機は灯油、コンバインは軽油、田植え機はガソリン、
草刈機は混合油、と機械類はすべて石油が無いと動きません。
こうやってみると農業も石油に頼っていることがわかります)

乾燥が終わると籾摺りです。籾摺り機で籾を除去していくと、玄米
になります。
その玄米を米選機にかけて、未熟米や不良米を取り除いて、玄米
の出来上がりです。排出口に紙袋を置いて30kgを袋に入れます。
これでお米の出来上がりです。

秋のお米の収穫作業は、「稲刈り」と一言で言いますが、内容は 
稲刈り、脱穀、乾燥、籾摺り、選別、袋詰め と一連の作業が
あるのです。
これらの作業が終わると、お年寄りの言葉ですが
「秋が終わった」と表現する言い方をします。
「秋が終わる」とお米つくりは終わりです。

                              矢部 顕

〔410〕「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり⑳-1  稲が黄金色に稔ってきました――稲刈りが始まります(矢部顕さん)

2021年10月21日 | メール・便り・ミニコミ
●福田三津夫様
「定年帰農」者のお米つくりとブドウつくり⑳-1
稲が黄金色に稔ってきました――稲刈りが始まります











「実るほど頭が垂れる稲穂かな」
こうなると稲刈りのはじまりです。コンバインという機械で行うのですが、
大きなバリカンが前についる稲刈り機と、稲の穂の実(籾)だけを取り込む
脱穀機が一体になったディーゼルエンジンで動く機械です。
コンバインを運転するのは年に1回この季節だけなので、操作の方法を思い出す
のに時間がかかります。(苦笑)

脱穀機のタンクに籾(実)がいっぱいになりますと、軽トラックに積載したコンテナ
に籾を移して、自宅倉庫の乾燥機まで運搬します。
これを何回かくりかえして、乾燥機の容量がいっぱいになるまで籾を入れます。
昔は、稲刈りをしたら、束ねて、竿にかけて、田んぼの中で天日乾燥をしていました。
乾燥した後に、脱穀作業をしていたのです。
今は、刈り取りと脱穀をコンバインという機械で同時的に行い、その後に乾燥機で
乾燥するのです。
                               矢部 顕

〔409〕10月15日(金)、第5回「原発いらない金曜行動」に初参加しました。

2021年10月17日 | 市民運動
  来年6月に中世ドイツの彫刻についての本を連れ合いと出版する予定でいます。これが実現すると久しぶりの共著ということになります。『男の家庭科先生』(冬樹社、1989年)、『ヨーロッパ2人旅、22日間』(私家版、2000年)以来3冊目になります。
  10月15日(金)、神保町にある丸善プラネット株式会社に出版の打ち合わせで都心に出かけたのでした。
  用事が済んでから神田の本屋を見て回りました。街の佇まいはあまり昔と変わらないのですが、店内に入ってその変貌に唖然としました。
  1970年代に教師になった私は高島平の団地に住んでいました。休日にはしばしば都営三田線一本で神保町まで行ったものです。お気に入りの本屋は書泉グランデでした。教育初め社会科学の本が充実していて見るのに飽きませんでした。ところが今はなんと教育コーナーはなく、社会、思想、哲学の本も無くなろうとしていて本棚はすかすかでした。若者向けに変貌しているかのようでした。
 書泉の独特のデザインの栞がお気に入りでストックしていて、人に差し上げたりしたものです。それも今は何処にも見当たりませんでした。
実は最初にコーヒーを飲みに東京堂に入ったのですが、ここは逆に以前とは見違えるような品揃え豊富な書店になっていて、ある感動を覚えたのです。様々なコーナーに分かれていて、書籍も充実していて時間があれば何時までも「探検」したいような気分でした。
かつての東京堂も老舗書店の趣があり好きでしたが、洗練された今の東京堂にはまた足を運びたいと思いました。

 はてさて、この10月15日(金)は「原発いらない金曜行動」の日でした。毎月第3金曜日(19日の場合は総掛かり行動と重なるので第4金曜)ということで、今回が5回目です。
 夜の6時30分からなので少し早めに国会議事堂前の駅に着きました。2015年9月から始まった集団的自衛権反対の19日行動は衆議院会館前ですが、そこから少しのところが集会の場所、首相官邸前でした。
  私たちにとっては久々の国会前行動でしたが、コロナ禍でも運動を持続している人たちが200人も集まっていました。横断幕や手作りのプラカードで賑やかです。
 まずは和太鼓演奏からスタートです。落合恵子さんのスピーチの後は延々7時45分までおそらく30人以上の人がマイクを握ったことでしょう。コールにはすかさず小太鼓であいの手が入ります。元気よく歌う人もいました。シンガーソングライターの人の名前は失念しましたが。
 コロナが下火になって、原発反対運動にも足を運ばなくてはと思った次第です。

 ところでこの「原発いらない金曜行動」はどうして始まったのか、「レイバーネット」のサイトに次のような記事が出ていましたので転載させていただきます。

■新たな「原発いらない金曜行動」が始まります!

投稿者: 木村雅英

【案内】「原発いらない金曜行動」
日時:2021年6月18日(金)18時30分~19時45分
場所:首相官邸前
主催:(仮名)「原発いらない金曜行動」実行委員会
発言予定:鎌田慧さん、落合恵子さん、佐高信さん、古今亭菊千代さん、神田香織さんほ


参加のお願い:
 3・11後から10年間毎週金曜日に首相官邸前や国会正門前で反原発・再稼働阻止の抗議の「場」を提供してきた首都圏反原発連合(反原連)が本年3月末に金曜行動を休止しました。
 そこで私たちは、政府に原発ゼロの実現を迫る新たな行動の「場」を首相官邸前に設け
る決意をしました。月に一度(第3金曜日)ですが、首都圏の反原発運動を結集するとと
もに、全国で今も「金曜行動」を闘い続けている仲間たちと連帯し、東京で「原発いらな
い金曜行動」を多くの皆さんとともに訴えていきます。
 ぜひご参加下さい。創意工夫のプラカードなど大歓迎です。
 コロナ蔓延の折、蜜を避け、マスク着用・消毒にご留意願います。

「原発いらない金曜行動」呼びかけ人(あいうえお順):
青山晴江(詩人)、市原みちえ、落合恵子(作家)、鎌田慧(ルポライター)、神田香織
(講談師)、菊地輝子、木村雅英(経産省前テントひろば)、久保清隆(再稼働阻止全国
ネットワーク)、古今亭菊千代(落語家)、佐高信(評論家)、志田文広(とめよう!東
海第二原発首都圏連絡会)、下山保(パルシステム連合会初代理事長)、新居弥生(原子力
規制委員会毎水曜昼休み抗議行動)、橋本輝之(ピースサイクル全国ネットワーク)、武
笠紀子(反原発自治体議員・市民連盟)、柳田 真(たんぽぽ舎)、横田朔子(たんぽぽ舎)、
乱鬼龍(川柳人)、渡辺マリ(市川市在住)

主旨説明:
 3.11東電福島第一原発事故後11年目に入り、反原発の闘いも新たな局面を迎えて
来ています。
 東電福島第一原発事故は全く終わっていません。「廃炉」の姿が見えず、30年~40
年とされていたロードマップを誰も信じず、「廃炉」まで300年近くかかるかも知れな
いと予想されています。汚染水対策も破綻していて、菅政権が「海洋放出」を関係閣僚会
議で決定しましたが、全漁連のみならず福島県内・国内・海外からの反対の声が燃え上が
っています。また、未だに数万人の被害者は帰還できず、賠償も不十分で、被災者はAD
R仲裁和解案を拒絶している東電に対して30もの賠償請求裁判を起こしています。
 一方で、事故原因の検証もしないまま、「緩やかに過ぎ合理性を欠く」新規制基準によ
る審査で原発の再稼働が進み、六ヶ所再処理施設まで審査「合格」し、地層処分の候補地
が名乗り出るなど、現菅政権はあたかも3.11以前の原発推進社会に戻そうとしている
かの様です。大阪地裁・水戸地裁などの裁判所で稼働差止の判決が出されたのも当然です。
 そればかりか、菅政権は、原発稼動を優先させて再生エネルギーを押さえつけ、40年
超えの老朽原発の再稼働を目論み、小型原発の研究開発まで持ち出して、原発を推進して
います。現在策定中の第6次「エネルギー基本計画」では、地球温暖化対策を口実に原発
を残すばかりか、第5次「エネルギー基本計画」にあった文言「原発への依存度を可能な
限り低くする」をカットするべきとのひどい意見が出たり、リプレース・新増設が提案さ
れています。
 3.11後早々に脱原発を決意したドイツは、本年3月11日に「脱原子力完了のため
の12項目ードイツ連邦環境省の基本姿勢」を発表しました
(http://sayonara-nukes.org)。
 広島・長崎・福島を経験した日本でも原発ゼロを実現するべく、月に一度(第3金曜日)
の行動の「場」を生かして闘い続けましょう。

〔408〕JOHN KAMPFNER『Why the Germans Do it Better』(なぜドイツ人はうまくやれるのか)が当たりましたが…。

2021年10月14日 | 図書案内
  月1回だと思いますが、朝日新聞にグローブという小さな新聞が付いてきます。メインの特集記事の後、「Bestsellers 世界の書店から」という定例ページがあります。例えば、イギリスと韓国では今どのような本が読まれているか、確かベスト10くらいの本がそれぞれ紹介されているのです。取り上げられる国は、欧米とアジアそれぞれ1カ国ということが多いようです。各国の世論を知る手がかりになるこのコーナーが私のお気に入りで必ず目を通します。
  ある号で、イギリスのベストセラーが取り上げられました。そこには「イギリス人はなぜドイツが好きなのか EU離脱しても変わらぬ愛情」とあるではないですか。実に意外な感じがしました。ロバート・ウェストールの物語には度々イギリス本土を襲うドイツ爆撃機のことが登場してきます。イギリス人のドイツに対する嫌悪感は推して知るべしです。にもかかわらず、本当にイギリス人はドイツが好きなのでしょうか。
  そんな素朴な疑問でこの本を読んでみたくなりましたが、現在翻訳はされていません。しかし原本を読者にプレゼントしてくれるというのではがきで感想を書いて応募したところ、なんと当選したのです。昨夜届いてびっくりしました。315頁の英語本を睡眠薬代わりにでも読むことにしましょうか。
 グローブHPにあった記事を掲載させていただきます。

●グローブHPより
■イギリス人はなぜドイツが好きなのか EU離脱しても変わらぬ愛情
Bestsellers 世界の書店から
2021.08.01

英国人のドイツ愛は昔から根強い。言語が縁戚関係にあるほかエリザベス女王のウィンザー家がドイツ中部にルーツを持つことも理由の一つかもしれない。英国支配階級は二つの大戦で味方だったフランスよりも2回も敵に回したドイツに親近感を寄せ、第2次世界大戦勃発ぎりぎりまで彼らが娘たちを「花嫁修業」としてドイツに留学させていた事実もある。彼らの心のうちでは、どこの馬の骨とも知れないヒトラーを胡散臭く思う度合いよりも、ドイツ文化を敬愛する度合いがまさっていたのだ。

という昔話はさておき、本書『Why the Germans Do it Better』(なぜドイツ人はうまくやれるのか)はタイトルからしてやけに低姿勢だが、副題の『大人の国からの報告書』にいたっては感無量である。われわれ日本人は英国こそが大人の国だと思っていたが、彼ら自身はドイツをそう見なすにいたったのか。ここ数年ロンドンの書店ではドイツの再認識を促す本が目立つ。その背後にはブレグジット(EU離脱)を悔やむ心情、新自由主義経済に対する忌避感、落ち着いた政治家へのあこがれ、そしてコロナ禍への対処の相違(ドイツの方が科学的だった)がある。

現代ドイツの諸側面を七つの章に分けた本書の著者はもともとデイリーテレグラフ紙の最後の東ドイツ特派員ということもあり、東西ドイツの統合前後の経緯(東ドイツからやってきたメルケルの横顔も特に)は読み応えがある。そのきっかけとなった1989年ベルリンの壁の崩壊と、シリア人流入で目立った2015年の難民危機などを著者は戦後ドイツの重要な通過点と位置づける。これらに勇猛果敢に着手し着実に乗り切ってきたドイツのやり方を、著者はlangsam aber sicher(ゆっくりと、しかし確実に)と形容する。それがドイツの美点であり強みであると。確かにそうした特質は現在の英国に欠落している。著者の結論を抄訳で紹介しておこう。

「ドイツはナショナリズム、反啓蒙、恐怖が跋扈(ばっこ)する時代のヨーロッパにおける最善の希望である。(中略)誰がヨーロッパ的価値を代表し得るだろう? 誰が権威主義的体制に立ち向かうことができるだろう? 誰が自由民主主義の旗手たりえるだろうか? ドイツにはできる。なぜなら彼らは歴史の教訓を忘れたときに何が起きるか熟知しているからである」

〔407〕ようやく、名優・伊藤巴子さんの『舞台歴程-凜として』(一葉社)を手に入れました。

2021年10月13日 | 図書案内
  伊藤巴子さんという名優をご存じでしょうか。彼女の略歴については「著者紹介」をご覧ください。まさに名優、大女優の一人と言っても過言ではありません。
 私にとっては『乞食と王子』(『王子と乞食』ではない)で主演している彼女を見たのが最初の出会いでした。実にしなやかで表情豊かな演技に引きつけられあっという間に彼女の虜になってしまいました。当時はすでに年輩の女優さんでしたが、歳を感じさせない輝きがありました。
 彼女の名前を一躍有名にした『森は生きている』の舞台は残念ながらこの目で見ることはできませんでした。しかし、私が東久留米市で教師をしていたときに、演劇鑑賞教室実行委員として劇団仲間の「ちいさなけしの花」を東久留米市の小学校の巡回公演に招致することに成功しました。伊藤さんも出演の劇で子どもたちと一緒に至近距離から舞台を鑑賞することができたのです。その顛末が、本文「劇団仲間『ちいさなけしの花』-デビット・ホ-ルマンさんからの贈り物」に綴られています。

 親しくお話しさせていただくようになったのは日本演劇教育連盟の演劇鑑賞教育研究会というサークルに参加したときでした。刀禰佳夫さんや副島功さん、市橋久生さんとご一緒させていただきました。彼女は連盟の顧問をされていたということもあり、私のミニコミ「啓」を送らせていただき、懇意にしていただいたのです。
  『舞台歴程-凜として』は彼女の初めての本です。数年前に発行されていたのは当然知っていたのですが、ひょんなことから最近手に入れたのです。
  伊藤さんは本書を出版され半年後の2016年12月に逝去されました。以下は2016年12月19日付の朝日新聞(朝刊)の訃報です。私の手帳に切り抜いて貼り付けておいたものでした。

●伊藤巴子さん(いとう・ともこ=俳優、本名舟本巴子〈ふなもと・ともこ〉)が17日、心不全で死去、85歳。故人の遺志で葬儀は行わず、後日しのぶ会を開く予定。連絡先は一葉社(03・3949・3492)。
 東京都出身。児童演劇の普及活動などに取り組んだ。


  『舞台歴程-凜として』は第1幕は日本の劇団上演に触れたもの、第2幕は中国・韓国のもの、第3幕は米国、欧州、ロシア、豪州、キューバのものを発表順に収めています。発表誌は『悲劇喜劇』(早川書店)、『月刊 音楽広場』(後に『月刊 クーヨン』)、『演劇と教育』(晩成書房)の3誌です。
  「プロローグ 演劇で輝く子どもたち」は第57回全国演劇教育研究集会(日本演劇教育連盟主催)の記念公演でした。2008年、東京学芸大学での穏やかだけど凜とした語り口が脳裏に蘇ってきました。


○『舞台歴程-凜として』伊藤巴子、一葉社、2016年5月、398頁
〔以下、一葉社HPより〕
■著者紹介■
 1954年、俳優座演劇研究所附属養成所卒業、劇団仲間入団。養成所在籍中に俳優座劇場杮落とし公演『森は生きている』で初舞台。以後、『乞食と王子』で主演(57年から通算1580公演)、『森は生きている』で主演(58年から通算2000公演)の記録樹立。『かぐや姫』『華岡青洲の妻』『花いちもんめ』『婉という女』『人形の家』『風浪』『少年王 マチウシ』等数かずの舞台に立ちつつ、中国をはじめ各国との演劇交流に尽力。全国各地の児童青少年演劇活動も支援。
 日本児童青少年演劇劇団協議会代表幹事、日中演劇交流話劇人社理事長、湯浅芳子の会会長などを歴任。山本安英賞、日本児童演劇協会賞、紀伊國屋演劇賞などを受賞。2015年、日中演劇人の友好と相互理解促進で「文化庁長官表彰被表彰者」に。        

■内容紹介■
 『夕鶴』の劇作家・木下順二氏らの推奨により本物の演劇人にのみ与えられるあの山本安英賞を受賞し、世界的な名作『森は生きている』の主演で通算2000公演超えの記録を樹立!――俳優座養成所を卒業して「劇団仲間」創設以来、フリーランスで活躍する現在までの60年余、『森は生きている』ほか数かずの記念碑的作品を演じつづけ、要職に就きながら中国をはじめ各国との演劇交流に尽力し、全国各地の児童青少年演劇活動の支援や指導に取り組む伝説的な舞台女優初めての書。
 北海道から沖縄まで全国各地で芝居を創りつづけたこれまでの舞台一筋の軌跡と、国内はもとより中国・韓国・豪州・ハワイ・西欧・北欧・ロシア・キューバへと世界の演劇を観つづけた感動・発見の旅、そして揺るぎなくも温かく柔らかい視点からの劇評と演劇人物評等あわせて116篇を収録。
 名女優は、舞台の上で凜として立ち、時間も空間も、おとなと子どもの境界線も飛び越える。

■もくじ■
 プロローグ 演劇で輝く子どもたち

   第一幕

「婉」に会う
『森は生きている』を知っていますか
中村俊一さんとの三〇年
西田堯舞踊団の公演
私の芝居の原点・岩手県西根(田頭村)
『森は生きている』一四三九回公演
東京演劇アンサンブル・ブレヒトの芝居小屋にて
オペラシアターこんにゃく座の公演
湯浅芳子さんの品格
劇団コーロ『私が私と出会う時』
「四万十川こども演劇祭・’93夏」
「岡本文弥九十九歳歌います」
大井弘子さんの「ビバボ人形劇」
私の歩く道を決めた『森は生きている』
人形劇団ひとみ座創立四五周年
川尻泰司さんとの告別
劇団風の子の民話劇
劇団仲間『ちいさなけしの花』
青山杉作先生の助言で
東京演劇アンサンブル『奇跡の人』
沖縄の洞窟で上演された『洞窟』
デビッド・ホールマン『すすむの話』
美しい日本語の舞台『ふたりのイーダ』
大阪の劇団コーロの『ときめく時にさそわれて』
組オペラ『隅田川/くさびら』
青年劇場『遺産らぷそでぃ』
杉村春子の『華岡青洲の妻』
『クニさんとひろ子さんのふしぎだな』
人形劇団プーク『ジェニー』
木山事務所プロデュース『はだしのゲン』
『My Love Letter』
兵庫現代芸術劇場主催・企画『シャドー・ランズ』
岩手県湯田町のぶどう座
劇団昴『噓つき女・英子』
青年劇場『こんにちはかぐや姫』
高瀬久男作・演出『この空のあるかぎり』
世田谷パブリックシアターでの『コルチャック先生』
坂東玉三郎の『夕鶴』
オペレッタ劇団ともしびの訪韓公演
高知県春野町ピアステージの歴史に残る舞台
ミュージカル『スクルージ』
調布市民演劇センター公演
田頭村・長沼民次郎さんとの告別
楽劇団いちょう座の豊かな想像の世界
東京芸術座『勲章の川――花岡事件』
文学座『THE BOYS』
劇団ひまわり『ベイビー・ラブ』
上田演劇塾の開塾
子ども目線でつくる劇団風の子
音楽劇『ちゅうたのくうそう』
演劇集団円+シアターχ提携公演『インナーチャイルド』
兵庫県立ピッコロ劇団『ホクロのある左足』
きんか舎公演・早坂久子『雁の帰るとき』
『小さき神のつくりし子ら』
こんにゃく座・林光オペラアンソロジー
上田演劇塾「いのち」
劇団風の子東京公演
文学座公演・別役実『最後の晩餐』
きんか舎公演『それゆけ、クッキーマン』
きんか舎公演『少年王 マチウシ』
前進座『大石内蔵助――おれの足音』
日本フィルハーモニー交響楽団
スウェーデン大使館児童青少年演劇祭
藤原新平語録
演劇集団円『くすくす、げらげら、うっふっふ』
飯沼慧さん
『火山灰地』
『森は生きている』一八九五回上演
菊地勇一さんへのラヴレター――追悼
私の初舞台と問われて
追悼・広渡常敏さん
こんにゃく座『オペラ想稿・銀河鉄道の夜』
大澤郁夫さんを悼む
西田堯さんを偲ぶ

   第二幕

『森は生きている』上海公演
昆劇女優張継青さん
上海昆劇大会
上海人民芸術劇院『家』日本公演
活気ある中国話劇界
中国を見つめることは日本を見つめること
天津芸術学校・少年児童京劇芸術団の舞台
韓国の三人の老俳優
中国の旅の思い出
名作『馬蘭花』と任徳耀さん
ジョン・ラーベ『南京の真実』
江蘇省京劇院日本公演
過士行作『棋人――チーレン』日本公演
劇団サンウルリム『ゴドーを待ちながら』日本公演
現代劇『非常麻將』と京劇『宰相劉羅鍋』
広州国際小劇場演劇祭・宮本研『花いちもんめ』
中国江西省・民間伝承芸能「儺舞戯」
英若誠さん追悼

   第三幕

憧れのレニングラードへ
ホノルル児童・青少年劇団『さよなら、サモア』
メルボルンで観た子どもたちへのオペラ『月の戦車』
フライング・フルーツ・フライ・サーカス
ロシア国立ペルミ・バレエのガラ公演
ロストフ国立青少年劇場から招かれて
キューバで観たミュージカル『モモ』
たったひとりの人形劇団モネゴイル
デンマーク演劇祭での経験
演出家コロゴッスキイさん
ストックホルム「国境のない演劇祭」
北欧への旅
アントニオ・ガデス舞踊団『アンダルシアの嵐』
フィンランドの演劇事情
ユーゴザパド劇場『どん底』を観た幸せ
『おじいちゃんの口笛』
スウェーデン、デンマーク演劇の旅
モスクワ劇場めぐり
静岡芸術劇場でのリトアニアの『マクベス』
ピーター・ブルック演出『ハムレットの悲劇』
映画『魔王』が告発する「ヒトラー・ユーゲント」の狂気
マールイ・ドラマ劇場、ドージン演出『兄弟姉妹』

 エピローグ 子どもの芝居に不可欠な理想主義、気品、凜としたもの

〔406〕「象徴天皇制の地場」における平和(戦争)を考察する(村上芳信さんのミニコミより)

2021年10月12日 | メール・便り・ミニコミ
 村上芳信さんはこのブログでも度々紹介していますが、元横浜の中学校教師です。すでに70年代には組合の闘士として名を馳せ、私はその言動に注目していました。そして、おそらく彼が50代になって演劇教育に関わられてから、私にはより身近な存在になったのでした。現在はとうに退職されていますが、ここ数年体調がすぐれず入退院を繰り返されているようです。
 そんな中、村上さんが発行する地域総合誌『蘖・ひこばえ』49号(2021.10.5)が送られてきました。A5版で76頁立ての労作です。
 私は、村上さんの次の論考に目が釘付けになってしまいました。
  
特集1 地域から民主主義をつくる 
(連載)「弐度目の敗戦はご免こうむる」(加藤陽子)(6)
    こどもの国はなぜ田奈弾薬庫施設を遺したままで造られたのか?!(続)
       「象徴天皇制の地場」における平和(戦争)を考察する

 ここでは金子淳さんの研究論文「象徴天皇制の地場に生まれた“ゆめの空間”」に触発されて村上さんが展開した3つの実践が紹介されています。
①戦後50年の1995年に一斉道徳で田奈弾薬庫に取り組む
②戦後60年の2005年に演劇教育で田奈弾薬庫に取り組む
③戦後70年の2014、5年に平和の碑に自虐史観批判が始まる

 それぞれの実践について資料を示しながら詳述されています。
 村上実践で刮目に値するのは田奈弾薬庫・待避壕の内部を誰よりも早く子どもたちと見学したという事実です。その後の「戦争遺跡の見学コース」の礎をつくったということのようです。
 村上さんは最後に次のように述懐しています。

 「こどもの国はなぜ田奈弾薬庫施設を遺したままで造られたのか?!」との疑問には、こどもの国の田奈弾薬庫「象徴天皇制の地場」における平和(戦争)が強化されて、田奈弾薬庫を戦争遺跡として公開するためですとわたしは答えたい。


 久しぶりに鎌田さんのコラムを紹介します。

◆学術会議6人の任命
  任命拒否を容認する強権は認められない

    鎌田 慧(ルポライター)

 また三代目。岸田文雄首相が出現。敗れた河野太郎氏も三代目だった。
 安倍晋三、麻生太郎、小泉純一郎と遡(さかのぼ)ってみても三代目
首相。福田康夫は二代目。まるで歴史が凍結したかの門閥政治。
民主主義などどこ吹く風。
 さらに党三役、大臣には岸、福田、鈴木、西銘など
政治家一家の商標。

 岸田内閣の組閣は安倍、麻生、甘利明の3A長老の談合だ。
 その証拠に各派閥の不満が出ないよう構成員が均等にポストを割り
当てられた。これほど恣意(しい)的、露骨な政治を民主主義と
言えるのか。
 勝手な政治が行われても有権者が怒らない。残念ながら投票で社会が
変わるとは信じないからだ。

 安倍・菅首相の身内への利益導入は鼻についた。
 防衛予算の歯止めを外して米製戦闘機を爆買い、沖縄・先島での軍事
基地の増強、集団的自衛権の行使容認などは、歴史を逆行させる
悪政である。
 さらに許されないのは、昨年、学術会議が推薦した会員候補6名の
任命を拒否した、思想と学問の自由への弾圧である。

 1930年代。天皇機関説を主張した美濃部達吉名誉教授の著書が発禁
処分、さらに美濃部本人への暴漢の襲撃が誘発された。
 民主主義の根幹をなす思想と言論への菅前首相の不当なパージは、
まだ撤回されていない。
 新内閣はこの問題に頬かむりするのか。
 任命拒否を容認する強権は認められない。
 首相の見解を問いたい。
  (10月5日東京新聞朝刊23面「本音のコラム」より)

〔405〕ドキュメンタリー「NAGASHIMA~“かくり”の証言」が遂に完成しました。(矢部顕さん)

2021年10月07日 | メール・便り・ミニコミ
■福田三津夫・緑様

●最初のシーン
濃い青色の未明の海と崩れ落ちた患者収容桟橋

●ナレーション
波ひとつありません。
浮かんでいると本土まで運んでくれそうな海なのですが、
凪いでいても隔ての海です。
今まで誰にも話さなかった。この桟橋から、島にあげられたときのことを。
顔を出さなかった、家族に迷惑がかかるから。
でも、もう時間が残っていません。
あなたにだけは知っていてほしい。
あなたに真実を託します。
*     *     *     *

ドキュメンタリー映画製作に協賛金をいただき感謝申し上げます。おかげさまで、
ドキュメンタリー「NAGASHIMA~“かくり”の証言」が遂に完成しました。
27人の入所者の証言を集めて、愛生園の四季と織り交ぜた構成になっています。

また、廃棄されていた愛生園が出来たころの過去の古い16mmフィルムを拾った
入所者の方がいたのですが、その映像も使われています。

現在は、日本におけるハンセン病の長い歴史(光明皇后の時代から?)の最後の最後の
局面ですが、最後の証言集となります。
高齢で、証言出来る人の最後です。今後はもう不可能でしょう。

下記は製作実行委員会のHPです。
https://www.kakurino-shougen.com/

コロナ禍が落ち着かないと難しいと思いますが、今後は全国各地で自主上映会を開催して
いただける方やグループを募っています。

ドキュメンタリー「NAGASHIMA~“かくり”の証言」製作実行委員会
矢部 顕