後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔126〕『フィンランドは教師の育て方がすごい』は教師養成の貴重なヒントになります。

2017年01月27日 | 図書案内
  私は埼玉大学で非常勤講師として9年間、特別活動論と生活科指導法を教えてきました。そして現在は、白梅学園大学で教育実習指導にあたって5年を終えようとしています。
  最近、教育実習の学生に1冊の本を紹介しました。出版されたばかりの斎藤孝著『新しい学力』(岩波新書、2016・11)です。2020年に予定されている学習指導要領の大改訂で目指しているものは何なのか、それらをコンパクトにわかりやすく提示してくれています。文科省の動向を俯瞰するものとして手っ取り早い出版物です。
 著者はその流れを否定するのではないのですが、教育改革はそれだけでは不十分であり、教師は伝統的な方法も加味しながら実践していくのが望ましいとしているのです。
  参考までに『新しい学力』の内容をもう少し紹介してみましょう。

●『新しい学力』斎藤孝、岩波新書、2016・11
〔トビラ〕2020年に予定されている文科省学習指導要領の大改訂。〈新しい学力観〉に沿った教育現場の改革はすでに始まっている。教科の再編、アクティブ・ラーニングの導入、評価基準の変化──。大きな変化の中で、本当に求められる〈真の学力〉とは何だろうか? 教師も親も学生も必読、〈人〉を育てる教育への、熱意あふれる提言の書!

  読んでいて次の記述に引っかかりました。OECDのPISA(学習到達度調査)についてのことです。

「一時期、この調査で上位にあったフィンランドは、思考力を伸ばす教育方法を実践しているとして注目された。もちろんその教育方法にはいいところもあるが、少なくとも二〇一二年の結果では、フィンランドは三項目とも日本より下位に位置する。」(69頁)

  確かにそのとおりなのですが、なにか違和感をもったのです。そして、フィンランドの教師養成はどうなのか、知りたくなったのです。そんな時、うまい具合に『フィンランドは教師の育て方がすごい』という本が手に入りました。読んで教師養成をする立場の人は一度は目を通しておきたい本だと思いました。表紙の写真に意表を突かれました。小学生2人を指導している、ペンダントを付けた髭面のTシャツの男性は担任の教師ではなく大学の教授でした。大学教師が教育現場に赴くことはまれなことではないようなのです。
  著者の福田誠治さん(現・都留文科大学学長)とは一度だけ出会っています。ラボ教育センターの講演会でのことでした。

●『フィンランドは教師の育て方がすごい』福田 誠治、亜紀書房 2009/3
 〔オビ〕“プロの教師”を育てる仕組みと理念に注目せよ!
テストもないのに子どもたちが勉強する国。
教師が専門職として人気も倍率も高く、国民に尊敬される国。
そして、PISA(学習到達度調査)でつねにトップクラスの国。
その秘密は「揺るがぬ教育理念」と「徹底した実践主義」にあった!
日本と同じく新保守主義の強風に見舞われながらも、格差も競争もない、
子ども一人一人の学力を伸ばす教育体制を作り上げた
フィンランドの“奇跡”を検証する。

〔目次〕
はじめに 足に靴を合わせるように、子どもに学校を合わせる
第1章 フィンランドの教師の一日
1 労働時間/2 学校で何をしているのか/3 授業前後/4 補習の種類/5 学校を出てから帰宅まで/6 帰宅後および休暇/7 学年歴/8 教師の福利/9 教師のゆとりは子どもに返っていく/10 専門家として育てる/11 現場に全権限を/12 教える教育から支援する教育へ/13 自己評価
第2章 フィンランドの教育の特徴とは
1 なぜフィンランドは学力世界トップクラスなのか/2 フィンランドの教育のどこに注目すべきなのか/3 教師の優秀さ/4 教師の仕事の中身/5 教師を信頼する社会と教師を生かし切る行政
第3章 カリキュラムが変わる、教育学が変わる
1 フィンランドにおける総合制学校の確立/2 フィンランドの教師養成とカリキュラムの歴史/3 カリキュラムの歴史と教師の役割の変化/4 新自由主義の流入/5 一九九四年『国家カリキュラム』/6 カリキュラムの影響と評価/7 新カリキュラムの根底には構成主義/8 社会構成主義/9 教師も生徒も学習する/10 学力段階のブレイクスルーとカリキュラム改革の教育学的な意味/11 一人ひとりの子どもに対応する教師養成/12 平等概念の解釈変更/13 小規模学校こそ大切に/14 パラダイム転換とは何だったのか/15 フィンランドの教育現場はどれだけ変わったか/16 一九九〇年代の教育行政改革の影響/17 最近の教育改革/18 「探求型」教師養成の展望/19 学校評価/20 ボローニャ・プロセス──教師養成の展望とグローバリズム
第4章 探求的教師とは──フィンランドの教師養成制度
1 トゥルク大学にて/2 マルック・ハンヌラ教授からの聞き取り/3 トゥオモ・マキマウヌス君からの聞き取り/4 トゥルク教師養成専門実習校校長から/5 カイヤ・コルホネンさんの教育実習/6 カイサ・ヴェクストロームさんの教育実習/7 イナ・ラウリラさんの教育実習/8 教師は何ができるか──授業への関わり方/9 銃乱射事件への対応
第5章 OECDとEUの教育観の転換
1 北欧型教育の形成期/2 北欧型教育の発展期/3 北欧モデル対アングロサクソン・モデル/4 フィンランドとOECD、新自由主義/5 WTOとGATS/6 EUの教育方針の確立/7 OECDとDeSeCo──義務教育の学力をすり合わせる/8 社会も教室も異質な者の集まり/9 EUの知識観が変わる──知はオープンなもの/10 DeCeCo計画とPISA──考える力こそを/11 ロバート・パットナムと社会資本/12 社会資本とPISA型学力/13 日本の逆流──「低学力」批判という名の構成主義否定/14 テストのための教育は時代遅れで非効率
おわりに
注釈
フィンランド国家教育委員会『総合制学校カリキュラム大綱』(1994年)


  巻末のフィンランド国家教育委員会『総合制学校カリキュラム大綱』を読むだけでも十分価値がありそうです。さらにフィンランドの教師養成法には目を見張りました。専門職としての教師の位置づけが鮮明なのです。フレネ教育者と対比してみるのもおもしろいかも知れません。

〔トビラ〕フィンランドの教師養成法
①五年間の在学期間のうち、ほぼ半年(約二〇週)が教育実習に当てられる
②教師は情報伝達者や講義者ではなく、助言者であり学習案内者である
③教師はみな修士の資格をもつ
④教師や学校の善し悪しの外部評価はない
⑤「国家カリキュラム」(学習指導要領に相当)の解釈・運用は現場任せに
⑥学校査察も教科書検定もない





〔125〕二兎社「ザ・空気」は「歌わせたい男たち」のようには笑えませんでした。

2017年01月25日 | 語り・演劇・音楽
  昨1月24日(火)、東京池袋の東京藝術劇場で二兎社公演「ザ・空気」を鑑賞しました。さすがに今回もチケット完売のようでした。
  私は永井愛作・演出の二兎社公演が大好きで、これまでに「歌わせたい男たち」「書く女」などを劇場で見ています。しかしながら、二兎社公演は根強い人気があるのでチケットがなかなか手に入らず、やむなく「かたりの椅子」や「ら抜きの殺意」などはテレビ観劇でした。
  さて、昼の2時開演。テンポのいい芝居で、息つく暇のない1時間45分があっという間に終わってしまいました。終わった後にはずしりと重い錘のようなものが心の底に降りてきました。登場する5人の2年後はけっこう衝撃的でした。

  ネタバレにならないように「ザ・空気」について触れてみましょう。チラシから情報を取り出してみます。

■二兎社「ザ・空気」
*作・演出:永井愛
*キャスト 田中哲司 若村麻由美 江口のりこ 大窪人衛 木場勝己
〔チラシ〕
(表)上からの圧力? そんなもの、感じたことはないですねぇ
(裏)人気報道番組の放送開始まであと数時間。
  ある“懸念”をきっかけに現場は対応に追われ始める。
  決定権を握るのは・・・・・・空気?

  「人気報道番組の放送開始まであと数時間」の状況設定は、たしか、卒業式を数時間後にひかえた教育現場の「歌わせたい男たち」を想起させます。「歌わせたい男たち」の場合は日の丸・君が代問題を扱ったものですが。
  「ザ・空気」に登場するのは編集長、キャスター、アンカー、ディレクター、編集マンの5人です。放送局上部から番組の一部差し替えが指示されるところからドラマが展開していきます。事件の中で5人の人格や思いがリアルに浮かび上がってきます。
  ドラマの背景として、高市総務大臣の電波停止発言やそれに対するキャスターたちの抗議行動などがあることは間違いありません。
  チラシの「上からの圧力? そんなもの、感じたことはないですねぇ。」というコピーは、フジテレビのアナウンサーが語ったことばに由来しているのでしょうか。

●ライブドアニュースより(2016年5月21日 15時15分)
「高市早苗総務相の「電波停止」発言の影響にフジテレビのアナウンサーが言及」
21日の番組で、高市早苗総務相の「電波停止」発言にフジのアナが言及した
「何か圧力を感じているということは一切ありません」と西山喜久恵アナ
渡辺和洋アナも「影響を受けていないというのが実感」と語った

  「歌わせたい男たち」のように笑えなかったのは、今の日本の現状があまりに深刻すぎて、現在進行形というより、状況が追い越しているからでしょう。
 少し勉強してみるとわかるのですが、放送法というのは憲法に保障されている表現の自由を第一に考えて制定されたものです。条文の後出する「政治的中立」というのは、尊重規定ということです。
 テレビを初めとするジャーナリズムは、権力の暴走を抑止するものでなくてはなりません。その基準は日本国憲法の三本柱と立憲主義の視点からです。

  5人の役者さんはそれぞれ個性的で、実力者揃いでした。おもしろいことに、たしか全員が二兎社の芝居には初参加でした。若村麻由美さんのインタビュー記事が朝日新聞に掲載されていましたね。(20171.19夕刊)
  木場勝己さんの「報道の世界を萎縮させるような総務大臣の発言が取りざたされていましたねぇ。まあ、しかし、政治権力というものはそういうものでしょう。マスメディアを牛耳ろうとしない国家権力なんてありゃしませんよ。」(パンフより)という発言はそのとおりですよね。で、だからどうしますか。

  最後に、パンフに永井さんとマーティン・ファクラーさんの対談が刺激的でした。日本では「発表ジャーナリズム」が主で「調査報道」が従になっているということです。「権力の監視」が弱いようです。そういえば、日本会議についての報道も外国メディアが先行したという事実がありましたね。

  マーティン・ファクラーさんの本を早速読んでみたいですね。

●マーティン・ファクラーの本
『「本当のこと」を伝えない日本の新聞 』マーティン・ファクラー、双葉新書 2012/7
『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』マーティン・ファクラー、双葉新書 2016/2
『世界が認めた「普通でない国」日本』マーティン・ファクラー、祥伝社新書 2016/12
『崖っぷち国家 日本の決断』孫崎 享, マーティン・ファクラー、日本文芸社 2015/2

〔124〕今年最初の19国会議員会館前・総がかり行動は3000人集まりましたよ!

2017年01月20日 | 市民運動
 昨夜「1・19国会議員会館前・総がかり行動」に連れ合いと参加してきました。
 今年最初の19行動(一昨年の9.19に戦争法が通ってから毎月19日に集会を開いています)でとても寒い日でしたが、全国から3000人が集まりました。メインステージから遠い、比較的空いている場所を確保しましたが、団体が入ってきてあっという間に身動きができなくなってしまいました。
  集会の正式名称は以下の通りです。

『安倍政権の暴走止めよう!自衛隊は南スーダンからただちに撤退を!1・19国会議員会館前行動』19日18時半~ 衆議院第2議員会館前~国会図書館前 
・日時:2017年1月19日(木)18:30~19:30
・場所:衆議院第2議員会館前、参議院議員会館前、国会図書館前
・主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

 定刻前に、あるミュージシャンのギター演奏による歌が披露されました。喜納昌吉さんの「花」でした。
 集会は以下のように進みました。プログラムがあったわけではないので、固有名詞に間違いがありましたらご容赦下さい。〔敬称略〕

〈連帯のことば〉
・糸数慶子(沖縄の風)
・近藤昭一(民進党)
・吉田忠智(社民党)
・井上哲士(共産党)
・宇田川(主催者)
*コーラー:菱山南帆子
・安保法制違憲訴訟:武谷(弁護士)
・MXテレビ「ニュース女子」への抗議:カワダ(辺野古リレー)
・武器輸出反対ネットワーク:杉原浩司

  予定の時間を超える集会になりましたが、各政党の話だけではなく、安保法制違憲訴訟・MXテレビ「ニュース女子」抗議・武器輸出反対ネットワークなどの現在進行形の話が聞けたのが良かったです。
 とりわけ、偏見に満ちたMXテレビ「ニュース女子」については2,3日前に朝日新聞でも取り上げていましたが、重大な問題です。カワダさんは「デマで沖縄への偏見をあおる」「沖縄を犠牲にした『平和』はいらない」と書いたステッカーを持ち訴えていました。この放送に疑問を感じて一人で立ち上がり、仲間が20人に増えたそうです。これからもMXテレビ前で抗議活動をしていくということでした。


 集会の様子が見られますよ。

https://www.youtube.com/watch?v=BLqoZUAU5gs




〔123〕『"機関銃要塞"の少年たち』と『弟の戦争』を読み比べるとおもしろいですよ。

2017年01月17日 | 図書案内
  ロバート・ウェストールの話が続きます。
  『"機関銃要塞"の少年たち』(1980年、越智道雄訳、評論社)をブックオフで手に入れたのは2,3年前のことでした。なぜか低価格でありながらも汚れのまったくないきれいな本でした。すぐに読まなかったのは、この本が戦時下の英国の子どもたちを描いていて、当然ながら翻訳本ということもあり、私には少々馴染めなかったからです。しかし、ウェストールの処女作でありながら、英国の権威あるカーネギー賞受賞作をいずれは読みたいと思っていたのでした。
  前ブログで紹介した、ウェストール短編集『真夜中の電話』を読んで勢いがつきました。本書を読み進めるにつれて、徐々に引き込まれていきました。ナチスドイツに空爆される戦時下の北部イギリスの様子が実にリアルで克明です。
  仲間と機関銃要塞という秘密基地を造るあたりから、ぐいぐい物語に没入していきました。ある日、ドイツの兵隊が不時着するところから、物語は佳境に入るのです。個性をしっかり描きわけられた数人の子どもたちとドイツ兵との交流から、戦争とは何かを問う一種の反戦文学とも言えそうです。内容はそれほど平易なものではなく、たんなる児童文学でもありません。大人の鑑賞にもしっかり堪えうる物語でした。

『"機関銃要塞"の少年たち』を読んですぐに思い出したのは、ウェストール作品の白眉『弟の戦争』でした。それはこんな本です。

『弟の戦争』ロバート・ウェストール/作 原田勝/訳、徳間書店、1995年
〔内容紹介〕イギリスで子どもの選ぶ賞ほか複数受賞。ぼくの弟は心の優しい子だった。弱いものを見ると、とりつかれたみたいになって「助けてやってよ」って言う。人の気持ちを読み取る不思議な力も持っている。そんな弟が、ある時「自分はイラク軍の少年兵だ」と言い出した。湾岸戦争が始まった夏のことだった…。人と人の心の絆の不思議さが胸に迫る話題作。

  『"機関銃要塞"の少年たち』は第二次世界大戦時のことですが、『弟の戦争』は湾岸戦争をモチーフにしています。時代はそれぞれ違うし、前者がリアルな戦争体験を下敷きにしているのに対して、後者は弟が「自分はイラク軍の少年兵だ」と憑依する物語です。異なる手法で戦争に迫るウェストールはただ者ではありません。
  『弟の戦争』のディテールはすっかり忘れてしまったので、近々再読したいと思っています。
  宮崎駿さんは大のウェストールファンだと聞いていますし、ウェストール作品の挿絵も描いています。『ブラッカムの爆撃機―チャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの』(岩波書店)の編集もしています。彼はウェストール作品のどこを評価しているのでしょうか。
  引退会見で次のように語っています。

宮崎 僕は、自分の好きなイギリスの児童文学作家で、もう亡くなりましたけど、ロバート・ウェストールという男がいまして、その人が書いたいくつかの作品の中に、本当に自分の考えなければいけないことが充満しているというか、満ちているんです。この世はひどいものである。その中で、こういうせりふがあるんですね。「君はこの世に生きていくには気立てが良すぎる」。そういうふうに言うせりふがありまして、それは少しもほめことばではないんですよ。そんな形では生きていけないぞお前は、というふうにね、言っている言葉なんですけど。それは本当に胸打たれました。
 つまり、僕が発信しているんじゃなくて、僕はいっぱい、いろんなものを受け取っているんだと思います。多くの書物というほどでなくても、読み物とか、昔見た映画とか、そういうものから受け取っているので、僕が考案したものではない。繰り返し繰り返し、この世は生きるに値するんだってふうに言い伝え、「本当かな」と思いつつ死んでいったんじゃないかってふうにね、それを僕も受け継いでいるんだってふうに思っています。

  ウェストール作品、お次は未入手『ブラッカムの爆撃機―チャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの』を読まなくては。

〔122〕ロバート・ウェストールとの出合いは芝居「弟の戦争」を見たことから始まりました。

2017年01月09日 | 図書案内
 私がイギリスの児童文学の巨匠ウェストールを初めて意識したのは、2005年の劇団うりんこによる「弟の戦争 ─ GULF ─」(鐘下辰男脚本)を見たことから始まりました。鉄パイプを組んだシンプルな舞台が印象的で、「弟」の意識の世界の「戦争」がかえってリアルに迫ってきたものでした。
 ウェストールにのめり込むようになったのはそれから暫くして、劇作家の篠原久美子さんと親しく話していただくようになってからでした。当時編集代表をしていた「演劇と教育」の拡大編集委員にお願いしたところ、お忙しいにもかかわらず、躊躇なく快諾していただいたのです。
 篠原さんや岩川直樹さんなども参加される編集会議後の呑み会は実に楽しいものでした。そうした場で「弟の戦争」はすでに篠原さんが脚色し、青年劇場で上演されていることを知りました。無知でした。篠原さんからさらにウェストールの『海辺の王国』の素晴らしさが語られました。この時点で彼女はほとんどのウェストール作品を読んでいたようでした。
 2回目の迂闊さは、篠原版「弟の戦争」がつい最近上演されたのでした。今回も見逃してしまったというわけです。

●劇団俳小第42回本公演『弟の戦争』
原作:ロバート・ウェストール
翻訳:原田勝「弟の戦争」(徳間書店刊)
脚色:篠原久美子(劇団劇作家)
演出:河田園子(演劇企画joko)
2016年12月7日(水)~2016年12月11日(日)

 ネット検索しているとき、翻訳者の原田勝さんのブログを発見しました。「弟の戦争」はなんと4回目の上演ということになるというのです。

●原田勝氏のブログ「翻訳者の部屋から」より
 (前略)
 じつは、この作品の舞台化は4度目です。
 2004年の青年劇場による『GULF ─ 弟の戦争』、2005年の劇団うりんこによる『弟の戦争 ─ GULF ─』、2008年の桜美林大学パフォーミングアーツプログラムによる『弟の戦争』、そして今回の劇団俳小による『弟の戦争』です。
 (中略)
 青年劇場の舞台は観ましたが、篠原久美子さんの脚本は、わたしの翻訳した文章をかなり忠実にせりふにとりいれているので、客席で聴いていると、とても不思議な、そして背筋がぞくぞくする気持ちになったのを覚えています。
 うりんこの舞台(鐘下辰男さん脚本)はビデオで観ましたが、こちらは原作をデフォルメしてあり、舞台装置は終始鉄パイプで組んだ足場のようなものだけ、という、抽象性の強い舞台でした。
 今回の脚本も、また、篠原さんなので、わりと原作に忠実な舞台になるのではないかと思います。いずれにしても、ウェストールの原作から、原田の翻訳、そこから、それぞれの脚本家の方の手をへて、活字の世界が舞台上の人間の動きや声に転化するというプロセスを思うと、感慨深いものがあります。


  はてさて、ウェストールの話に戻しましょう。
  あの編集会議後の呑み会を契機に私のウェストール詣でが始まりました。ブックオフなどで手に入れては1冊1冊読み進めました。そして翻訳本の半分以上は読んだことになります。
  どんな作品があるのか並べてみます。

●ウェストール作品(徳間書店を中心に)
『海辺の王国』 1994年 ガーディアン賞受賞  坂崎麻子訳
1942年夏、空襲で家と家族を失った12歳の少年ハリーは、イギリスの北の海辺を犬と共に歩いていた。さまざまな出会いをくぐり抜けるうちに、ハリーが見出した心の王国とは…?「児童文学の古典となる本」と表された晩年の代表作。(The Kingdom of the Sea)
『クリスマスの猫』  1994年 ジョン・ロレンス絵/坂崎麻子訳
1934年のクリスマス。おじさんの家にあずけられた11歳のキャロラインの友だちは、身重の猫と、街の少年ボビーだけ。二人は力をあわせ、性悪な家政婦から猫を守ろうとするが…。気の強い女の子と貧しいけれど誇り高い男の子の、「本物」のクリスマス物語。(The Christmas Cat)
『弟の戦争』  1995年 原田 勝訳
人の気持ちを読み取る不思議な力を持ち、弱いものを見ると助けずにはいられない、そんな心の優しい弟が、突然、「自分はイラク軍の少年兵だ」と言い出した。湾岸戦争が始まった夏のことだった…。人と人の心の絆の不思議さが胸に迫る話題作。(Gulf)
『猫の帰還』  1998年 スマーティー賞受賞  坂崎麻子訳
出征した主人を追って、戦禍のイギリスを旅してゆく黒猫。戦争によってゆがめられた人々の生活、絶望やくじけぬ勇気が、猫の旅によってあざやかに浮き彫りになる。厳しい現実を描きつつも人間性への信頼を失わない、感動的な物語。(Blitzcat)
『かかし』  2003年改訂版 カーネギー賞受賞  金原瑞人訳
継父の家で夏を過ごすことになった13歳のサイモンは、死んだパパを忘れられず、継父や母への憎悪をつのらせるうちに、かつて忌まわしい事件があった水車小屋に巣食う「邪悪なもの」を目覚めさせてしまい…?少年の孤独な心理と、心の危機を生き抜く姿を描く、迫力ある物語。(The Scarecrows)
『禁じられた約束』  2005年 野澤佳織訳
初めての恋に夢中になり、いつも太陽が輝いている気がした日々。「わたしが迷子になったら、必ず見つけてね」と、彼女が頼んだとき、もちろんぼくは、そうする、と約束した…でもそれは、決して、してはならない約束だった…。せつなく、恐ろしく、忘れがたい初恋の物語。(Promise)
『青春のオフサイド』  2005年 小野寺 健訳
ぼくは17歳の高校生、エマはぼくの先生だった。ぼくは勉強やラグビーに忙しく、ガールフレンドもでき、エマはエマで、ほかの先生と交際しているという噂だった。それなのに、ぼくたちは恋に落ちた。ほかに何も、目に入らなくなった…。深く心をゆさぶられる、青春小説の決定版。(Falling into Glory)
『クリスマスの幽霊』  2005年 坂崎麻子・光野多惠子訳
父さんが働く工場には、事故が起きる前に幽霊が現われる、といううわさがあった。クリスマス・イブに、父さんに弁当を届けに行ったぼくは、不思議なものを見たが…? クリスマスに起きた小さな「奇跡」の物語。作者ウェストールの、少年時代の回想記を併録。
           (The Christmas Ghost)

『"機関銃要塞"の少年たち』1980年、越智道雄訳、評論社、(Machine Gunners)
『ブラッカムの爆撃機』1990年、金原瑞人訳、福武書店
『ブラッカムの爆撃機-チャス・マッギルの幽霊・ぼくを作ったもの』2006年、金原瑞人訳、岩波書店
『水深五尋』金原瑞人・野澤佳織訳、岩波書店、2009年
『ゴーストアビー』金原瑞人訳、あかね書房、2009年


 つい最近手に入れたのがウェストール短編集『真夜中の電話』(もう1冊の短編集に『遠い日の呼び声』野沢佳織訳)です。大人の鑑賞にも十分堪えられる作品集です。彼は「短編の名手」に違いありません。

●ウェストール短編集『真夜中の電話』R・ウェストール、原田勝訳、徳間書店、2014年
〔扉〕
 年に一度、真夜中に電話をかけてくる女の正体は…?(「真夜中の電話」)
 恋人とともに、突然の吹雪に巻きこまれ、命の危険にさらされた少年は…?(「吹雪の夜」) 戦地にいるお父さんのことを心配していたマギーが、ある日、耳にした音とは…?(「屋根裏の音」)
 「海辺の王国」「弟の戦争」などで知られる、イギリス児童文学を代表する作家、ロバート・ウェストール。短編の名手としても知られたウェストールの全短編の中から選びぬいた18編のうち、9編を収めた珠玉の短編集です。


 この中で一番興味深かったのは「吹雪の夜」の次の一節です。私の前ブログのストロースの『サンタクロウスの秘密』と見事に符号しますね。

「クリスマスも、ぼくには裏が見えていた。あれはもともと、異教のユールという祭りでそれをキリスト教会が不運な異教徒たちからかすめとったのだ。クリスマスツリーはドイツの森の神のシンボルで、十九世紀にヴィクトリア女王の夫君アルバート殿下がイギリスにもちこんだものだ。クリスマスに飾るヤドリギだってドルイド教の魔法の植物だったのだし、そのほかのクリスマスのあれこれは、チャールズ・ディケンズが金もうけのために長々と書いた話がもとになっている。それ以来、人々はクリスマスを金もうけに利用してきた。すべて商業主義だ!…」(28,9頁)