後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔219〕東京都美術館「クリムト展」から再始動、これからやりたいことがてんこ盛り。

2019年05月21日 | 美術鑑賞
 ブログ、しばらくのご無沙汰でした。
 98歳の母が亡くなりました。5歳年上の父を62歳の時に亡くしているので、かれこれ30数年間一人で生きてきたことになります。今年になってからついに実家から老人ホームに入りましたが、程なく体調を崩し緊急入院を余儀なくされました。意識がなくなったのは亡くなる2週間前でした。
 大往生といってもいい、見事な生涯でした。「友だちはみんな死んでしまった。」と言っていた母ですが、庭の草木をいじるのが大好きでした。近所の乱雑に出されたごみの始末に生きがいを感じていました。
 危篤状態が続いた2,3週間、私は大好きなバドミントンももちろんストップしていました。今、通夜、告別式を終え、一段落がつきました。あとはゆっくり時間をかけての後始末です。

 自分を日常生活に戻す第一歩は美術鑑賞でした。東京都美術館で開催されているクリムト展です。

■クリムト展(東京都美術館HPより)

待望のクリムト展、過去最大級。

19世紀末ウィーンを代表する画家
グスタフ・クリムト(1862-1918)。
華やかな装飾性と
世紀末的な官能性をあわせもつその作品は、
いまなお圧倒的な人気を誇ります。
没後100年を記念する本展覧会では、
初期の自然主義的な作品から、
分離派結成後の黄金様式の時代の代表作、
甘美な女性像や数多く手がけた風景画まで、
日本では過去最多となる
油彩画25点以上を紹介します。
ウィーンの分離派会館を飾る
壁画の精巧な複製による再現展示のほか、
同時代のウィーンで活動した画家たちの作品や、
クリムトが影響を受けた
日本の美術品などもあわせ、
ウィーン世紀末美術の精華をご覧ください。


 2019年5月15日(水)、この日はシルバーデイで65歳以上は入館無料です。暑くも寒くもなく絶好の美術鑑賞日和でした。いつものように開館(9時30分)一時間前に都美術館の入り口に到着しました。すでにざっと200人以上が入場を待っていました。
 9時15分頃から移動が始まりました。渦を巻くように大回りして先頭がエスカレーターに吸い込まれていきます。館内に入ってから4回ほどに分けて入室していきました。
 最初は混み合う感じですが、徐々にゆとりを持って鑑賞できていきました。

 さて、今回の展覧会の主な作品はウィーン、ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館所蔵のものです。実はここには2度ばかり現地を訪れているので、初見のものはほとんどないのです。(ユディトⅠ、ベートーヴェン・フリーズ=複製、アッター湖畔のカンマー城Ⅲなど)しかしながら、収穫はあるものです。下掲の作品は初見です。

・「女の三世代」ローマ近代美術館蔵
・「オイゲニハ・プリマフェージの肖像」豊田市美術館蔵
・「ヌーダ・ベリタス(裸の真実)」オーストリア演劇博物館蔵
・「赤子(ゆりかご)」ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵→見ているかもしれないのですが、あまり記憶にありません。

 
 せっかく上野まで来たので東京国立博物館で開催されている「東寺展」に寄ったのですが、チケット売り場がいやに混んでいてやめました。東寺には3度くらい足を運んでいるのまあいいかという感じです。

 オーストリアといえば、日本オーストリア友好150周年記念で「ハプスブルク展」(国立西洋美術館、2019.10.19~2010.1.26)が開催されます。妻の福田緑の『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』出版の際にお世話になったウィーン美術史美術館の修復担当の方が東京に見えるかもしれません。
 この秋楽しみにしている展覧会の1つです。


 *清瀬市の政治状況が実におもしろくなってきました。いずれ詳しく触れます。
 *今だからこそ、天皇制、元号についてもしっかり考えたいと思っています。

〔218〕ミニコミ「啓」100号への祝いと励ましのことばが篤く続きます。

2019年05月04日 | メール・便り・ミニコミ
  ミニコミ夫婦共同誌「啓」が100号で終刊をしたことはすでにブログでお伝えしたとおりです。約30通はチャンスを捉えて徐々に手渡しする予定でいますが、宅急便で約100通を送付したところ、なんと40件を超える手紙、はがき、メール、電話の返信がありました。そのいくつかはブログに紹介したとおりです。(久我良三さん、中村英之さん、白石孝さん、松本輝夫さん)
 その他の人については、いつもならミニコミに紹介するのですが、今回はブログに紹介させていただきます。
まずは、私達の初めての拙著『男の家庭科先生』(冬樹社)に一文を寄せていただいた半田たつ子さんです。

■半田たつ子さん
おめでとう!百号。以前「お二人は百号まではがんばろう」と励まし合っておられるのでは、と書いたことがありました。百号は今日少しよそいきの顔をしてやってきました。「啓」を楽しみにしておられたご同類の覆面がはずされたのもうれしく、先日亡くなられた吉沢久子さんも読んでおられたのですね。啓くん、奈々子ちゃんは、親戚のような気持ちでしたが、立派に成人されたのもうれしく、緑さんが七回目の恋でラッキーセブン三津夫さんとゴールインしたこと、そのおかげで私たちは「啓」の読者になれたこともうれしく、ニコニコしっぱなしの百号! 私の「早いもの勝ち」の仕事のクセで、きれいなはがきにすぐおよろこびを書く…ために小さい字になったことお許し下さい。お疲れ様でした。

 吉沢久子さんは、冨田博之さんの紹介で古谷綱武さんを介して読者になっていただきました。通信をずっとお送りしていたところ、数冊の御著書が送られてきたので至極恐縮したことがありました。101歳で逝去されました。


■エッセイストの吉沢久子さん死去、101歳 「家事評論家第1号」
(毎日新聞2019年3月23日)
●死去した吉沢久子さん
 「家事評論家第1号」と呼ばれた生活評論家で、エッセイストの吉沢久子(よしざわ・ひさこ、本名古谷久子=ふるや・ひさこ)さんが21日午前1時50分、心不全のため東京都内の病院で死去した。101歳。東京都出身。生前の本人の希望で遺体は献体され、葬儀・告別式は行わない。
 事務員、速記者を経て、文芸評論家、古谷綱武さんの秘書となった。古谷さんと結婚した1950年代から新聞や雑誌などに、料理や食文化、家庭生活に関する原稿を執筆。家事経験を生かした合理的な記事で「家事評論家」として活躍し始めた。
 著書に「素敵な老いじたく」「前向き。」「家事レポート 50年」など多数。(共同)

  次に同世代の演劇教育の仲間のお二人を紹介します。内部恵子さんと大溝アキラさん、まさに畏友と呼ぶべき存在です。

■内部恵子さん
 福田先生、「啓」100号発刊までの43年間、ご苦労様でした。そしてこれまでお届けくださったことを感謝いたします。
 ミニコミ誌は数多くあれど「啓」ほど異彩を及つ情報誌は無いと思います!
「啓」での福田ご夫姜のお志の高さ、内容の多様さ濃密さは驚くばかりで、教育世界や精神世界、不穏な社会の末路をも示唆してくださいました。一夫婦の歴史を凌駕するものが「啓」にはありました。
 100号で始められた端緒や息子様への思いもわかり、教師4年目の若い福田夫妻の記事や昔の写真の数々を目にし、改めて43年間の歴史を感じ入りました。
 福田先生は演教逹の常任理事も辞められるのですね。それはとても残念です。私にとって演教逹は福田先生でした。福田先生だからこそ語れる言葉、見つめるまなざしがあります。これからも何らかの形で発信していただきたいと思います。
 緑様、魅力的です。お会いしたかった!


     「啓」百号達成に寄せて             大溝アキラ
 
 福田三津夫さん・緑さん、「啓」百号達成おめでとうございます!
 四三年という長い歳月を共に歩んで来られたことは、何よりもお二人の気持ちが一つになり、目ざすべき方向が一緒であったということですね。三津夫さんは、「実践的演劇教育―ことばと心の受け渡し」、緑さんは、「祈りの彫刻、リーメンシュナイダーを歩く」というそれぞれが、メインテーマを持ち続けながら、教育労働者としての生き方を実践しながらの喜怒哀楽の人生航路だったように思います。
 「教育労働者」そうです、僕もそうだったように、資本主義社会の中で教育労働に携わりながら、劇的な表現活動を通して現代社会の異相を射ることを生業としてきたのですからね。
 僕は三津夫さんと同じ団塊の世代で、今年の五月に七一歳になります。学生の時は、正嘉昭さんと同じ大学の演劇部で、反戦・平和、反権力ということで、サルトルの「アルトナの幽閉者」や「出口なし」の芝居を打ちながら、アンガージュマン(社会参加)よろしく学園闘争に明け暮れていました。
 学生時代は、しばらく山谷で働きながら社会の底辺で働く日雇い労働をしていたせいか、
見つめる視点は、常に社会の底辺で泥臭く生きている労働者であり、最も弱い立場の人々に共感を寄せながらの人生でした。
 お二人の文章から溢れる実践記録、その時々の旅の記憶や思いは、一服の清涼剤のようでした。「継続は力なり」で、一つことをぶれないで長く続けてきたということは、何物にも代えがたい「宝物」です。
 これからも、「生きることの意味」を見つめながら一回しかない人生を、共に歩んでいけたらと思っています。本当に長い間ご苦労様でした。

●さらに〈第2信〉
 早速の返信ありがとうございます。演教連のたくさんの、そしてかけがえのない仲間たちと、共に同じ目的を持って過ごした時代を懐かしくも嬉しく思っています。
僕は、去年から横須賀演劇鑑賞会の事務局長を担い、忙しい日々を過ごしていますが、一番の趣味である登山は、あと6座となった百名山を今年達成出来たらなと思っています。
 また、自身が主宰している演劇集団THE素倶楽夢も今年25年目の公演を予定しています。例年オリジナルで創作してきましたが、今年は明治12年に横須賀の久里浜で生まれた山田わかさんを題材にした「アラビアの八重と呼ばれた女」を上演する予定です。
 山と劇団も今年節目を迎えたら、少しゆっくりしたいと願っています。三津夫さんも、まだまだやらなければならないことも多々あると思いますが、健康に留意してお過ごしください。
*大溝さんは、石渡アキラ創作脚本集『どぶ板ストーリー』(晩成書房)を近年出版されました。 

 そして、やはり同世代の元教師、塚越敏雄さん。以前ブログで紹介させてもらいました。舌鋒鋭い彼には「啓」発刊当初からおおいに批判されたのですが、その内容は何だったのか、はっきりとは思い出せないのです。ただ、村田栄一さんの評価をめぐっての論争はありました。

■塚越敏雄さん
 先日は「啓」100号をお送りくださりありがとうございます。これだけの内容のものを100号も出し続けることができたとは驚きです。
 『のびのび』(朝日新聞社)とはなつかしい雑誌名です。76年5月号、今読ませていただいてもおもしろく、魅力ある内容です。今の新米先生が読んでも参考になることが書かれていると思いますが、読む余裕させないかもしれませんね。緑さんのクラスと三津夫さんのクラスが対照的なのもおもしろいです。こうした悩みや取り組みを通して、お二人が絆を深め成長されていったのでしょう。
 「良い風吹いているよね-私達の20年」は特に読み応えがあったものです。「ありがとう事件」と類似したことが我が家でもあり、同じような体験をされてきたことに共感を覚えました。
驚いたのは「啓」バックナンバーの目次です。7号「塚越批判への返信」、8号「再び異議あり」、9号「塚越再批判への返信」とは?! 私が何か批判をしたことや、再批判までしたことなど、全く憶えていないのです。どんな内容だったか記憶にないのですが、失礼しました。読んでみたいと思いましたが我が家にバックナンバーがなく残念です。申し訳ないことをしてしまいました。傷ついた側は憶えていても、傷つけた側は忘れてしまうのでしょうか。
 私のほうは、昨年3月に仕事をやめてからは鎌倉駅前での署名活動や腰越九条の会での活動を週に1,2回やっています。リーフレットも何回か改定しました。今回、第3版ができましたので同封します。地元腰越九条の会でも同じようなものを作り、ポスティングの計画を立てています。

 演劇教育の大先輩でもある北村小夜さん、元毎日新聞記者の長谷川孝さん、児童文学の第一人者のあまんきみこさんにもお便りをいただきました。あまんさんは切手も多数送ってくださったお返しに妻の著書を贈りました。それに対するお葉書も…。

■北村小夜さん
 「啓」100号おめでとうございます。でも「終刊の辞」にショックです。きっといつか番号のない号がひょっこりあらわれるのおはないでしょうか。とりあえず長い間ありがとうございました。「啓」そのもの、「波紋」とひろがる記事にずいぶん教えていただきました。感謝のことばしかありません。

■長谷川孝さん
 「啓」100号、拝受、ありがとうございます。浅薄な感想しか返せなかった私に送り続けてくださったこと、厚く御礼申し上げます。イチローの引退のような(比べるべきでないですね。)きれいな終刊。お祝いを申し上げるのがふさわしい気がします。国民教育が「論」から実体化(国・行政が国民・住民を教育する)しつつあるように感じています。ますます発信の必要ありかも。新たな発信にお励みください。

■あまんきみこさん
 「啓」100号ついに頂上につきましたね。読みながら何年ものみちのりをふりかえらせていただきました。長い間の御恵送、ありがとうございます。お二人のこれからの御健康と御活躍を心よりいのりつつ…
〈第2信〉
 近くの公園のみやまつつじが今、綺麗です。
 この度は、『子どもっておもしろい』(福田緑、晩成書房)をありがとうございました。読んでいると子どもたちのいとおしい世界をいろいろ考えさせていただき教えていただき豊かな時間をすごしました。そしてたった1冊だけもっている竹内敏晴さんの本『ことばが劈かれるとき』を久々にひろげました。
 お二人のこれからの御健康と御活躍を祈りつつ…。