後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔223〕映画「沖縄スパイ戦史」は、軍隊が国民を守らないことを「証言」してくれました。

2019年07月03日 | 映画鑑賞
 2019年6月27日、東村山市立中央公民館で映画「沖縄スパイ戦史」を鑑賞しました。5,600人は入るであろうホールはほぼ満席でした。ひたひたと戦争の空気が漂い始めている今日この頃、「戦争はいやだ」「戦争はさせない」という想いが集結していたように思えてなりません。
 いろいろな意味ですごい映画でした。考えさせられる映画でした。見なければいけない映画でした。
 それはこんな映画です…。

■映画「沖縄スパイ戦史」(HPより)

 戦後70年以上語られなかった陸軍中野学校の「秘密戦」、明らかになるのは過去の沖縄戦の全貌だけではない―。戦後70年以上語られなかった陸軍中野学校の「秘密戦」、明らかになるのは過去の沖縄戦の全貌だけではない―。

 第二次世界大戦末期、米軍が上陸し、民間人を含む20万人余りが死亡した沖縄戦。第32軍・牛島満司令官が自決する1945年6月23日までが「表の戦争」なら、北部ではゲリラ戦やスパイ戦など「裏の戦争」が続いた。作戦に動員され、故郷の山に籠って米兵たちを翻弄したのは、まだ10代半ばの少年たち。彼らを「護郷隊」として組織し、「秘密戦」のスキルを仕込んだのが日本軍の特務機関、あの「陸軍中野学校」出身のエリート青年将校たちだった。
 1944年の晩夏、42名の「陸軍中野学校」出身者が沖縄に渡った。ある者は偽名を使い、学校の教員として離島に配置された。身分を隠し、沖縄の各地に潜伏していた彼らの真の狙いとは。そして彼らがもたらした惨劇とは……。

「散れ」と囁くソメイヨシノ「生きろ」と叫ぶカンヒザクラ「散れ」と囁くソメイヨシノ「生きろ」と叫ぶカンヒザクラ

 長期かつ緻密な取材で本作を作り上げたのは、二人のジャーナリスト。映画『標的の村』『戦場ぬ止み』『標的の島 風かたか』で現代の闘いを描き続ける三上智恵と、学生時代から八重山諸島の戦争被害の取材を続けてきた若き俊英、大矢英代。
少年ゲリラ兵、軍命による強制移住とマラリア地獄、やがて始まるスパイ虐殺……。戦後70年以上語られることのなかった「秘密戦」の数々が一本の線で繋がるとき、明らかになるのは過去の沖縄戦の全貌だけではない。
  映画は、まさに今、南西諸島で進められている自衛隊増強とミサイル基地配備、さらに日本軍の残滓を孕んだままの「自衛隊法」や「野外令」「特定秘密保護法」の危険性へと深く斬り込んでいく。


 日本で唯一地上戦が展開されたのが沖縄でした。20万人、沖縄の4人に1人が亡くなりました。沖縄の少年たちもゲリラ戦にかり出されました。強制移住させられた島はマラリアの巣窟でした。日本軍は国民を守らなかった。日本軍が守ろうとしたのは国体でした。…そんなことがじわりと伝わってくる映画でした。
 目を背けてはいけない映画です。本当の戦争はもっとむごいものだからです。

 最近、1冊の本を読みました。『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』。戦争を兵士の目線で客観的に描き出しています。その一部を〔内容点描〕として取り出しました。映画とは全く異なる視点で戦争の矛盾を活写しています。
  今日購入した『沈黙の子どもたち-軍はなぜ市民を大量殺害したか』(山崎雅弘、晶文社)も戦争を鋭く問いかける本です。
 最後に、鎌田慧さんの新聞コラム「沖縄の問いかけ」を読んでください。
 映画、本、コラムが一直線に繋がりました。


■『日本軍兵士』吉田裕、中公新書、2017年
〔ソデ〕310万人に及ぶ犠牲者を出した先の大戦。実はその9割が1944年以降と推算される。本書は「兵士の目線・立ち位置」から、特に敗色濃厚になった時期以降のアジア・太平洋戦争の実態を追う。異常に高率の餓死、30万人を超えた海没死、戦場での自殺・「処置」、特攻、劣悪化していく補充兵、靴に鮫皮まで使用した物資欠乏……。勇猛と語られる日本兵たちが、特異な軍事思想の下、凄惨な体験をせざるを得なかった現実を描く。
●吉田裕著『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』が、第12回新書大賞を受賞しました。
 本書は、兵士の目線・立ち位置から、過酷さを増した1944年以降の戦争の実態を描いた作品です。戦闘で斃れたと思われがちな兵士たちが、実際には餓死や海没死などの亡くなり方も多かったこと、歯や軍服、軍靴の劣化、過重な装備で悩まされたことなど、兵士たちの現実を描いています。
 発売以来、朝日・毎日・読売・日経・産経のほか地方紙などにも書評や紹介が掲載されて多くの反響がありました。また、第30回アジア・太平洋賞特別賞を受賞し、学術面での高い評価も得ています。

〔内容点描〕
・第1期 開戦(1941年12月8日)~1942年5月 日本軍の戦略的攻勢期
・第2期 1942年6月~1943年2月 戦略的対峙の時期
・第3期 1943年3月~1944年7月 戦略的守勢期
・第4期 1944年8月~敗戦(1945年8月) 絶望的抗戦期

*アジア・太平洋戦争の死者
・日本人 軍人・軍属230万人(朝鮮人、台湾人5万人) 外地一般邦人30万人 国内50万人 合計約310万人
・米軍 9万2000~10万人、ソビエト連邦 2万2694人 、英軍 2万9968人、オランダ軍 2万7600人
・中国軍 中国民衆 1000万人以上、挑戦20万人、フィリピン111万人、台湾3万人、マレーシア・シンガポール10万人、その他、ベトナム、インドネシアなど総計で1900万人以上
・1944年以降の戦没者91%
・異質な軍事思想…短期決戦、速戦即決、作戦至上主義、極端な精神主義、「肉薄攻撃」、「特攻」
・日本軍の根本的欠陥…「統帥権の独立」、ミッドウェー島攻略は天皇が指示、「皇軍」、「軍人精神注入棒」、



 ◆沖縄の問いかけ   鎌田 慧(ルポライター)

「青くきれいな海 この海は どんな景色を見たのだろうか」
 沖縄「慰霊の日」に問いかけた糸満市の小学6年・山内玲奈さんの詩(
本紙24日掲載)は胸を衝く。

 沖縄の青い海と空と緑の大地を誇りに思いつつ自然に恵まれた島を
襲った74年前の「鉄の暴風」。その戦争の残虐さを昨年亡くなった祖父
に聞くことはできなかった。「悲しい記憶を思い出させるのはかわい
そう」と思ったからだ。
 本土に住む首相や大臣そしてわたしたちも、戦争の悲惨は沖縄だけで
はない。本土も同じ苦難だった。原爆もあったといいがちだ。

 しかし、米国の軍政から念願の日本復帰をはたして47年。それでも
日本国土の0.6%に70.3%もの米軍基地が集中配備されている。差別的
すぎる。
 辺野古のジュゴンが来る青い海に、今日も遠慮会釈なく大量の土砂が
投入されている。東村の「やんばるの森」は刈り倒され、コンクリート
のオスプレイ発着場にされた。

 県民の大多数がどれだけ嫌だといっても、首相は「基地負担の軽減
だ」と嘯(うそぶ)く。この暴政の傍観者でいるのは心苦しい。
 「『辺野古』県民投票の会」の元山仁士郎さんは、住んでいる国立市
議会へ陳情書を提出した。辺野古新基地建設中止と普天間飛行場の運用
停止を求める意見書を国に提出させる要請運動だ。各地でやろう。